表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/12

第8話 ケツの青さは他人のみが知る

 大股の踏み込みは、一足で外開きドアの可動範囲の外へ。

 突き上げた顎は45度。

 ドア枠を抜ければ閉塞から抜けだした。

 しかし、まだ天井は近い。

 イメージするのは最強の自分像。

 不要な思考はおいてきた。


 踏み出した右足をそのまま軸にして回る。

 ドアを腕の慣性に任せて閉めれば、バタンと大きく音が鳴る。

 攻撃のドラ。

 引き下がるなんて考えは何処にも無い。

 進む。歯向かう者は轢き殺す。

 血潮が熱い。瞳孔が開き、眉が水平に下がる。

 据えた眼光。水晶体を通して網膜は逆さまの相手を写す。


 末広がりの細いライン。

 黄土色の袴。

 群青色の長着。

 ド派手に金糸で枠取った麻の葉模様のビビットピンクの足袋。

 固く堅実。だが他者を容易に踏みつぶせるような自信に満ち溢れた装束。


 胸を張るのとはまた違う姿勢。

 肩甲骨を寄せて肩幅を狭めて、下げている。


 ゆっくりとした所作で扉を閉じる姿はどこか儚げで。

 息をのむ。

 ほう、お前は美しい。


 高い鼻先がこちらを向けば、トクンと心臓が跳ねた気がした。

 柔らかで弾力のある髪が、隠した切れ長で涼しげな眼を遅れて晒す。

 眼が合えば、またトクンと跳ねる。


 浮かべた微笑は、10人見れば10人好印象と答えるだろう。

 困惑した。ほんのミリセック前の勇猛さと逆さまの心情。

 弱ったな。

 たった数歩、進んだだけで心臓が次第に音を増す。

 そして、腹の底から何かいけないものが這い出して来ている。


 冷静な脳はすでに眼前の敵を強者と判断をしている。


 奴は弓流系。

 流れるような所作、それを体現したような男だ。


 であれば弓流系の定石通り、射程は長いと予想する。

 ましてやこちらが射程の短い空嚥系と割れているならなおさら先手を打ってくるに違いない。


 思慮を巡らせている間にも二人の距離は狭まる。

 長いまつ毛。

 金色の虹彩。

 珍しいインプラント。それとも天然か。


 馬締への興味が心にうつりゆく。

 事前情報が足りなかったからだろうか。

 それとも美麗に当てられたのだろうか。


 彼は格下相手への挨拶に何を思っているのだろう。

 負けたことはあるのだろうか。

 …

 ……

 彼の眼に、俺はどんな風に映っているのだろうか。


 疑問の隙間を縫うように、いけない感情がせり上がる。


 ああ、その無機質にも思える均一な白色の肌を殴打したらどんな歪みを生むのだろうか。


 明確に自己を主張する破壊衝動。

 中等論理学校での、あの一瞬の高揚は脳髄へとんでもない楔を打ち込んでいった。


 あらぬ方向へ向いた首。

 裂かれて銅線をむき出しした柔肌。

 それでも、立ち上がろうともがくドール。

 あの姿が、あの時の興奮が、脳裏に焼き付いて離れない。


 あれから何度季節を繰り返そうともあの時の激情を超えることは無かった。


 社会人になり、気が付けば脱法RVRを買い集めていた。

 Resonance Virtual Reality。通称RVR。

 視野も感覚も五感すべてを共有できるコンテンツ形式。

 専用デバイスに接続してアイインプラントの入力を切り替えれば、アーカイブに残された他人の記憶を追体験できる。


 食事、行楽、桃色遊戯。

 ありとあらゆる他人の経験。

 検閲を受けて残った真っ当なコンテンツに興味はない。


 貢献ポイントをつぎ込んで入手している。検閲を外れたコンテンツ。

 野蛮で非文化的と揶揄される暴力RVR。


 納東亜重工支配圏の外から流れてくるRVRコンテンツを得るにはかなりのポイントを消費する。

 それでもなお、ポイントに糸目はつけない。

 渇くのだ。

 どうしようもなく。止めどなく。


 だが、本当の人間への暴力は血や臓物が汚らしい。

 だから南米産のマジもんの殺人RVRには手を出さない。


 中古の再整備ドールを購入して使いつぶすこともできるが、この体ではすぐに破壊してコストがかさむ。


 ドールが破壊されたとき、その表情は、遠くを見つめたり、赤らんだほほ笑みを崩さなかったり、千差万別。

 しかし、どの個体も起こった暴挙を認識せず、理解せず、受け入れず、正常であるように振る舞おうと、アクチュエーターが空を掻く。

 私は永遠とでも言うように。

 すでに、完成された体は失われているというのに。 


 歪。

 まるで夢を見ているように。ドールの意識は現実と乖離する。

 悲しいね。辛いね。痛いね。苦しいね。

 そんな同情を向けても、共感することなんてできない。

 なぜなら、本人が抱いていない感情だから。

 増大したエントロピーはドールの意識に届くことは無い。


 ただ、破壊された部位が挙動の不和を生んで、ゆっくりと沈黙してゆく。

 なんで?どうして演算通りに動かないの?

 開き切ったアパーチャーはうつろに感情を残す。

 消えゆく意識の儚さ。美しさ。

 そして終わらせたという満ち足りた感覚。優越。

 誰にも理解されないことは分かっているし、共有する気もない。

 だた興奮を覚える情景。乾いた心に雨が降る。


 馬締の透明感のある無機質な肌と設計しつくされた微笑みを見ていると否応なく沸きあがってくる。

 やめろよ。

 生身の人間だぞ。何考えてんだ。

 理性と欲望が横隔膜の上でもつれ合う。

 第11肋骨が胸骨を挟んでにらみ合うように、理性という軟骨を間に置いて。


 ぶつかり合った流れは、双方と違う方向に流れを変える。

 激流となって形を変える。

 行き場のない感情は外的要因によって指向性を与えられる。

 急速に蘇る、怒り。


 何考えてんだコイツ。


 困ったときの他責思考。

 短絡的で女々しく、いけ好かない考え方。

 だが、相手が差し迫った状況で、鼓舞するのにこれほど効果的な思考は無い。


 綺麗な肌をしているお前が悪い。

 細身で弱々しいお前が悪い。

 中性的な所作で女みたいなお前が悪い。

 無機質なドールみたいなお前が悪い。


 湧き上がる不和も不条理も、なんもかんもをおっかぶせて、大敵とする。

 すべてお前が悪い。

 悪い奴はうち滅ぼす。

 俺のヒーローはいつだって俺しかありえない。


 こちらの曲がりくねった心情などいざ知らず。

 ペタペタと歩いてきた馬締は動きを変える。


 明確な予備動作。

 今まで前へ前へと進めてきた足がリズムを崩した。


 来る。


 無意識に筋肉が重くなる。

 どれだけ場数を踏もうとも、この瞬間だけは慣れることは無い。

 多種多様な風土、文化、修練から生まれる極挨に一つとして同じものはない。

 同一人物との再戦であっても、時が違えば形も違う。

 いついかなる時も初見の対戦。


 だとしても、俺はいつだって乗り越えてきた。

 何が違うというのだろうか。

 今日この時も同じこと。


 馬締は、踏み出した右足を引き戻す。


 つられて細い首は右を向いた。


 顎先が倣うように小さく円を描いて正面で止まる。

 こちらを見据えて眼光を飛ばす。


 どこか歌舞伎のような所作。

 女方のような艶やかさ。紅隈のような若い力強さ。

 たった半歩の動きで思わせられる。


 見事な引き絞り。

 つがえた大弓が見えるよう。


 弓を引き、真直ぐに俺の眉間へ狙いがつく。

 さすれば、次は自明の理。


 一撃に耐えるべく、軋むほどに噛み締める。

 この一瞬は瞬きを封じる。

 決して目を逸らさない。


 勝ち筋を探し続ける目は、ふと違和感を見つけた。


 半歩下がり、斜めになった体が、右半身を隠しているように見える。

 そして長着の広い袖口に引き込んだ右手。


 何をする気だ。この小童。

 常軌を逸した何かが来る。

 ジワリと脂汗が浮かぶ。

 血潮の脈動が加速する。



 右足が浮く。

 高く、大きく。

 足袋の金糸が煌めいた。


 ゆっくりと上がった膝が直角に達した刹那。

 目にもとまらぬ速さで落ちる。


「パアァァァッッアアアアン!!!」


 雪駄の平坦な底は床との間に空気を閉じ込めた。

 逃げ場を失った空気は逃走と共に絶叫する。

 破裂音を発して。


 反射的に肩が跳ねた。

 誰がこの反応を止められようか。


 弓流系の極挨は文字通り、弓道から着想を得ている。

 弓とは一般的に静寂を連想させる。


 なのに。なんだ、それは。


 響く音は、9㎜拳銃。

 さっきの大弓はどこ行った。


 混乱が頭をめぐる刹那の間で、音の余韻は消え去っていた。

 一泊の静寂。


 これだけ離れているのに、雪駄が扇いだ風が鼻先をかすめる。

 時を同じくして、馬締の右腕が現れる。

 袖口では無い。懐から。

 腹を突き破ったように生え出た裸の腕が、大きく円を描く。

 頂点に達した腕はまたも急激に降下する。


 ズシンと重さを示すように右肩が沈む。

 肘を曲げて、水平を保つ前腕。

 露出した右上半身に女らしさなど微塵も無い。

 白い肌には、青い血管が浮き上がり、洗練された筋肉が隆起し陰影を作っている。


 そして何より。


 首元から大胸筋を経て、上腕までを埋める入れ墨。


 桜吹雪に上り鯉。


 古典的なモチーフ。

 だが鱗や波、花弁の幾何学模様は近代的に映る。

 なんとも不思議な、迫力のある現代和彫り。


 背後に陽炎。

 入れ込んだ肩の上には、下から舐め上げる金色の瞳。

 腹の底まで空気を溜めて。


「今日ここに、

 参じた理由は、ただ一つ。

 目指すポイント、八百万。

 果て無き遠き、夢なれど。どんな輩が阻もうと。磨いた業が、切り開く。

 そなたがいかほど豪傑だろと。若き自分の糧とする。

 

 この一揆、取らせてもらうぞ。イニシアチブ。

 マジメ、サブロク。

 どうぞ。

 嗚呼、どうぞ。

 お頼み、申し、上げる。」


 龍が昇る。

 彼の背後に煌めく鱗を纏った青龍の礼影。

 連れた上昇気流は桜の花弁を舞い上がらせる。


 ネオンのごとく輝く和彫り。


 舞い散る桜吹雪の中。

 分かれた前髪の隙間に見えるのは、青筋立った額。

 寄った眉の下には、殺意としか表現しようがない、鋭い目つき。

 その頭上には巨大な龍の大口。

 100人が見れば、99人は震えあがるに違いない。


 殺意の冷たい矢じりが心胆を寒からしめた。ように思える。


 桜吹雪に紛れる、藍隈。

 藍隈とは、歌舞伎において邪悪な敵役。

 己が欲求に固執した悪霊。


 他者を意に介さない。サイコパス。

 俺の巨躯を前にしても、踏み台程度にしか思っていない。


 圧倒的な自信に傲慢さ。

 社会人は誰しも自分を第一に考える傾向がある。

 それでも、目の前の敵は常軌を逸している。


 自己至上主義。

 そう思えるほどの何かが、奴の中にある証。


 何がそこまで彼をそうさせるのか。

 妄執に感染したゾンビは、本願成就を願ってただひたすらに喰らいつく。


 ぞわりと、鳥肌が立つ。

 悪寒が走り、身震いしそうだ。


 それでも、そう客観的に感じられるほど脳は冷めきっている。


 なぜなら、知っている。

 この型を。


 かつて、社会人の果てを見ようとアーカイブを漁ったことがある。

 その時見た、極挨に酷似している。


 納東亜重工、現部門長。

 吉野金次郎。その人に。


 あの時の衝撃、あの高揚。

 新社会人として見上げた、山の頂。

 最も近いと言われた、かの御仁は古典映画から着想を得て、独自の極挨スタイルを作り上げた。


 鮮烈な啖呵と力強い気風。

 どんな強者も打ち倒す。絶対無敵のヒーロー。


 馬締の影に確かにいる。八重桜の金さんが。


 子弟だろうか。血縁か何か。

 だがそんなことはどうでもいい。


 ただ、思う。


 青い。

 あまりにも青臭い。


 羨望の影に対して若く淡い。


 ダメだ。

 全然、全く。

 ダメダメだ。


 黒く重い空気が、意の底を這うように広がってゆく。


 格上への落胆か。

 あるいは憧れへの侮辱と思ったのか。


 今、この男へは嫌悪感しか抱かない。

 それと同時に、傲慢な心根が蘇る。


 コイツがなぜダメなのか。解析せずにはいられない。

 ダメさを詳らかにして、腹を抱えて高らかに笑ってやりたい。羞恥で顔がひしゃげるほどに。


 確かに、出だしは完璧だった。

 称賛に値する所作。


 女のような艶めかしい歩みからの、弓流系とは思えない猛々しい踏み込み。

 実に見事。

 丹念に準備され、周到に作られた緩急には、心から恐れ入った。


 だが。そのあとは、どうだ?

 すべてが、下の下。

 見ていてこっちが恥ずかしくなる。


 お前がダメな理由。

 まず、名乗り口上。


 長い。

 踏み込みの気迫が無為に霧散してゆく。

 それでもって、なんだあの決意表明は?

 お前がどうして社会人やっているか知ったこっちゃない。

 それを懇切丁寧に説明なんかして、なんだお前。隙を作ってわざわざ自分語り。

 ”陰者、隙あらば我を語る”って言葉を知らぬとは言わせない。

 なぜ、この俺がお前の青臭い夢物語など、聞かなければならないのか。


 それに取ってつけたようなアメリカ語。

 穴があったら、俺が入りたい。


 力量がはっきりした今、また無性に腹が立ってきた。


 そして、そのあとの一切合切、集めてまとめて、全部が全部。

 ゴミ。カス。デブリ。


 桜吹雪だぁ?

 今は初夏だぞ。

 和彫りが光るだぁ?

 ガキのパジャマか。


 そんで礼影。

 これまで、青龍の礼影は何度も見てきた。

 東洋における四神。

 ルーツを示すに適当だろうよ。


 でも、デカけりゃいいってもんじゃあない。

 それにその青龍は使い古されたフリーモデルだろ。

 こだわりがまるで感じられない。


 それでいて、敵意丸出しの眼光は、もはや児戯。

 挨拶とは元来、友好の意を示すもの。

 忘れ去られて久しい価値観だが、己の器の大きさを示すなら、敵意など無用。

 戦いは同じレベルでしか起こらないとよく言うだろが。

 そこで殺意を明確に示すなど、相手を同列以上と認めたも同じ。


 強者とは、余裕を持ち合わせて無くてはならない。

 相手を歯牙にもかけない素振りを見せる程度の力量も無いのか。ガキが。

 若葉マークでも胸に貼り付けておけ。


 拍子抜けだ。

 ダメだ。

 ぐつぐつとうねる横隔膜を堪えられない。


「グクク…グッはっ。」

「ぐぁッハッハッハッハッハ!!!!!」


 俺は何を身構えていたんだ。

 緊張の糸がプッツリと途切れて。あふれ出したものが抑えられない。


 相手を笑うなど、失礼千万。

 分かっている。分かっているが、止まらない。


「グゥアッハッハッハッハハ!!!」

 悪い。許してくれ。ごめんよ。ごめんよ。


「アッハッハハッ、はぁーあ。」


 さて。こうなった今、どうしてやろうか。

 ケツの青い輩に向ける挨拶は、決まっている。


 新歓で行う恒例挨拶。

 俺の極挨、十八番。


熊掌圧殺(ゆうしょうあっさつ)


 お前にこれが受けきれるか?


 愚かな極挨の延々と続いた時間は、距離を詰めるのには十分すぎた。

 馬締の頭に、影が落ちる。


 双子葉の視界に映るは、肉の壁。

 あまたの若者の腰を砕いた。文字通り絶望の壁。


 見上げれば、暗き中に三日月のごとく輝く歯。

 人ならざる恐ろしさ。


 視界の両端。高く厚い圧倒的質量が迫る。

 包み込むように。すべてを飲み込むように。

 大きく広げられた両腕は、さながら津波。


 危険信号が鳴ってからではもう遅い。

 あと幾ばくも無い時間で、到達する。

 逃げられない。もうどこにも。


 強く凝り固まった肩に、指が触れる。

 衝撃は、無い。

 落ちた葉が水面を揺らす。そんな僅かな感覚。

 撫でるような、愛でるような。舐るような。

 恐怖の波紋が増えてゆく。

 中指、薬指。人差し指に小指。


 首は衝撃に備えている。

 硬直した筋肉が小刻みに震え始める。


 引き絞られた細い気道は、拙く空気を出すばかり。

 大鑑の影が夜を作ってからというもの、呼吸は忘れ去られた。


 手首が下がり、掌が墜落する。

 変化は緩やか。

 厚く柔らかい母指球が、衝撃を緩和した。


 だが、影響は明らか。


 沈む。沈む。


 たった数ミリの膝のたわみだが、確かに水面が遠ざかっていく。


 深く、暗い海の底。

 上から覗き込む巨大な黒い影。


 馬締の脳裏に浮かんだのは、妖怪――海坊主。


 夜の海に突然現れる、黒く巨大な妖怪。

 時に船を揺らし、人を海へ引きずり込む。

 その巨体は、息を吸って、なおも膨らみ続ける。


 水圧に締め上げられた馬締の生存本能は、ただ酸素を求めた。

「ひィ」

 浅い呼吸。

 確かに酸素は全身へ巡り、安寧をもたらした。かに、思われた。


 鼻孔をつくのはブルーオーシャンの香水。

 目が眩むほど眩しい太陽の周りには、雲一つない快晴の空色。

 キラキラと反射する、海面と白い砂浜。

 そんな情景を脳へ、香気の突風が吹き込む。


 不快には感じない。

 あまり東洋人には好まれないが、ビジネスシーンにおける香水の使用はエチケットでもある。


 だが、煌びやかなビーチと暗く苦しい海底。

 相反する海が、馬締の脳を掻きまわす。


 腐ったゾンビから花の香りがするがごとき違和感は、処理不可能の烙印を押されて、嫌悪感に代わる。

 馬締の顔は僅かに歪んで、その感覚を露呈する。


 百戦錬磨の大鑑は、決してこれを見逃さない。

 


「ごぉおおおおおんんんにぃぃいぃつちぃぃぃはあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」



 目先3寸ばかりの口腔から、音のメガ津波。


 鼓膜は音色ではなく、痛みを伝達する。

 イカれた焦点は大鑑の遠く先。水平線の彼方を見つめる。


 脳に浮かぶのは白い水泡。

 纏まり、弾け、真っ白に染め上げる。


 大鑑の後ろに、さらに大きな黒い陰。

 礼影であることは分かる。

 だがその姿かたちは、分からない。分かろうとも思わない。

 ただ、黒く大きな”ナニカ”は煌々とした、眼と牙を見せつけ、すべてに覆いかぶさろうと迫る。


 悪夢だろうか。

 夢だと錯覚させるほど、錯綜する視界。


 眼前から吹き荒れる暴風が、現実逃避を許さない。

 止めどなく吹き付ける”こんにちは”の語気は、風圧でもって触覚を揺るがす。

 波打つ頬は、現実の手綱を放してくれない。


 確かに今俺は名乗り口上を挙げて…

 巨漢はビクついてた…

 でも両肩に重りがあって、かぜがすごくて…


 馬締の大脳は、もはや役に立たない。

 思考は実を結ばず、水泡に帰す。


 体は次なる指令を求め、耐え忍んでいる。

 まだ何かできるはず。

 鍛えてきた日々は無駄では無いと証明する。

 逆転の一手を信じて、今か今かと忠実に。


 願望。

 逆転など万に一つもあり得ない。


 首下の切望。

 どうしようも無い現実。


 夢か誠か。

 挑むか、逃げか。


 板挟みの司令塔(ブレイン)は、すべてを前向きに善処して検討して慎重に判断をするために、まず組織編制と期間を慎重に検討して…

 堂々巡りの方針決め。


 何だろうと沈黙は、最もまずい。

 司令塔を見限った中枢神経が短絡的な行動を促した。


「ぇっ、ちょっ…」


 顔を背ける。

 あまりにも軽率な拒否反応。


 この一番において、目を背ける事が何を意味するか知らない者などいまい。

 それは、降伏。

 ケツをまくった、敗走。


 第2次子会社の看板も、外聞も意地も矜持も、すべてを投げ捨てた全面降伏。

 今ここに、負け犬が一匹。

 青白い顔を浮かべて佇んでいる。


 いや、もともと白い顔してたんだっけか。


 波を立てぬように、砂の城を扱うように。

 ゆっくりと手を退ける。


 姿勢を直す。

 小突けば崩れてしまいそうな、馬締の横顔に光がさす。

 夜が終わった。

 それでも馬締の表情は、変わらない。暗く、硬い。


 それはまだ終わっていないと言うように。

 次なる恐怖に耐えようと、緊張が居座り続けている。


 恐れているのだ。

 敗者への嘲りを。勝者の笑い声を。


 馬締は今まで、勝敗が決まれば高らかに笑ってきた。

 勝どきと追撃。

 勝利の喜び。

 その瞬間は、世界が肯定してくれているとさえ思えた。

 こみ上げてくる興奮を天へ返す儀式じみた高笑いは、同時に絨毯爆撃。

 相手の自尊心を打ち砕き、荒廃した更地に変える。


 さらに一歩。

 優位に立つための侵攻。


 この巨漢が豪快に笑う様子が容易に想像できてしまっている。

 受ける側にたった今、どうしようもない恐怖が支配している。

 すでに崩壊した防波堤は、何の抵抗もなく、次なる波を流し込んでしまうだろう。


 馬締のこめかみに一筋の汗が伝う。

 奥歯が軋む。


 だが、それは訪れない。


 顎をつんと上げた、大艦の顔には横一線の口。

 眉間に谷を作った八の字の眉。


 静かに見せるのは、軽蔑の表情。

 嫌悪とは違う。


 格上企業をのした喜びは確かにある。

 だが、満たされていない。


 相手が弱かった訳ではない。確かに力を感じさせる極挨だった。

 それをひっくり返す、理想的な勝ち筋に沿った、不満の抱きようが無い結果。


 それでもなぜか、心が小さく軋んだ。


「お前も俺を見ないんだな」


 口の中でかき消えたつぶやき。


 高圧的な表情。

 だが、どこか泣きそうにも見えた。


大鑑vs若造戦は終わりですが、まだしばらく大艦視点が続きます。

主人公錦山が出るのはまだ先です。すみません。

それはともかく、なんだか普通のバトルにしたい気持ちが出てまいりました。

が、とりもなおさず、次回ナム課長戦。の前の静けさ?的な感じだと思います。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ