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第10話 足元の影にすらジシンは写る

 カンッ。タン。タン。

 カンッ。タン。タン。


 廊下に響き渡る、規則的で不穏な音色。

 時々刻々と譜面は進み、長いクレッシェンドは、尖ったクリスタルを思わせるほど硬く鼓膜を突く。

 3拍ごとの踏み込みの度に、周りに石英が舞い、煌めくような存在感を放つ。

 比喩では無い。なぜなら既に発動された実像と認識できるエフェクト。


 舞い上がる結晶は、キラキラと、時に光をあらぬ方向へ反射し、白と黒のノイズをこの目に映してくる。


 黒い揺らめく衣装と髪。

 透き通るほどに白い肌に白い廊下

 モノクロの世界で、女帝はニヒルな笑みを浮かべて、突き進む。

 体を左右に揺らして、気だるげに。

 それでも足の芯は、決して揺らがない。

 そこに確かな確固たる意思を感じさせる。


 彼女――ナム・ポンリョンの極挨は、ほかに類を見たことがない。


 ここ日本において、メジャーな流派のどれを見ても、挨拶を発するその瞬間を最も尊び、研ぎ澄まさんとする。

 それは、何よりも衝撃が人を畏怖させると考えられているから。

 その過程、タイミングは違えど、根は同じ。


 だが彼女は違う。

 彼女には流派がない。

 独自に作り上げた極挨。


 無理やり名をつけるのならテッキョン流。


 彼女のルーツ。韓国の伝統武道であるテッキョン。

 軽やかなステップで相手を揺るがし、鋭利な足技でひっくり返す。


 牽制と崩し。

 この一連のすべてを持って極挨とする。

 であれば、扉から出た瞬間から彼女の極挨は始まっているといえる。


 第一印象がすべてを決めるとは、心理学が確立された昔からずっと言われている。

 そのため最初の挨拶を意識づける進化が成されてきた。

 だが、本来の第一印象は扉から出て向き直った瞬間のはずだ。

 その点、彼女の出だしからクライマックス戦法も理にかなっているといえる。

 むしろこれが他地域では主流とも言われている。


 ひどく冷たく、突き刺すようなステップは次第に大きく、強く地面を揺らす。

 風にたわむような上半身の揺らぎは、次第にステップの中心へ重心を集約してゆく。


 どこか弾むように軽やかで、柔らかな含みを抱く。

 それはしなやかな下半身の関節の動き。


 カンッ。タン。タン。

 カンッ。タン。タン。


 優雅で、煌びやかな女。


 冷血無慈悲な女帝に重なる、すべてに慈愛を持った黄金の王女。

 モノクロの明暗は、想像のメモリを食いつぶし、無限に見せ方を変える。


 迫力を出すために使用するエフェクトの陽炎ではない。

 彼女自身が、揺らめきだった蜃気楼のように、その姿を掴ませない。


 横を見れば、馬締が彼女を見つめる。

 ほかの何も見えていないようだが、どこか焦点は遠い。


 その瞳はどこか恐れているようで、焦がれるようで。

 陳腐な言い方であれば、怖いもの見たさに目を凝らす。といったところ。


 馬締も俺も、好奇心にむざむざ敗北して顔を上げた者同士。親近感が湧く。

 むしろ、かわいいとさえ思えてしまう。


 右から迫る、覇気に満ちた妖艶と対をなす、未熟で庇護欲をそそる可愛らしさ。


 恐いのか。そうだろう。俺も恐い。

 底がまるで見えない女。攫もうとしても多重に消える幻影とつかみどころの無い揺れる体幹。


 なんだ?あいつは一体何なんだ?

 ってそう思うだろう。


 俺もそう思う。お前だけじゃあない。

 そして、俺は彼女に負けた。それも一度じゃない。


 翻弄され、弄ばれて、距離感を誤る。

 お辞儀が空を切る。輝く実像が霞の向こうにいるような、得体のしれない感覚。

 お前の直感は正しいぞ。馬締。


 人は理解し得ないモノに恐怖するんだ。

 他人の気概、素性、そして感情。

 いくつになってもそれだけはどうにも理解できずにいる。


 俺はお前が、まだ未成熟な新芽に見えるが、お前は俺をどう思うんだろうか。

 脂ぎったおっさんだろうか。それもと叩き上げの豪傑だろうか。

 きっと俺の期待とは違うんだろうな。


 勝手な一人問答が、勝手に自分を締め上げる。


 何を感傷に浸っている。

 35にもなって、みっともない。


 結局、俺はどうなりたいんだろうか。


 知らぬ街角の女から視線を受ければ、縮こまり、立ち合いの相手に目を逸らされれば、心に穴が空く。

 見られたいのか、見られたくないのか。自分でも分からない。


 屈強で豪胆、羨望のまなざしで見られたい。

 だが同時に、誰も俺に目もくれず、静かにそっとしておいて欲しい。


 俺の理想も、また蜃気楼。

 地に足のついていない揺らめきだった幻影。

 見え方も、距離も、実像もすべてが瞬くごとに変わる。

 時に反転し、時に手の届くほど近く。


 俺は何がしたいんだろうか。


 俺が内側に目が向く間も近づく両者。そんな時。


「あら、素敵な服。」


 聞こえるか聞こえないかの小さな囁き。


 だが、この耳は明瞭に捉えてしまった。


 誰に向けた言葉か。

 そんなの考えなくたって明らか。


 でも、もし、僅かな可能性だとしても。

 ひょっとしたら、俺に言ってるのかもしれない。


 浮かれ頓智気。都合のいい考え。


 そう思ってしまった瞬間。

 揺れる。揺れる。心が揺れる。


 そんな訳は無い。分かってる。分かってるとも。

 もしそんな事を思っているのなら、この立ち合いの前に行っているはずだ。

 この中でこの発言を向けられた可能性は、俺が一番低い。


 でも揺さぶられずにはいられない。

 チョロい?単純? んな事は俺も知ってる。


 なんでこんな簡単な言葉に揺さぶられるのか。

 自分自身、不思議でしょうがない。

 俺に向けられたものでは無いと頭では分かっているのに。


 それは、きっと、自分の装束に思い入れがあるせい。


 すべて借用が当たり前のこの時代に、我々社会人は、ポイントを使って自分の好きを所有する。


 食べ物、嗜好品、住居、趣味、そして衣服。


 自分の好きを自分のもとに据え付けるために。


 配給分の少ないポイントしかない自由市民は、生活のほぼすべてをレンタルで済ます。

 家具も趣味の道具も下着に至るまで。

 それが普通。当たり前。

 何かを所有したって、実際に使うのはほんの一時。


 豪勢なコートを持っていても着るのはせいぜい1年の4分の一。

 それに管理も場所も必要、着る前仕舞う前のクリーニングに保管場所の環境保持。

 汚せば当然、着たい時に着られない。


 だったら、毎日新品同様のものを借りた方が合理的に決まっている。

 維持費用を鑑みれば借りる方がずっと安い。


 それでも所有を選ぶのは社会人の矜持。

 自分の選んだ自分だけのマテリアル。


 衣装は、その最たる代物。

 

 自分を最も映えさせるために、自分が選んだ、自分を表すための身代。


 思い入れが無いわけがない。

 実力を示して得たポイントで得た、自己最高の自己表現。

 それを他人に褒められることは、何たる幸福か。

 数字だけのオッズやら、傷の舐め藍のようなコミュニティ交流、肉体的な桃色遊戯。


 そんなものよりはるかに承認欲求を満たす。現実の人間の誉め言葉。


 俺はどこか、自分で心を揺らしたいと、そう思っているのだろう。

 だからこんなにも、べらぼうに、ドギマギ。


 横を見れば馬締も、頬を染めている。

 効いている。この短いおべっかが確実に。


 反則じみたお世辞は、不思議とわざとらしく聞こえない絶妙なトーン。

 まるで自然に漏れ出てしまったように感じるほかない、卓越した技。

 何度も、何度も試行錯誤を繰り返してきたのだろう。


 これだ。これだよ。

 肩甲骨が筋肉に圧迫される。

 子供じみた興奮が湧き上がる。


 ざまあみろ。

 恐れおののけ。

 我らが氷の女王に。


 高いところから見下ろすお前に、はるか下の足元の技など分かるものか。

 並ぶつむじを見てどれも同じと、決め込んでいるのだろう。

 忘れるな。

 お前の立っている足場は、我々を足場としていることを。

 思い知れ。

 おまえよりも地に近い者の意地を。

 今日この時、お前は地殻の揺らぎによって、大波に飲まれるのだ。

 ざまあみろ。



 ッカンッ。


 革靴が廊下を穿つ。


 それは動揺か威嚇か。


 新佐は水平線の日の光を掲げて、床の薄氷を割る。


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