同じだと分かった瞬間
言葉が落ちた瞬間。
空気が、ぴたりと変わった。
ざわめいていた通りの音が、遠のく。
代わりに――別の気配が、近づいてくる。
かすかに。けれど、確かに。
葉が、擦れる。屋台の脇の鉢植え。
さっきまで静かだった蔓が、ゆっくりと持ち上がる。
風は吹いてない。
それでも、動いている。
地面の隙間から伸びた細い草が、じわりと起き上がる。
踏まれても折れないまま、意志を持ったみたいに、こちらへ向く。
(……え)
違和感に目を向ける。
細い蔓が、ゆっくりと持ち上がっていた。
まるで、何かを探るように。
足元。踏み固められた地面の隙間から伸びていた小さな草が、かすかに揺れる。
一本、また一本と。
ルカの方へ、わずかに向きを変えている。
(……これ、)
理解が追いつくより先に、本能が警鐘を鳴らす。
“近づくな”と。
ルカの背筋が、ひやりとする。
脅しじゃない。コリンは、本気でやりにきてる。
その気になれば、今ここで。
ルカは一歩も動かなかった。
逃げれば、たぶん逆効果だ。
距離を詰めれば、もっと悪い。
ただ、その場で、静かに息を整える。
(落ち着け……)
自分の緊張が、余計に刺激しないように。
視界の端で、葉が揺れる。
絡みつく軌道を、なぞるみたいに。
(……これ)
さっきと同じだ。
(……俺のこと、“敵”だと思ってる)
ようやく、腑に落ちる。
さっきの目。この動き。
全部、繋がる。
(……違うのに)
胸の奥で、小さくこぼれる。
ルカは、ゆっくりと手を下げたまま、力を抜く。
余計な動きはしない。
ただ、視線だけをまっすぐに向ける。
「……ちがうよ」
ルカは、ゆっくりと口を開いた。
刺激しないように。できるだけ、落ち着いた声で。
「俺、あの人たちとは関係ない」
コリンは何も言わない。 ただ、じっと見ている。
「さっきも言ったけど、ほんとにたまたま居合わせただけで……」
言いながら、自分でも分かる。
(……多分説得力、ないよな)
状況だけ見れば、むしろ怪しい側だ。
それでも――引けない。
「君を売ろうとか、そういうつもりもないし」
言葉を選びながら、続ける。
「そもそも、コリンが花使いって今知ったし……」
その一言で、コリンの眉がわずかに動く。
空気は、まだ張りつめたまま。
そのときだった。
かさり、と。
足元で、小さな音が鳴る。
ルカの視界の端で、さっきまで大人しかった草が、またわずかに揺れた。
今度は、さっきよりもはっきりと。
一本の細い蔓が、地面をなぞるように伸びる。
じわりと、距離を詰めるように。
(……まだ、警戒解けてない)
むしろ――言葉に反応している。
ルカは息を整えた。
「……ほんとに、知らなかったんだ」
少しだけ、言葉を足す。
「花使いっていうのも、さっきの反応で“あ、そうなんだ”って思ったくらいで」
コリンの目が、わずかに細くなる。
「……だったら、なんで分かった」
低い声。
疑いは、まだ消えていない。
ルカは一瞬だけ言葉に詰まるが、すぐに答える。
「なんとなく、って言ったら怒る?」
「怒るというか警戒するに決まってるだろ」
即答だった。
ぴしゃりと切り捨てる声。
ルカは苦笑する。
「だよね……でも、ほんとにそれくらいで」
少しだけ視線を落とす。
「さっき、植物が動いたときの感じっていうか……なんていうか、普通じゃなかったから」
言葉を探しながら、ゆっくり続ける。
「俺、そういうの詳しくないけど、“あ、これ誰かの意思だ”って思ったんだ」
――さっき話していた時、ふと引っかかた。
コリンが口にした言葉。
“変な力”。
その言葉を聞いたとき胸の奥で、何かが重なった。
ついこの前のことだ。
自分の中で、説明のつかない“何か”が芽吹いた感覚。
断定できるほど、分かっていない。
軽々しく口にするには、まだ曖昧すぎる。
(……いや、今はいいか)
小さく、頭の中で引き下げる。
コリンは黙っている。
だが、さっきまでよりもわずかに視線が揺れる。
蔓の動きが、ほんの少しだけ鈍る。
「……で、それがたまたまコリンだった、ってだけ」
ルカは肩をすくめた。
「逆に聞きたいんだけどさ」
少しだけ、踏み込む。
「俺があの連中の仲間なら、こんなとこで一人で話しかけたりすると思う?」
コリンの眉が、ぴくりと動く。
ルカは続ける。
「もっとそれっぽく囲うか、隙見て捕まえるかするんじゃない?」
ほんの少しだけ、真面目な声。
「わざわざ、こんな回りくどいことしないと思う」
短い沈黙が落ちる。
通りのざわめきが、遠くで流れている。
コリンの視線が、ルカから外れ、足元の植物へと落ちた。
蔓が、ぴたりと止まる。
完全にではない。
けれど、さっきまでの“今にも来る”緊張は、わずかに薄れている。
「……口だけなら、なんとでも言える」
ぽつり、と落ちる声。
まだ、完全には信じていない。
それでも――さっきよりは、少しだけ温度が違う。
ルカは小さく頷いた。
「うん、それはそうだと思う」
あっさり認める。
「だから、無理に信じてとは言わない」
一拍置いて。
「でも、少なくとも今は、敵じゃないよ」
まっすぐに言う。飾らない言葉。
コリンは、じっとルカを見た。
金色の瞳が、わずかに揺れる。
疑いと、判断と――ほんの少しの迷い。
「……じゃあ」
低く、短く。
「一歩でも変な動きしたら、すぐ締めるからな」
脅しはそのまま。
けれど――さっきよりも、ほんの少しだけ余白があった。
ルカは、ほっと小さく息を吐く。
わずかに張りつめていた空気が、ほどけかける。
足元の草も、さっきまでの緊張が嘘みたいに、ただの“草”に戻りつつあった。
蔓の先が、力を失ったように地面へ落ちる。
完全に警戒が解けたわけじゃない、けれど少なくとも、今すぐ締め上げられることはなさそうだった。
(……よかった)
胸の奥で、小さく安堵する。
コリンのほうへ視線を向けると、まだ警戒は残っているものの、さっきまでの“今にも来る”鋭さは少しだけ引いていた。
「……ほんとに、関係ないんだな」
低く、確認するような声。
ルカはすぐに頷く。
「うん。本当に」
短く、まっすぐに。
コリンはしばらくルカを見ていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……じゃあ、今は見逃す」
完全に信じたわけじゃない。
それでも、ひとまず刃を引いたような言い方だった。
ルカは、ほんの少しだけ肩の力を抜く。
「ありがとう」
思わずそう口にすると、コリンは顔をしかめる。
「礼言われる筋合い――」
言いかけた、そのときだった。
そのときだった。
「……あら」
店の奥から、声がした。おばあちゃんだった。
さっきの騒ぎに気づいたのか、暖簾を少しだけ持ち上げて外を覗き込んでいる。
その視線が、二人の間をなぞって――止まる。
コリンのほうで。
ほんの一瞬だけ、目が細くなった。
「……あんた」
低く、呟くように。
次の瞬間。
「中に入りな」
ぴしり、と言い切る。
「え?」
ルカが反応するより早く、コリンの腕を軽く引く。
「いいから。さっさと」
有無を言わせない調子。
コリンは一瞬だけ抵抗しかけたが――
周囲の鉢植えや蔓に視線を走らせ、すぐに判断を変えた。
舌打ちに近い息を吐いて、そのまま店の中へ入る。
ルカも慌てて後を追う。暖簾が下りる。
外のざわめきが、一段遠くなる。
店の中は、甘い匂いと静けさに満ちていた。
「……あんた、花使いだろ」
おばあちゃんが、コリンに向かって言う。
断定だった。
コリンの肩が、ぴくりと揺れる。
「……だったら何」
警戒は解けないまま。
けれど、さっきよりはわずかに抑えられている。
「外でやるもんじゃないよ」
さらりとした口調。
「余計な人の目ぇ引く」
短い指摘。それだけで十分だった。
コリンは、何も言い返さない。
ただ、視線だけをわずかに逸らす。
「……別に、好きでやったわけじゃない」
ぼそりと、言い訳のように落とす。
おばあちゃんは、ふん、と小さく鼻を鳴らした。
「好きかどうかなんて関係ないさね。見られたかどうかが問題だよ」
腕を組み、じっとコリンを見据える。
「この辺はね、鼻の利く連中が多い。ちょっとした騒ぎでも拾われる」
その言葉に、ルカがわずかに目を瞬かせる。
(……やっぱり、そういうの分かる人っているんだ)
「さっきの騒ぎ、あれもそういう類だろ?」
おばあちゃんの視線が、ほんの一瞬だけ鋭くなる。
コリンは、わずかに口を結んだ。
「……あんたには関係ないだろ」
低く返す。
だが、その言い方にさっきほどの棘はない。
「関係なくはないよ」
即座に返される。
「うちの前で騒ぎ起こされちゃ、こっちの商売にも関わるんだからね」
ぴしゃり、と。
けれど、どこか突き放しきらない響き。
「……で、お前さんも」
今度はルカの方を見る。
「そっちは?」
急に話を振られて、ルカは少しだけ姿勢を正した。
「え、あ、俺は……」
一瞬言葉に詰まる。
「その、たまたまおばあちゃんに休んでいくように言われて、休憩してて、焼き菓子食べてて、その、えっとぉ……」
言いながら、視線が少しだけ泳ぐ。
おばあちゃんは、じっとルカを見ていたが――
ふっと、小さく笑った。
「ま、お前さんはほんとに顔によく出る子だね」
「え」
思わず間の抜けた声が出る。
「嘘つくなら、もうちょい練習してきな」
くすり、と笑う。
からかうような口調。
ルカは思わず頬をかいた。
「……やっぱり俺そんなに顔に出てますか?」
「分かるさねぇ」
軽く肩をすくめる。
「でも、あんたは悪いことしようとしてる顔じゃない」
さらりと言い切る。
その一言で、ルカの肩の力が少しだけ抜けた。
コリンは、そのやり取りを黙って見ている。
「……あんたもだよ」
不意に、おばあちゃんの視線がコリンに戻る。
「そんな顔で全部突っぱねてたら、余計に面倒ごと引き寄せる」
コリンは眉をひそめる。
「……余計なお世話だ」
「そうかい」
あっさり引く。
けれど、その目はどこか優しい。
「まぁいいさ。とりあえず、しばらくここにいな」
軽く顎で店の奥を示す。
「外はまだ落ち着いてない。今出たら、また面倒なのに当たるよ」
コリンはすぐには答えない。
少しだけ考えるように視線を落とし――
やがて、小さく息を吐いた。
「……分かった」
短い返事。
完全に納得したわけじゃない。
けれど、従う意思は見せた。
おばあちゃんは、それを見て満足そうに頷く。
「よしよし、素直でよろしい」
「……別に、あんたの言うこと聞いたわけじゃない」
即座に返す。
だが、その声にはどこか力が抜けている。
「はいはい」
軽く流す。
「じゃああたしは奥に戻るよ。なんかあったら呼びな」
そう言って、くるりと背を向ける。
暖簾をくぐりながら、最後に一度だけ振り返った。
「――あんたら、ほどほどにしときなよ」
意味深に目を細める。
それだけ言って、奥へと消えていった。
暖簾が揺れて、静かに元に戻る。
店の中に、再び静けさが落ちた。
(……今なら)
ほんの少しだけ、隙ができた。
「……俺も」
ぽつりと、言葉を落とす。
コリンの視線が、すぐに向く。
「……花使いだよ」
一瞬、空気が止まる。
疑うような目。試すような沈黙。
ルカは、そのまま視線を逸らさなかった。
「だから、その……」
少しだけ言葉に詰まりながらも、続ける。
「敵じゃないっていうか、同じ側っていうか……」
うまく言えない。
けれど、伝えたいことはひとつだった。
コリンの瞳が、わずかに揺れる。
さっきとは違う種類の揺れ。
警戒の奥に、ほんの少しだけ――引っかかりが生まれる。
「……証明できんの」
低く、試すような声。
ルカは、一拍だけ迷って――
そっと、コリンのほうに手のひらを伸ばした。
触れるか触れないかの距離で止める。
「……大げさなのはできないんだ」
小さく、息を吸う。
ルカは右手を、ぎゅっと握り締めた。
(……やるしかない)
言葉じゃ足りない。
疑いを解くには――見せるしかない。
胸の奥で、あのときの感覚を探る。
まだ不確かで、頼りない。
けれど、確かにそこにあった“つながり”。
(お願いだ……サクラ)
心の中で、そっと呼びかける。
(俺に力を貸して)
ゆっくりと、手を開く。
ためらいを押し殺すように――
そのまま、コリンのほうへ差し出した。
空気が、静かに揺れた。
空気が、かすかに震える。風はない。
けれど、確かに――何かが応えた。
ルカの掌の上で。
ふわり、と。
桃色の花びらが、一枚、舞い上がる。
「な……っ?」
コリンの声が、かすかに震える。
花びらは消えない。
もう一枚、また一枚と現れて、ゆるやかに渦を描く。
まるで、呼びかけに応じるように。
やがてそれは、小さな流れになって――
コリンの周りを、くるりと巡る。
触れるか触れないかの距離で、軽やかに舞う花弁。
警戒するようでも、攻撃するでもない。
ただ、そこにいることを示すように。
店の中の空気が、わずかに甘く揺れる。
次の瞬間。
花びらたちは一斉にほどけるように散り、
屋台の隙間をすり抜けて、外へと流れていく。
そのまま、上へ――建物の向こうへと消えていった。
あとには、静けさだけが残る。
コリンの視線は、まだルカの手に釘付けのままだった。
次回は5月21日に「花使い同士」を投稿します。
お楽しみに(^▽^)
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