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第9話 敵の敵は味方とは限らないとは限らないかも

 挨拶が終われば、速やかに応接間の戸の両脇に並ぶ。

 互いに一礼するが一言も発さない。


 極挨の凝縮された熱波はすでに去り、静寂が廊下を満たす。

 両膝に手を置いて、課長を迎えるヤクザスタイルの礼の姿勢をとる。


 チラつく先ほどの立ち合いを頭から追い出すことに注力する。

 考え始めてしまえば、止まらなくなる。


 課長の立ち合いを見届けなければいけない。

 命運が分かれる、明確な分岐点。


 はっきり言ってしまえば、馬締との立ち合いは、さほど意味が無い。

 商談を行うのは俺らではないし、決定権も持ち合わせていない。


 それでも俺が出たのは、分散の意味合いが強い。

 敵が新人セットといえど、二対一は荷が勝ちすぎる。

 一人増えるだけで立ち合いの難易度は何倍何十倍にも跳ね上がる。


 通常、極挨は狙いを一点に絞ることで最大威力を発揮する。

 二人いれば、一方は疎かになるのは当然。

 だが、その場を掌握するには二人同時に陥落させる必要がある。

 そういった状況の極挨もあるにはあるが、相当の力量が無ければ成し得ない。


 俺も何度か複数相手の経験があるが、完勝と言えるのは片手で数えられる程度。

 そのどれもが格下相手。


 格上、それも雲の上のような親会社相手の今回、単騎戦にせざる負えないのは理解している。

 

 でも、もっと早く言ってくれ。の一言につきる。

 別に俺じゃなくても良かっただろう。

 昨日言ってくれれば誰かを身代わりにできたのに。

 おそらく馬締相手なら張でも勝てたかもしれない。

 張だったらうまく課長も相手もいなせただろうよ。


 視界に”まもなく予定時刻”の表示が映る。

 考えないつもりが馬締の立ち合いを考えてしまっていた。

 いけない。気が緩んでいる。

 俺の役割はまだ終わってない。


 腹に力を入れ、頬を僅かに引き上げる。

 自信と優越を表して醸し出す。勝者の風格。

 勝利の追い風を課長へ当てねば。


 相手はどんな人間だろうか。

 あの面の皮の厚い女は緊張とかするのだろうか。

 興味が次々に湧いてくる。

 見まわしたい衝動にかられるが、視線は床から外せない。

 そんな事をすれば、せっかくの貫禄が消し飛んでしまう。


 頭蓋にアラームが鳴り響く。

 予定時刻を告げる。

 未来が動く。


 ガガチャリ


 両方向へ伸びる廊下の奥からドアが開く音。

 同じ形のドア、右耳は上手の、左耳は下手のそれそれの音。

 一方は柔らかく、もう一方は厳かに。


 バタン。ファチャリ。


 扉が閉まれば、再び静けさが支配する。


 お互いを認識したはず。

 どうだ、うちの課長は?

 どれだけ実力があろうと、厄介極まりないぞ。

 絡みついて、弄ばれて、泣くことになるかもしれない。


 安心しろ新佐さんよ。課長に会うってことで今日はハンカチを2枚持っている。

 涙ぐらい拭ってやれる。

 ただ、この後俺が使う羽目になるかもしれないから、一枚で勘弁してくれ。


 女上司に泣かされる自分を想像すれば、笑えるほど鮮明に描写できてしまう。

 脳髄までもが理解している。課長の恐ろしさを。


 嫌いな女だが、今この瞬間は全身全霊で信じる。

 冷静に考えて、完勝は難しいだろう。


 それでも俺の課長は、誰よりも狡猾で、身勝手で、男勝りの老獪。

 ただで、負けてやるほど甘い女じゃあない。


 どうやっても、完封される姿なんて想像できない。

 もしできるなら、やって見せてみろ。

 その時は大いに参考にさせてもらおう。


 正直、わくわくしている。

 35歳にもなって、こんな心情を抱けるなんて、自分自身に驚く。

 硬化したと思っていた心がこんなにも若く、柔らかさを持っていたなんて。


 だってしょうがないだろ。

 圧倒的高みに、我らが長が立ち向かう。

 まるで英雄譚の1ページ。これから始まる展開に胸が躍らない訳がない。


 コォツ。

 カツッ。


 息を合わせたように一歩踏み出した。


 カツッ、タン、タン。カツッ、タン、タン。

 左耳から聞こえるのは、軽快でリズミカルだが、鋭い音。


 幾多の偉丈夫を打ち倒し、凡人が見上げる雲の上に自らの城を築いた女。

 第8次子会社ホンオフェスタ不動産、イーストウェークベース課の女帝。

 課長、ナム・ポンリョン。


 圧底ハイヒールブーツの重い踵の硬質な響き。


 いつもは背筋がピリつく音。

 今はその音が胸を熱くする。

 いつもと同じ、四分の三拍子の足運び。

 そこには、動揺も緊張も読み取れない。


 いつも通り、これより心強いことは無い。


 コオツ。コオツ。


 右耳から聞こえるのは、荘厳な響き。


 緩やかに着地した踵を支点に、足裏すべてを地につけるような歩み。

 体重を乗せて、足場を確かめるように、そろりそろりと。

 その一歩は、地中から芽吹いて急成長した樹木のように存在感を示す。


 重さを感じるようで、どこか柔軟。

 俺以上の巨躯かもしれない。

 だとしたら、1600ばかりの課長から見ればかなりの威圧感に違いない。


 どんな男だ。

 身長は2mを軽く超え、巨大な筋肉を抱えた相撲キングかもしれない。

 いや、女の可能性もある。それならこの重厚さ、密林に住む伝説のアマゾネスか。


 事前に見たのは、新佐枠未という名前だけ。

 無限に膨らむ想像に耐えかねて、横目で様子を伺う。


 茶色の尖った革靴。ブラウンチェックのパンツ。

 隙間から見えるターコイズブルーの靴下が鮮やかさを印象付ける。


 いずみ組は派手な靴下が社則なのだろうか。

 粋なチラ見せってか?


 そんな考えは即座に否定された。


 羽織ったブラウンチェックのジャケットの中に見えるのは、ターコイズブルーのベスト。黒シャツにオレンジ色のネクタイ。

 あまりにも目に眩しい色使い。

 ド派手だがどこか纏まった印象を受ける。

 実力者の遊び心。まるでどこまで許されるか試しているようだ。


 こうなると何が何でも面を拝みたい。眼球の可動限界はわずかに届かない。

 少し、ほんの少しだけ、首を回す。

 ばれないように、気取られないように、慎重に。



 …馬締と目が合った。


 お互い好奇心には抗えなかったらしい。

 そりゃそうだ。あんな歩き方する人間なんて課長以外で会ったことがない。

 見たくもなるだろうよ。分かる分かるぞ青年。


 とりあえず、焦って目は逸らさない。それだけはダメだと分かる。


 だが、どうする。

 気まずい。というよりまずい。


 なに目をキラキラさせてんだ、おっさん。なんて思われたら先ほどの立ち合いが無駄になる。

 それはいけない。絶対に避けなければいけない。


 だがもう、興味に輝かせた目を見られてしまった。

 まだ、まだ間に合う。いける大丈夫。落ち着け、落ち着け俺。

 貫禄。貫禄だ。大事なのは。どうにか威厳を見せつけろ。


 顎を突き出すように頭を回転させる。

 馬締から見て下目使いになるように。

 さも、来ている敵を見るのが当然であるように。

 ゆっくりと。視線を外して新佐に向かわせる。


 視界の端で馬締が下を向いた。

 とりあえずは、よし。


 完全に顔は横を向いて、新佐を視認しようとしていることは誰の目からも明らかな状態。

 失態だ。

 課長に嫌味を言われるのは間違いない。それだけで済めばいいが。


 この際せっかく顔を向けたのだ。拝ませてもらおう。

 当然の行いだ。そう馬締に見えるようにしたのだから。

 騙すならまず自分を騙す。それが大事。そうだろ俺。

 まっすぐに目の焦点を合わせて全身を視界に入れる。


 そこにあったのは、チャラ付いたおっさん。


 巨漢でもなければ、アマゾネスでもない。

 同性としてどこか嫌悪感を抱く出で立ち。


 長い前髪を三つ編みにして顔の両脇に垂らしている。

 ピアスが右眉に2つ、右耳に羽の付いた長い鎖状のが1つ。

 青田のような短いツーブロック、トップは後ろに流している。


 相当な美形でないと許されないような奇抜な姿。


 だが残念ながら特筆すべき美形ではない。

 かつては、骨格までもを変化させるほどの美容整形が常識だった時代もあるが今は違う。

 ある程度調整されて生まれてくる今の人間は皆それなりの顔をしている。

 美容整形は生まれる前から禁止されている。尊顔の比率は後天的にどうしようもない。

 不細工ではない。決して。

 だからといってイケメンとも言い難い。


 それはきっと、これまでの苦悩の傷跡と呼べそうな小皺と、激戦の弾痕とも言えそうな荒々しい凹凸のある表皮がそう言わせるのだろう。


 歴戦の生き残り、そんな風貌。

 縦に開いた瞳孔と襟元から顔をのぞかせるサメの入れ墨が相まって、並々ならぬ生き意地を感じさせる鉄面皮。


 縦割りの四白眼がギロリとこちらに向いた。

 サメのような瞳。荒れ狂う海をいくつも超えてきた海賊。


 そりゃこっちが見てるんだ。相手も見てくるだろうよ。

 馬締の視線をかわすために、顔を動かした時点で予期できてはいた。

 ただ逃げ込んだのが、背びれを悠然と掲げたサメが泳ぐプールって事。


 溜息をつきたい。

 何してんだか。

 さっきと同じ。そっぽ向けば矮小に映るだろう。


 はあ。

 こうなれば、毒を食らわば皿まで。

 どうなろうと、今日のデザートは山盛りの課長の毒と決まってしまっている。


 眉間に力を入れて、ひたすらに見つめる。

 どうせだから目を離さないでやろう。


 ジャイロでも仕込んでるように揺れない頭部をそのままに、流し目で見てくる新佐。

 一瞥しただけで興味を失ったかのように正面を向く。

 一考する価値もないというように。


 スカしてんな。おい。


 ナメてんのか。と言いたくなるが、新佐は間違っていない。

 誰だって目の前の相手に集中したい。


 それに頭を上げて、文字通り礼を欠いているのは俺の方。

 文句を言える立場ではない。


 だがムカついたのは事実。

 そんな高飛車な態度をとれるというなら終わりまで見てやろうじゃないか。


 これは、幼稚な逆ギレだ。

 いまだ止まらない好奇心が、業腹を傘を着て、床との再会を拒んでいる。

 俺はいつになったら大人になれるのか。

 また溜息が出そうになる。


 意識を切り替えようと新佐の登記情報を表示する。

 視界の外、額のあたりの拡張視野にウィンドウが立ち上がる。


 第2子会社いずみ組 海上開発部門 海上ベース部 建設管理課

 身長は1750mm、35歳。

 何だよ。タメかよ。


 まだまだ大山の中腹にいる俺に比べて、雲を抜けて頂が見える立ち位置。

 入社12年。

 俺からしたら天上の激戦地。それを12年も生き抜いてきた。

 素直にすごい奴だと思える。

 安い表現だがそうとしか思えない。

 そうとしか言いようがない。


 もし、もっと形容だてて褒めたらなら、適格な感嘆を送ろうものなら、心根のドロリとした何かが溢れてしまいそうだ。

 分かっている。これは嫉妬。

 胸の内側にへばり付いて、触手を伸ばし、這い上がる。どす黒い静脈血色の怪物。

 決して、表には出してはならない心情。


 それでも次の情報に、膨れ上がるソイツを抑えられなかった。


 16歳で奴が入社したのは、紛うことなき我が社。ホンオフェスタ不動産。

 同じ道の先達。

 しかし、同じ生まれ年。


 何がここまで差を産んだのだろうか。

 俺は誰よりも優れている。


 その証明に俺は第26次という下の下の下から実力だけで這い上がってきた。

 俺だけではない。社会そのものが俺を認めた。

 それなのに、こいつは俺の先にいる。


 やめだ。


 右の端っこから歩み寄るコイツは、水面に映る弛んだ幻影。

 俺の理想を映した幻。


 認めない。

 認めてなるものか。


 俺の進むッ前に仁王立ちする女上司。

 それを超えて行ったなど、今の俺への蔑みでしかない。

 俺が、劣っているなんてことはあり得ない。


 証拠を見せてみろよ新佐。

 お前の力。

 俺を納得させるだけの実力なのか。


 もう、やめだ。


 コソコソと隠れ見る。そんな、みみっちいマネは。


 ぐるりと顎を回す。

 脳天を空に向ける。


 二つの瞳孔は水平に奴を見る。


 非礼など詫びない、もとより立場を振りかざして不条理を押し付けようとしたのはお前らだ。


 どこか不遜を許されない存在と認識していた。


 認めよう。

 それは誤りだったと。


 討ち倒すべき、俺の敵。

 相手できないのが実に、口惜しい。


 故に、望む。

 我らが長が、この幻影をうち滅ぼすことを。


 認めよう。

 お前が今俺が立っている位置からそこまで登れた豪勇を。


 瞳に映るのは、石橋をたたくように慎重に歩を進める男。

 臆病で、矮躯な姿。


 だが、未開の地で己の道を確かめて進む、勇猛な姿。


 それは、希望。

 俺に進む道筋を示す一点の光。


 同時に、どこか遠くで祈りが聞こえる。

 願わくば、立ち塞がるナム・ポンリョンを打ち取れと。


いつもお読みいただきありがとうございます。

毎週火曜日に更新してまいりましたが、仕事の都合で次回より不定期更新とさせていただきます。すみません。

極力更新は火曜にと思いますが飛んだ場合はご容赦下さい。

気が向いたときにまた覗いてもらえれば幸いです。

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