静かな噴水のほとりで
細い路地を抜けた先で、不意に視界が開けた。
そこには、小さな円形の公園が静かに広がっていた。
中央では古びた石造りの噴水が澄んだ水を絶え間なく湛え、陽の光を受けた水しぶきがきらきらと輝いている。噴水を囲むように色とりどりの花々が咲き、風が吹くたび甘くやさしい香りがふわりと漂った。
白い東屋が左右に建ち、蔦の絡まる柱の隙間から木漏れ日が地面へまだらな模様を落としている。
市場からそれほど離れていないはずなのに、ここまで来ると賑わいは遠く霞み、聞こえてくるのは噴水の水音と木々が揺れる音、それから時折聞こえる鳥のさえずりだけだった。
公園へ続く路地は石造りの建物に囲まれ、陽の光が届きにくい細い道になっている。
古い煉瓦の壁には蔦が這い、小さな植木鉢や花が軒先へ静かに並べられていた。
市場の華やかさとは違う、どこか人目から隠れるような空気が流れている。
コリンは噴水を囲む石造りの縁まで歩くと、小さく息を吐いた。
「……ここなら話せる」
短くそう言って、腰を下ろす。
ルカとルドルフも噴水を挟むように石の縁へ腰掛けた。
しばらくは誰も口を開かなかった。
静かな時間だけが流れていく。
勢いよく噴き上がる水が陽射しを受けて白く光り、水滴が風に乗って細かな霧となり頬をかすめる。
市場にいたとき張り詰めていた空気が、少しずつほどけていくようだった。
「きれいな場所だね」
ルカは噴水を囲む花壇や白い東屋を見回し、感心したように目を細めた。
水面へ反射した光がゆらゆらと揺れ、風に運ばれた水しぶきが頬を優しく撫でる。
「市場からそんなに離れてないのに、全然雰囲気が違う」
「ああ」
コリンは噴水から立ちのぼる水を眺めたまま、短く返す。
「人がほとんど来ないからな」
それだけ言って口を閉じる。
ルカは噴水の向こうに広がる公園をもう一度見渡した。
「静かで落ち着くね。さっきまであんなに賑やかな場所にいたのが嘘みたい」
「市場の音も、ここまで来るとほとんど聞こえないな」
ルドルフが耳を澄ませるように辺りを見回した。
遠くから人々の賑わいがかすかに届くものの、それはもう風景の一部のようだった。
聞こえてくるのは噴水の水音と、木々の葉擦れ。
それに、ときおり枝へ降り立つ小鳥のさえずりだけ。
「こういう場所が町の中にあるのはいいもんだ」
ルドルフが穏やかに笑う。
「こういう静かな場所を見つけるだけで少し気持ちが休まる」
「……そうだな」
コリンは小さく頷いた。
その返事は短い。
けれど、否定するでもなく、どこか素直だった。
ルカはそんなコリンを見て、少しだけ嬉しそうに笑う。
「コリン、この場所よく来るの?」
「いや」
コリンは首を横に振った。
「今日、初めてだ」
「え、そうなの?」
「うん、少し前に鳥に教えてもらった」
まるで「店の人に教えてもらった」とでも言うような、ごく自然な口調だった。
ルカは驚くより先に、小さく笑みを浮かべる。
「そっか。鳥さんが教えてくれたんだ」
「……」
コリンは短く頷くだけだった。
その言葉を不思議がる様子も、からかう様子もない。
そんなルカの反応に、コリンは何も言わなかったが、警戒していたような張りつめた空気が、ほんの少しだけ和らいだ気がした。
風が木々を揺らす。
葉擦れの音が、三人の間を静かに通り過ぎていく。
しばらく誰も口を開かなかった。
けれど、その沈黙は気まずいものではない。
噴水の水音に耳を傾けながら、それぞれが静かな時間を過ごしていた。
やがてルカがコリンへ顔を向け、小さく口を開く。
「そういえばさ……」
コリンが視線だけを向けた。
「俺たち、市場をいろいろ回ってコリンを探してたんだけど……」
少し首を傾げながら尋ねる。
「コリンは、どこにいたの?」
コリンは少しだけ考えるように目を細めた。
「……市場」
短く答える。
「歩いてた」
それ以上は何も付け加えない。
花屋へ立ち寄ったことも。
鳥や花たちと話していたことも。
口にするつもりはなかった。
小さな沈黙が落ちる。
やがてコリンは噴水から視線を外し、今度は二人を見た。
「……それを聞くなら」
深いすみれ色の瞳が、ルカとルドルフを順番に見つめる。
「あんたたちは、どこにいた」
ルカは「あ、えっとね」と小さく笑って話し始めた。
「最初は昨日の焼き菓子屋さんに行ったんだ。
あそこに行けば、もしかしたらまだいるかもしれないって思って。でも、お店もまだ開いてないし、コリンも居なくて……」
少し残念そうに肩を落とす。
その横で、ルドルフが静かに言葉を継いだ。
「市場なら、どこかで会えるかもしれないと思ってな。
広場の方へ行ったり、通りを歩いたり、とにかく人が集まりそうな場所を一通り見て回った。」
ルカも頷く。
「花屋さんが並んでる通りも歩いたし、動物がいるところも見て回ったんだ。でも、なかなか見つからなくて……」
「動物がいる場所にも行ったな」
ルドルフが穏やかに言葉を継ぐ。
「だけど、市場は思った以上に広かった。一人を探すのは骨が折れたよ」
ルカも苦笑しながら頷く。
「それでも、ちゃんと会えてよかった」
その言葉が途切れると、ルドルフは少し表情を改め、コリンへ向き直った。
ルドルフはコリンの表情を見つめたまま、小さく息をついた。
「……そういえば、一つ謝っておきたいことがある」
コリンが視線だけを向ける。
「ルカから、お前のことを少し聞いた」
その一言に、コリンの肩がぴくりとわずかに動いた。
「勝手に聞くつもりはなかったんだが……お前が花使いで、花や動物と話せる力を持っていることをな」
ルドルフは申し訳なさそうに眉を下げる。
「悪かった」
短く頭を下げる。
コリンは黙ったまま、その様子を見つめていた。
怒っているようにも、許したようにも見えない。
ただ静かに相手の言葉を受け止めている。
少しの沈黙のあと、ルドルフはゆっくりと言葉を続けた。
「だが、知ったからといって考えが変わることはない」
コリンの紫色の瞳がわずかに揺れる。
「人にはそれぞれ、生まれ持ったものや事情がある。お前が花や動物と話せるというなら、それもお前の一部なんだろう」
穏やかな声だった。
相手を諭すでも、励ますでもなく。
ただ、自分の考えをそのまま口にしているような響きだった。
「それだけで、お前を見る目を変えるつもりはない」
ルドルフは穏やかに笑った。
「俺も同じ花使いだから、お前の気持ちが全部分かる…!、なんて言えないが……人にはそれぞれ、生まれ持った力や才能があるってことくらいは知ってる」
そう言って、地面へ静かに手を添える。
「俺の加護はタンポポだ」
そう言って右手を軽く開く。
「綿毛に言葉を込めて、遠くまで届けられる。もともとは伝言のための力なんだ」
地面へ静かに手を添える。
次の瞬間、何もなかった場所から一本の細い茎がすっと伸び、やがて鮮やかな黄色の花が、太陽の陽射しを受けるように静かに咲く。
コリンの視線が、その花へ吸い寄せられる。
「まあ、小さいころから便利だからって理由で、いろいろ使ってたらそのうち、綿毛を周囲へ飛ばして様子を探ったり、集めて相手の視界を遮ったりもできるようになった。どっちかと言えば、その辺は応用だ」
「……タンポポ」
コリンは小さく呟く。
花使い
同じ花の加護を持つ者でも、こんなふうに穏やかに自分の力を語る人がいるとは思っていなかった。
ルドルフは肩の力を抜いて笑う。
「花の加護と一口に言っても、できることは人それぞれだ。だから、お前の力を聞いても驚きはしたが、不気味だなんて思わなかった」
隣でルカも大きく頷く。
「俺も同じだよ」
コリンは何も返さない。
ただ、二人の顔を静かに見比べる。
次回は8月7日に「分からないまま、向き合って」を投稿します。
お楽しみに(^▽^)
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