再び交わる道
大道芸人の芸よりも、歓声を上げる子どもたちの方へ自然と目が向く。
その頭上で、小さな羽音がした。
「……?」
見上げると、一羽の雀がひらりと肩の高さまで舞い降りる。
《いたいた!》
弾んだ声が届く。
《桃色の子、来たよ!》
コリンは眉をひそめた。
「……桃色?」
《昨日のお話してた子!》
雀は嬉しそうに羽をぱたぱたさせる。
《あと、大きい人も一緒!》
「……は?」
思わず聞き返した、その瞬間。
「コリン!」
今度ははっきりと、自分の名前を呼ぶ声が耳へ飛び込んできた。
反射的に顔を上げる。
人混みを縫うように、一人の少年が駆けてくる。
陽射しを受けて揺れる濃い桃色の髪。
少し長めの髪の隙間から覗く、濃い桃色の瞳。
その瞳は、昨日と変わらず真っすぐにコリンだけを見つめていた。
「見つけた!」
息を弾ませながら、ルカは目の前で立ち止まった。
その顔いっぱいに安堵を浮かべている。
「よかった……本当に見つかって」
「……」
昨日で終わったと思っていた。
焼き菓子屋を出たあのとき。
礼も言った。
謝ることもできた。
もう会う理由なんてない。
だから、あれで終わりだと。
もう二度と会うことはないと思っていた。
それなのに。
目の前には、本当にルカがいる。
風に揺れる髪の奥で、あの瞳だけが少しも変わらずコリンを見つめている。その揺るがなさが、かえってコリンを落ち着かなくさせる。
その後ろにはルドルフが立ち、静かに二人の様子を見守っている。
(……なんで)
胸の奥で、小さく何かが引っ掛かる。
昨日から何度も繰り返してきた疑問とは違う。
もっと単純で、もっと答えが見つからない疑問だった。
どうして、またここにいる。
どうして、わざわざ俺を探した。
頭が一瞬だけ真っ白になる。
考えようとしても、言葉がうまくまとまらない。
「……なんで」
ぽつりと漏れた声に、ルカが小さく首を傾げた。
「なんで探してた」
ぶっきらぼうな問いだった。
責めているわけでもない。
怒っているわけでもない。
ただ、本当に分からなかった。
自分を探す理由なんて、思いつかなかったから。
ルカは少しだけ困ったように笑うと、一度だけ息を吸い込み、コリンの目をまっすぐ見つめ返した。
「昨日、ちゃんと話せなかったから」
飾り気のない、短い言葉。
けれど、その声には迷いがなかった。
その一言に、コリンの深いすみれ色の瞳がほんのわずかに揺れる。
昨日、焼き菓子屋で途切れた言葉が脳裏をかすめた。
あの続きを話すために。
その、それだけのために。
そんな理由で、人混みの市場を歩き回ってまで自分を探したというのか。
理解が追いつかない。
何か返そうと唇がわずかに動く。
けれど、言葉になる前にルドルフが苦笑混じりに肩をすくめた。
「ルカが探したいって聞かなくてね」
ルドルフは肩をすくめ、大げさにため息をついてみせる。
「おかげで朝から市場をぐるぐる歩き回る羽目になった」
「……っ、ご、ごめんなさい!」
ルカは慌ててルドルフの方を向き、ぺこりと頭を下げた。
「お、俺……人にお願いすることなんて、ほとんどなくて……。ルドルフさんにも、いっぱい付き合わせちゃって……」
声はどんどん小さくなっていく。
「本当に、ごめんなさい……」
そんなルカを見て、ルドルフは思わず吹き出した。
「ははっ、冗談だ」
笑いながらルカの頭を軽くぽんと叩く。
「謝ることじゃない。俺が勝手についてきただけだ」
「で、でも……」
「それに」
ルドルフはコリンへ視線を向け、口元を緩めた。
「ちゃんと見つかったんだ。歩き回った甲斐はあっただろ?」
ルカはまだ少し申し訳なさそうにしながらも、小さく照れくさそうに笑いながら「……はい」と頷いた。
「だって、コリンに昨日の続き、ちゃんと話したかったですし」
その笑顔にも、その言葉にも、嘘をついている様子は少しもなかった。
コリンは黙ったまま二人を見比べた
コリンはしばらく言葉を失った。
本当に、それだけなのか。
昨日、一度会っただけの相手を。
朝から探し回る理由が、それだけなのか。
コリンには、どうしても理解できなかった。
自分なら、そんなことはしない。
一度別れた相手なら、それで終わりだ。
もう会うこともない。
そう思って距離を置く。
その方がお互いのためだと、ずっと信じてきた。
だからこそ、目の前に立つルカの存在が信じられない。
本当に自分を探して、この市場を歩き回っていたというのか。
何の得もないのに。
何の理由もないのに。
そんなことをする人間がいるなんて、思ったこともなかった。
ルドルフの説明を聞き終えたあとも、コリンはすぐには何も返さなかった。
ただ静かに、二人の姿を見つめる。
やがて、その紫色の瞳はゆっくりとルカへ向けられた。
真っすぐ見返してくる桃色の瞳。
昨日と同じだった。
少しも迷いがなくて、嘘を隠そうとする色もない。
「……昨日の続き、聞いてほしくて」
ルカは少し照れくさそうに笑う。
その笑顔はどこかぎこちなくて、それでも言葉だけは真っすぐだった。
「あのとき、ルドルフさんが来ちゃって、最後まで言えなかったから――」
言いかけた、その瞬間。
コリンはふいに視線を横へ流した。
広場では大道芸が続き、人々の歓声が絶え間なく響いている。
子どもたちが走り回り、商人の呼び込みも飛び交っていた。
笑い声。拍手。話し声。
賑わいの中では、自分たちの会話なんて誰も気にしていないはずだ。
それでも、人が近くを通るたびに落ち着かなかった。
横を通り過ぎた男が、ほんの一瞬だけこちらへ目を向ける。
荷物を抱えた女性が、三人の前を避けるように歩いていく。
ただ、それだけ。
それだけのことなのに。
誰かに見られている。
誰かに聞かれている。
そんな感覚が、胸の奥からじわりと広がっていく。
無意識のうちに、肩へ力が入る。
近くを通る人が、ちらりとこちらを見る。
その視線だけで、肩に力が入った。
「……ここじゃ駄目だ」
ぽつりと零れた声は、小さかった。
けれど、その一言には迷いがなかった。
「え?」
ルカがきょとんとした顔で首を傾げる。
コリンは答える前に、もう一度ゆっくりと辺りへ視線を巡らせた。
広場では大道芸人が次の芸を披露し始め、人々の歓声が再び湧き上がる。
商人の威勢のいい呼び込み。
走り回る子どもたちの笑い声。
足早に通り過ぎる旅人たち。
大勢の人が行き交うその場所では、誰もが自分たちのことで精一杯なはずだった。
それでも。
「人が多すぎる」
短く、それだけ答える。
ルカはまだ事情が飲み込めない様子で、辺りを見回した。
「立ち話する場所じゃない」
コリンは低く続ける。
「誰が聞いてるか分からない」
その言葉に、ルカは思わず口を閉じた。
知り合いなんて、この町にはいない。
誰かに聞かれて困るような話をするつもりでもない。
頭ではそう分かっていても、人の多い場所に立っているだけで胸の奥が落ち着かなくなる。
昔からそうだった。
大勢の視線が集まる場所。
人が絶えず行き交う場所。
そんなところに長くいると、誰も見ていないはずなのに、誰かに見られている気がしてしまう。
無意識に肩へ力が入り、呼吸まで浅くなる。
できることなら、早くこの場を離れたかった。
そんなコリンの様子を見ていたルドルフは、小さく頷く。
「確かに、ここじゃ落ち着かないな」
事情までは分からない。
それでも、コリンが無理をしていることだけは何となくわかった。
だから、それ以上は何も聞かなかった。
「……少し外れた場所ならある」
コリンは広場の外へ目を向ける。
市場から少し離れた細い路地。
朝、この町を歩いているときに鳥から教えられた道だ。
その奥には、小さな緑地と古びた噴水があったはずだった。
人通りも少なく、話をするには十分だろう。
「ついて来れるなら来い」
ぶっきらぼうに言い残し、コリンは踵を返した。
その背中は相変わらず素っ気ない。
けれど、拒絶しているわけではないことは伝わってくる。
「あっ、待って!」
ルカは慌てて声を上げ、小走りで後を追った。
置いていかれないよう、少しだけ足を速める。
その後ろから、ルドルフも苦笑を浮かべながら歩き出した。
「まったく……せっかちなやつだな」
小さく呟きながらも、その足取りはゆっくりではなかった。
三人が広場を離れるにつれ、大道芸への歓声は少しずつ遠ざかっていく。
拍手の音も、子どもたちの笑い声も、市場の賑わいに溶けて小さくなっていく。
細い路地へ一歩足を踏み入れると、空気は驚くほど静かだった。
建物が日差しを遮り、朝の涼しさがそのまま残っている。
石畳を踏む足音だけが、三人の間に静かに響いていた
次回は8月4日に「しずかな噴水のほとりで」を投稿します。
お楽しみに(^▽^)
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