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第2話 東北で空を見上げて 上

 国分寺を出発したのは真夜中だった。父は山形県から車で八時間かけて息子を迎えに来て、一泊してから自分の郷へ連れに出た。夜中だとどの道も空いているから、父は深夜帯を好んだ。途中の高速道路で運転を交代したが、父は息子の運転だと落ち着かない様子で自分で運転したがった。

 緑郎は父に体を休めて欲しかったが、父は「大丈夫なんだよ」の一点張りで息子の協力を拒んだ。だから、緑郎は二時間だけ運転すると後は助手席に戻って、最近ハマっている九十年代の邦楽を流した。彼が勝手に『自分の感性が自分を証明する系ソング』とカテゴライズした宮沢りえの「NO TITLIST」や中谷美紀の「マインドサーカス」をかけて歌ったりした。すると不意に父を沸かせ、

「うわあ。懐かしい。うわあ良いよな〜この歌」

と、声を潤わせ、所々一緒に歌い始めた。以前は作曲の仕事をしていた父は音楽には敏い。緑郎は久しぶりに父の低い歌声を聴いた。

 緑郎も梅乃も、音楽好きは父の影響で、小さな頃からアニメの曲を父がピアノで演奏して一緒に歌う所から始まり、祭りばやしが聴こえる昼の参道やクラシックのコンサートに連れ出してくれたり、様々な音楽に触れさせてくれたのだった。それが今では、父を唸らす程緑郎と梅乃は音楽の幅を得ていて、最近では欧米のインディーズで人気の曲からBLやGLといったアジア圏で製作されたドラマの曲など、次に頭角を表しそうな表層下で賑わっている曲を、経緯は知らされずに子供たちから聴かされ、父は若い世代に好まれている音の雰囲気やマインドになんとなく触れている。

 深夜の高速道路をひた走り、オレンジ色の灯が並んだ仄かで雰囲気のある道路に進出すると、緑郎はこの前動画で見た、神社巡り平将門編を思い出し、父に話しかけた。父は歴史が好きで、父の意見を聞くのも緑郎にとってはエンタメなのだ。

「なんかさ、この前、将門を祀った神社の映像を見たんだ。神社側の説明としては、将門を討った後、彼ってすごい強力な武将だったから、そんな力の持ち主に死後恨まれたら怖いからって神様として祀り、僕たちに怒りを向けないで守ってね、って神社建てたんだって紹介されててさ。将門って、小学生ぐらいの時にお父さんが、まんがの人物伝みたいの買ってくれたからなんとなく印象に残ってて、子供心にも、将門が自らを天皇って言い始めた展開には、あらららと思ったんだ。でも、だからって殺すには惜しい人だったよね」

「うんうん。でもあれは、周りの人に担がれたり、引くに引けない状況だったっていうよ。本人が調子に乗ったように見えるけど」

「あの動画を見てから、将門のことを考えるとさ、関東で皆んなのボスをやって担がれて、関西の朝廷に目付けられて、反逆扱いされて討たれて、あとは僕らを守ってねって、将門からしたら、え?って感じだよね」

「しかも、死後も散々悪霊だの怨霊だのと民衆のネタにされ、あげく強い力にちなんでご利益に勝負運くださいってんだから。ろくは、死人に口なしにも程があるって言いたいんだろ?ヘッヘッヘ」

父は笑いながら、大人になった息子と話ができるようになったことに、関心しているようだった。緑郎も、久しぶりに会った父が乗り気で自分と会話するのが嬉しくて、よく笑った。

 途中眠気覚ましに、緑郎が中学生の時に、二人でドライブ旅行をした時のよう、父の云う辛いガムの銀紙を剥いて、父の口に噛ませたりした。

 そんな風に好きに過ごしていても、時間はまだまだあって、山形県はずっと遠くにあって、サービスエリアの真っ暗な駐車場で仮眠休憩を挟んだ後、フロントガラスにうっすら滲んだ露を拭きながら、夜が明けるのを二人で少し眺めて、また走りだし、ようやく山形県に入った。

 緑郎にも見覚えのある町並みが晴れやかに現れている。その辺に来ると出現する農作機の販売店と中古車店を彼は目印にしている。通りがかりに農作機の店先で明るい表情をした双子のイラストのポスターを見かけると、『梅ちゃんがヤン坊でおれがマー坊かな?』と彼はいつも胸の内で呟いた。

 丁度信号待ちだったので、車の中から、ガラス張の農作機の販売店の中を眺めた。ガラスの中にある部屋には、創業当初から変わっていないであろう古い石のタイルが敷き詰められている。黒地に白いマーブルのような模様が少し見える。隅に置かれた黒いソファも大昔のドラマに出てきそうな一品だ。壁の材質は微細なラメのような入りの砂を固めたようなザラついた感じがする。ガラスの中には昔がそのまま残されている。そこから見た今の道路はどんなかな。緑郎は、入った事のないしかし馴染みの販売店の中にいる自分を想像していた。ぼうっとガラスの中を見詰め続けた。厚い青ガラスに七十年代の最先端を閉じ込めて、緑郎の会ったことのない昔を恋しく思わせた。

「昼時に行くと飯の事で気を使わせるから、ここで食ってこ」

急に農作機の販売店が視界から外れて、ハンドルが切られて体に重力がかかると車は赤い暖簾の掛かった店の駐車場で停止した。父は、山形に家族を連れて行くと問答無用で昼ごはんはラーメン屋に入った。母もラーメンが好きだったので、子供たちも好きなものと思っているようだった。子供の頃の緑郎と梅乃はファミレスが良いのにねと、いつも顔を見合わせていた。しかしその習慣のおかげで、緑郎はワンタン麺という秘宝にめぐり合い、山形に来るとかならず注文する一品にしている。

 男二人だと昼飯もすぐに済んでしまって、時間を潰さないとどうにも昼時に邪魔する格好になってしまうので、親子は当てもなく通りすがりの河原に車を寄せて景色を眺めたりした。静かな河原のすぐ横の道路では働くトラックや営業車が行き交って、自然の真横から見る排気ガスは緑郎の心に影を落とした。これから始まる労働と煙たい人間関係を思わせた。

 彼は父親と外に出て、東北の目覚めたばかりの野山と川を眺めた。川原には地べたを這うよう春の草が芽吹きだしているが、山にはまだ雪がだいぶ残っている。雪解けの水が流れ込む冷たそうな紺色の川と、足元をグラつかせる無数の色のない石を彼はぼんやり眺めた。

 周囲の川原沿いには東京ではもう散ってしまった桜がまだ咲いていて、風が起こると花びらがたまに音もなく親子の視界を通り過ぎて行った。この薄桃色の風をいつまでも見ていられたらなと、緑郎は先へ進むことをこの日は寂しく思った。頭の中にある、国分寺。住宅街の中を通る線路、アスファルト脇のささやかな植物、そういう町並みで出来ていた光景の中に、母や妹との暮らしがあった。

 しばらくして、そこいらを歩いていた父が戻って来て、「じゃあ行くか」と緑郎の方に顔を一瞬むけた。彼は「うむ」と言って、父の後を追い、車に乗り込む前に河を振り返ると、固そうな紺色の川面に桜の花びらがまた音もなく着水するのが見えた。

 市内の最上川水系の川を渡って道路を走っていると、崖沿いの道路に入り最上川の川下りの舟が見えてくる。緑郎は助手席の窓に身を乗り出して、崖下を覗き込んだ。

 小学生のころ、家族で最上川へ立ち寄って、川下りをしたり、鮎の塩焼きを食べたり、笠をかぶって記念撮影をした事がある。

 その時になぜかは分からないが、緑郎は最上川の川下りで、切り立った岩壁の凹凸を覚えようと必死に目を凝らしていた事がずっと忘れられずにいる。水流に押し流される船の上で位置を覚える為だったのか、川に落ちた時に足場になりそうなところを安全意識から気にしたのか、目的は忘れたが、変わらない砂色の岩壁が、今日でも見られるのは嬉しい。

 最上川の注目箇所を過ぎると、りんご農園がちらほら現れて、いつか流行った名曲「孫」が頭の中で流れ出す。だが、決して口ずさむ事はしたくない。いくら山形県に愛着があるからといって、流行ったという事実だけでこの歌を歌うのは、緑郎の音楽好きの誇りが許さない。それに、彼にとって、山形の歌は「りんご追分」なのだ。──青森の歌だが。

 そんな葛藤を鎮めているうちに、気づくと本家のある八日町へ入る。


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