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胸に咲いた思い

「あの……えっと…」


ルカは小さく息を吸い込んだ。


手の中の茶杯は、もうすっかりぬるくなっている。

けれど、指先だけは落ち着かないままだった。


ルドルフは急かすことなく、椅子にもたれたまま静かに続きを待っている。

その優しさが、かえって胸を締めつけた。


言いたいことは決まっている。

けれど、言葉にするのが怖かった。


明日は旅立ちの日だ。

やっとトラブルもありながら旅支度も終わった。

準備だって、ようやく整った。

それなのに、また予定を変えることになるかもしれない。

迷惑だと思われたらどうしよう。

今度こそ呆れられたらどうしよう。


そんな考えばかりがルカの頭の中をぐるぐると回る。


『けど、このまま何も言わなかったら……きっと俺は後悔する』


ルカはぎゅっと茶杯を握りしめた。


「あ、明日なんですけど……」


意を決したように顔を上げる。


「俺、出発する前にまた市場のほうに行って、コリンを探しに行きたいんです」


ルドルフは静かに頷いた。


「……うん」


否定する様子はない。

ただ、続きを促すように穏やかな目を向けてくる。


「それで?」


その一言に背中を押されるように、ルカはもう一度息を吸った。


「それで……できれば、俺、ちゃんとコリンをファミリアに誘いたいんです」


言葉にした途端、胸の奥に溜まっていたものが少しだけ軽くなった気がした。

けれど、不安はまだ残っている。

ルカは視線を落とし、小さな声で続けた。


「だから、その……」


茶杯の縁を指先でなぞる。


「また二人で決めた予定を変えることになりますし……」


言葉が途切れる。

それでも、どうにか最後まで伝えたかった。


「迷惑だったら、ごめんなさい」


そう言って、おそるおそる顔を上げる。

するとルドルフは、きょとんとした顔をした。


「……迷惑?」


思いがけない言葉を聞いたように、ルドルフは目を瞬かせる。


「お前、そんなこと気にしてたのか?」


ルカは小さく肩をすくめた。


「え、だって、明日は『虹のはしの王国』への出発の日ですし」

「うん、確かにその予定で考えてたな」

「トラブルも起こしちゃってやっと準備も終わったのに、俺のわがままでまた予定が変わったら悪いなって…思って、ですね…」


そこまで言って、ルカは言葉を飲み込む。


自分でも、少し考えすぎなのかもしれない。

けれど、どうしても不安だった。


ルドルフはしばらく黙ってルカを見つめていた。

それから、ふっと力の抜けたように笑う。


「なんだ、そんなことか」


優しい声だった。


「俺はてっきり、もっと大変な話かと思ったぞ」

「え……」


ルカが目を丸くする。

ルドルフは肩をすくめた。


「コリンのこと、気になってるんだろ?」

「……はい」

「だったら、会いに行けばいい」


その一言に、ルカの肩から力が抜けた。

張りつめていたものが、少しだけほどけていく。

けれど、胸の奥にはまだ伝えきれていない想いが残っていた。


「でも、俺……」


ルカは膝の上で手を握りしめる。

言葉を探すように視線を落とし、それからゆっくりと口を開いた。


「ルドルフさんと合流する前、コリン、花の加護のことを呪いだって言ってたんです」


ぽつりと零れた言葉に、居間の空気が少しだけ静かになる。

あの時のコリンの表情が脳裏に浮かんだ。


どこか怯えたような目。

寂しそうに伏せられた視線。

そして、もう諦めてしまったかのような、かすかな笑み。

自分の力を話す時のコリンは、とても苦しそうだった。


ルカは唇をきゅっと結ぶ。


「でも俺、あの力は……花の加護は、呪いなんかじゃないと思うんです」


その言葉には、はっきりとした意志が込められていた。

ルドルフは何も言わない。

ただ、静かに耳を傾けている。

だからこそ、ルカも自分の気持ちを少しずつ言葉にできた。


「コリンの能力は、植物や動物の声が聞こえるみたいなんですけど……でも、植物や動物の声が聞こえるなんて、すごいことじゃないですか」


ルカは窓の外へ視線を向けた。


夜風に揺れる庭の木々。

月明かりに照らされた草花。

どこからか聞こえてくる虫の声。


昼間なら道端で何気なく見過ごしてしまうような景色が、今は少し違って見えた。


「だってコリンはきっと、誰も知らない話をたくさん知っていて、俺たちには見えない景色を見てるんですよ」


風に揺れる木々は、どんな話をするのだろう。

季節ごとに咲く花は、何を思っているのだろう。

空を飛ぶ鳥たちは、どんな景色を見ているのだろう。

そんな存在と話ができるなんて、どんな気持ちなのだろう。


想像するだけで胸が躍った。

そして少しだけ、羨ましいとさえ思った。


誰にも聞こえない声に耳を傾けられること。

誰にも見えない世界を知っていること。

それはきっと、特別で、とても素敵なことだ。


ルカは照れくさそうに笑った。


「だって、話したくない相手には、花も動物だって心を開かない気がして」


茶杯から立ち上る湯気が、ゆっくりと揺れる


「それに、そんな声が聞こえるのって、きっとコリンが優しくて、温かい人だからだと思うんです」


ルカはそう言って、小さく笑った。


植物や動物は、きっと誰にでも心を開くわけではない。

相手が怖い人だったら、きっと近寄りたくないはずだ。

だからこそ、コリンには声が届くのだと思った。


道端の花にも足を止めて。

小さな生き物にも優しく手を差し伸べられる。

そんな力があるからこそ、植物や動物もコリンに心を開くのではないだろうか。


「それに俺…正直、少しだけ羨ましいなって思ったんです」


ルカはそう言って、はにかむように笑う。


「それに、コリンの花は……きっと咲いたらすごく綺麗で」


あの時は、いきなりのことだったからちゃんと見ることができなかった。

けれど、『スミレ』という名前を聞いただけで、優しい紫色の花が頭に浮かぶ。


小さくて、可憐で。

けれど、強く根を張って咲く花。

きっとコリンによく似合う気がした。


「あらゆる命を持つ存在と話す力って、素敵じゃないですか」


その声には、憧れにも似た感情が滲んでいた。


「それに、その力があれば……きっと誰かを笑顔にできると思うんです」


迷子になった動物を助けられるかもしれない。

元気のない花の理由を知れるかもしれない。

困っている誰かの力になれるかもしれない。


胸の奥から湧き上がる想いを、一つひとつ確かめるように、ルカは言葉を紡いだ。


「俺は……単純な言葉にしか表せれないけど、すごく素敵な力だと思ったから」


だから。

ちゃんと伝えたい。


君の花の加護は、『スミレ』の花は、呪いなんかじゃない、と。

コリンの力は、きっと誰かを幸せにできる力なんだ、と。


ルカは膝の上で握りしめていた手を、そっとほどく。

そして、想いを込めるように顔を上げた。


「だから、あの時は言えなかったけど、今度はちゃんと誘いたいんです」


ルカはまっすぐルドルフを見つめた。

胸の奥に抱えていた想いを、一つも取りこぼさないように。

言葉を選びながら、ゆっくりと続ける。


「俺たちのファミリアに来てほしいって」


小さく息を吸う。

少し照れくさいけれど、それでも伝えたかった。


「俺たちの家族になりませんかって……」


言葉にした途端、胸がどくりと鳴った。


自分でも驚くくらい、その願いは大きくなっていた。

出会ってから、まだほんの一日しか経っていない。

コリンのことを、何も知らない。

好きな食べ物も、苦手なものも、どんなことが好きなのかも何も知らない。


それでも――。


怯えたように自分の後ろへ隠れた姿が。

花の加護を「呪い」だと言った寂しそうな声が。

どうしても忘れられなかった。


ルカは膝の上で手を握りしめる。


「もちろん、コリンに断られる可能性もありますし……」


声が少しだけ小さくなる。


「迷惑だって言われるかもしれないんですけど……」


そこまで言うと、ルカは視線を落とした。

胸の奥にある不安を、全部吐き出してしまった気がした。

言い終えると、部屋の中に静かな時間が流れる。

壁に掛かった時計の針が、規則正しく時を刻んでいた。


ルドルフはしばらく何も言わなかった。

茶化すことも、すぐに答えを返すこともしない。

ただ、ルカの言葉をゆっくりと受け止めるように考えていた。


やがて、ふっと優しく笑う。


「コリンにとって迷惑かどうかは、会って聞いてみればいい」


穏やかな声だった。

その一言は、不思議なくらい真っ直ぐルカの胸に届いた。


「確かに断られるかもしれない」


ルドルフはそう言って、肩をすくめる。


「でも、何も言わなきゃルカの気持ちは、コリンに何も伝わらないだろ?」


ルカは目を瞬かせた。

言われてみれば、その通りだった。


断られることばかり考えていた。

迷惑だと思われるかもしれないと、不安ばかり膨らませていた。

けれど、自分の想いを伝えなければ、コリンには何も届かない。


ルドルフは椅子にもたれながら、優しく続ける。


「ルカが言うなら、俺も一緒に会いに行きたい」


その言葉に、ルカの胸がじんわりと温かくなった。


思わず顔を上げる。

ルドルフはいつものように笑っていた。

特別なことを言っているつもりはないのだろう。

当たり前のように、隣に立ってくれる。


そのことが、たまらなく嬉しかった。


「俺たち春の家族になったんだから、そういう時は頼れよ」


今日、玄関で交わした言葉が蘇る。


――【家族が帰る場所は同じだろ】


あの時は照れくさくて、この言葉にうまく返事もできなかった。

けれど今なら、少しだけ思い出した気がした。


家族って、こういうことなのかもしれない。


嬉しいことを一緒に喜んで。

不安なことは一人で抱え込まないで。

困った時には、隣に立ってくれる。


そんな温かい思いが、今も胸の中で優しく響いていた。

ルカは嬉しそうに笑う。


「……ありがとう、ございます」


声が少し震えてしまったのは、きっと気のせいではない。

ルドルフは照れくさそうに後ろ頭をかいた。


「礼を言うのは、コリンに会ってからにしろ」


そう言って、テーブルの上に広げていた地図を軽く叩く。

ぱしん、と小気味いい音が居間に響いた。


「よし。じゃあ明日は駅じゃなくて、まず焼き菓子屋に行って――」


地図を指先でなぞりながら、ルドルフは続ける。


「そっからコリン探し、頑張るか!」


その声に、ルカは力強く頷いた。


「はい!」


返事は驚くほど自然に出てきた。


不安が消えたわけではない。

断られるかもしれない。

コリンに会えないかもしれない。

自分の想いを受け取ってもらえないかもしれない。


それでも、一人で抱えていた時より、ずっと心は軽かった。

二人で行くのなら、大丈夫な気がした。


窓の外では、静かな夜空に星が瞬いている。


明日になれば、本当の旅が始まる。

けれどその前に、どうしても伝えたい言葉がある。

ルカは窓の向こうの星空を見上げながら、胸の奥でそっと決意を固めた。

次回は7月2日に「帰る場所を背に」を投稿します。

お楽しみに(^▽^)

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