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休んでいたはずなのに

青年は、ほとんど反射のように動いた。

言葉が落ちきるよりも早く、身体が先に反応していた。

ルカのすぐ横へ滑り込むように寄り、そのまま音も立てずに腰を落とす。

視界の端で、その動きだけが妙にはっきりと映った。


「ちょっ――」


思わず声が出かけて、途中で止まる。

距離が、近い。

ほんの一歩も離れていない位置。

意識しなくても、相手の気配がはっきりと分かる。


その瞬間、視界の端に、色が入り込んだ。


暗い――けれどただの黒じゃない。


夜の空みたいな、深い青。

光の当たり方でわずかに揺らぐ、落ち着いた色合い。

その中に、細く混じる金色。

左右の、少し長めに伸びた髪だけが、他よりも目立つように光を拾っている。

短く整えられた髪の中で、そこだけがわずかに揺れた。

しゃがんだ拍子に、その光が一瞬だけ視界をかすめる。


思わず目で追いかけそうになって――止める。


(……今、それどころじゃない)


青年は、ルカの方を一切見ていなかった。

顔を上げることもなく、ただ通りの方へ意識を向けている。

人の流れ。音。気配。

すべてを拾うように、神経を張り詰めていた。


呼吸は浅いが、乱れてはいない。

むしろ、無理やり抑え込んでいるようにも見える。

気配そのものを、消そうとしているみたいに。


(……どうしよう)


頭が追いつかない。

何が起きているのかも、どうするのが正しいのかも分からない。

ただひとつ分かるのは、このまま何もしないのはまずい、という感覚だけだった。


立ち尽くすのは、目立つ。見つかるかもしれない。

理由は分からないのに、そんな確信だけがあった。


ルカは、とっさに自分の荷物を持ち直す。

袋の口を、少し大きく広げる。

自然に見えるように――できるだけ、何でもない動きの延長で。


手が、少しだけ固い。


(落ち着け……普通に…普通に…自然な感じで…)


そう言い聞かせながら、


「……とりあえずこれ、持ってて」


できるだけ小さな声で、青年に押しつけるように渡す。

一瞬だけ、青年の顔がわずかに上がった。そのとき、目が合いかける。


金色だった。


光を反射するというより、もともとそこに灯っているみたいな色。

鋭いのに、どこか焦りを含んだ視線。

ほんの一瞬だけで、それ以上は見えない。


すぐに青年はそれを受け取り、体の前に引き寄せる。

布と荷物で、自然に影ができる位置へ。

動きに無駄がない。


最初から、そうするつもりだったみたいに。

外から見れば、ただ店の端で座っている人影にしか見えないはずだった。


ルカは、何でもない顔を装うように視線を外す。

通りの方へ、ゆるく意識を向ける。

鼓動が、少しだけ速い。

さっき落ち着いたはずの呼吸が、またわずかに浅くなる。


(ばれてない……よな)


自分に言い聞かせる。けれど、その確信はどこにもない。

ただ、今はそう思い込むしかなかった。


そのときだった。


「――おい、そこのお前」


荒い声が、通りの方から飛んできた。

空気が一段、ざらつく。


数人分の足音が、そのままこちらへ近づいてくる。

遠慮のない、踏みつけるような歩き方。

視界の端に、がさつな動きが入り込む。


「この辺にお前と同じ年ぐらいの餓鬼が来たはずだ」

「見てねぇか? 若いの」


低く、押しつけるような声。

ルカは一瞬、言葉を失う。


(……えっと、どうしよう。なんて答えよう)


頭が回らない。

それでも、視線だけははっきりと向けられている。


「おい、聞いてんのか」


一歩、踏み込まれる。距離が詰まる。


「え、あの……」


言葉が続かない。


「さっき通っただろ」


別の男が口を挟む。


「ガキくせに、妙に目つきの悪いの」

「髪、変な色してたよな」

「ああ、黒じゃねぇ。……いや、青か? なんか暗ぇやつ」

「そこに、金が混じってたろ。妙に目立つ」


ルカの指先が、わずかに強ばる。

さっき、すぐ横で見た色が頭に浮かぶ。


夜みたいな青。

そこに差し込む、細い金。


「前だけちょっと長ぇんだよな」

「触覚みてぇに垂れてるよぉ」

「そうそれ。あれがやたら目立つ」


軽く笑う気配。けれど、目は笑っていない。


「で、背はこんくらい」


曖昧なやり取り。

けれどルカの中では、はっきりしていた。

さっきすぐ横にいた感覚。見下ろされるほどじゃないが、視線はわずかに上だった。

ほんの少しだけ、自分より高い


「年も大して変わんねぇぐらいのガキだ」


その言葉に、ルカの胸がわずかに引っかかる。


(……同じ年くらい……?)


さっきの一瞬。

金色の瞳が、脳裏に浮かぶ。


あの視線。

子ども、というには少し鋭すぎる。

けれど――


「見てねぇのか、って聞いてんだよ」


現実に引き戻される。低い声。

逃がさない、という圧。


「見たか、見てねぇか。 それだけでいい、さっさと答えろ」


選択肢を削る言い方。

ルカの喉が、わずかに鳴る。


(……どうする)


すぐ後ろ下にいる。

息を潜めている気配が、すぐそこにある。

何も言わなければ、不自然なる。


張りつめた空気が、さらに一段きしんだ瞬間だった。


「――うるさいねぇ」


ぴしり、と空気を断つ声が落ちた。

ルカのすぐ横からだった。


驚いて視線を向ける。

そこには、さっきまで穏やかに店先に座っていたはずの老女がいる。

背筋は変わらず少し丸まっているが、纏う空気がまるで違った。


「人の店先で、がなり立てるんじゃないよ」


ゆっくりとした口調。けれど、その一言には妙な重みがあった。

やわらかさはそのままに、芯だけが鋭く通っている。

空気が、ぴたりと止まる。


「……あぁ? なんだババァ」


男の一人が、顎をしゃくる。値踏みするような視線。


「なんだ、じゃないよ」


間を置かずに返される。


「ここはあたしの店先だ。騒ぐ場所じゃないって言ってるのさ」

「ちょっと聞き込みしてるだけだろうが」


別の男が口を挟む。苛立ちを隠そうともしない声。


「聞き込み?」


おばあちゃんは、わずかに首を傾げた。


「そりゃずいぶん乱暴な聞き方だねぇ」


静かな指摘。けれど、その言葉は妙に刺さる。


「客に向かって睨みつけて、脅すのが“聞き込み”かい」


ぐっと、空気が押し返される。

男たちの間に、わずかな間が生まれる。


「……仕事なんだよ」


低く返す声。言い訳のようにも、開き直りのようにも聞こえる。


「だったら尚更だ」


即座に被せられる。


「仕事なら、場所とやり方くらい弁えな」


一歩も引かない。声は変わらず穏やかなのに、言葉だけがまっすぐに突き刺さる。


「ここでこれ以上やるなら、あたしが迷惑だ」


ぴたり、と言い切る。


「客も逃げる。商売の邪魔だよ」


淡々としている。感情的ではない。

けれど、その分だけ逃げ道がない。


「……ちっ」


男の一人が、わずかに顔を歪める。


「大したもんだな、ババァ」


軽く吐き捨てるような声。けれど、踏み込んではこない。


「褒め言葉なら受け取っとくよ」


さらりと返される。間を与えない。


「で? まだここにいるつもりかい」


静かな催促。それが決定打だった。

男たちの間で視線が交わる。

短い沈黙。


「……行くぞ」


低く吐き捨てる声。それ以上は何も言わない。

靴底が石を鳴らす音が、ひとつ、ふたつと遠ざかっていく。

さっきまでそこにあった圧が、少しずつ剥がれていく。

ざらついた気配が、通りのざわめきの中へ溶けていった。

やがて完全に紛れて、見えなくなる。


残ったのは――


張りつめていた糸が、ようやく緩むような静けさだった。

さっきと同じ、甘い匂いと、やわらかな空気だった。


けれど、ルカの胸の奥だけは、まだ少しだけ強張ったままだった。


知らないうちに止めていた息を、ゆっくりと吐き出す。

肩の力が抜けると同時に、足元がわずかに頼りなくなる。


(……行った、よな)


自分に言い聞かせるように、心の中で確かめる。

そのとき、すぐ横――視界の端で、かすかに布が揺れた。


渡した荷物の向こう側。

影の中に沈んでいた気配が、ほんのわずかに動く。


まだ完全には解けていない、張りつめた空気。

それが、二人の間にだけ残っていた。

次回は5月9日に「まだ見つからない」を投稿します。

お楽しみに(^▽^)

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