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第2話 ただの風邪と、黄金の「ビタミン」の罠

【お人好し院長の長話】


「……それでね、田中さん。お孫さんのピアノ発表会、無事に終わったかな? 緊張で知恵熱が出ちゃったのは、お孫さんじゃなくて田中さんの方だったりしてね」

 診察室から一条院長ののんびりとした笑い声が漏れてくる。

 時計をチラリと見た看護師長の真壁が、インカム越しに釘を刺した。

「一条先生、世間話はそのくらいに。待合室の混雑指数がレッドゾーンに突入していますわよ」

「おっと、いけない。真壁さんに怒られちゃった。ごめんね、田中さん」

 申し訳なさそうに頭をかく一条。

 新人看護師の佐藤は、その様子を見てクスクスと笑う。

「先生、本当にお人好しですよね。患者さんの世間話、全部最後まで聞いちゃうんだもん」


 今回の患者、田中さん(52歳)は困り顔で訴えた。

「先生、笑い事じゃないんです。もう2週間も微熱が引かなくて。喉もイガイガするし、体中がだるくて重いんです。市販のパブロンも毎日飲んでるんですけど……。もっとガツンと効く抗生剤、出してもらえませんか?」


【処方箋への執着と違和感】


 一条は、田中さんの目を優しく覗き込んだ。

「ガツンと、ですか。お辛いのはよく分かりますよ。でもね、田中さん。あなたの喉、そんなに真っ赤じゃないんだ。肺の音も、まるで初夏の空みたいに澄んでいる。急性上気道炎……つまりウイルス性の風邪なら、2週間も微熱が続くのは、何か別の理由がある気がするなぁ」


 佐藤がカルテに記入しながら首を傾げる。

「先生、長引く風邪にはクラリスとかメイアクトとか、抗生剤が必要じゃないんですか?」

「佐藤君、それは大きな誤解だよ。風邪の9割はウイルスが原因。細菌を殺す抗生剤は、ウイルスには無力なんだ。それどころか、腸内の善玉菌まで退治して、かえって免疫力を下げてしまう。僕はね、田中さんに余計な負担をかけたくないんだよ」


 一条は田中さんの手を取り、じっと観察した。

「おや、田中さん。この手のひら……少し黄色い(柑皮症)かな。最近、健康のために特別に頑張っていることはありませんか? どんなに小さなことでもいいんだ、教えてくれる?」


【黄金色の正体と肝機能の数値】


「えっ……。あ、風邪を早く治したくて、テレビで見た『ウコンと人参の特製スムージー』を毎日3回。それからビタミン剤と、栄養ドリンクも欠かさず……」

 真壁が眉をひそめて割って入る。

「田中さん、それ全部合わせると、一日の推奨摂取量を大幅に超えていません?」

 一条の表情が、一瞬だけ真剣な医者の顔に戻った。

「佐藤君、すぐに採血だ。一般項目の他に、AST(GOT)、ALT(GPT)、γ-GTP。それから総ビリルビン(T-Bil)を至急で回して。真壁さん、腹部エコーで肝臓の腫大しゅだいがないか確認しましょう」


 15分後、モニターに映し出された数値は、一条の懸念を裏付けていた。

「ASTが150、ALTが200……。田中さん、これは『風邪』じゃありません。薬剤性肝障害です。体に良いと信じて摂りすぎたサプリメントやウコン、そして市販の風邪薬に含まれるアセトアミノフェンの累積。これらが、風邪で弱っていた肝臓に追い打ちをかけてしまったんです」

「えっ……! 体に良いものばかり食べていたのに……」


 ショックを受ける田中さんに、一条は椅子を引き寄せ、優しく語りかけた。

「田中さん、自分を責めないで。あなたはただ、早く元気になりたかっただけなんだから。でもね、肝臓は『沈黙の臓器』。文句も言わずに頑張りすぎて、パンクしちゃったんだ。今は『足し算』の健康法はお休みしましょう。最大の特効薬は、何も飲まず、何も足さず、ただゆっくり休むこと。肝臓に『お疲れ様』って言ってあげる、いわば『引き算の医療』が必要なんです」


【お人好し院長のこだわり】


 一条は丁寧に、どの数値をどれくらいまで下げるべきか、グラフを書いて説明した。

「もし来週までに数値が改善しなければ、提携先の消化器内科で肝生検かんせいけんも視野に入れます。でも、今の田中さんなら大丈夫。今日からサプリは一旦ゴミ箱……はもったいないから、奥にしまっておきましょうね」

 田中さんは安心したように、何度も頭を下げて帰路についた。


「先生、結局お薬、一錠も出しませんでしたね」

 片付けをする佐藤に、一条は照れくさそうに笑った。

「薬を出さない勇気を持つのも、町医者の仕事だよ。あ、真壁さん、次の患者さんの前に、さっき田中さんに教わったお孫さんの合唱コンクールの動画、見ていいかな?」

「ダメに決まってるでしょう! 次は肥満でお悩みの佐藤さん(30代男性)です。ほら、先生、白衣がコーヒーで汚れてますわよ!」

「おっと、お人好しも楽じゃないね」

 一条院長は苦笑いしながら、次のカルテへと向かった。

【医療解説:薬剤性肝障害と抗生剤】


• 薬剤性肝障害: 処方薬だけでなく、市販薬、サプリメント、健康食品、ハーブティー等でも発生する。特にウコン(クルクミン)は肝障害の報告が多い。

• AST/ALT/γ-GTP: 肝細胞が破壊されると血中に漏れ出す酵素。数値が高いほど肝ダメージが疑われる。

• アセトアミノフェンの蓄積: 市販の風邪薬の多くに含まれるが、過剰摂取は深刻な肝不全を招く恐れがある。

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