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第4話 ただの腰痛と、忍び寄る「拍動」の影

【マッサージ帰りの患者】


「あぁ、一条先生……。もう腰が、鉛でも詰まってるみたいに重くて重くて」

 診察室に這うようにして入ってきたのは、商店街で煎餅屋を営む田中さん(67歳)。

 長年の立ち仕事で腰痛は持病のようなものだが、今日は顔色が土気色だ。

「おや、田中さん。また無理しちゃったかな? 焼き場に立ちすぎだよ」

 一条院長は椅子から立ち上がり、田中さんの肩を支えて診察台へと促す。

「昨日もマッサージに行ったんですけど、全然良くならなくて。むしろ痛みがお腹の方まで響くというか。年をとると、あちこちガタがきますねぇ」

 力なく笑う田中さんに、一条は優しく「そうだねぇ、僕も最近膝がポキポキ鳴るんだ」と同調しながらも、その指先は素早く田中さんの手首の脈を捉えていた。


【触診と違和感】


「佐藤君、田中さんの血圧を。真壁さんは心電図の準備をお願いできるかな」

 一条の指示に、新人看護師の佐藤が「腰痛なのに心電図ですか?」と不思議そうに尋ねる。

「佐藤君、腰の痛みは『骨』や『筋肉』だけから来るものじゃないんだ。田中さん、ちょっと失礼して、お腹を触らせてね」

 一条が田中さんの腹部、へその少し上あたりを深く、しかし慎重に圧迫した。

「……! 真壁さん、ここ。触れてみて」

 真壁が指を添える。

 そこには、心臓の鼓動に合わせるように、ドクンドクンと力強く、かつ不自然に大きく拍動する「塊」があった。

「先生、これ……拍動性腫瘤はくどうせいしゅりゅうですね」

 真壁の表情が険しくなる。

 佐藤もその緊張感を感じ取り、息を呑んだ。


【沈黙の爆弾、大動脈瘤】


「田中さん、少し詳しく調べましょう。佐藤君、すぐにポータブルエコーを持ってきて。あと、採血はDダイマーとBNPを追加。真壁さん、大学病院の救急外来にホットライン(直通電話)を繋いでおいて。AAAトリプルエーの疑いだ」

「エーエーエー……?」

 混乱する佐藤に、一条はエコーの画面を見せながら、驚くほど低い声で説明した。

「見てごらん、佐藤君。これが腹部大動脈だ。本来は2センチ程度の太さなのに、田中さんのものは5センチを超えて膨れ上がっている。腹部大動脈瘤ふくぶだいどうみゃくりゅうだよ。この『こぶ』が周囲の神経を圧迫して、腰痛として現れていたんだ」

 田中さんが震える声で尋ねる。

「先生、これって、ひょっとして……」

 一条は、田中さんの震える手をしっかりと、温かく握りしめた。

「田中さん、正直に言います。これはお腹の中に『爆弾』を抱えているような状態です。もし今、これが破裂したら、命に関わります。あなたの腰痛は、体が必死に出してくれた『助けて』のサインだったんだ。僕が見つけたからには、もう大丈夫ですよ」


【命のリレー】


 一条はすぐに提携病院の心臓血管外科医に電話を繋いだ。

「パルマ総合の一条です。腹部大動脈瘤、最大径55ミリ、切迫破裂の疑い。今から救急車で送ります。ステントグラフトか、人工血管置換か、判断をお願いします」

 救急車のサイレンが近づく中、一条は田中さんの耳元で囁いた。

「田中さん、次に来るときは、美味しい煎餅を焼いてきてくださいね。僕、あのごま煎餅が大好物なんだ。手術が終わったら、また元気に立ち仕事ができるようになりますから」

 田中さんは涙を浮かべながら、力強く頷いた。


 救急車を見送った後、佐藤がポツリと言った。

「もし先生が普通に湿布だけ出して帰していたら……って思うと、ゾッとします」

「腰痛の8割は原因不明と言われるけれど、残りの数%にはこうした致命的な病気が隠れている。僕らプライマリ・ケア医は、常に『最悪のシナリオ』を頭の隅に置いておかなくちゃいけないんだ」

 一条はそう言うと、ふぅと大きなため息をつき、自分自身の腰をさすった。

「さて、僕の腰痛は……ただの運動不足かな。真壁さん、シップ貼ってくれる?」

「先生は、まずその机の上の資料を片付けてください! 腰痛の原因はデスクワークの姿勢の悪さですわよ!」

 一条の「お人好し」な苦笑いが、再びクリニックに穏やかな空気を取り戻した。


【医療解説:腰痛と腹部大動脈瘤】


• 腹部大動脈瘤(AAA): 腹部の大動脈が「こぶ」のように膨らむ病気。自覚症状が乏しいが、大きくなると破裂のリスクが高まり、致死率が非常に高い。

• 関連痛としての腰痛: 内臓の異変(大動脈瘤、腎結石、膵炎など)が、神経を伝わって腰の痛みとして感じられることがある。これを「関連痛」と呼ぶ。

• 拍動性腫瘤: 腹壁の上から心臓の拍動がはっきりと伝わる塊。大動脈瘤の典型的な身体所見の一つ。

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