第19話 大馬鹿者の砲火
過去を思うと胸が締め付けられる。
怒りを押し込むと頭蓋が軋む。
高揚を黙らせると気道が強く反発する。
心臓は張り裂けそうなくらい、強く煩く、拍動する。
強く強く目を瞑れば、今までの苦悩が呼び起こされる。
やっと。やっとこの時が来た。
全身の震えは、喜びか、恐怖か。
これが武者震いというのだろう。
前者であることを否応なしに是と信じ込む。
目の前の湯飲みを天高く翻し、茶が滝のごとく胃に落ちる。
「ッヨォオッシッッ!!!!」
雄たけびを待っていたかのように、脳内にけたたましくアラームが鳴り響く。
勢いよく立ち上がるが、優雅さを忘れてはいけない。
あくまで余裕を装わねば。
服の皺を丁寧にはたいて、ワイヤーグラスを水平に正す。
髪を撫でつけ、ネクタイの結び目を上げる。
今の自分は完全に完璧だ。そうでないわけがない。
扉に手をかけ、遠く向こうにいるであろう大艦を見つめる。
奴も今、確かに扉を開かんとしているのだ。
開いてしまえば、数分と経たずに俺の前に跪く。
再び短いアラームが鳴る。
押し下げたノブが重い金属音を放つ。
左に開かれた扉から最初に見えるのは、会議室の壁。どこまでも白かった液晶は視認ができないほど透明に変わっている。
100人以上はいるだろう。これほどの群衆を見たのは一体いつぶりだろうか。
その数多の目が一斉にこちらを向く。
思わずゴクリと生唾を飲み込む。
緊張。しているのだろうきっと。
震えそうな手を必死で抑えてドア枠をまたぐ。
上げた膝が妙に浮つく。
恐れている。
過去の自分たちが寄せた期待。
まだ見えぬ敵の大きさ。そして、頭をよぎる敗北。
過去と未来が、背中に纏わりつくように重圧を科してくる。
握っているドアノブがぬるりと滑り始める。熱いようで冷たいようで、気持ちが悪い。
情けないなんて思わない。緊張を拒絶してはならない。緊張するのは悪いことではない。
適度なこわばりが、姿勢に芯を通す。
そう、悪くない。
この緊張を認めて、溶かして、受け入れる。
ラーメン先輩は言ったじゃないか。まだ相まみえぬ未来なんてどうでもいいと。
師匠が言ったじゃないか。先代たちが紡いで過去の俺たちが練り上げてきた極挨を信じろと。
過去の俺が俺に期待をするのなら、俺だって過去の俺に期待する。準備は万全なのだと。
そして、俺は未来の俺に期待する。敗北など存在しないと。
わざとらしく掲げた足を踏み下ろして、靴を鳴らす。
振り返って丁寧に扉など締めない。
持ったままの内側のドアノブを乱暴に放り、バタンッと扉は閉まる。
目の前には長く広い廊下。
何も遮る物がない主戦場。
左には煌々とビルが乱立し、右には会議室には累々と人間が詰まっている。
俺一人、戦場に立った。
退路はもうない。
ゾワゾワと胸が弾ける。アドレナリンが体を駆け巡る。
顔を上げろ。大艦を見ろ。ここが正念場だ。
しかし。
決意で固めた眉間の皺は、瞬時に困惑の意味へと変わる。
大艦がいないのだ。
遠い向かいの扉に巨漢の姿は無い。
なんだ?何が起きている?
会議室の群衆の目も一斉に大艦の出てくるはずの扉に向いている。
すでに定刻。それなのに一向に白い扉の金色のドアノブは動きを見せない。
寝坊しようが気を失っていようが、自動的に到着予定時刻が計算され遅刻の連絡が来るはずだが、連絡なんて無かった。
なにをしていやがる?
歩を進めるべきか、待つべきか。
迷いは時間を進ませ、結果的に立ち止まることを強要する。
常に調律される時計にズレなんて起こるはずがない。
それに公開立ち合いだぞ。アラームをセットせていなくても勝手に煩わしいほどの通知がくる。
寝ていようがお構いなしに叩き起こされるだろう。
であれば、出てこないのは大艦自身の選択。
彼は時間厳守という最も底に定着した社会人のマナーを現在進行形で殴り捨てている。
怖気づいたか?
若造に連勝記録を潰されるのが嫌で、逃げたのだろうか?
俺が怖いか?大艦。
自己主張を始めた自尊心が膨張し始める。
やめろ。ダメだ止めろ。それはうぬぼれだ。
俺は知っている。そして信頼している。大艦の貪欲なまでの勝ちへの執着。
だから大艦に限って逃げるなんてありえないじゃないか。
渦巻く自己陶酔と疑問と信頼に心が揺れる。
動揺。
簡潔に言えば俺はこんな些細な遅れに揺さぶられている。
狙ってやっているのか?
だとしたらあまりにもリスキーな作戦だ。
崇高なる立ち合いの場で時間を守らないなど、著しく評価を下げることになる。
ましてアーカイブが残るこの公開立ち合いで行うなど社会人生命を脅かす行為だ。
確かに“重役出勤”と呼ばれる技はある。
だがそれは圧倒的格下に対して相手の時間というリソースを浪費させ、さも相手にその価値が自分にはあるのだと思い込ませるものだ。
格上企業の高位役職者ならともかく、これは社内の同じ課。それに大艦は課長補佐なんて立場であるが役職者ではないだろう。
ナメてんのか?俺を。
格下と蔑んでいるのか?馬鹿野郎。
会議室内でも動揺は広がっている。ヒソヒソと隣の人間と話す素振りが散見される。
そして視線が俺に戻りつつある。
どうするべきか。こんなの想定していなかった。
このまま扉の前に突っ立っているのは滑稽ではないだろうか。
だからと言って進み始めて会議室の扉前で立ちすくむのもよろしくない。
それではまるでゲストを招くように下手に出る動きだ。
洗練されたホスピタリティで相手を感心させることも時には重要ではある。
格上に対して「こいつ、できるな」と思わせるための接待は有効な手段だが、この場においては優位を譲るという意味になる。
この戦では完膚なきまでにひれ伏させなければならない。
大艦の心の内から敗北感を湧き出させなけれなならない。
引き分けなど許されない。拮抗する中でのわずかな優位では意味がない。
待ち受けるのは悪手。だからと言ってここに佇むのもまた相手を待つという点で同じこと。
だったら、進む。
会議室に付いてしまうことなど考えるな。
今俺を見ているのは大艦だけではない。
会議室の大衆。それに配信を見ている何千という人間が大艦が現れない今、俺の一挙手一投足に注目している。
この戦いで倒すのは大艦だけではない。
大艦の実力を信じている者すべてを、大艦を大敗させることで屈服させる。
張先輩が言っていた控え室の陣中見舞いの数。そして賭けのオッズの違いが大艦の後ろに控えた敵の数の大きさを示している。
四面楚歌。
俺を見る者はすべて敵だとそう思え。
会議室の人間のいったい何人が俺の勝ちを信じているのだろうか。
突き刺すような視線が針の筵と化している。
委縮するな。胸を張れ。
俺への応援なんて期待するな。
俺を応援していようが侮っていようが、等しくこの場にいる全員をこの極挨でもって鏖殺する。
顎を上げて流し目で睨みつけろ。
お前らなど眼中に無いと、俺の実力を見誤ったと後悔させるように、蔑みの目を向けろ。
瞬時に何人かが俺から目を逸らす。
だが傍観者の気楽さだろう。会議室の浮ついた空気を壊すことはかなわない。
何の感情も浮かべず、こちらを見ながらボリボリと菓子を食っている奴が目に留まる。
俺への期待も無ければ、蔑みもない。どうでもいいと目がありありと物語っている。
そしてその後ろ、デカいピンク色のリボンが左右を行ったり来たり。こちらを見てすらいない。
あれはミミコ先輩だ。隣にいるのは張先輩。もう片方はよく見えないが、くるくるとせわしなく首を動かして談笑している。
見ない方がいいだろうなコレは。
事実、大半の人間はこの立ち合いの結果がどうなろうとどうでもいいのだ。
結局仕事は完遂されるし、そのおこぼれポイントに違いはない。
俺だって液晶ガラスの向こうに居れば、真剣に見守っているフリをしながらニューロキャストで映画でも見ていただろう。
だか、今この場の俺からしたら高めた気概を緩ませる外乱にしかならない。
前を向く。
集中しろ。
僅か数歩進んだだけで、頭の中がいろんな考えで埋まってしまっている。
良くない兆候。
真に強い者は、何もせずとも強い。
策を練ることも無ければ、相手を考えることも必要ない。
頭の中は空っぽで、自信だけが満ち溢れる。それは内側に留まらず、相手にまで波及し膝を折らせる。
それこそ極挨を極めし者のありよう。
それに比べて今の状況はなんたる事か。
いけない。また考えてしまっている。
頭の整理がつく前に、場に変化が現れた。
正面のドアノブがキラリと光る。
視座が変わったからではない。
確かに動いた。
お?来るのか?
しかしドアノブはいまだ水平のまま。
ん?
なんだ来ないのか?
そう思った瞬間のことだった。
『ッッゴォッッッッダッッッァ”アアアッンッッ!!!!!!』
注視していた扉が吹き飛んだ。
俺から見て斜めに建て付いていた扉は張り手のように押し出され、会議室の角の壁にぶち当たる。
何をされたのか理解できないというように扉はわずかに壁を支えに立ちすくむが、絶命を思い出したかバタンと倒れ込む。
会議室からは何重にも重なった悲鳴が上がる。
唖然とドアの成り行きを見届けてしまったが、視線を戻すと犯人がいた。
ドアを殺したであろう片足を上げたままの大男。
ニマニマと身の毛のよだつ口元だけがこちらを向いている。
鼻から上はドア枠で見ることは出来ないが、確実にこちらを捉えていると確信できる。
はあ?はあ?
なんだこれ?何してんだ?え?はあ?
ドアを蹴破るなんて聞いたことがない。
まして備品を壊そうという発想すら思いつかない。
優雅さのかけらもない野蛮な行い。
理解できない。参考にしたいとも思わない。
馬鹿じゃないのかコイツ。大馬鹿だろ。
嘲笑してやりたい。馬鹿だと罵ってやりたい。
しかし、そんなことは出来なかった。
苦しい。
呼吸は速まり、張り裂けそうなくらい心臓がドクドクと脈打つ。
無いと分かっている。分かってはいるが、もし。もし万が一あの怪力が俺に向けられたとしたら。俺はいったいどうなってしまうのだろうか。
そんなバカな妄想が、身の震えを引き起こす。
そんなことはあり得ない。暴力は脊椎インプラントによって強制停止させられる。
でも。でも、もし扉がセルロース合材だったら?もし扉が正面を向いていたら?
扉は砕け散り、その破片が自分に突き刺さっていたかもしれない。
馬鹿野郎の暴挙が、確かに恐怖を俺に刻み込んだ。
過去でも未来でもない、あったかもしれない今が俺をたまらなく怯えさせているのだ。
しかし、止まることはできない。
大艦だけでなく、俺を見るすべての人に怯えを悟られてはいけない。
取り繕え。
震えそうな膝を止めろ。それでもだめなら持ち上げて前へと押しやってしまえ。
表情を変えるな。冷や汗が出ないように汗腺を締め付けろ。
遠くなりそうな焦点を固定しろ。
ダメだ。
出来そうにない。
出来ないのなら隠すしかない。
眉間をつまみ、下を向く。腕を組んで体の内へと収縮させるように力を入れて震えを抑え込む。
なんだよこれ。
こんなの立ち合いなんて呼べないだろうよ。
なんなんだよ。あの野郎。
これでは、あいつがどういう動きをしてくるのか考えていた俺がバカみたいじゃないか。
敵の戦歴への恐れを受け入れたと思ったら、今度は純粋な暴力に恐怖しているなんてバカじゃないか。
大艦は馬鹿野郎だ。ビジネスは信頼が本質なのにも関わらず、こんな暴れ方をすれば誰も大艦を信用しなくなる。
だが、蹴りひとつで狼狽させられている俺も傍から見ればバカ丸出しなんだろうよ。
つまりはあれか?バカっていう方がバカなのだろうか。
大艦戦はじまりはじまり~。
俺、この戦いが終わったら異世界転生書くんだ……




