初めての旅靴
旅人向けの店が並ぶ通りをしばらく歩いたあと、ルドルフは一軒の店の前で足を止めた。
軒先には革靴や外套が吊るされ、入口近くには大小さまざまな旅鞄が並んでいる。
年季の入った木の看板には、擦れた文字で“旅装具”と書かれていた。
「ここなら良さそうだな」
ルドルフが店内を覗き込む。
ルカもその後ろからそろそろと顔を出した。
中には革と油の匂いが漂っていた。
棚には旅靴がずらりと並び、奥では店員らしい男性が革紐を手入れしている。
「いらっしゃい」
低く落ち着いた声だった。
四十代くらいの店員は、二人を見ると慣れた様子で立ち上がる。
ルドルフは軽く片手を上げた。
「旅靴見たいんだけど、一緒に旅に出るこいつに合いそうなのあるか?」
その言葉に、店員の視線がルカへ向く。
ルカは急に見られて少し背筋を伸ばした。
店員はまずルカの靴を見る。
次に服装、荷物。
じっと観察してから、「長旅は初めてか?」と聞いた。
「え、あ……はい」
「なるほどな」
店員は納得したように頷く。
「旅には歩き慣れてない靴だな。街用の靴のまま来たんだろ」
「分かるんですか?」
「分かるさ。旅靴履いてるやつはそんなに靴が擦れているわけがない」
ルドルフが横で吹き出す。
「ほらな」
「うぅ……」
ルカはちょっとだけ肩を縮こませた。
「まあ最初はみんなそんなもんだ」
店員は苦笑しながら腕を組む。
「で、どの辺まで行く予定なんだ?」
聞かれて、ルカは少しだけ考え込んだ。
市場の喧騒。
旅道具の並ぶ店。
“旅に出る”という実感は少しずつ湧いてきているのに、改めて行き先を口にすると不思議と緊張する。
「えっと……北東の、“虹のはしの王国”まで」
その名前を口にした瞬間、店員の眉がわずかに上がった。
「ああ、虹のはしか」
「知ってるんですか?」
ルカが目を丸くする。
「そりゃ有名だからな」
店員は棚へ向かいながら答えた。
「切り立った大崖の上に虹がかかってる国だろ。東西で王族が別れて治めてるっていう」
「へぇ……」
ルカは思わず感心した声を漏らす。
まだ町のうわさできれいな国としか知らない場所だ。
けれど、誰かが当たり前みたいにその国の話をすると、本当に存在している場所なのだと実感できる。
店員は棚に並んだ革靴を見回しながら続けた。
「染め布と橋飾りが有名なんだよな。ほかの旅商人もよく行く」
「東西で張り合ってるって話も聞くな」
今度はルドルフが口を挟む。
「競争してる分、向こうは職人文化が発達してるらしいぞ」
「へぇ……!」
ルカの声に素直な驚きが混ざる。
まだ行ったことのない土地。
知らない景色。知らない文化。
話を聞くだけで、頭の中にぼんやり色鮮やかな国の景色が浮かぶ気がした。
店員はそんなルカを横目に見て、小さく笑う。
「ここからなら列車で一日くらいだな。北東行きの便が出てる」
「そんなに遠いんですね……」
「まあ、歩いて行く距離じゃないな」
ルドルフが苦笑する。
「だから旅靴は大事なんだよ」
店員はそう言いながら、棚の奥へ手を伸ばした。
革靴がずらりと並ぶ棚。
サイズごとに並べられた箱。
手入れ用の油や革紐。
年季の入った木棚には、いかにも“旅人向け”らしい道具が所狭しと並んでいる。
店員は棚の奥へ手を伸ばす。
革靴の箱が並ぶ木棚から、慣れた動きでいくつかを引き抜いた。
箱同士が擦れる乾いた音が、小さく店内へ響く。
「虹のはし以外にもどこか行くなら、見た目より歩きやすさ優先した方がいい」
どん、とカウンターへ箱を置く。
年季の入った木の台がわずかに揺れた。
「初心者ならこの辺だな」
店員は一つ目の箱を開け、中から濃い茶色の革靴を取り出した。
深みのある茶革。
厚めに縫い合わされた靴底。
つま先部分には擦れ防止らしい補強も入っている。
見た目からして頑丈そうだった。
店員は片手で持ち上げ、軽く底を叩く。
ごっ、と鈍い音が鳴った。
「これは安い。底が厚いから石道でも足痛めにくい」
そう言いながら、ルカの前へ置く。
近くで見ると、底はかなり分厚い。
縫い目もしっかりしていて、簡単には壊れなさそうだった。
「ただまあ、その分ちょっと重い」
ルカは恐る恐る持ち上げてみる。
「……おお」
思わず声が漏れた。
持てないほどではない。
けれど、今履いている街靴より明らかにずっしりしている。
「最初は重く感じるかもしれんな」
「結構しっかりしてますね……」
「その代わり雑に扱っても強いぞ。初心者向けではある」
ルドルフも横から覗き込みながら頷く。
「確かに壊れにくそうだな」
店員は次に、二つ目の箱を開けた。
今度出てきたのは、少し明るい色の革靴だった。
形は一つ目より細身。
革も柔らかそうで、全体的にすっきりした作りをしている。
外側には革が重ねて縫われていて、補強されているのが分かった。
「こっちは少し高いが軽い」
店員が軽く放るようにルドルフへ渡す。
ルドルフは受け取った瞬間、「お、軽っ」と目を丸くした。
それを見て、ルカも驚いた顔をする。
「そんな違うんですか?」
「持ってみるか?」
差し出されて受け取る。
「あ、本当だ……!」
さっきの靴よりかなり軽い。
持った瞬間の負担が全然違った。
「歩きやすさならかなり良いな」
店員が靴の外側を指で軽く叩く。
「外も丈夫にしてある。擦れやすい部分は補強済みだ」
「長く歩くなら、こういう軽さは結構大事なんだよな」
ルドルフが感心したように呟く。
ルカは靴をじっと見つめた。
軽い。
歩きやすそう。
しかも頑丈。
さっきの靴とはまた違う魅力がある。
そして最後に、店員は三つ目の箱へ手をかけた。
開ける動作が、ほんの少しだけ丁寧になる。
箱から取り出された靴は、一目で質が違うと分かった。
革は滑らかで艶があり、縫い目も綺麗に揃っている。
余計なごつさがないのに、作りはしっかりしていた。
店員はそれをカウンターへ静かに置く。
「これは長旅向けだな」
ルカは思わず息を呑む。
持ち上げてみると、驚くほど軽い。
それなのに、底にはしっかり厚みがある。
指で押してみても、頼りなさは全然感じない。
「軽いし底も強い。雨にも比較的強い」
店員がそう説明しながら、靴底を軽く見せる。
「水気のある道でも滑りにくいようにしてある」
「へぇ……」
ルカは感心したように靴を見つめる。
見れば見るほど、ちゃんと“旅用”という感じがした。
店員はそこで一度言葉を切り、ちらりと値札を見る。
「ただ――高い」
はっきり言った。
ルカも恐る恐る値札を見る。
「わっ」
思わず小さく声が漏れる。
最初の靴と比べると、かなり値段が違った。
「まあ、その分長持ちはするぞ」
店員は肩をすくめる。
「ちゃんと手入れすれば、かなり履ける」
そこで店員の視線が、改めてルカの方へ向く。
足元。背格好。
まだ少し細い体つき。
それを見て、小さく笑った。
「……とはいえ、お前まだ若いだろ」
「え?」
ルカが顔を上げる。
「十七くらいか?」
「は、はい」
店員は納得したように頷いた。
「なら、まだ体できってない可能性あるな。足のサイズも変わるかもしれん」
その言葉に、ルカはぱちぱちと瞬きをする。
「成長途中で高い靴買うと、数年後に履けなくなることもあるんだよ」
「あー……確かに」
今度はルドルフが納得した声を出した。
店員は三つ目の靴を軽く叩く。
「もちろん良い靴ではある。長旅にも向いてる」
それから、一つ目と二つ目へ順番に視線を移した。
「ただ、最初の一足として考えるなら、値段と成長考えて選ぶのもありだな」
ルカは再び三足を見る。
高くて、とても良さそうな靴。
でも、確かに“今後もずっと履ける”とは限らない。
そう言われると、急に悩みが増えた気がした。
「なるほどなぁ……」
ルドルフが腕を組みながら三足を見比べる。
重いけれど安定感のある靴。
軽くて歩きやすそうな靴。
高い代わりに、かなり性能の良さそうな靴。
どれも良し悪しがはっきり違っていた。
一方ルカは、三足の前で完全に固まっていた。
カウンターへ並べられた旅靴を、真剣な顔で見比べる。
それぞれ違って、どれにも良さがある。
「えっと……」
ルカの視線が、三足の間を忙しなく行き来する。
一つ目を見て、二つ目を見る。
でも気になって三つ目も見てしまう。
そしてまた最初に戻る。
完全に迷っていた。
「……めちゃくちゃ迷います」
ぽつりと零れた声に、ルドルフと店員が同時に笑った。
「まあそうなるよな」
「旅靴は安い買い物じゃないからなぁ」
店員は腕を組みながら頷く。
ルカはまず、一つ目の靴をもう一度持ち上げてみた。
やっぱりしっかりしている。
底も厚いし、安定感もある。
けれど、持った時の重さが少し気になる。
(長く歩いたら、疲れそうかも……)
そんな想像が頭をよぎった。
次に二つ目。
持ち上げた瞬間、やっぱり軽い。
足を動かしやすそうで、歩く姿まで自然と想像できる。
外側も丈夫そうだし、旅用として十分頼れそうだった。
ルカはそっと靴を撫でる。
(これ、歩きやすそう……)
最後に三つ目を見る。
良い靴だというのは分かる。
軽くて丈夫で、長旅にも向いている。
けれど値札を見るたびに、少しだけ気後れした。
店員の言葉も頭に残っている。
『まだ若い』
『足のサイズも変わるかもしれない』
高い靴を買っても、履けなくなる可能性がある。
そう考えると、簡単には決められなかった。
「どうする?」
ルドルフが横から覗き込む。
ルカはしばらく悩んでから、そっと二つ目の靴へ手を置いた。
「……これ、にします」
店員が「ほう」と目を細める。
「二番目か」
「軽い方が、動きやすそうなので……」
ルカは少しだけ靴を持ち上げながら答える。
「あと、少し高いですけど……これから履き続けること考えたら、ちゃんと歩きやすい方がいいかなって」
言いながらも、少しだけ不安そうだった。
安い買い物ではない。
だからこそ、本当にこれでいいのかまだ少し緊張している。
だが店員は納得したように頷いた。
「悪くない選び方だ」
靴を受け取り、軽く底を叩く。
「その靴は初心者でも履きやすい。軽いってのは長旅だとかなり大事だからな」
「だよなぁ」
今度はルドルフも頷いた。
「重い靴って、慣れてないと結構疲れだろうし」
その言葉に、ルカは少し安心したように息を吐く。
どうやら、間違った選び方ではなかったらしい。
「じゃあサイズ合わせるか。坊主こっちにこい」
店員がそう言って椅子を引いた。
ルカはまだ少し緊張した顔のまま、新しい旅靴をそっと抱えた。
次回は6月14日に「揃い始めた旅支度」を投稿します。
お楽しみに(^▽^)
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