孤独の色は似ている
コリンの視線が、不意にルカの右手へ落ちた。
さっきまでサクラを呼び出していた手。
指先をじっと見つめたあと、そのまま爪の先へ視線が止まる。
深い紫色の瞳が、わずかに細められた。
警戒というより、観察するような目。
何かを確かめるみたいに、静かに見つめている。
やがて、コリンはぽつりと口を開いた。
「あんたのその爪……どこかのファミリアだろ」
ルカは一瞬だけきょとんとして、それから「ああ」と小さく笑った。
「これ? 俺、こう見えて〈Bloom〉らしいんだ」
言いながら、軽く爪を見せる。
コリンは、ますます眉間に皺を寄せた。
その露骨な反応が、なんだか少しおかしくて。
ルカは思わず笑いそうになる。
(……表情、分かりやすいなぁ)
警戒してるのに、不器用で。
怖い顔をしてるのに、どこか隠しきれていない。
そんなところが、少しだけ面白かった。
「……なに」
「いや、別に?」
ルカは慌てて首を振った。
けれど口元には、まだ少し笑いを堪えている気配が残っている。
コリンは露骨に眉をひそめた。
「……感じ悪」
「えぇ!? なんで!?」
即座に抗議すると、コリンは呆れたように視線を逸らす。
その反応までなんだか素直で。
ルカはまた少しだけ可笑しくなった。
さっきまで、本気で植物を使ってけしかけてきた相手なのに。
こうして話していると、思ったより感情が顔に出る人だ。
不器用で、警戒心が強くて。
でも、凍えるように冷たいわけじゃない。
そんな印象が、少しずつ輪郭を持ち始めていた。
ルカは気を取り直すように、小さく咳払いする。
「それより、コリンは何の花使いなの?」
その瞬間。
コリンの表情が、わずかに止まった。
ほんの少しだけ視線が揺れる。
答えるかどうか迷うみたいに、沈黙が落ちた。
店の奥から、焼き菓子の甘い匂いが流れてくる。
外のざわめきは暖簾越しに遠く、店の中だけが妙に静かだった。
やがてコリンは、諦めたように小さく息を吐く。
「……スミレ」
ぽつり、と落ちる声。
「“謙虚”とか、“誠実”とか。そういう花言葉の花」
その言葉を聞いた瞬間、ルカはぱちりと目を瞬かせた。
スミレ
小さくて、静かな花。
道端や木陰にひっそり咲いているような、繊細な花だ。
そして――コリンの瞳と、同じ色。
深い紫色。
さっきから何度も視線を向けられていたその瞳は、鋭くて、どこか刺すような強さがある。
睨まれると、思わず息を止めそうになるくらいには迫力もある。
なのに、不思議だった。
近くで見るその色は、ただ冷たいだけじゃない。
夜が深くなった直後みたいな静かな紫。
月明かりの下で咲く花みたいな、澄んだ色。
怒っていても、警戒していても。
その奥には、どこか寂しそうな静けさが沈んでいる。
(……綺麗な色だな)
思わず、そんなことを考える。
ぴりぴりした空気も、不機嫌そうな態度もある。
口を開けば棘のある言葉ばかりだ。
けれど、その瞳だけは違った。
まるで夜に咲く花みたいに、静かで。
誰にも触れられない場所で、ひとりで咲いているみたいだった。
だが――
そんなルカの感想とは裏腹に、コリンは苦いものでも飲み込んだみたいに、わずかに顔を歪めた。
深い紫色の瞳が伏せられる。
「……でも、俺には合わない」
低く落ちた声は、自嘲するみたいに乾いていた。
「“謙虚”とか、“誠実”とか。そんな風に生きてたって……父さんは、俺を信じなかった」
最後の言葉だけ、ほんの少し掠れる。
ルカの胸が、ちくりと痛んだ。
さっき、コリンは言っていた。
“家から追い出したいんだろ”と。
あれはただの売り言葉じゃなかったのかもしれない。
ずっと胸の奥に溜め込んできた、本音だったのだ。
店の中に、小さな沈黙が落ちる。
焼き菓子の甘い匂い。
棚に並んだ瓶のきしむ音。
暖簾の向こうから聞こえる、遠い通りのざわめき。
そんな穏やかな空気の中で、コリンだけがそこから切り離されているみたいだった。
ルカは少しだけ迷ってから、そっと口を開く。
「……スミレの力って、どんなのなの?」
コリンはすぐには答えなかった。
視線を逸らしたまま、しばらく黙る。
言うべきか迷っているようにも見えた。
やがて、諦めたように小さく息を吐く。
「……動物とか、植物と話せる」
ぼそり、と落ちる声。
「えっ」
ルカの目がぱっと開く。
「すごい、それ!」
思わず身を乗り出しかける。
花や木と話せる。
動物の言葉が分かる。
まるで物語の中の魔法使い様みたいだ。
森の奥で鳥と歌ったり、花畑で会話したり。
ルカの頭の中には、そんな綺麗な光景が一瞬で浮かんだ。
けれど――
コリンの表情は、少しも明るくならなかった。
むしろ、その言葉を聞いた瞬間、さらに眉間に皺が寄る。
「……周りは、そう思わなかった」
低い声。
さっきまでよりも、ずっと冷えた響きだった。
ルカは小さく瞬きをする。
「え、どうして……」
コリンは答える代わりに、ゆっくり視線を落とした。
その横顔が、ほんの少しだけ強張る。
「気味悪いって」
短く、吐き捨てるみたいに。
「植物と話してるの見て、みんな変な顔するんだよ。頭おかしいとか、不気味だとか……」
淡々とした口調。
けれど、その奥に押し込められた痛みは隠しきれていなかった。
「親戚の連中なんか、露骨だった」
紫色の瞳が、わずかに伏せられる。
「俺が庭の花と話してるの見て、“気味悪い子だ”って。近づくなって言われてた子供もいた」
ルカは思わず息を呑む。
コリンは笑った。
けれど、その笑みは少しも楽しそうじゃない。
「まあ、子どもなら仕方ないんだろうけど」
そう言いながらも、声は乾いていた。
「でも、一番きつかったのは父さんだった」
ぽつり、と零れる。
「最初は“便利な力だ”って笑ってたくせに……だんだん変わってった」
店の隅に置かれた鉢植えへ、ちらりと視線が向く。
「父さん、何も言わなくなったんだ」
低く静かな声。
「俺が植物と話してても、ただ黙って見てるだけでさ」
怒るでもない。
褒めるでもない。
ただ、表情を変えずに見ている。
その光景を思い出したのか、コリンの眉がわずかに寄る。
「……で、ある日、言われた」
小さく息を吐く。
「“その力を人に見せるな”って」
低い声が、静かに落ちる。
「“植物に触るな”って。それだけ」
ルカは胸の奥が重くなるのを感じた。
理由もない。
説明もない。
ただ、“やめろ”と言われる。
それがどれだけ苦しいことなのか、想像するだけで胸が痛んだ。
コリンは視線を落としたまま続ける。
「最初、意味分かんなかった」
ぽつり、と。
「でも、親戚のやつらまで俺のこと避けるようになって……ああ、これって隠さなきゃいけないものなんだって、子供ながらに段々察した」
その声音には、怒りよりも諦めが滲んでいた。
「“スミレの加護”なんて聞こえはいいけどさ」
紫色の瞳が、ゆっくりと細められる。
「俺にとっては、ただの呪いだ」
静かな声だった。
怒鳴ったわけでもない。
吐き捨てたわけでもない。
なのに、その一言はひどく重くて、冷たかった。
まるで何度も胸の中で繰り返して、もう擦り切れてしまった言葉みたいに。
ルカは思わず息を呑む。
コリンの声には怒りも混じっていた。
けれどそれ以上に――ずっと傷ついたままの痛みが滲んでいた。
怖がられて。
避けられて。
気味悪いと距離を置かれて。
そうやって、少しずつ人との間に壁を作ってきたのだと分かる。
きっと、最初からこんな風じゃなかった。
誰かに話しかけたこともあったはずだ。
花が何を言ったのか、嬉しそうに伝えたことも。
動物たちと心を通わせて、笑ったことも。
けれど、そのたびに返ってきたのは――相手の怯えた顔だった。
その積み重ねが、今のコリンを作ったのだ。
花の加護
ルカにとってそれは、まだ少し不思議で、綺麗で、どこか特別な力だった。
サクラの花びらが舞った瞬間の光景は、今でも胸の奥に焼き付いている。
けれど、コリンにとっては違う。
その力は、人から遠ざけられる理由だった。
家族に隠せと言われ。
周囲から気味悪がられて。
自分の一部を、“見せるな”と言われ続ける。
(……そんなの)
胸の奥が、きゅっと締まる。
苦しくなる。
ルカは無意識に、自分の服の裾をぎゅっと握っていた。
「……お、俺もさ」
気づけば、言葉が漏れていた。
コリンの深い紫の瞳が、ゆっくりとこちらへ向く。
その視線に少しだけ気圧されながら、ルカは慌てて続ける。
「その……気持ち、分かるよ」
「同情はいらないって言った」
ぴしゃり、と返される。反射みたいな拒絶だった。
人から向けられる優しさを、先に突き放してしまうような声音。
けれどルカは、首を横に振った。
「違う、同情じゃなくて」
うまく言葉がまとまらない。
何をどう言えば伝わるのか、自分でも分からない。
それでも、黙っていられなかった。
「俺、花使いとしての力に目覚めたのはほんと最近だけど……でも、それがなくても、ずっと一人だったから」
少しだけ視線を落とす。
脳裏に浮かぶのは、静かな家の景色だった。
親戚たちは最低限の世話はしてくれた。
ご飯も出たし、寝る場所もあった。
でも、それだけだった。
楽しそうな団らんの輪の中に、自分だけ入っていけなかったこと。
話しかけても、忙しそうに流されたこと。
気づけばいつも、一人でいるのが当たり前になっていたこと。
「親戚の人たちも、あんまり俺のこと構わなかったし」
ぽつり、と落とす。
「なんていうか……最初から“いないもの”みたいな感じで」
苦笑する。
明るく言おうとしたのに、少しだけ声が掠れた。
「だから、コリンが周り怖くなる気持ち、ちょっと分かる」
言い終わると、静かな間が落ちた。
暖簾の向こうから、遠く人の笑い声が聞こえる。
甘い焼き菓子の匂いが、静かに漂っている。
その中で、コリンだけが何も言わなかった。
ただ、じっとルカを見ている。
「…………、ルカは…」
深い紫色の瞳。
警戒するような、探るようなその目がほんの少しだけ揺れていた。
次回は5月27日に「騒がしい再会」を投稿します。
お楽しみに(^▽^)
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