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第1話 沈黙の殺人者と、隠された「副腎」の叫び

【月曜朝の喧騒】


 月曜日の午前9時。

 商店街の喧騒を背に、パルマ総合クリニックの自動ドアが開いた。

 待合室はすでに満員だ。


「佐藤さん、血圧計のマンシェット(腕帯)の巻き方が甘いわ。肘窩ちゅうかから2センチ上に。指が一本入る程度の余裕を持たせないと、収縮期血圧が偽高値ぎこうちを示すわよ」

 ベテラン看護師、真壁の鋭い声が飛ぶ。

 新人看護師の佐藤は「ひっ、すみません!」と肩をすくめ、患者の腕にマンシェットを巻き直した。

「……真壁さん、やっぱり月曜は血圧高めの人、多いですね」

「月曜の朝は交感神経が急激に活性化するから、脳心血管イベントが最も多い魔の時間帯なのよ。のんびりしてられないわ」


 そこへ、一人の男性が不機嫌そうに受付票を叩いた。

 IT企業勤務の加藤(45歳)。

「健康診断で上が170の下が110。再検査って言われたけど、ただの肩こりだと思う。仕事が山積みなんだ、早く薬だけ出してくれ」

 真壁は加藤の顔色を冷静に観察した。

「顔面紅潮、軽度の下腿浮腫かたいふしゅあり……」と呟き、電子カルテに素早く情報を打ち込んだ。


【一条院長の観察眼】


「どうぞ、加藤さん。パルマ総合クリニックへようこそ」

 診察室で待っていたのは、院長の一条だ。

 白衣の襟を正し、柔和だが射抜くような眼差しで患者を迎え入れる。

「血圧170/110mmHg。II度高血圧ですが、加藤さん、この数値はいつからですか?」

「健診の結果が出る1ヶ月前くらいから、どうも疲れが取れなくて……。まあ、仕事のストレスでしょう」


 一条は加藤のネクタイを緩めるよう促し、丁寧に聴診器を当てた。

「心音にIV音(第四音)はなし。しかし、佐藤君、彼の筋力を見てごらん。加藤さん、最近、足に力が入りにくいことはありませんか?」

「えっ……。あ、そういえば、駅の階段を上がる時に、妙に足がだるいというか、カクカクすることがありますね」

 佐藤がカルテにメモを取る。

「一条先生、それって単なる運動不足じゃ……?」

 一条は首を振った。

「いや、低カリウム血症による筋力低下ミオパチーを疑う必要がある。佐藤君、すぐに採血だ。一般項目に加えて、PAC(血漿アルドステロン濃度)とARC(血漿レニン活性)、それからARR(アルドステロン・レニン比)を算出できるようオーダーして」

「エー・アール……? レニン?」困惑する佐藤に、一条は説明を添える。

「血圧を上げるホルモン『アルドステロン』が、ブレーキ役の『レニン』を無視して暴走していないか調べるんだ。もしARRが200を超えていれば、それは普通の高血圧じゃない」


【副腎に潜む真犯人】


 30分後。

 迅速検査の結果が一条の手元に揃った。

「予想通りだ。カリウムが3.2mEq/Lと低値。そしてARR(アルドステロン・レニン比)は500を超えている。真壁さん、腹部エコーを」

 エコー検査中、一条はプローブを動かしながら画面を指差した。

「見てごらん。左側の腎臓の上、この12ミリの低エコー腫瘤。これが副腎アデノーマ(良性腫瘍)だ。加藤さん、あなたの高血圧の原因は、この小さな腫瘍がホルモンを出し続けていることにあります。病名は原発性アルドステロン症(PA)です」


 加藤は絶句した。

「腫瘍……? ガンなんですか?」

「いえ、良性のことがほとんどです。しかし、この病気による高血圧は、普通の本態性高血圧よりも心筋梗塞や脳卒中のリスクが3倍から6倍高いというデータがあります。ただ薬を飲むだけでは、血管がボロボロになるのを止められません」

 一条は加藤の目を真っ直ぐに見つめ、語りかけた。

「加藤さん、仕事が忙しいのは分かります。でも、このままではいつか倒れ、仕事どころではなくなってしまう。幸い、この病気は適切に処置すれば完治が目指せる『治る高血圧』なんです。今、ここで立ち止まって、根本から治しませんか?」

 加藤の強張っていた肩の力が、ふっと抜けた。

「……先生にお任せします」


【プライマリ・ケアの矜持】


「真壁さん、東和大学病院の代謝内科へ連絡を。副腎静脈サンプリング(AVS)による局在診断と、その後の腹腔鏡下手術の依頼だ。紹介状をすぐに書く」

「了解です。明日の午前に予約が取れそうですわ」

 紹介状を手にクリニックを去る加藤の背中を見送り、佐藤が深いため息をついた。

「先生、ただの血圧が高い人だと思ってたら、あんなに詳しい検査が必要だったんですね。私、レニンなんて単語、国家試験以来でした」


 一条はコーヒーを一口啜り、微笑んだ。

「高血圧患者の約10%、つまり10人に1人はこの二次性高血圧だと言われている。それを見逃せば、患者は一生、効きの悪い降圧剤を飲み続け、合併症に怯えることになる。我々プライマリ・ケア医は、大きな病院に送るための『ゲートキーパー』であり、同時に『探偵』でなければならないんだ」

「探偵、ですか……。かっこいいですね、真壁さん!」

「感心してる暇があったら、次の患者さんの検尿準備してちょうだい! 次はタンパク尿が出てる糖尿病疑いの方よ」

 真壁の叱咤に、「はいっ!」と佐藤が飛び上がった。


 パルマ総合クリニック。

 手のひら(Palma)で包み込むような優しさと、一条院長の鋭いメスのような診断。

 二つの光が、今日もしっかりと街の健康を照らしていた。

【医療解説:原発性アルドステロン症】


• PAC/ARC(ARR): アルドステロンとレニンの比率。200を超えるとこの疾患の可能性が高まる。

• 低カリウム血症: アルドステロンが過剰になると、尿からカリウムが排出され、筋肉の脱力感や不整脈の原因となる。

• 二次性高血圧: 腎臓や内分泌の疾患など、明確な原因がある高血圧。手術や特定の治療で完治が期待できる。

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