触れてはいけないところ
ルカは少しだけ息を整えてから、隣に座るコリンへ視線を向けた。
「……ねえ」
呼びかけは、さっきよりも少しだけ控えめだった。
コリンはすぐには反応しない。通りの方を見たまま、気配だけがこちらを向く。
「なんで、追われてるの?」
まっすぐな問いだった。飾らない分だけ、逃げ場のない言い方。
一拍の間。
「……聞いて、どうすんの」
返ってきたのは、やる気のない声だった。興味も期待もない、突き放すような響き。
ルカは一瞬だけ言葉に詰まる。
(力になれるかもしれないよ、って……)
喉元まで出かかった言葉が、そこで止まった。
(……違うな)
すぐに引っ込める。
事情も知らないまま、そんなことを言うのは無責任だ。
相手のことを分かった気になって、勝手に踏み込むのと変わらない。
ルカは小さく息を吐いた。
少しだけ視線を落として、それから言葉を選ぶ。
「俺もさ、はぐれた仲間を待ってるんだ」
ぽつりと。コリンの眉が、ぴくりと動く。
「……それ、“はぐれた”っていうかさ」
少しだけ間を置いて、
「あんたが迷子なんじゃないの」
さらっと言い切る。
ルカは一瞬きょとんとして、それから「あ」と小さく声を漏らした。
「……あー……」
言われてみれば、という顔。
「それ、ちょっと思ってたんだけど…」
「思ったなら言い方変えなよ」
即座に返される。容赦がない。
ルカは苦笑しながら頭をかいた。
「いやでもさ、“俺、迷子なんです”ってコリンに言うのもなんか違うかなって」
「どっちにしろ大差ないでしょ」
「うーん……それは、そうなんだけど」
少しだけ言葉に詰まる。
それでも、続ける。
ぽつりと。
「だから、その……暇つぶしっていうか」
少しだけ困ったように笑う。
「話してみない?」
自分でも分かるくらい、ぎこちない理由だった。
(……なんか俺、逆に怪しいかも)
言ってから気づく。
けれど、取り繕う前に。
「……はぁ」
コリンが小さくため息をついた。
面倒くさそうな、でも完全には拒まない音。
少しだけ視線が落ちる。
「……なにそれ」
低く、呆れたような声。
「“仲間とはぐれて暇だから話そう”って、普通に考えて怪しいだろ。自分で言ってて違和感ないの?」
容赦のない指摘だった。
ルカは一瞬だけ言葉に詰まって、それから苦笑する。
「……やっぱりそう思よね?」
「思うに決まってる。むしろ疑わないやつのほうが危ないでしょ」
コリンは肩を軽くすくめる。
「その言い方、下手すりゃ“時間あるから適当に付き合え”って聞こえるし。理由としても雑すぎる」
淡々とした口調。けれど、ちゃんと会話は続いている。
ルカは頭をかきながら、小さく息を吐いた。
「うーん……やっぱ変だよね。でもさ、他に言い方思いつかなかったっていうか」
少しだけ視線を泳がせる。
「“力になるかも”とか言うのも違う気がしたし。事情も知らないのに、それ言うの無責任かなって思って」
少しだけ真面目な声になる。
コリンの視線が、わずかに動いた。
「……だから、とりあえず嘘じゃない理由で、って思ったんだけど」
「嘘じゃないからって、納得できる理由になるわけじゃないでしょ」
「うっ…」
即座に返される。
けれど、さっきよりも少しだけ棘が弱い。
ルカは苦笑しながら肩をすくめた。
「それは……うん、そうなんだけど」
小さく間を置く。
「でも、完全に無関係な人にいきなり踏み込むよりは、まだマシかなって」
言葉を選びながら、ゆっくりと続ける。
「ちゃんとした理由じゃないのは分かってる。でも、適当な嘘ついて話を聞くよりはいいかなって思ったんだ」
コリンは何も言わない。
ただ、少しだけ眉を寄せて、ルカを見る。
「……あんた、変なやつ」
ぼそりと落とされる一言。
呆れたようでいて、完全な拒絶ではない響き。
ルカは少しだけ笑った。
「えへへ、そうかな?」
軽く返す。
その空気が、ほんのわずかだけやわらぐ。
コリンはもう一度、小さく息を吐いた。
「……はぁ」
さっきよりも、少しだけ力の抜けたため息。
視線が、ほんの少しだけ下がる。
それから――
「……俺の出身、〔雲の上の島国〕なんだけど」
ぽつり、と。言葉が、零れた。
ルカはわずかに目を瞬かせる。
思っていたより、あっさりと話し始めたことに、少しだけ驚く。
「親父がさ……なんか、色々モノ作ったり売ったりしてて」
言い方は曖昧だったが、それだけで十分だった。
(……結構すごい家の人なんだ)
なんとなく察する。
いわゆる“普通じゃない”貴族のような立場。
それなら、追われる理由があってもおかしくない。
けれど――
(でもじゃあ、なんで一人で……?)
自然と疑問が浮かぶ。
「コリンはさ、護衛とか……いないの?」
問いかけると、コリンはわずかに眉をひそめた。
「……いない」
短い返答。
それで終わりかと思ったが、少し間を置いて――
「親父が、『社会勉強だ』とか言って、俺を一人でここに放り出した」
吐き捨てるような言い方だった。
「……でも、あれ絶対嘘だ」
視線が、わずかに下がる。
「親父はさ……俺が“変な力”持ってるから、家から追い出したいだけなんだよ」
その言葉に、ルカの手が止まった。
口に運びかけていた焼き菓子が、そのまま宙で止まる。
「……さっきの奴らも、俺の故郷じゃ有名な悪漢だし」
コリンは続ける。
声の調子は変わらない。淡々としている。
「俺を攫って、家に脅しかけて、金でも引っ張るつもりだろ」
さらりとした言い方。
けれど、その中身は軽くない。
ルカは、思わずコリンの横顔を見る。
濃い紫色の瞳が、わずかに揺れていた。
涙ではない。
けれど――何かを押し殺しているような、沈んだ光。
(……)
何か言わなきゃ、と思う。
でも、何を言えばいいのか分からない。
「――」
言葉が浮かびかけて、
「同情とか、いらないから」
先に遮られた。
ぴたりと、言葉を止めるように。
コリンは視線を向けないまま、淡々と続ける。
「そういうの、面倒だし。余計なお世話」
線を引く言い方だった。
それ以上は踏み込むな、と。
ルカは、少しだけ息を呑む。
けれど――
「……うん」
小さく、頷いた。
無理に否定しない。
何かを言い返すでもない。
ただ、そのまま受け取る。
少しだけ間が空く。
通りのざわめきが、また二人の間を流れていく。
ルカは視線を落としたまま、ぽつりと呟いた。
「じゃあさ」
今度は、さっきよりも少しだけ自然に。
「同情じゃなくて、ただの暇つぶしでいいからさ」
ほんの少しだけ、笑う気配。
「もうちょっとだけ、ここにいない?」
押しつけない言い方。
逃げ道を残したままの、誘い方だった。
コリンは、すぐには答えなかった。
けれど――
さっきよりも、少しだけ強くは拒まなかった。
短い沈黙が落ちる。
それ以上、何かを言うべきか迷って、ルカは口を閉じた。
(……あんまり、踏み込みすぎないほうがいいよな)
さっきの反応を思い出す。
名前を聞いただけでも、あれだけ距離を取られた。
事情に触れるようなことを聞けば、たぶん――また同じになる。
ルカは、口を開きかけて、やめた。
聞きたいことはある。
追われている理由も、“変な力”のことも。
けれど、それを今ここで踏み込むのは違う気がした。
(……でも)
頭の隅に、ひとつだけ引っかかる言葉が残っている。
“変な力”。
それが、どうしても離れない。
ルカは少しだけ視線を彷徨わせてから、遠回しに言葉を選ぶ。
「……ねえ」
一拍、間を置く。
踏み込むか、やめるか。
ぎりぎりのところで、まだ迷っている。
「さっき言ってた“変な力”って……」
言いかけて、ほんの少しだけ言葉を濁す。
「……もしかして、花とか……関わってたりする?」
その瞬間だった。
コリンの肩が、びくりと大きく揺れた。
弾かれたように、ルカを見る。
「――あんた、俺が花使いだって知って」
声が低くなる。
さっきまでとは違う、明確な警戒の色。
ルカはすぐに首を振った。
「ううん、知らなかったけど……」
少しだけ目を細める。
「そっか、やっぱり花使いなんだね」
その言葉が落ちた瞬間――
コリンの空気が、はっきりと変わった。
さっと身を引く。
距離が、一歩分開く。
さっきまで隣にあった体温が、急に遠ざかる。
深い紫色の瞳が、鋭く細められる。
そこにあったのは、さっきまでの迷いじゃない。
はっきりとした“敵意に近い警戒”。
「……それ以上喋るな」
低く、押し殺した声。
「俺に近づいたら――」
ほんのわずかに、視線が周囲へ走る。
屋台の脇に置かれた鉢植え。
道端に絡む蔓。
踏み固められた隙間から伸びる、小さな草。
「植物達に、あんたの首を絞めさせて気絶させる」
静かな脅しだった。
次回は5月18日に「同じだと分かった瞬間」を投稿します。
お楽しみに(^▽^)
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