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第7話 巨漢の狼狽

「さーて、早速だけど大ちゃんには大事な話があります。」


 気の抜けた声に、気の抜けた態度。

 ゆらゆらと左右に体を揺らして、オフィスへ入る。


「私はコーヒー飲むけど、大ちゃんはいらないんだっけ」


 中等論理学校以来、繊維水と体内細菌調整サプリ以外口にしていない。

 取引先の勧めでも飲み会でもいつでもそう。

 BCAA増量栄養カートリッジだけ。


 世間一般では珍しい事ではないが、社会人として完璧に食事を断つ人間は多くない。


 俺が食事を抜く理由は単純。

 太るのが怖い。


 古今東西ありとあらゆるダイエット方法があるが複雑化して直視しないようにしているだけだ。

 本当に痩せたい、太りたくないなら、真理はひとつ。


 摂取が消費を超えないこと。

 ならば、食べなけれいい。それに尽きる。


 栄養素の問題や咀嚼筋の退化の問題があるが、栄養カートリッジは適切に供給を担う。

 顎周りの筋肉は徹底したトレーニングを行なえば問題はない。何より極挨には顔の筋肉の増強は不可欠であるため、社会人には必須である。


 華奢な背中を見せる目の前の彼女も、第8次子会社の役職まで登った社会人。

 人知れず筋トレはしているのだろう。


 外を見ながらコーヒーを啜っていた彼女が、こちらへ振り返る。


「そういえば、イーストウェーク拡張のコンペ主任選抜。もう発表されてオッズが出てたわ。みた?」


 韓国語特有の丸みがあると思えば、強く重い、緩急のある発音は、どこか不思議な力強さ。

 わざわざ韓国語をインストールしていないので、単語の意味も文法もまるっきり分からない。

 だがニューロキャストが同時意訳で前頭葉に直接”理解”を流し込んでくる。


 日本語に翻訳されるわけでもなく、特殊な言い回しを言い換える事もなく。

 その言葉をネイティブに受け取った時に、感じるのと同じ反応になるように、前頭葉へ電気信号として送られている。


「やっぱり大ちゃん大人気みたいよ?今の時点で1.06倍だって。しょっぱすぎてもう誰も賭けないかもね。フフッ。」


「まぁ、錦山もまだまだ若いですから。場数を踏んだ厚みってものを教えてやりますよ。」


 実力者同士や話題性のある立ち合いは、賭けの対象として暇人共の、娯楽となる。

ナットウア重工支配地域最東端の開発はそれなりに注目され、三文VRドラマの舞台にもなっていた。

観光目的で現地に設置されたドールに意識共有させて、現地観光をするドールライドはすでに半年待ちになる程度には話題に上がっている。


「だといいけどね〜。大ちゃんは連戦連勝で大物相手の実績もあるけど、ニッシーも負け知らず。知ってるか知らないけど、あの子入社してから第2次子会社以下に譲歩した事ないのよ。」


「はあ。それはそれは。楽しみですね。」


 商談で不利を押し付けられていないのは極挨で負けていないということに他ならない。

 社会に放りだされて間もない時期に、場に飲まれないというのは素直に称賛に値する。

 思えば新歓の新人いびりで、あいつは尻もち付かずに挨拶してきたんだっけか。


 あれから錦山もそれなりの経験は積んで場数を踏んでいるだろう。

 胃の底がなんだか冷たい。

 今回の立ち合い、甘く見るのは危険かもしれないと、過敏な背筋が警告を発する。


「大ちゃんもお気に入りだけど、ニッシ―も大好きなのよ。どっちも負けては欲しくないなって思ってる。」


「人選したあなたが何てこと言うんですか。そんなのあり得ないじゃあないですか。」


「そうね、フフッ。素敵な殿方が私の承認を得ようと争うなんて、濡れちゃうじゃない。」


 さっきのセクハラ発言への意趣返し。ほとほと可愛くない女。

 コーヒーを飲み干した彼女は、どっかりと椅子に腰を下ろして、悪戯めいた笑みを消した。

 下弦の瞳がこちらを見つめる。

 心がざわつく。


「さて、大ちゃんには大事な連絡があります。」


 空気が変わる。

 ひどく冷たく。ぴんと張った何かが頬を浅く切りつけるよう。

 ゴクリと意に介さず喉は緊張をさらけ出す。


「今日。今から。第2次子会社のいずみ組の社員が事業計画について話を持ってきます。」


 ……


「ふうぇ?」


 ケタケタとクソガキのように笑う彼女。

 直ちに混乱と動揺は苛立ちへ変わる。


「……ぶち犯すぞ…糞アマ」

 意に介さず咽頭は本音をさらけ出していた。


「フフッ。思ったより余裕がありそうじゃない? そんなことより、今夜お相手してくださるの?」


 今のは、俺が悪い。確かに俺が悪いがぁ…

 こっ、この。このバ、ババアァは、ホントにッ!!あ゛ぁ゛!!


 表情筋がスパークした。


~~~~~~~~~~~~~~~~~


 ホンオフェスタ本社ビル、応接室の控室。

 深く、深く。呼吸を意識する。

 僅か15分前だと考えない。そう。考えない。


 逆鱗はおろか、足の爪の先からすべてを逆なでしてくる女が、隣でK-POPダンスフィットネスなど抜かして奇怪な動きをしていようと意識をそらしてはならない。絶対に。


 波打つ心をただ宥めながら、ニューロンを回しに回す。

 てか、回れ。ボケが。


 相手の情報。予想される要求。世界情勢。KPI。スサノオの動向。隣の晩御飯。

 必要そうな情報はすべて並列して検索をかけ、メモリに留意させる。


 焦っている。ひたすらに焦っている。大事なことだからもう一度言おう、どうしようもなく焦っている。

 だって、いずみ組だぞ?


 第8次子会社の弊社に対して、第2次子会社のいずみ組だぞ?

 誰をも支配する納東亜重工の直接子会社だぞ?

 そんな奴らが身を乗り出してくる場面で、なんで気にも留めずにひょうひょうと踊っていられる?

 認知症か?このババア。


 いけない。

 考えてはいけない。

 目の前に集中しろ。大艦榴鯛。

 情報を精査して、1ミクロンでも有利な立ち位置を確保しろ。


 分かっている情報として、来訪するのは二人のいずみ組社員。

 大陸からオセアニア諸島までの納東亜重工支配地域において、住宅建設からインフラ整備に整地、“場所作り”を一手に引き受ける超大手ゼネコン。

 ホンオフェスタ不動産の直系の親の祖父の曽祖父の親の親会社。


 はるか上の企業が中間企業も通さずに下っ端の担当課に直接くるなんて、まともな話ではない事くらい分かる。

 それも、いい方向でもないことも。


 戦略AIスサノオのリークがあったのかもしれないが、だんまりを決め込んでるババアは聞いても答えないだろう。

 だが今、応接間ではなく控室に我々がいる状況。

 課長の意図が否応なく分かってしまう。


 このババア、喧嘩する気だ。


 来客であれば、応接間で待つのがセオリー。格上なら、なおさらそうだ。

 それどころか、本来であればこちらから参じるべきだ。


 なのに、この女はわざわざ出向かせたうえ、同時入室の決闘方式。

 相手は控室を出るまで、我々が応接間で待っていないことなど、知る由もないだろうが、こちらから向かう旨を伝えていない時点で宣戦布告とみているのは間違いない。


 バカなのか?何考えていやがる?

 こちらに向いた軽快に跳ねる尻が、余計に苛立たせてくる。


 胃がしくしくと泣き始める。

 たまらず、繊維水のボトルを開ける。

 ファイバーリキッドのロゴ横で、ブッサイクなニコニコ顔のファインちゃんとかいうイメージキャラに、なんか知らんが腹立ってきた。


 ファインちゃんをわざわざ押し潰して、ボトルに圧をかければ、ドロリとした液体が口に流れ込む。

 僅かにひんやりとした感覚が喉をすべり食道を落ちていく様がはっきりと認識できる。


 何はともあれ、気が付けばもうすでに、崖に向かってアクセルべた踏みの暴走自動車に乗ってしまっている。

 時代劇で見るようなロングノーズにV8エンジンを積んで、正常なのか爆発なのか判別できない轟音の車。

 窓は泥だらけで外なんてろくに確認できやしない。

 隣にはほくそ笑む性悪女が、ケタケタ笑いながらハンドル握っている。

 メーターは160を回る。

 とてもじゃあ無いが、途中下車なんて出来る状態じゃない。


 やるしかない。やるしかないのだ。

 まったく。割に合わない。

 どうせこの商談が上手く行っても、今回もらえる貢献ポイントなど無い。


 課長補佐とかいう、明確な役職でもなく、平社員とも違う立場はどうにもぬかるみを歩くような不安定さを覚える。

 くるぶしまで埋まり、身動きが上手くとれないところを、四方八方から押されて引かれて、奇跡的にバランスが取れている。


 かつていた会社の上司が、やる気の無い部下に対して

「ポイント貰っているんだからやる気がないとか、ふざけた事いってんじゃねえ」なんてほざいていていたが、勘違いも甚だしい。


 貨幣文化の大昔から、報酬というのは必ず仕事の後に得るものだ。

 定期固定給の雇用であろうが、すでに行った仕事に対して賃金が支払われる。

 報酬を今の仕事に結び付けて話すのはお門違い。


 報酬が支払われたから、真摯に働くのではない。

 次はより高い報酬を得るために、今頑張るのだ。

 今以上の仕事を求めるならば報酬も連動していなければならない。


 その点今回の商談はどうだ?

 先方が何を言ってくるのか知らないが、とりあえず頷いてほかに注力したほうがいい気がする。

 だって、超大親会社が言っているのだ。

 個人としてはそう見える。

 だが、ホンオフェスタ不動産全体として考えれば、ろくでもない提案なら、なんとか突っぱねなくては中長期的に見てポイントを得られる機会を多く失うかもしれない。

 結果的に個人の報酬も目減りすることになる。それはいただけない。


 そうは言っても、先方が怒ってお取り潰しにでもなったらどうするつもりだ。

 第2次子会社からすれば第8次企業なんて気が向けばいつでも潰せるだろうよ。

 報酬の向上以前に、報酬を得られる環境自体が無くなるかもしれない。


 転職自体は容易だが、役職者でも無ければ底辺リスタート。同格企業の平社員になれれば御の字。

 今の立ち位置では、タイミングが悪い。

 

 このババアはいったいどこまで知っている?

 なぜ俺に話さない?


 この密閉された控室。

 もう逃げ道はない。

 残されているのは正面突破のみ。


 ならば仕方ない。


 日和ってブレーキを踏もうものなら崖から落ちた車は、岩礁に当たって大破は免れない。

 どうせ落ちるならより遠くの深い沖へ。

 ナム課長よ、アクセルを踏め。

 癪だが付き合ってやる。


 漢の花道。

 やるなら全力。


 この商談、期待値があまりに不明瞭。

 裏を返せば、青天井。

 そう思い込め。

 それに第2次子会社相手なんてそうそう無い。


 押して。押して。押し切って。

 養分に変えて、さらに上へ。上へ。


 髪をきつく結いなおす。

 この首、容易く討てると思うなよ。ブルジョア共め。


 背に腹は代えられない。

 貢献ポイントを使用して、ビルの来訪者情報とその人物の情報へのアクセス権を緊急取得する。


 第2子会社いずみ組、海上開発事業部、海上ベース部、建設管理課。

 若手と中堅の二人組。


 新人教育も兼ねてるつもりか?ナメてんのか?

 名前は… 馬締と新佐。

 俺が相手するのは、馬締 佐武鹿(マジメサブロク)。17歳の若造。登録情報では、身長1735mm、58㎏。色白、センター分け。

 女みてえな奴。

 世の中、こういう奴のが親しみやすくて素敵。なんて言われて女にモテる。ムカつく。

 細い首ならねじ切るのも楽だろうよ。

 なんて、甘い考えは持たない。

 こういった手合いに油断するほど俺も浅はかでは無い。


 流派は弓流系。

 格式高い女性が好むことが多い系統。

 登記では生物学的にも精神的にも慣習としても明確に男。

 次はフリフリのピンクの衣装でも着て魔法少女とでも言い出すのか?


 過去の立ち合いアーカイブは見つからない。

 年齢からみても新人なのは確定。

 新卒で第2次にいるなら、優秀なのは疑いようがない。


 立ち回りによっては、決して届かない相手ではない。直感が告げる。

 油断はできない。


 新歓でよくやる新人いびり同様に、応接間の扉の裏で待ち構えてやろうか。

 そんな考えが浮かぶが、直ちに否定する。

 そんなことをすればナメられるのは必至。


 調べたところで、情報が少ない。

 突然の立ち合いに情報不足。

 地力が試される。この立ち合い。


 上等だ。もやし野郎。


 培ってきた経験は、太く強く地中へ根を張っている。

 生まれ持った体格は誰よりも強靭にそびえる。

 今の俺は、過去のどんな俺よりも素養を持ち合わせている。


「そろそろ時間ね。頑張ってね大ちゃん。フフッ。」


 蛇のような笑い。

 そんなに人を蹴落とすのが面白いのか。

 中等学校でもそうだ。

 女はいつも人を落として優位に立とうとする。


 嫌いだ。

 女も、その味方をするやつも。


 まだ会ったことも無いが女みたいな馬締。お前も嫌いだ。

 悪いな。


 商談5分前のアラームが間もなく鳴る。


 部下を引き連れた立ち合いにおいて、部下は5分前に応接間のドア横に待機する。

 当然、お互いに鉢合わせになる。

 人数によっては、5分前の5分前と、最大5回に分かれる場合がある。

 今回は、互いに二人。


 大将戦の前哨戦。


「勝ったらチューしてあげる。」

「ハッ、いらねえよ。」

もう、乱されなどしない。


 大きく、大きく息を吸う。

 装甲板じみた極厚の胸板は、有機物であることを思い出したように丸く膨らむ。


「グフゥッゥゥッッッッ~~~!!!」


 太い喉が太く強く息を吐く。

 けたたましく、5分前のアラームが脳内に鳴り響く。

 ドアノブの上の手を力任せに引き下げる。


 先鋒戦が始まる。


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