君を探して、朝の市場へ
焼き菓子屋の前まで来ると、昨日と同じ木の看板が朝日に照らされ、柔らかな光を浴びていた。
昨日は甘い香りに包まれ、人が足を止めていた店先も、今はまだひっそりと静まり返っている。
「着きましたね」
ルカは自然と歩く速さを少しだけ上げた。
昨日ここで別れたコリンの姿が頭をよぎる。
もしかしたら、またここに来ているかもしれない。
そんな小さな期待を胸に店先へ近づく。
けれど、そこに並んでいるはずの焼き菓子はまだ一つも見当たらなかった。
木製の陳列台は空のまま。
昨日風に揺れていた暖簾もまだ掛けられておらず、店の扉はしっかりと閉じられている。
耳を澄ませてみても、店の奥から物音は聞こえてこない。
「……まだみたいですね」
ルカは少しだけ肩を落とし、小さく呟いた。
ほんの少しだけ早く着きすぎたらしい。
ルドルフは店先を見回し、納得したように頷く。
「昨日よりずいぶん早い時間だからな。まだ準備中なんだろ」
そう言いながら、店の窓へちらりと目を向ける。
中は薄暗く、人の気配は感じられなかった。
朝の涼しい風が通りを吹き抜け、木の看板が小さく軋む。
市場の賑わいは少し離れた場所から聞こえてくるのに、この一角だけは時間が止まったように静かだった。
ルカは閉ざされた扉を見つめたまま、小さく息をつく。
『……コリン、ここに来てると思ったんだけどな』
昨日別れた場所だからこそ、ここへ来ればまた会えるような気がしていた。
最後に振り返ることはなかった。
それでも、去り際に「ひどいことして悪かった」と謝ってくれたこと。
「匿ってくれて……感謝してる」と、不器用に言葉を残してくれたこと。
あの言葉が、ルカの胸には強く残っていた。
だからこそ、またここへ来てくれているかもしれない。
そんな根拠のない期待を、自然と抱いてしまっていた。
けれど、その淡い期待は閉ざされた扉を前にして、静かに胸の奥へしまわれていく。
ルカが名残惜しそうに店先を見つめていると、その様子を横で見ていたルドルフが腕を組んだ。
「さて、どうするか」
ルドルフが腕を組みながら、閉ざされた扉を眺める。
「ここでコリンを待ちますか?」
ルカは焼き菓子屋の入口へ目を向けたまま尋ねた。
昨日なら、この店の前でコリンと出会えた。
だから待っていれば、また会えるかもしれない。
そんな期待が胸のどこかにあった。
「それもありだけど……」
ルドルフはすぐには答えず、市場の通りへ視線を向ける。
朝の市場は、さっきよりも少しずつ人が増えてきていた。
荷物を抱えて足早に歩く商人。
店先へ品物を運ぶ職人。
買い物袋を手にした人たちも、ちらほらと通りを行き交い始めている。
先ほどまで準備に追われていた店々も、少しずつ客を迎え始めていた。
威勢のいい呼び込みの声があちらこちらから聞こえ、焼きたてのパンを抱えた子どもが嬉しそうに駆けていく。
八百屋では店主が「今日は朝採れだよ!」と元気よく声を張り上げ、向かいの店では商人同士が笑いながら品物を運び込んでいた。
さっきまで準備に追われていた人たちの表情にも、少しずつ笑顔が増えていく。
市場は、人と人との声が重なり合うたびに、朝の静けさを優しい賑わいへと変えていた。
「もう市場を歩いてる可能性もあるよな」
その一言に、ルカもゆっくり頷く。
昨日のコリンも、焼き菓子屋にずっといたわけではなかった。
市場の中を歩いて、いろいろな景色を眺めていた。
なら今日も、どこかで歩いているのかもしれない。
「そうですね……」
小さく呟きながら、市場へ目を向ける。
広い通りの向こうには、たくさんの人影が行き交っていた。
「あの人混みの中から探すとなると、大変そうですね」
少し不安そうに漏らすと、ルドルフは苦笑する。
「さすがに俺も、『今あそこ歩いてるぞ』なんてことまでは分からねぇな」
「ですよね……」
ルカもつられて苦笑した。
手掛かりは、ほとんどない。
それでも、不思議と諦めようとは思わなかった。
昨日ここで出会えたのだ。
なら今日も、この市場のどこかにいるような気がしてならない。
朝の市場は、少しずつ人の数を増やしていた。
荷車を押す人々が行き交い、店先では商人たちが笑顔で客を迎えている。
呼び込みの声や、品物を並べる音が重なり合い、町はすっかり朝の活気に包まれていた。
その時だった。
市場の通りの一角に、色とりどりの花が並ぶ花屋が目に入る。
赤、黄色、白、青――。
朝露を残した花々が朝日に照らされ、風が吹くたびに花びらがやさしく揺れていた。
甘くやわらかな香りまで、風に乗ってこちらへ届いてくる。
ルカは思わず足を止め、その景色をじっと見つめた。
昨日、コリンが見せてくれた花の加護。
「……もしかしたら」
小さく呟く。
「花屋さんを見てるかもしれませんね」
「花屋? なんで?」
ルドルフが隣で首を傾げる。
「昨日、自分の使い花のことを話してくれましたし……」
ルカは並ぶ花々へ目を向けたまま続けた。
「こういうきれいな花があったら、少し気になって立ち止まってるかもしれないなって」
コリンなら、一輪一輪をゆっくり眺めながら、少しだけ表情を変えて嬉しそうに笑っているかもしれない。
そんな姿が自然と頭に浮かんだ。
「それに……」
ルカは少し考える。
「昨日、使い花の話をしてくれた時のことを思い出して……だから、きれいな花を見つけたら、少し見入ってしまう人なのかもしれないなって思ったんです」
「なるほどな」
ルドルフは感心したように頷く。
「だったら、珍しい店とか、人が集まってる見世物なんかを遠くから眺めてる可能性もあるな」
「近づくというより、少し離れたところから見てそうですね」
「それっぽいな」
二人は思わず顔を見合わせ、小さく笑った。
ルドルフは腕を組みながら市場を見渡す。
「それなら、動物を連れた人の近くにいる可能性もありそうだ」
「動物ですか?」
「そう、動物」
市場を歩く人々へ視線を向けながら続ける。
「昨日聞いた話じゃ、あいつは動物とも話せるんだろ?」
「はい」
「だったら、珍しい動物を見つけたら気になって足を止めるかもしれねぇ」
その言葉に、ルカも小さく笑った。
「鳥や犬がいたら、話しかけてるかもしれませんね」
「『おはよう』なんて言ってたりしてな」
「ふふ……言いますかね? コリンは……でも、あるかもしれないですね」
二人の頭には、動物へ穏やかに微笑みかけるコリンの姿が浮かんでいた。
ルドルフは腕を組み、今度は市場全体へ目を向ける。
「あと、人が少ない場所も見てみるか」
「人が少ない場所……」
「昨日も、人混みの真ん中にいるって感じじゃなかっただろ」
その言葉に、ルカはゆっくりと頷く。
確かにそうだった。
コリンは市場にいた。
けれど、賑わいの中心ではなく、人混みから少し距離を置くように歩いていた。
ルカは昨日聞いた話を思い返す。
家を追い出され、お金目当ての人たちから逃げつづけていること。
そして、動物や植物と話せる力を持っていたせいで、親戚からも気味悪そうな目を向けられていたこと。
もしかしたら、誰かに見られることに慣れるより先に、誰かの視線を避けることを覚えてしまったのかもしれない。
そう思うと、人混みから少し離れて歩いていた昨日の姿も、どこか納得できる気がした。
ルカは市場の奥へ視線を向ける。
手掛かりは、ほんの少ししかない。
花屋かもしれない。
動物の近くかもしれない。
珍しい景色を眺めているかもしれない。
人通りの少ない場所かもしれない。
どれも確かなことではない。
それでも――。
探してみよう。
今は、その気持ちだけで十分だった。
「よし。昨日歩いた辺りから回ってみるか」
「はい」
二人は焼き菓子屋をあとにして、朝の市場の人波へ足を踏み入れた。
どうか、まだこの町にいますように。
そんな願いを胸に抱きながら。
2回ぐらい投稿お休みします。
現在自分は就職活動中でなかなか進みません…
物語はストック頑張ってるのでもう少しお待ちください
(*・ω・)*_ _)ペコリ
次回は7月23日に「人波の向こうに」を投稿します。
お楽しみに(^▽^)
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