春を告げる誘い
コリンは困ったように眉を寄せたまま、二人を見つめていた。
返す言葉が見つからない。
胸の奥では、何かがひどく落ち着かなかった。
ルカの言葉も。
ルドルフの言葉も。
どれも真っすぐで、嘘をついているようには聞こえなかった。
だからこそ、分からない。
人はそんなふうに、見返りもなく誰かのために動くものなのか。
昨日、一度会っただけの相手を探し回って。
傷つけたかもしれないと思えば、わざわざ会って謝る。
そんなことをする理由が、本当にあるのだろうか。
自分には、その考え方がどうしても理解できなかった。
もし立場が逆だったなら。
自分はきっと、そこまでしない。
一度別れた相手なら、それで終わりだと思っていた。
そうして距離を置くことが、お互いのためなのだと。
ずっと、それが当たり前だった。
だから。
目の前にいる二人が、自分の知っている「普通」とあまりにも違って見える。
信じたいと少しだけ思う。
二人の言葉を、そのまま受け止めてみたいと思う。
けれど、そのたび胸のどこかが静かに囁く。
――期待するな。
――また裏切られる。
――近づけば、きっと最後には離れていく。
そんな声が、何度も心を引き戻そうとする。
信じたい気持ちと、信じられない気持ち。
そのどちらも本物で、どちらも簡単には消えてくれない。
コリンは小さく息を吐いた。
何が正しいのか、自分でも分からなかった。
ただ一つだけ分かることがある。
二人と話していると、今まで当たり前だと思っていたものが、少しずつ揺らいでいく。
それが怖いのか、それとも嬉しいのか。
その答えさえ、まだ見つけられなかった。
ルカは少しだけ笑って、肩の力を抜く。
「……分からなくてもいいよ」
コリンがゆっくりと顔を上げる。
「え……?」
「俺も昔は、分からなかったから」
静かな声だった。
ルカは噴水の水面へ目を向ける。
水面に揺れる光を見つめながら、どこか遠い日を思い返すように小さく息を吐いた。
「俺はね、この市場から少し離れたところにある町で暮らしてたんだけど、一人で暮らし始めたばかりのころも、ずっとそうだったんだ」
ぽつり、ぽつりと言葉が落ちていく。
「誰かがどうして隣にいてくれるのか、どうして気にかけてくれるのか……昔の俺には分からなかった」
少しだけ苦く笑う。
「優しくされても、『世間体が悪いから』『きっと可哀想だからだ』って思ってた」
コリンの瞳がわずかに揺れる。
ルカは気づかないまま続けた。
「その優しさは、俺自身に向けられたものじゃないって」
自分に向けられたものではない。
誰にでも向けられる優しさが、たまたま今は自分に向いているだけ。
そう思っていた。
「そう思い込んでいた頃は、自分から人との距離を置いていた。そしたら本当に人は少しずつ離れていった。」
その声には悲しさよりも、昔を懐かしむような穏やかさがあった。
「期待しなければ傷つかないし、一人でいるほうが楽だって……何度も何度も、自分に言い聞かせてた」
噴水から弾けた水滴が風に乗って舞う。
ルカはそれを目で追いながら、小さく笑った。
「でもね」
その一言だけで、空気が少し柔らかく変わる。
「ルドルフさんと出会って、それが違うんだって初めて知った」
隣に座るルドルフが照れくさそうに頭をかく。
「俺は大したことしてねぇぞ」
「そんなことないですよ」
ルカは笑って首を振る。
「ただ一緒にご飯を食べて、一緒に笑ってくれて……本当にそれだけだった。でも、その"それだけ"が、俺にはすごく嬉しかったんです」
少しだけ目を細める。
「あの町のみんなもそうだった」
朝、通りですれ違うたびに「おはよう」と笑ってくれる人。
パン屋の前を通れば、「焼きすぎちゃったから」と言って、まだ温かい焼きたてのパンを紙袋に入れて持たせてくれる人。
買い物帰りに出会えば、「気をつけて帰るんだよ」と、当たり前のように見送ってくれる人。
「最初は全部、『たまたま』なんだと思ってた」
けれど、その"たまたま"は、一日で終わらなかった。
次の日も。
そのまた次の日も。
何度も何度も繰り返されるうちに、ようやく気づいた。
「優しくするのに、特別な理由なんてない人もいるんだって」
その言葉は、とても静かだった。
「一緒にいたいから一緒にいる。ただそれだけでいいんだって、みんなが教えてくれた」
ルカはゆっくりとコリンを見る。
その桃色の瞳には、何かを押しつける色はなかった。
「だから、今すぐ分からなくても大丈夫」
穏やかに微笑む。
「俺も、分からないまま少しずつ知っていったから」
噴水の水音だけが、静かに三人の間へ流れていた。
ルドルフも小さく頷いた。
「理由なんて、後から分かることもある」
「……」
「俺はルカが『もう一度会いたい』って言ったから来た。それだけだ」
少し笑って肩をすくめる。
「昨日だって、お前とは少し話したくらいだったしな。ルカが迷子になって、探してたらたまたま会った。それくらいの仲だった」
コリンは静かに耳を傾けている。
「だから最初は、ルカの付き添いのつもりだったんだ。見つかればそれでいい。そんな軽い気持ちだった」
一度言葉を切り、噴水の水面へ目を向ける。
「でも、市場を歩き回って、お前を探してるうちに考えた」
風が吹き、木々の葉が静かに揺れる。
「そんなにルカが気になる相手なら、俺もちゃんと会ってみたいってな」
ルドルフは苦笑する。
「案外、お節介なんだよ。昔から」
「ルドルフさんのそういう優しいところ俺好きです」
「恥ずかしいからやめてくれ」
ルカが思わず笑う。
肩を竦めて笑ってから、ルドルフはもう一度コリンを見る。
「さっきも言ったが、お前がどんな花の加護を持ってるかなんて関係ない。話してみなきゃ、どんなやつかなんて分からねぇからな」
穏やかな声だった。
「だから、こうして話してみた」
少しだけ目を細める。
コリンの瞳がわずかに揺れる。
「まあ、合って二日目であんまりわかんないけどな」
少し照れくさそうに笑う。
一拍置く。
「もっと、お前のことを知りたいと思った。それも本当だ」
「……」
ルドルフは穏やかに笑う。
「俺は、お前がどんなやつなのか、これから少しずつ知っていけたらいいと思ってる」
コリンは黙ったまま聞いていた。
理解はできない。
それでも、不思議と嫌ではなかった。
ルカは何度か口を開いては閉じた。
何かを言おうとするたび、喉の奥で言葉が止まってしまう。
噴水の水音だけが、静かな公園へ絶え間なく響いていた。
コリンはただ、深いすみれ色の瞳で静かにこちらを見つめている。
その視線に気づくたび、胸の鼓動が少しずつ速くなっていく。
(今、言わなきゃ)
そう思うのに、言葉が出ない。
昨日から、ずっと考えていた。
市場を歩いている間も。
コリンを探している間も。
この公園へ向かう道でも。
伝えたいことは決まっていた。
けれど、それはあまりにも突然で、あまりにも自分勝手な願いのようにも思えた。
まだ出会って二日目だ。
コリンは自分たちのことをほとんど知らない。
そんな相手に、こんなことを言われても困るだけかもしれない。
断られるかもしれない。
迷惑だと思われるかもしれない。
それでも――。
ルカはぎゅっと膝の上で拳を握り締める。
胸の奥にある気持ちは不思議なくらい真っすぐだった。
隣を見る。
ルドルフと目が合った。
何も言わない。
けれど、「言ってこい」と背中を押してくれるような、穏やかな笑みだった。
その表情を見た瞬間、不思議と肩の力が少し抜ける。
ルカは小さく息を吸った。
「……あのね」
静かな声が、公園へ溶けていく。
深いすみれ色の瞳が、真っすぐこちらを見る。
その視線を受け止めながら、ルカは少しだけ照れくさそうに笑った。
「俺、本当は昨日からずっと言いたいことがあったんだ」
「……?」
コリンは小さく首を傾げる。
ルカは一度だけ視線を落とした。
「急にこんなこと言われても、困るかもしれないんだけど……」
言葉を選ぶように、小さく間を置く。
「嫌だったら、ちゃんと断ってくれていいから」
その声には、無理に引き留めようとする響きはなかった。
本当に、自分の気持ちだけを伝えようとしている。
ルカはもう一度だけルドルフを見る。
ルドルフは静かに頷いた。
けれど、それだけで十分だった。
胸の中にあった迷いが、少しだけ晴れていく。
ルカはゆっくりとコリンへ向き直る。
桃色の瞳が、まっすぐコリンを映した。
「コリン」
その名前を、今までで一番優しい声で呼ぶ。
少しだけ息を吸って。
迷わないように。
言葉を噛み締めるように口を開いた。
「俺たちのファミリアに、来ませんか?」
静かな公園に、その声だけが響く。
「俺とルドルフさんで作ったばかりの、小さなファミリアなんだ」
少し照れくさそうに笑いながら続ける。
「二人しかいないから立派なことができるわけでもない。できたばかりで、これから少しずつ形にしていくような場所だけど……」
一度だけ息をついて、コリンをまっすぐ見つめた。
「名前は『プリマヴェーラ』っていうんだ」
ルカは少し照れくさそうに笑う。
「昔の言葉で、『春』って意味なんだって」
「春?」
「うん。何となくね、その意味がいいなって思って」
少しだけ視線を空へ向ける。
「冬が終わって、少しずつあったかくなって、新しいことが始まる季節でしょ?だから、できたばかりの俺たちにはぴったりかなって」
隣でルドルフが苦笑する。
「実際は、名前しか決まってねぇけどな」
「あはは……それはそうなんだけど」
ルカは少し恥ずかしそうに笑う。
「でも、これから少しずつ、みんなで家族みたいに帰る場所にできたらいいなって思ってる」
一拍だけ間が空く。
ルカは小さく笑った。
その笑顔は少し照れくさそうで、それでもどこまでも真剣だった。
「……俺たちの、家族の一員にになりませんか」
その言葉を聞いた瞬間だった。
コリンの瞳が、大きく揺れる。
まるで時間だけが止まってしまったように、その場の空気が静まり返る。
噴水の水音だけが、変わらず静かに流れ続けていた。
「……家族」
こぼれ落ちた声は、驚きとも戸惑いともつかないほど小さかった。
その言葉を、自分の口から口にしたことさえ信じられないように。
深いすみれ色の瞳が、ゆっくりとルカを見つめる。
返事をしようとして、唇がわずかに動く。
けれど――。
言葉は、最後まで形にならなかった。
すみません、投稿予約し忘れてました。
本当に申し訳ございません……_(;´Д`_)⌒)_
次回は8月17日に「返事を奪う怒号」を投稿します。
お楽しみに(^▽^)
今度は予約投稿して、忘れないようにします( ̄^ ̄ゞ
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