第十六話
「続いて後攻の『村岡高校』は試技を始めてください」
「ぐぬぬぬ!」
私は力いっぱい<フィギア>を持ち上げた。
お、重い……。第一試技の疲れがまだ消えていなかった。両腕にはすでに乳酸が通勤ラッシュの満員電車の様に充満していた。中には我慢できずに痴漢をしている乳酸もいるのだろう。私の両腕は今、立ち向かう力すらなく、いいように痴漢をされていた。
このままでは、10分どころか5分ももたないだろう。いくら希望が輝いていても、人の実力はさほど変わらない。希望ごときで実力以上の力をだせるのなら、だれもが金メダリストになっているだろう。それでは世界はつまらない。つまりは、希望などというものは、精神世界では強大でも、現実においてはさほど役に立たないということだ。
「奈々子ちゃん、もう少し右に傾けて!」
私は美咲先輩の指示通り、<フィギア>を右に傾けた。
「あ! 違う違う、間違えた。私から見て右! えっと……だ、だから、奈々子ちゃんからみて左! あれ? えっと……やっぱり右? あれれ?」
どうやら美咲先輩も脳みそに乳酸がたまっているようだった。美咲先輩の指示はめちゃくちゃで、いよいよ私はどうしたら良いのかわからなくなってしまった。これがいわゆる“乳酸パニック”というやつだ。
「ぐぎぎぎぎ……」
横目で見た審判の目が光る。このままでは、規定の角度よりも大きくずれてしまい、キープ無効となるだろう。もういっそのこと、キープ無効になって、試合が終わってくれた方が楽かもしれない。腕にも脳にも乳酸が充満していて、私は限界。このまま負けてしまえば、悔しくて、泣いてしまうだろう。「どうしてもう少しがんばれなかったの!」と自分を責めて、後悔するだろう。その後悔を一生背負うことになったとしても、私はもう楽になりたい。マリコ先輩のことはあきらめて、<フィギア>を捨てて、はやく楽になりたい。今すぐ楽になれるのなら、一生後悔してもいい。
「ぐぎぎぎぎ……」
一生続く後悔を受け入れた今、希望は輝きを失った。
「あわわわわわ」
美咲先輩はあいかわらず“乳酸パニック”状態で、役に立ちそうもない。
「…………」
私はついに、<フィギア>を下ろす覚悟を決めた。とたん、無言の涙があふれ出た。“一生続く後悔”を受け入れる覚悟を決めても、悔しいものは悔しいのだ。「やっぱり嫌だ。負けたくない」体がそう叫ぶ。でも、心は既に負けている。体よりも心の方が強いのだ、偉いのだ。いつも体は心の言うままなすがまま、抵抗することなく素直に言うことを聞いてきた。そんな体による、初めての心への反抗。
「私……負けたくない!」
口がかってに言葉を発した。心はすでに負けているのだから、これは心の声ではない。体の声だ。心よりも遥かに弱い体のささやかな抵抗。その抵抗は、確かに奇跡を起こした。
「私だって、負けたくないよ! 奈々子ちゃん、あと5センチ<フィギア>を上げてぇ!!」
“乳酸パニック”状態だった、美咲先輩が魅惑のハニーボイスで叫ぶ。美咲先輩の叫びには“力”があった。私はその“力”を確かに受け取った。
「うおおおおおおおおお!」
私は今一度、下ろしかけた<フィギア>を高く上げた。私は負けない、絶対に勝つ! 奇跡の力で私の心に再び闘志が燃えた。
「おおおおおお……お。おお……」
しかし、限界はとっくに過ぎていた。無理やり腕を上げたせいで私の両腕はついに“乳酸爆発”を起こし、物理的に<フィギア>を支えられなくなった。そして、両腕の“乳酸爆発”に誘発される形で、脳みその乳酸も爆発し、私は意識を失った。
私は思う、意識を失うまで自分を追い込めたら、そこまで努力ができたら、人間なんだってできる、と。正直、意識を失うまで努力できる人間がこの世にどれほどいるだろうか? みんな「必死」と言いながら、本当に死ぬことのないように、無意識に実力をセーブしていきているのだ。“努力の天才”という言葉は好きではないけれども、私はもしかしたら、天才かもしれない。薄れていく意識の中、私はそんなことを考えた。




