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第6話 幼年期の異質さは劣情を刻む

「芝生ちょっと濡れてる」「ベンチにセアカゴケグモ発見」「ライン上げろ、前、前」

「昨日エンエンがうちに突然来てさー」


 無数の朝露が「俺が一番デカい」「私が一番きれい」と主張しあうように日光を反射する自然公園。


「大鑑が来たぞ!」

「今日も来やがった」

「ったく、めんどくせえ」


 クローズドコミュニティメッセージが自由市民の間に伝播する。


 通路を闊歩する人混みの中。

 頭一つ飛び出た巨漢が周囲の目を引く。


「おはようっ!」

「おはようっ!」


 誰彼構わず、大声量の挨拶。

 食らった者は身を縮めて、道の端へ。


 ジャージ姿の無差別挨拶テロリスト。

 2140ミリの巨漢の主人は優越の笑みと額に水滴を浮かべてゆっくり走る。


 朝の日課。

 自己顕示と畏怖の回収。


 迷惑千万なのは承知している。

 中等論理学校で自分を疎外した有象無象どもへの意趣返し。


 俺を見ろ。

 俺を恐れろ。

 俺にひれ伏せ。

 俺を認めろ。


 大声の挨拶をすれば、相手は俺だけを見る。

 相手の中には俺しかいない。

 そして俺を強者と脳に刻む。


 どうだ。お前より強いだろう?

 どうだ。お前より優れているだろう?


 短い人生をただ浪費する阿呆共でも理解するだろう。


 俯き、道を開ける自由市民を見れば心に湯が溜まってゆく。

 少しずつ。少しずつ。

 砂時計のように奥底に空いた小さな穴から逃げていく量を上回って。

 いっぱいになるまで足は前へ前へと止まらない。


 納東亜重工第8子会社ホンオフェスタ不動産フローグランド事業部太平洋開発部ノースネモベース課  課長補佐。

 そして剛吠流の申し子。

 大艦榴鯛は、荒い呼吸を整え、白い歯を朝日に照らす。


 荒れる呼吸の中、つぶやく。

「俺は死なない」


 人生110年。

 決められた寿命。

 ありとあらゆる治療と移植により健康が保障された適格寿命。


 あと75年。

 まだ折り返してもいない。


 どんなに惨めだろうと、どんなに情けなくとも、生物の根源的な恐怖から逃れるために死ぬその時まで縋りつく事になる残り75年。


 誰も認識しない呟きは、苦痛の無い約束された天寿への希望でもあり、戒めでもある。


 横を見れば自由市民がなんの苦悩もなさそうにボールを蹴っている。

 なんの生産性もない行為。


 羨ましいと思ったことが無いと言えば嘘になる。

 だがそれを認めるわけにはいかない。


「がぁっはっはっはっ」


 笑い飛ばす。何もかも。

 自分の選択への不信も。自由市民の優越も、過去の羞恥もすべてまとめて。


 大きく仰け反って腹筋と腹斜筋が気持ちよく伸びたら、そうそうにタクシーを読んで帰路に就く。

 今日は課長の呼び出しがある。


 右脇下の栄養カートリッジを交換して、ダブルボタンのスーツに着替えたら早々にオフィスへ向かう。

 

 できることなら会いたくない。

 課長は苦手だが、社会人たるもの仕方がない。

 予定の5分前に到着したがオフィス前で待機する。


 間もなくして課長到着の通知。

 足を軽く開き、両膝に両手。腰を落とす。

 しっかりと腰を丸め、頭を垂れる。

 ヤクザスタイルと呼ばれる礼で出迎える。

 恭順を示す、目上に対する基本的な所作。

 社会人のマナー。


 身長を鑑みて、人より深く頭を下げる。

 俯くのは嫌いだ。

 床が差し迫ってくるように感じる。

 お前は俺と同じ無機質な存在だと囁く。


 エレベーターの間抜けなチャイム。

 課長が到着されたようだ。


 特徴的な足音は4分の3拍子。

 軽快だが重心を捕えた歩行。


 しっかりと重い革のハイヒールブーツ。

 シックな黒のハイウエストのシアーオーガンジースカート。

 袖はシースルーの上半身は韓国の伝統衣装チョゴリ。


 その女。

 ナム・ポンリョン。


 俺に屈しない女。

 嫌いな女。


「おはようッございますッ」

 床へたたきつける咆哮。


「大ちゃーん。おはよう!」


 肩をはたく彼女はウルフカットの黒髪を大きく揺らし。

 悪戯めいた笑みと下三白眼を向けてくる。


「おはようございます。課長。」


 目を合わせてはいけない。

 目を見れば奔放に動く瞳を追いかけ、足は宙を掻いて天井を眺める羽目になる。

 何を言っているのか俺も分からない。

 だが彼女に勝てたためしがない。


 クソババア。

 還暦間近にもかかわらず落着きを知らない、自由を愛する気まぐれ妖怪。


 なんだか今日は機嫌が良さそうな気がする。

 上手く利用するほかない。


 必死で頭を回す。

 間違えてはならない。見落としてはならない。

 要因を探せ。


 意を介さないおべんちゃらをかませば、どうなるか見当もつかない。

 まったく。


「今日はなんだかとても明るく見えます。」


「えぇ、分かる?」


 俺だってそれなりの社交スキルは持っている。

 とりあえず先手を打って雰囲気自体を褒めれば1ターン稼げる。

 案の定、何か変化があることは確定づけられた。


 だが、分からん。

 何が違う?靴?衣装?ネイル?

 ああ分からない。

 探せ、観察しろ。考えろ。


 まず全身の衣装は黒。明るいはずが無い。

 であれば顔。


 顔を明るくする要素。

 髪型、メイク、アクセサリー、肌。

 どれだ?まったく違いを見つけられない。


 アクセサリーは金のリングピアスしかしていない。

 これは前にも見たことがある。違う。


 あとは?あとは?

 朝貯めたばかりの自己顕示欲ゲージがゴリゴリと削られる。

 喉が締め付けられる。


 まさに、サイゼ屋の間違い探し。


 悪い未来が頭をよぎる。

 外せば貴重な今日というリソースは消え去る事は想像に難くない。

 一日で済めばいいが、何かと振り回されるのは必然。


 脳のRAMを未来予想と現実逃避が埋めてゆく。

 めんどくせぇ。


 なんかどうでもいいような気がしてきた。


「…肌が、いつもより輝いてみえます。」


 ひねり出した言葉は案外悪くない。


 髪を切ったならば顔により光が当たるようになって輝いている。

 メイクを変えたのであれば、色乗りがよく輝いて。

 肌自体の変化があれば当然に。

 なんとでも言い訳できる。完璧では無かろうか。

 我ながら天才。

 あとは任せた天才君。


「そうなの、やっぱり違うわ~。肌のテロメア再生と促成代謝施術したのだけど10代の肌みたいでしょう」


 まじで肌だったかぁ。危なかった。

 覚悟していたもう1ターンがないことにホッとする。


 それでも気を緩めてはいけない。

 今度は10代。今度は10代。

 元々若作りババアは20代のような見た目をしていたが、今度は10代として話をしなくてはならない。


「雨に打たれても全部弾き返しそうな…そんなハリツヤですね。ハハッ」


 空気が張り詰めた。

 間違えた?間違えたのか?


「なあに?それ。昨日までは全部染み込んでたって事?」


 ああもう。

 めんどくせえめんどくせえめんどくせえめんどくせえ。


「いやあ、前は水も恋焦がれて吸い付く肌で、今は水も逃げ出す水々しさであって…水も滴るいい女と言いますか。その。俺は涎が滴る有様でありまして…」


 先ほどまでの天才は脱兎の如く逃げ出して、背中はすでに遥か遠く。

 さらば。俺の韋駄天才。

 願わくばお早いご帰宅を。


 残された理性が出したのは理性的ではない回答。

 狙うのはセクハラによる会話の強制終了。


「あっははは、おっかっしい。ふふふ」


 そりゃ大の大人がしどろもどろなのは滑稽だろうよ。

 笑いたければ笑えよ。


 強がっているが、心が粟立つ。

 目も当てられないほどにとげとげしく。


 決して消えてくれないトラウマ。


 女の笑い声は針。

 いつだって無遠慮に、無慈悲に俺に襲い掛かる。

 どれだけうずくまって、筋肉を硬直させようと前腕で覆っても、針は速さを保ったまま外皮を抵抗とも認識せず奥へ奥へと突き進む。

 そして、唐突に止まる。慣性も衝撃も無い。ただ胸の中心に深々と突き刺さった状態で。

 埋もれるように、もがくように、針は脈打ち存在を主張する。痛みを伴って。


 中年と呼ばれる今となっても、街中ですれ違う知らない女達の笑い声は、全て自分へ向けられていると錯覚して、勝手に心は針のむしろ。


 経験値と築いた地位で何重にも心に鎧を纏おうとも、中等論理学校での呪いは一向に薄れる気配はない。


 8歳で入学する中等論理学校は、論理とは名ばかりで、旧時代の論理的思考を重要視した教育の名残り。

 

 論理的思考方法など、5歳で会得済み。

 ここでは社会と自分の在り方を学び、考え、選ぶ場。

 納東亜重工支配地域に生まれた全ての人間にとって、自己選択が許される最初の分岐点。


 入学時にはすでに身長は1700mm、体重は80kgはあった。


 男女の両親が共に社会人という今では少なく古い家庭様式。

 他の自由市民家庭よりも遥かに潤ったポイント事情により何不自由無い豊かな生活。

 不平不満が無いとは言わないが、恵まれていることは幼くとも理解していた。


 両親そろって食道楽。母が好きな洋菓子。父の好きなチーズの数々が常に家にはあった。

 恵まれた体格になるのは必然であった。

 地元の子供スポーツ倶楽部では種目を問わず引っ張りだこ。引き受ければ好成績。

 当たり前だ、自分から見れば同年代の子供なんて小人。非力、貧弱。

 誰もが俺を認める。優れた子供。


 変化は唐突だった。

 中等学校入学、孤立。

 誰もが俺から離れた。

 必死にアピールをした。俺はこんなに力が強い。こんな成績がある。こんな事もできるんだぜ。

 それは逆効果だったとすぐに分かった。

 けれども分かった時にはすでに手遅れ。

 初等教育で一緒だった連中もいつしか遠くの群れへ。

 

 別に男子学生は話そうと思えば話せた。

 おはようといえば、おはようが返ってくる。


「なんかお前、違う世界の人間みたいなんだよな」

 いつも隣だった男児が言った言葉。

「俺もみんなを見るとそう思う」

 この返答が自分の立場を決定的なものにした。


 辛くはない。何も思わない。ただそういうものだと思った。

 だが、桃色教育が始まり、誰かが言った。


「デブ」と。


 体脂肪率は15%。肥満では決してない。

 昔は俺のような体系を骨太と呼んで喜んだ時代もあったほど。


 この別称が俺の耳に届く頃には、すれ違う集団がこちらを盗み見て肩を揺らすのが目につくようになっていた。

 いつも誰かが俺を笑っている。

 学校にいる間には常にチクチクと胸の奥底が棘の刺さったもどかしさを感じた。

 尊大だった心は膝を抱えて丸まった。これ以上痛くならないように、表面積をできるだけ小さく。


 桃色教育の相手はいつもドール。

 女はいつも固まって俺を遠くから横目で見る。


「俺の何が悪い」

「俺がお前らに何をした」


 性的興奮によるドーパミンが激情を促していた。


「お前らはッ!!どうしてッ!いつもッ!いつも俺を笑いものにするんだッッ!!」


 血管の浮き上がった太い腕は、上裸のドールへ振りぬいていた。

 拳への強い衝撃。

 ギャギャッとドールのサーボ変速ギアが歯飛びする音がして、吹っ飛んだ。

 首は内部シリンダを露出させへし折れている。

 それでもドールは立ち上がろうと腕を動かす。


 悲鳴が上がった。

 先ほどまで俺を見て冷たい笑みを浮かべていた女共。

 一人は蹲り、一人は腰を抜かしてへたり込む。

 涙を浮かべ、表情がゆがむ。


 異様な姿のドールへ向けた恐怖だと思ったが、違う。

 俺を見ている。


 世界が一瞬にして明るく眩しく瞬いた気がした。

 はっきり言って爽快だった。気持ちがよかった。

 性的オーガズムなんて比にならない。


 接吻実習をする男共も俺を凝視して固まる。

 手に取るように分かる。

 誰もが俺を恐れ、俺の一挙手一投足を注視する。


 すべてを支配した。

 明日からは誰もが俺に畏怖して、頭を垂れる。

 当然だ。そして思い出した。

 俺はお前らより優れているのだから。

 お前らに俺を笑う資格なんてない。

 ざまあみろ。

 お前らが今どんな顔をしているのか分かっているのか。


「ガッハッハッハッハッハ!!!」

 腹がよじれる。

 愉快。痛快。

 中等学校に来て初めて笑った。

 その感動が首に刺さった麻酔を感知させなかった。


 目を開ければ見慣れた天井。

「やんちゃしたい年頃だものね。元気なことはいいことよ。」

 眉を下げた母の一言。

 ただそれだけ。

 壊したドールの事も、そのあとのことも何もない。

 まるで今回の暴挙そのものがなかったように。


 自分は間違っていないと肯定されたようにも思えたが、何か黒く絡まった感情が残った。

 その違和感がぐずぐずに這ったまま眠れば、非常にも朝が来る。

 

 最初は分からなかった。

 それでも一日たてば理解した。

 俺はここに居ないのだと。


 クラスの全員が俺という存在を認識していない。

 故意に意識をそらしているのではない。

 ふらふらと動く掃除ロボットのように、血の通わないオブジェクトへの対応。

 近寄れば道を開け、声を発しても誰も反応しない。

 風船になって漂っている気がした。


 あとで知ったことだがクラス全員が俺に無機質な円柱オブジェクトのARを張り付けてミュートにしていたらしい。


 明日から俺を恐れる?そんなわけはなかったのだ。

 脊椎インプラントはクラウド集積回路を通して神経信号から高度な運動予測を行う。

 他人への被害が予想される場合は即座に停止神経信号を出してからは停止する。

 ドールへ行われた暴力のような被害は自分たちに向かうことは無い。誰もが理解していた。


 ゆえに誰も俺を恐れない。

 それどころが奴らにとって俺はノイズ。

 消し去るべき汚れ。

 

 おはようは二度と返ってこなかった。


 ただ、女はあの恐怖を消さなかった。

 無機質な円柱を見てあざ笑う。

「フッ、まだ来てるよ。」

「よく来られるよね。笑える。」


 笑われるのは嫌いだ。

 女の笑い声は嫌いだ。

 俺はお前らなんかより立派だ。それを証明してやる。

 決して学校を休んだりしない。

 高等選抜にも行ってやる。

 俺は優れている。

 だからわざと企業も下を選んで実力だけで示してやる。


 そうして、どす黒い推進力を得た俺はここまでやってきた。


 ここに来て、この女。ナム・ポンリョン。

 初めての女上司。越えなければならない障壁。

 

 運命だと思った。

 神は乗り越えられない壁は与えない。

 神は今の俺なら打ち破れると判断した。


 でも、勝てない。

 目障り極まりない女。


 いつまで笑ってやがる。

 腹の底が沸き立つ。


「はぁーあ、おっかし。まったく、焦っちゃって、大ちゃんってばカワイイ。」


 骨格筋率48%を誇る2メーター超えの俺をカワイイ?

 馬鹿にするのも限度がある。

 ふざけるなよ。糞アマが。


 心の中で罵詈雑言を並べるが不思議と怒りが追随しない。

 それどころか、なぜか嬉しさに似たポジティブな感情が浮かび上がってくる。

 俺を肯定したことに対する浮かれた感情。

 心が怒りと承認欲求の大波に揺れに揺れる。

 こんな事で満たされた感覚になる自分が許せない。

 ふざけるなよ。でくの坊が。


 どこまで行っても、どうしようもなく―

 俺は、この女が嫌いだ。


「さーて、早速だけど大ちゃんには大事な話があります。」


 でなきゃ呼び出さねえだろ。おちょくってんのか?

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