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伝えたい言葉を抱えて

家を出た二人は、町の外れへ続く土の道を歩いていた。


朝露を含んだ草が、風に揺れるたびきらきらと光る。

足元を踏みしめるたびに、湿った土が柔らかく沈んだ。


畑にはまだ誰も出ていない場所も多いが、ところどころでは農家の人たちが朝の仕事を始めていた。


鍬を担いで畑へ向かう人。

井戸から水を汲み上げる人。

朝日に照らされた野菜畑の向こうで、誰かが小さく手を振っているのも見えた。


夜の静けさが少しずつ薄れ、町が目を覚まし始めている。


遠くの牧場からは牛の鳴き声が聞こえる。


柵の近くでは子羊が元気よく跳ね回り、鶏たちが地面をつついていた。

朝日を浴びながら草を食む牛たちの姿は、どこかのんびりとしている。


けれど近づいて見れば、その牧場にはまだシェイド騒動の名残が残っていた。


柵の一部は黒ずみ、焼け焦げたような跡が残っている。

ところどころ板が欠けている場所もあり、応急処置なのか新しい木材が打ち付けられていた。


完全に元通りになったわけではない。


それでも、壊れた場所を直しながら。

失ったものを少しずつ取り戻しながら。

前へ進もうとしていた。


ルカはその光景を見つめながら、ふと足を緩めた。


『みんな頑張ってるんだな……』


あの夜のシェイドとの戦いは終わった。


けれど、終わったからといって全部が元に戻るわけではない。

壊れたものを直したり、不安を乗り越えたり、そういう時間が必要なのだろう。


そんな景色の中を、二人は並んで歩いていた。


「なんか」


ふとルドルフが空を見上げる。

朝日に照らされた横顔は、どこか晴れやかだった。


「既視感ある光景だけど、ようやく動き出したって感じしてきたな」


ルカもつられて顔を上げる。


夜明けの雲が、ゆっくりと空を流れていた。

昨日までと変わらない空なのに、どこか違って見える。


背中の旅鞄が小さく揺れた。


家を出る前には少し重く感じていた荷物も、今は不思議と気にならない。

旅鞄の中には着替えや水筒の旅に必要なものしか入っていないはずなのに、そこには期待や不安まで詰め込まれているような気がした。


「確かにそうですね」


ルカは小さく頷く。


「でも、もう一回隣町の市場へ向かってるだけなんですけど……」


そう言うと、ルドルフは声を上げて笑った。


「まあ、そうなんだけどな!」


あっけらかんとした返事だった。


「せっかく旅立つぞーって空気になったのに、やってることは昨日と同じだからな」

「そうなんですよね」


ルカも苦笑する。

旅に出るはずだった朝。

なのに向かう先は、昨日も歩いた隣町の市場。


少し不思議な気分だった。

ルドルフはそんなルカを見て、にやりと笑う。


「でも、踏んだり蹴ったりしながら俺たちらしくいこう」


その言葉に、ルカは少し考える。

昨日も似たようなことを言っていた気がする。


寄り道も。

回り道も。

全部ひっくるめて旅なのだと。


予定通りにいかないことばかりだった。


少し前まで、自分はずっと一人で生きていくのだと思っていた。

誰かと一緒に旅をすることも。

家族ができることも。

想像したことなんてなかった。


それなのに。


花祭りの日、ルドルフと出会った。

ただ日々の買い物ついでに、祭りを見に行っただけのはずだったのに、気づけば一緒に祭りを回っていた。


家へ招いて。

花使いとして目覚めて。

シェイド騒動に巻き込まれて。


気づけば二人でファミリア=プリマヴェーラを作っていた。


旅支度で慌ただしくなって。

そして、コリンと出会った。


どれも少し前の出来事なのに、ずいぶん昔のことのようにも感じる。

本来なら今頃は、とっくに別の道を歩いていたかもしれない。


ルドルフと出会わなければ。

花祭りの日に家を出なければ。

あの日、違う選択をしていたら。

きっと今の自分はいなかった。


けれど。


『それも悪くないのかも』


そんなことを思う。


少なくとも、コリンと出会えたのは寄り道があったからだ。

ルドルフと出会えたのも、予定通りにいかなかったからだ。

そう考えると、今こうして歩いている時間も、もう旅の一部なのかもしれなかった。


その時だった。


前方から荷車を引いた老人がやってくる。

荷台には野菜や果物がたくさん積まれていた。


「おはようございます」


ルカが立ち止まり、ぺこりと頭を下げる。

荷車を引いていた老人は、日に焼けた顔をほころばせた。


「おはようさん、ルカ」


穏やかな声だった。

老人は二人の姿を見比べ、それから背負っている大きな旅鞄へ目を向ける。


「おやまあ、今日はずいぶん大荷物だなぁ」

「俺、今日から旅に出るんです」


ルカが答えると、老人は「ほう」と感心したように目を丸くした。


「そうかそうか。若いってのはいいなぁ」


荷車の手綱を握り直しながら、老人は続ける。


「それで、その格好だと隣町の市場へ向かうところかい?」

「はい、そうなんすよ」


今度はルドルフが頷いた。


「まずは市場の方へ行こうと思ってるんです」

「ああ、ならちょうどいい時間だな」


老人は朝日に照らされた道の先へ視線を向けた。


「今頃なら向こうも少しずつ動き始めてる頃だろう。店を開く準備で忙しい時間帯だ」

「やっぱりもう開いてる店もあるんですね」


ルカが興味深そうに尋ねる。

昨日は昼頃に訪れた市場しか知らない。

朝の市場がどんな様子なのか、少し気になっていた。


老人は楽しそうに笑った。


「あるとも。特に朝飯を売る店は早いぞ」

「朝飯ですか?」

「おう。市場の商人も職人も、みんな朝早いからな」


老人は指を折りながら数え始めた。


「焼きたてのパン屋に、温かいスープ屋。それから揚げ菓子なんかも出てるな」

「へぇ……」


ルカは思わず感心した声を漏らした。

老人はさらに続ける。


「朝一番に食う焼きたてパンは格別だぞ。いい匂いが市場中に広がっててなぁ」


その言葉だけで、なんだかお腹が空いてくる。

老人はからからと笑った。


「まあ、着く頃にはちょうどいい時間だろうさ」


そう言い残し、荷車はゆっくりと進み始める。


「ありがとうございます」

「気をつけてな」


老人は片手を上げた。

荷車の車輪が土を踏みしめる音を残しながら、朝靄の向こうへ遠ざかっていく。


二人はしばらくその背中を見送った。

そして姿が小さくなった頃。


ルドルフがふっと口元を上げる。


「ほらな」

「何がですか?」


ルカが首を傾げる。

するとルドルフは得意げに胸を張った。


「朝飯屋台」

「それですか」


思わず笑いが混じった声が漏れる。


「俺、昨日から言ってただろ?」

「言ってましたけど……」

「ちゃんと地元のおじいさんのお墨付きももらったぞ」


なぜか誇らしげだった。

ルカは思わず吹き出す。


「そんなに自信満々に言うことですか?」

「言うぞ」


ルドルフは真顔で頷いた。


「朝の市場はな、昼とは別物なんだ」

「別物…?」

「ああ」


力強く頷く。


「特に焼きたてパンはうまい」

「パン好きなんですね」

「好きだぞ」


即答だった。

あまりにも迷いがなくて、ルカは思わず笑ってしまう。


「あとスープも好きだ」

「それもですか?」

「朝は温かいのがいいんだよ」


ルドルフはもっともらしく頷いた。

それから、ふと思い出したように笑う。


「俺が学生だった頃も、たまに朝早く起きて市場まで行ってたんだ」

「え?」


ルカは少し意外そうに目を瞬かせた。


「そんなことしてたんですか?」

「ああ。毎日じゃないぞ?」


ルドルフは慌てたように付け加える。


「たまにだ。試験の日とか、朝から実習がある日とか」

「へぇ……」

「家の飯より先に市場でパン買って食うこともあったな」


懐かしそうに目を細める。


「焼きたてのパンを片手に歩きながら学校行くの、結構好きだったんだよ」

「なんだか想像できます」


ルカは小さく笑った。


「だろ?」

「はい。ルドルフさん、そういうの好きそうです」

「ルカ、大正解だ」


あっさり認める。


「あとスープ屋のじいさんが気前よくてさ。たまに具を多めに入れてくれるんだ」

「それで通ってたんじゃないですか?」

「正直言ったら、それもある。だって学生の財布に優しい店でさ、通うしかないだろ?」


まったく否定しない。

ルカはくすくすと笑った。


「それに肉の串焼きも好きだな」

「もう朝ご飯の話じゃなくなってません?」

「関係あるに決まってんだろ」

「ありますか?」

「市場にあるから関係ある」


堂々と言い切る。

ルカは思わず吹き出した。


「結局なんでも好きじゃないですか」

「まあな」


ルドルフはまったく否定しなかった。

むしろ開き直ったように笑う。


「美味いもんは大体好きだ」


その言葉を聞いて、ルカは昨日の市場でのことを思い出した。


屋台を見つけるたびに足を止めていたこと。

キッシュを食べた時の嬉しそうな顔。

どの店を見ても楽しそうにしていた姿。


――確かに、好きなんだろうな。


そう思うと、なんだかおかしくて自然と笑みがこぼれた。

朝の風が二人の間を吹き抜ける。


笑ったあと、不意に胸の奥が少しだけ重くなる。


コリンに会えたら。

最初に何を言おう。


頭の中で何度も考えているのに、答えが出ない。


コリンの花の加護の話。

ファミリアの話。

家族になってほしいという話。

伝えたいことはたくさんある。

ありすぎて、どこから話せばいいのか分からない。


自然と表情が曇ったのかもしれない。

隣を歩くルドルフがちらりとこちらを見た。


「緊張してるのか?」

「え」

「コリンに会うの」


図星だった。

ルカは苦笑する。


「……少し、だけ」

「本当に少しか?」

「……結構かもしれません」


正直に答えると、ルドルフが笑った。


「別に上手く話そうとしなくていいだろ」

「でも」

「言葉なんて多少ぐちゃぐちゃでも伝わるぞ」


ルドルフは前を向いたまま続ける。


「昨日のルカみたいにな」

「俺ですか?」

「そう」


ルドルフは頷く。


「ちゃんと話そうとしてたけど、途中で何回も詰まってただろ」

「うっ」


思い当たりすぎて反論できない。

ルドルフは楽しそうに笑った。


「それでも何が言いたいかは分かった」


だから、と続ける。


「コリンにも伝わるさ」


その言葉は、不思議なくらい心に残った。

上手く話せるかじゃない。

伝えたいと思うことが大事なのかもしれない。


ルカは小さく息を吐いた。


「……そうだといいです」

「そうだよ」


ルドルフは迷いなく言う。

その時だった。

緩やかな坂を登りきった先に、景色が開ける。


「お」


ルドルフが声を上げた。

ルカも顔を上げる。


遠くに隣町の屋根が見えた。

朝日に照らされた風車が、ゆっくりと羽根を回している。

煙突からは細い煙が立ち上り、町が目を覚まし始めていることを知らせていた。

その向こうには、まだ小さいながらも市場の賑わいが見える。


今日の目的地。


そして――コリンを探す場所。


ルカは無意識に旅鞄の肩紐を握りしめた。

いよいよだ。


胸の鼓動が、少しだけ速くなった。

次回の投稿はこちらの諸事情によりお休みで、7月11日に「朝の香りに誘われて」を投稿します。

お楽しみに(^▽^)

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