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関係ないはずなのに、気になった

張りつめていた空気が完全にほどけきるよりも少し早く、

おばあちゃんがふう、と小さく息をついた。


「やれやれ……騒がしいのが来たもんだねぇ」


肩を軽く叩くようにして、いつもの調子に戻った声。

さっきまでの鋭さが嘘みたいに、やわらかい。


「休んでるとこ、悪かったねぇ」


ルカの方を見て、申し訳なさそうに目を細める。


「い、いえ……」


とっさに首を振る。

むしろ助けられた側だ。


「助けてもらったのは、むしろこっちなので……」


言いながら、少しだけ視線が揺れる。

まだ胸の奥に残っている緊張が、完全には抜けきっていない。

おばあちゃんは、その様子を見て、ふっと小さく笑った。


「なぁに、ああいうのはたまにあって慣れてるからねぇ」


軽く手を振る仕草。

大したことじゃない、とでも言うように。


「それより、あんたのほうが顔色戻ってきたじゃないか」


じっと覗き込まれて、ルカは少しだけ目を丸くする。


「あ……はい。さっきよりは……」


自分でも、呼吸が落ち着いているのが分かる。

さっきまでの息苦しさが、嘘みたいに引いていた。


「ほらね。甘いもんは効くだろう?」


にやり、と少しだけ得意げな顔。

思わず、ルカも小さく笑ってしまう。


「……はい。すごく助かりました」


正直な気持ちだった。

ただ座らせてもらっただけじゃない。


声をかけてもらって、話して、少しずつ落ち着けた。


「そうかい。それならよかった」


満足そうに頷く。


「まぁ、ああいう連中も長居はしないさ。もう少しここで休んでいきな。そこにいるあんたもゆっくりしていきな」


やわらかく言い添えられる言葉。

急かすでも、追い出すでもない。


「……はい」


自然と、そう答えていた。

言葉がうまくまとまらないまま、視線がふと下に落ちる。


――すぐ横。


影の中に潜んでいた気配が、わずかに動いた。

布越しに感じていた存在が、ゆっくりと輪郭を取り戻していく。


青年が、音を立てないように身を起こした。


膝を伸ばし、重心を静かに持ち上げる。

無駄のない動きは、さっきと変わらない。

けれど今は、隠れるための張りつめた力が抜けた分だけ、どこか滑らかだった。


影から外れた瞬間、さっき見た色が、もう一度はっきりと視界に入る。


一瞬だけ、視線が合う。


深い紫色の瞳だった。

目が合ったほんの一拍だけ、時間が止まる。


「……助かった、ありがとう」


低く、短い一言。


押しつけるでも、取り繕うでもない。

ただ必要な分だけを落とすような声だった。

それ以上は何も言わず、すぐに視線を外す。


踏み込ませない距離。

けれど、完全に突き放しているわけでもない、曖昧な線引き。


急いでいる――というより、長く留まるつもりがない、という方が近い。

青年はそのまま、手にしていた荷物を差し出してくる。


「ん、これ」


素っ気ない言い方。


「あ、」


反射的に受け取る。

指先が触れた瞬間、ひやりとした感触が伝わる。


思ったよりも、ずっと冷たい。


外の空気のせいなのか、それとも――

一瞬だけそんな考えがよぎるが、すぐに掴みきれずに消える。


青年はもう、こちらを見ていなかった。


「じゃあな」


それだけ。


振り返ることもなく、身体の向きを変える。

通りの方へ。


人の流れへ戻るつもりらしい。


その足取りに、迷いはない。

ここに留まる理由が最初からなかったみたいに、あっさりと。


けれど――


その背中を見たとき。


ルカの中で、何かが引っかかった。


言葉にできるほどはっきりしたものじゃない。

ただ、ほんのわずかな違和感。


さっきの男たちのこと。あの探し方。あの目。

まだ完全に遠ざかったとは、思えない。

それなのに、このまま戻っていくのか。


(このまま行かせて大丈夫なのかな……?)


胸の奥に、さっきとは違う種類のざわめきが生まれる。

不安というより、引っかかりに近い感覚。


見過ごしてはいけない気がするのに、

何が引っかかっているのか、自分でもうまく掴めない。


その曖昧さのまま――


気づけば、呼び止めようとしていた。


振り返ることもなく、身体の向きを変える。

通りの方へ。


人の流れへ戻るつもりらしい。


その足取りに、迷いはない。

ここに留まる理由が最初からなかったみたいに、あっさりと。


けれど――


その背中を見たとき。


ルカの中で、何かが引っかかった。


言葉にできるほどはっきりしたものじゃない。

ただ、ほんのわずかな違和感。


さっきの男たちのこと。あの探し方。あの目。

まだ完全に遠ざかったとは、思えない。

それなのに、このまま戻っていくのか。


(このまま行かせて大丈夫なのかな……?)


胸の奥に、さっきとは違う種類のざわめきが生まれる。

不安というより、引っかかりに近い感覚。


見過ごしてはいけない気がするのに、

何が引っかかっているのか、自分でもうまく掴めない。


その曖昧さのまま――


気づけば、呼び止めようとしていた。


「ねぇ、待って!」


思ったより強く声が出た。自分でも少し驚くくらいだった。

その一言で、通りへ向けていた背中が止まる。

青年の足が、ぴたりと止まった。


わずかな間のあと、ゆっくりと振り返る。


「……なに?」


短い問い。感情を抑えた声。

さっきよりも、少しだけ温度が低い。


「……君、あの人たちに追われてるの?」


言いながら、自分でも分かっていた。

ほとんど答えは出ているようなものだと。


それでも、確かめずにはいられなかった。

青年の目が、わずかに細くなる。

その一瞬だけ、空気が張る。


「……あんたには関係ないでしょ」


間を置かない即答。


ぴたりと線を引く言い方だった。

それ以上近づくな、と言外に押し返される。


冷たい。けれど、それは拒絶というより――

踏み込まれることへの警戒に近い。

ルカは一瞬、言葉を失う。

胸の奥が、きゅっと小さく縮む。


それでも。

ここで引くのは、違う気がした。


「でも――」


自分でも分かるくらい、不器用な入り方だった。

けれど、止められない。


「まだ、その辺にいるかもしれないよ」


視線が、無意識に通りの方へ向く。

さっきの男たちの気配が、まだ残っている気がする。

完全に離れたとは、どうしても思えない。


「もう少しここにいたほうが……いいんじゃないかな」


言葉を選びながら、ゆっくりと続ける。


説得、というほどのものじゃない。

ただ、自分が感じた不安をそのまま差し出しているだけだ。


上手く言えている自信はない。

それでも、放っておくのは違うと思った。


青年は、すぐには答えなかった。

ただ、ルカを見ている。

紫色の瞳が、今度はまっすぐに向けられる。

さっきよりも深く、長く。


値踏みするように。

あるいは――


本当に、信用していいのかを測るみたいに。

その視線を、ルカは逸らさなかった。


怖くないわけじゃない。

けれど、目を逸らしたら、ここで終わる気がした。


短い沈黙。


通りのざわめきだけが、遠くで流れている。

その中で。

青年の瞳が、ほんのわずかに揺れた。


迷いの色が、ほんの一瞬だけ混じる。


言葉にするほどではない。

けれど、確かにそこにあった。


その揺らぎを、すぐに打ち消すように。

青年は不愉快そうに眉をひそめた。

ルカの言葉に反論しようとしたのか、わずかに口が動く。


けれど、そのまま言葉にはならない。

代わりに、小さく息を吐いた。

諦めたような、押し殺したような、短いため息。


数秒だけその場に立ち尽くしてから――


「……はぁ」


もう一度、息を落とすと、青年は踵を返した。

通りへ向けていた身体を戻し、ゆっくりと歩み寄る。

そのまま、ルカの隣に腰を下ろした。


さっきと同じ位置。

けれど今度は、隠れるためじゃない。


わずかに距離を空けた、ぎこちない座り方。

完全に気を許したわけではないのが、はっきりと分かる。

ルカは少しだけ目を瞬かせてから、ほっとしたように肩の力を抜いた。


「俺はルカ。君は?」


できるだけやわらかく、自然に。

問いかける。

青年はすぐには答えなかった。


視線を落とし、どこか遠くを見るように目を細める。

言うかどうか、迷っているみたいに。

通りのざわめきが、二人の間をすり抜けていく。


短い沈黙。


やがて――


「……別に、お前に名乗る必要ないだろ」


小さく、ぼそりと。

素っ気ない拒絶。

ルカは一瞬だけ言葉に詰まるが、それでも引かなかった。


「あ、そっか……ごめん。でも、君の呼び方ないと話すときにちょっと困るし……」


困ったように笑う。

無理に踏み込むでもなく、ただ正直に。

その反応に、青年がわずかに眉を寄せる。

ほんの一瞬だけ、視線がルカに向く。


そして――


「……コリン」


しぶしぶ、といった調子で落とされる名前。

それだけ言って、すぐに視線を外す。


「コリンくんかあ!良い名前だね!」


ぱっと表情が明るくなる。

素直すぎるくらいの反応。

コリンは、その言葉にわずかに顔をしかめた。


「……“くん”いらない」


短く、ぶっきらぼうに返す。

けれど、その声にはさっきより少しだけ棘が少なかった。


ルカは「あ、そっか」と小さく笑う。


「じゃあ、コリン」


言い直してから、少しだけ嬉しそうに繰り返す。

名前を呼べること自体が、どこか安心につながっているみたいだった。

コリンは何も言わない。

ただ、わずかに肩の力を抜いて、通りの方へ視線を戻した。

次回は5月15日に「触れてはいけないところ」を投稿します。

お楽しみに(^▽^)

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