第20話 大馬鹿者の咆哮
「はあーーー。」
体の力が抜けるように深く息を吐く。
それだけでパニックになりかけた状態からいくらかマシになる。
情報源から目を逸らしてもなお残る怯えを振り払おうと首を振ってみるが、こちらはたいして効果はない。
まったく嫌になってくる。
どうしてこんな事になった。
俺はただいつも通り向かってくる相手に対して極挨を放つだけなのに。俺も大艦もまだ間合いにすら入っていないじゃないか。
それならただ歩いて行って挨拶をすればいい。そうだろ?
……。
どうにも足が進もうとしない。
目を瞑ってと吹き飛んだ扉を視界に入れないようにするが、大艦の姿が瞼の裏に浮かんでくる。
驚いた俺を、ビビった俺を、恐怖に苛まれる俺を笑っている。
完全に圧倒されている。
これは俺が持っていていい感情じゃない。本来俺が相手に与えるはずだったものはずだった。
だったら俺は負けたのだろうか。
大艦に臆してしまったのだろうか。
社会人という文明人として最先端の肩書を持つ俺が、眼前の暴力に屈したというのか?
許されるだろうか?
社会はこの結果をやむなしと受け入れるだろうか?
暴力なんてものは下劣で下等で忌むべきものだと乳飲み子だって知っている。
負けたとなれば、俺の胆力がそれ以下だったと評価され、老若男女すべての支配圏の人間から疎まれる。
彼らは知らないのだ。差し迫った暴力が生み出したいくつもの可能性が喉元に突き立てられる恐怖を。
ぬくぬくと安全圏から見下ろしていては分かるはずもない。理解しようとも思わないだろう。
なのにそれでいて彼らは暴力を許容しない。
当然ながら暴力を批判するために暴力に屈した人間を叩く。何度も見てきた。
暴力は姿かたちもなく、また暴力など初めから存在しないのだから、発生させた張本人は部外者。
暴力を生み出したのは他でもない、それを暴力として受け取り、この世に顕現させてしまった人間なのだから。
許せるだろうか?
そんな理不尽なこと。
確かに俺は何の被害も受けていない。扉は綺麗に壁へ吹き飛び。怪我も何もない。
人間は、予測を立てることで進歩した。いくつものもしが危機を回避させてきた。
それが人間の特性であり強みだが、いくつものもしが勝手に頭の中で暴力を生成しているのは確かでもある。
だからといって、俺が悪いなんてのはお門違いも甚だしいじゃないか。
暇を持て余した人類共は、何かを批判したくていつも何かを探しているのだろう。
共通の敵を見つければ、普段の小さいコミュニティから抜け出して知らぬ誰か共通の感情で繋がることができる。
そうして繋がり増大した自分の大きさに酔いしれたいだけなのだろう。
許すわけがないだろう。
許していいわけがない。
眉間にこれでもかと力が籠る。
「ハァ。」
横を伺えば、会議室の人間もあたふたと喚いている。
ボリボリお菓子君に至っては口を開けて固まり、袋を落としてしまっている。
悲鳴を上げた連中、おろおろと嘆く連中もまた、”もしも”の被害を思い描き、頭の中で暴力を生成してしまったのだろう。
ここで俺が折れれば、彼らも同罪だ。
暴力の存在を認めたことになるのだから。
お前らが救われるには、俺が勝つしかない。
いったいそれをどれだけの人間が理解しているだろうか。
そんな頭の足りない連中と同じ罪をかぶるなんてもってのほかだ。
ふざけやがって馬鹿野郎が。
強く握った拳の震えが大きくなる。
ゆっくりと。顔を正面に向ける。
大艦が立っている。
扉の前に仁王立ちする彼の全貌が見える。
いつもと同じダブルスーツ。はち切れんばかりのボタン。
蛍光発色剤でも塗っているのかとさえ思えるやけにいい歯並びをこれでもかと見せつけてくる。
海辺の太陽を思わせる笑顔だが、どうにも目が笑っていない。
まっすぐにこちらを見つめる瞳に乗っているのは明確な敵愾心。
次に蹴り飛ばすのはお前だと言わんばかりに熱を帯びている。
ビビるな。立ち向かえ。
進め。臆するな。
この大鬼を今こそ成敗するのだ。
足を上げて、踏み下ろす。
たったこれだけの動作を行うのにどれほどの事を思わねばならない。
募った思いが足枷となって足を上げるのがとても辛い。
一歩ずつ、着実に。
重かろうと、辛かろうと進むと決めたのなら。あとは成すのみ。
一歩。また一歩。
大艦はいまだドアの前。
大きな姿がまた小さい。
次第に大きくなる姿に俺は何を思うのか。
また、訳の分からぬ不条理に苛まれるのだろうか。それとも新たな活路を見出せるのか。
大艦の腕が上がる。
丸太のように太い右腕。
次は何をしでかしてくるというのか。体は勝手に強張ってしまう。
大きく仰け反った。
天高く手を掲げたまま、日が落ちるように頭部が消えてゆく。
開いた右手が、煌々と輝く一等星のごとく存在感を示し続けている。
どうしようもなくザワザワとする。とてつもなく嫌な予感がする。
そしてこういう予感は当たるのだ。
頭が昇った。
古代の投石器を思わせる人力とは思えない躍動。
「「「***ッォオッォォハァッァァヨッォォオオッッッ!!!!!!!!」」」
耳をつんざく、音の打撃。
壁はビリビリと波を打つ。
振動は内臓を揺らし、他人に肺を震わされているような感覚。
これほど離れていてもこの衝撃。
あちらに近い所にいる者は鼓膜が破れているかもしれない。そう思えるほどの轟音。
音の波は空気を揺らし、肌でさえ風のように感じられる。
見開いた目は、その風によって水分を奪われる。
それでも目を離すことなんてできない。
一瞬何が起きたのかと理解が遅れ、目は情報取集に血眼になっている。
遠投も遠投。超遠投挨拶。
近い間合いを好む空嚥系とは思えぬ所業。最も長いとされる弓流系だってこんな暴挙は決してしない。
間合いもクソもない。挨拶の暴投。
感情を驚きが席巻する。
ナニしてんだよっ。コイツッ。
ギリリと奥歯が軋む。
奇行、蛮行。そう断じるのはあまりに軽率。
はっきり言って、やられた。
挨拶はされたら返さねばならない。
弓流系の距離が長いのは、先制し本来の間合いで極挨を放てなくする一面がある。
この大艦の狼藉とも取れる超遠距離挨拶は弓流系の超拡大版と捉えてもいい。この瞬間俺はこれに対して挨拶を返す義務が生じてしまった。
ここで極挨を返すなんて出来ようはずがない。
我が居合系無外神挨流は、計算されつくした間合いでこそ本領を発揮する。
こんな距離では、なんか鷹っぽいのが出てくるだけの綺麗なお辞儀とそう変わらない。
それに、これだけの「おはよう」を繰り出しておきながら奴の背後に礼影の姿はない。
これはまだ奴の極挨ではないということ。
かといって蛮族に対して適切といえる所作なんてあるはずがない。
なら俺も同じく蛮行に及べというのか。目線の高さを合わせてウホウホとでも吠えろとでも?
そんなことは断固拒否する。
そもそも物理的にムリだ。背も足りないし、声帯ももたない。
考えている時間はない。
どうするべきか、焦りが募る。
今俺は大艦の術中にまんまとハマろうとしている。
緊張はいい。恐怖も当然。しかし焦りはダメだ。
焦りは間違った判断を下し、敗北への最短距離を進む。
時間的制約と距離的制約が持ち得ていた余裕が反転し、ゴリゴリとこの身を削り取る。
俺は相手を歯牙にもかけない圧倒的超越者であることを表さなければならない。
どんな時でも余裕を持ち、その余裕を優雅さという形で見せつける。
余裕を絞りだせ。
野蛮人に優雅さを見せつけ、恥じらいを教えてやれ。
判断を誤るな。
声が届かないというのなら、視覚に訴える。
エフェクトは使えない。過度な演出は極挨をかすませる。
取れる手段は、礼を返すことのみ。
浅すぎてはいけない。この距離で相手にそして観衆にお辞儀をしたと認識してもらわなければいけない。
でも深すぎてもいけない。謝罪や降参を思い起こさせるような丁寧さも良くない。
早すぎるのもゆっくり過ぎるのも、同様に良くない。
軽すぎず、重すぎず、でもちょっと軽めで的確に対象に届ける。
大艦のようにバカでかいのを方向だけ合わせてぶん投げるのとは訳が違う。
フェムトチップにはんだ付けするような繊細さが求められる。
立ち止まり、踵を揃える。
少し開いたつま先を照準として、大艦に狙いをつける。
大丈夫なはずだ。できるはずだ。
思い込め。我は日本随一の使い手ぞ。
ただこの背中を支えてくれさえすれば、うぬぼれでも虚勢でもなんでもいい。
止めるな。頭を下げろ。
連なる動作を途絶えさせるな。
頭の重みを感じながら着実に腰を折る。
下げ始めてから戻る秒数は2秒。
ペース配分を計算しろ。
3秒では長すぎる。
視界から大艦が消えない程度に。
決して奴から目を離してはいけない。
奴の目が僅かだが確かに細まった。
俺を見ている。
同じ速度で頭を持ち上げろ。
焦るな。確実にこなせ。
頭が上がったら足を止めるな。
優雅さは洗練された動作に宿る。迷いを見せるな。
歩き出せ。毅然とした態度で余裕の笑みを張り付けろ。
大丈夫なはずだ。問題なかったはずだ。
主観では評価しようがない。何せこんな事は初めてだ。
くよくよとなやみそうになる心をぐっと堪える。
もう終わった。もう過去の出来事だ。
考えたってしょうがないじゃないか。
今はただなんとかなったと信じよう。
嘘でもいいから胸を撫でおろせ。
「……ふぅ」
切り替えろ。まだ大艦は歩き出してすらいない。
こんなところで悩んでる場合ではないのだ。
無理やりに嚥下したことが伝わったのだろうか。
突如、巨木のような大艦が動いた。
掲げた右手を左右に大きく振って、駆け出した。
早歩きではない。マジで走っている。マジで。
ブンブンと音が聞こえてきそうなほど勢いよく振り回される掌。
頬が盛り上がるほどつり上がった口。
「「ぉおぉはっよおおお!!!にぃしきやまっ!!ぉおぉはっよおおお!!!」」
溜がない分、声量は落ちたがそれしてもバカでかい声。
キラキラと光る歯が眩しい笑顔の挨拶。
手を振り駆け寄ってくるカイジュウ。
これが公園で待ち合わせをしている青年だったらなんと微笑ましいだろう。
そんな現実逃避を起こさせるほどの非情な光景。
「「ぉおぉはっよおおお!!!にぃしきやまっ!!ぉおぉはっよおおお!!!」」
ホントに。ホントに勘弁してほしい。
なんなんだよこれ。
おっさんがそんな青春映画みたいなことするなよ。
諦めたとか負けそうだとかそういうのじゃないが、なんか少し泣きたい気持ちになってきた。
マジで、ホントにさぁ。馬鹿野郎が過ぎるぞ。おい。なぁ。
目標だった十万字超えました。結構嬉しい。
たった用紙3枚の読書感想文すらかけなかった自分が駄文だとしても続けられたというのはなんとも感慨深いですね。
それと先日、夏ホラー2026の短編も出しましたのでよかったらぜひどうぞ。




