第17話 好意による侮辱
「じゃあ。頑張ってくれよ。」
張先輩がすっきりした顔で退出したが、一体何分しゃべり続けてたんだろうか。
いつ呼吸してるのかも分からない猛烈なマシンガントーク。
烈湯という異名はここから来たのではないだろうか。きっと何人も餌食になっているに違いない。
「はあー疲れた。」
ほんとは疲れてはいない。でも言いたくなってしまったのだ。
すっかり茶が冷めてしまった。
捨てるのももったいないと飲んでみると、常温も案外悪くない。
玉露が食道を伝う熱い感覚は無いが、すとんと胃に落ちる感覚が心地いい。
もう夏だしな。むしろこれくらいがちょうどいい気もしてきた。
「何事も試してみるのがいいって事か…」
考えてみれば極挨も、師匠の模範に固執しすぎていたかもしれない。
ただ、忘れてはいけない。
先輩は「本番以外は」って言ったのだ。
今更変える訳にはいかない。それは磨き上げた極挨への冒涜でもある。
教育係だった先輩の教えはありがたく受け取っておくべきだ。
また窓の外をシイラが泳いで来る。
イーストウェークベースではシイラをマヒマヒと呼んでいるらしい。
もともとハワイでの呼び名であったが、近いこともあって定着したと聞いている。
イーストウェークではよく取れるので、美味い淡泊な白身から名物みたいな扱いになっている。
「どんな味だろうか」
九州でもよく食べるらしいけれど、せっかくならイーストウェークで食べたい。
時間がたつと水っぽくなるので、獲れたてがいいのだとか。
シイラが通り過ぎると電話がかかってきた。
仮想フェイスがない音声だけの通話。
演算による仮想の表情を相手の視界に投影させるのは、真に感情を表せないとか言って頑なに使わないのは剛月丹の家風だ。
「やほー。緊張してるカンジ?」
「ああ、うん。そんな感じ。」
義妹の能天気な声。
空気の読まなさに少し思うところはあるが、安心感を覚える声。
「だよネー。知ってた。」
前言撤回。やっぱりムカつくなコイツ。
「だったら聞くなよ。何の用?」
「パパが前電話した時にめっちゃ萎えてたって笑ってたから、あーしが応援してあげよって思ったわけ。どう?優しいっしょ。」
「ああはい。ありがとう。助かった。これで勝てるわ。どうも。」
励ますというよりは、面白そうだからつついてみようって感じの声。
まともに取り合う気も起きない。
「なにそれー、せっかく通話してあげてんのに、つれなすぎてウケる。」
「そっちも不満だろうけど、こっちだって思う所はあるんだよ。聞いたぞ。イーストウェークベースに行くらしいな。」
「そそ。変態おやじに押し売り仕掛けたらサクッと決まっちゃって。そんで行き先がその、ウェークナントカってとこだったワケ。あのオヤジ、ずっと私のおっぱい見ててマジキモかった。男ってほんとおっぱい好きすぎて爆ウケ。元気ないなら末吉にも見せてあげよっか?おっぱい?」
正直言おう。
おっぱいは見たい。
だがそこには注釈として、極太赤文字で、”義妹以外”と付く。
当然、妹萌えという文化があるのは知っている。
どこか庇護欲をそそる言動に、甘い「お兄ちゃん」なんて声が付けば最高だ。
自分も何度、生き別れた実の妹の成長を思い浮かべた事か。
ただ、それらは幻想でしか無いことも痛いほどよく知っている。
穴だらけの妹像に欲望を詰め込んで補完しただけの空想に過ぎない。
実の姉妹に色欲を向けるのは困難極まりない。
経験上、姉か妹を持たない人間には理解されないが、逆の立場の人間には圧倒的に賛同を得ている。
まして、毎日のようにご近所さんまでひけらかしていていた乳をなぜ今更見ようと思えるのか。
理解できない人間がいるのなら、お気に入りの春画でも部屋に飾ってみるといい。
ひと月と経たずに何の感情も抱かなくなるだろう。
むしろ、四六時中目に入る桃色は気分を害すほどに思えてくる。そして、ピークを過ぎると壁紙と同系列の記憶フォルダに格納されるのだ。
見飽きてしまえば、たとえ画面いっぱいのおっぱいであってもほくろや形状から義妹と分かってしまえば、「んだよクソが」なるのは請け合いだ。
「ああ、うん。見たい。STLデータ送っといて。」
「誰が送るかバーカ。変態過ぎてちょっと引くわ。」
前述で散々「見たくない」と言っておきながら、「見たい」と矛盾した言動をとったのには理由がある。
ただ、おっぱいの話を終わらせたかった。たとえ変態の汚名をかぶろうとも。
けっして、見たかったわけではない。
もし仮に「別に見たくない」などと言っていれば、「えーほんとにー?」「そういって強がっちゃってー」とか散々煽り散らかして谷間の画像を送りつけて、事あるごとに突いてくるのだ。
ムリに話を逸らしたとしても、「照れてんのウケる」とか言い出して話は続く。
終わらせるには、多少の身を切ってでも相手に不快感を抱かせるほかない。
これは剛月丹家で会得した、非常に有効な”技”である。
「てかさ、なんかマジで緊張してる感じじゃん。そんなに強いん?8次子会社っしょ?
」
「入社当時に一度煮え湯飲まされてる。でもそれ以上にこれはイーストウェークベースに行く最大のチャンスなんだ。どれだけ待ちわびてきたか知っているだろ?」
適切な会話の返しではない事は承知している。
あえて強いと断言しなかった。いや、できなかった。
敵は強い。それは昨日の俺が知っている。
だが断言してしまえば、胸の内を回遊する得体の知れない巨大な何かに飲まれてしまいそうだと思った。
端的に言えば、ビビっているのかもしれない。でも認めてはいけない。認めた瞬間にすべてが無駄になる。
「分かってるけどさ、行っても見つからないかもよ?片道の渡航履歴しか知らないんでしょ?」
「絶対に見つかる。そのためにわざわざこの会社に入ったんだ。詳細図面とか特別立ち入り許可を得て、隅々まで探す。無いわけないだろ。絶対にある。あらねばならない。」
「あっそう。手がかりがあったとして、いずれもし会えたら、家族に戻っちゃうの?」
「どうするかは、決めてない。でも渚が望むなら家族に戻る。」
「そっかあ。そしたら、あーしのアニキじゃなくなっちゃうのかあ。」
珍しくしおらしい返答に少し動揺した。
残念に思ってくれているのだろうか。
「どした?お兄ちゃんが居なくなって寂しいのか?」
「なわけ。人をおちょくる余裕はあるんだ。そうやって調子こいて勝てなかったら過去一おもろいわ。」
「勝つって決めたんだ。決めたなら成す。残念だけど過去一の笑いは来ない。」
「まーたカッコつけちゃって。まあ安心して。負けてもあーしが手がかり探してきてあげる。辺境なんて行きたくないし、テキトーに片づけて帰ろうと思ってたけど探すの手伝ったげる。どう?優しいっしょ?」
バカにしているのか?こいつは。
探してきてあげるだ?
あの日から今日まで俺がどれだけ探してきたのか知っているんだろう?
どれだけ苦労してきたか知っているのだろう?
それを代わるなんて、何様のつもりだ。
俺が喉から手が出るほど欲していたイーストウェークベースへの上陸を運よく先に決めた上に行きたくなかった?
バカにするのにも限度ってものがあるだろうよ。
これは俺への侮辱でしかない。
ふざけるのもいい加減にしろ。
首の血管が収縮した感覚。相対的に頭の表面が冷たく感じる。
深く吸った息で冷えた空気が巡り、やけに明瞭な頭は客観的に考える。
これは嫉妬だ。
恥ずべき感情だ。
分かっている。ナヨはきっと親切心で言ったのだろう。優しさから出でた言動で、冷やかしではない。
それでも、ふつふつと湧き上がる苛立ちは確かに存在している。
ああ、ダメだな俺は。
大人になるのが最も遅い時代であっても二十歳というのは立派な成人であったというのに、なんだこの幼い感情は。
顔の内側がやけに熱い。なんだこれは。
天井を仰ぐと、定まらない焦点が照明をぼやけさせる。
「ああ。」
漏れ出た返事には、肯定も否定も無い。
思ったのは、ただ自分が許せないのだということ。
高等選抜学校で考えたイーストウェークへの最短ルートは完ぺきではなかったのだ。
僅かな差ではあるが、義妹は俺より早く目的地へ到達し、自分の選んだルートは最短ではなかった。
もしかしたら、もっと近道があったかもしれない。
納東亜重工に入って最速で旅費を稼ぐとか。いずみ組に入社して人工島建設事業に首を突っ込むとか。
日がたつほどに家族の痕跡は薄くなると知った上で、今を選んだのは蛮行と言わざるを得ない。
今の今までの自分の行いがこの感情を引き起こしている。
悪いのはナヨではない。紛れもなく自分自身。
苛立ちの責任を一瞬でも義妹に押し付けようとした自分に幻滅する。
そしてまた、幻滅の要因を探して自分を責めるのだ。
デフレ。
死に至る思考ループ。
顔を覆った手の中はとても暗い。息苦しい。
なんだか泣きたくなってきた。
「どしたん?なに?ホントに負けそうな感じ?ウケるんだけど。」
自分の小ささを理解して悲観した男は見ていて面白いだろうな。
お前は俺よりも望みに近いのだ。さぞ惨めに思えるだろうよ。
「え、マジで負けると思ってんの?うっそ、バカじゃん。負けるわけないっしょ。」
能天気な声が心に風穴を開けた気がした。
「なんで?理解できないんだけど?フツーに考えて8次ごときに負けんの?ありえんでしょうに。」
「末吉が高等選抜で首席とったときに、あーしは末吉に勝てないと思った。あーしは今、本社相手でも戦ってる。8次なんかに負けてもらっちゃ困る。ひじょーに。困る。そこんとこ分かってる?」
俺が弱くて困るなんて自分本位すぎじゃないかろうか。
「困るって言われても」
「なんかそういうの女々しくてちょーダサいわ。あのさあ、今まで何をしてきたん?今でも噂が立つ高等選抜戦の逸話は誰が成したん?あんたは誰よ。首席とった時の自己紹介、覚えてる?言ってみなよ、その時の名乗りを。」
なにが悲しくて、学生時代の自己紹介をしなきゃならない。
コイツは羞恥というものを知らないのだろうか
「なんで今更。恥ずかしい。」
「恥ずかしい?今恥ずかしいって言ったか?くそ野郎が」
「じゃあなに?あーしの追った背中はどこ行ったん?いいから言えよ。早く。」
有無を言わさぬ自分勝手。
昔からそうだ。そんでこうなったら止まらない。
「俺は…」
「はーやーくー。可愛い妹のお願い。マジで。」
「俺は」
「もっと強く!腹から声出せ!」
ったく、めんどくさい。
「俺はっ!」
「日本第一!高等選抜学校!第一席次!八百八万を蹴散らして、大陸広しと言おうとも、いまだ解せぬ敗北は、いつになったら知れようか!気づけば、敵は日本に在らず、胸の掲げた大東亜区優秀学生!我こそは、東洋の撃鉄。錦山!末吉!!」
「ヨッ!日本一!ヒュー!」
慣例とは言え、どうしてここまで恥ずかしい名乗りを思いつくのか。
胸に巻いていた感情は吹き飛ばされ、ムワムワとした生暖かい羞恥に代わる。
しかしあまりに滑稽だが、これが言ってみると思いのほか自信が蘇る。
実に単純だが、今はこれでいい。
気分を乗せるのは重要だ。
女に転がされてると笑いたければ笑えばいい。
「日本一なら、8次の雑魚なんかブチのめせ!負けるなんざあーしが許さない。絶対に。やっぱり手伝ってもやらない。負けたら殺す。蘇生保険に入れて反省するまで殺してやる。マジだかんな。覚悟しろ。」
「ああ。」
「よし!悪くない。そんで勝てそ?」
「俺の名前は錦山末吉。」
乗せられてたっていい。
今は無理やりにでも気分を上げるのが先決。
内から出た高揚は持続する。マインドコントローラーを使う雑魚とは違うのだ。
根性論は極挨にとって非常に重い意味を持つ。
肥大化した精神は相手を圧迫し、包み、飲み込む。
守りなど考えてはいけない。ひたすらに押して。押して。押し潰す。
胸を張り、手を広げ、愛すべき敵を己が狂気で抱くのだ。
「さあ!お立会い願いますれば。御用があろうと伏して見よ。手前は大艦目をなぎ倒し、コンペ主任を拝命する身。そして行く先イーストウェーク。消えた家族を見つけ出し、必ずや大団円を約束いたし候。願いますれば、その雄姿、とくとかっぴらいた眼でご覧あれ。」
言ったぞ。俺は確かに言った。
ビックマウス上等。言霊に乗せろ。言葉にできない願いなど掴めぬ雲のようなものだ。
実際、錦山一家がイーストウェークベースに潜伏している可能性は限りなく低い。
もっと言えば、納東亜重工支配圏にいるとも考えられない。
いるのであれば、すでに見つけていたに違いない。
だとすれば、イーストウェークベースから他企業支配地域に行くことになるのは明白。
どこへ行くのか想像もできない。
しかし今はただ、続いていると信じて、足元の細い道を進むしかないのだ。
そして道はこれしかない。引き返せないし、代わりもない。
どれだけここに至るまでの道があろうとも、道は今日事の時に集約されている。
「……テン上げ率急すぎて、ちょっと引くわ」
「そんなこと言うなよ、せっかくノリ合わせたのに……」
焚きつけた側が何言ってやがる。
自由すぎやしないだろうか。
「まいいや、サクッと倒してこい」
「師匠にもよろしく言っておいてくれ。」
「じゃね、がんばれ。ちな、パパはヘタレて負けるだろうからって、相手にベットしてた」
「クソォォジィジィイイイイイイ!!!!!!!」
ついこの間、教えを説いておきながら助言した相手に負けると言い出すのか。
思いやりはどこに行ったのか。それとも自分のアドバイスに自信がないのだろうか。
なんにせよ、中継を見ているだろうエロジジイの腰を抜かせる。
鼓舞した心に降って湧いた怒りブースト。
こうなっては、はっきり言って負ける気はこれっぽっちもしない。
震えて待ってろ大艦榴鯛。
俺は、俺に負けるお前が大好きだ。
次回錦山過去回想。
ちょっと鬱展開です。苦手な人はごめんなさい。
引き延ばし感がありますが、せっかくなので先輩に「こんにちは」するだけで10万文字のクソ小説を目指そうと思います。もう少しお付き合い頂けると嬉しいです。




