48 一つの決着、そして
スサは周囲を蛇の魔獣に取り囲まれているにもかかわらず、大太刀を腰の鞘に収めた。
「ではマミカ殿、貴女に言わねばならぬことが二つある。聞いてもらえるだろうか」
「いややもありません」
なおも蛇を産み続けながらマミカが答え、スサは居ずまいを正した。
「いたみいる。俺はこの通りの無骨者ゆえ、女人というものが分からぬ。機微を解さぬ。だから貴女が魔に堕し禁を犯した理由が俺にあるというならば、まずはその非を詫びよう」
まことにあいすまぬ、と頭を下げる。
マミカは感嘆のため息を漏らした。
「なんと勿体ないお言葉。それでは私の想いを受け止めて下さるのですね」
「ああ、しかと受け止めよう。……マミカ殿」
下げていた頭を上げ、スサはまっすぐにマミカの目を見つめた。
「俺は貴女が嫌いだ」
「存じております」
マミカが微笑む。
「それでもあなた様は、私の想いを受け止めると仰せられました。ああ、愛しい、愛しいスサ様。愛しい。愛しい。憎い。憎い。憎い! この愛しさも憎しみも、私の全てはスサ様のもの」
「我が誇りたるこの刃を以て応えましょう」
スサは抜刀して、青眼に構えた。
その切っ先など目に入らぬかのように、マミカが懇願する。
「スサ様、どうかおそばに。もはやこの身体は、ただタマヒを汲み上げておぞましき蛇を産み続けるだけのものになってしまいました。あなた様にお目もじ叶って、つかの間戻った意識も、遠からず呑み込まれましょう。ですから、その前に。私が私であるうちに」
「なんとしますか」
「あなた様を弑したく存じます。弑して食みます。髪の一房も余さずに」
スサは何も言わずに構えを解いた。霊泉に足を踏み入れ、ゆっくりと近付く。
マミカは動かない。スサは語らない。
スサは最後の一歩を大きく踏み出すと、半身の姿勢から左腕を伸ばし、マミカの首の後ろに手をかけた。そのまま引き寄せながら、一気に体を寄せる。
「スサ様……」
マミカがぶるぶると震える右腕をスサの背中に回した。
スサは胸に抱いた女の背中を見下ろした。マミカの心臓を貫いた刀身が見えた。柄をひねる。
マミカの体が雷に打たれたように痙攣した。鋭い鈎爪がスサの背中に食い込む。
「お慕い、申し上げます」
囁く声と共に、力なく腕が落ちた。
蛇が水に落ちる音が止まり、遺された着物が霊泉に沈む。
マミカはタマヒとなって消滅した。髪のひと房も残さずに。
「……御免!」
スサは水面に浮かぶ櫛を拾い上げ、懐に納めた。
空を見上げる。大型の魔物の姿はもうない。他の者に倒されたか逃げるかしたのだろう。
兄王の予想通り、マミカの力は弱かった。あの程度の戦力で都を襲うなど、どだい無理ではあったのだ。
――もはやこの身体は、ただタマヒを汲み上げておぞましき蛇を産み続けるだけのものになってしまいました。
マミカはそう言っていた。
つまり龍脈の霊泉から汲み上げたタマヒで付け焼き刃の力を蓄えるよりも、下等な魔獣を量産して、ほんのわずかでも都に害をなすことを選んだのだ。それはスサにしてみれば無意味な玉砕に過ぎないが、そうせずにはおれぬほど、マミカの――いや、彼女の中に棲むモノの怒りは激しかったのだろうか。
南の神殿に祀られた――龍神の怒りは。
広場を埋め尽くしていた蛇の群れは、マミカの消滅と同時に統制を失い、一斉に逃げ散っている。
それらは魔獣化しているとはいえ、寒さに強いだけで大した驚異ではない。しかしマテル女王を襲った個体と同じ種であるならば毒を持っており、人家に潜まれでもしたら厄介なことこの上ない。恐らく毒の分析は既にされているだろうが、民に注意を呼び掛けると同時に、兵を総動員して早急に駆逐しなければならないだろう。
「――スサ様」
広場を囲む民家の屋根から呼び掛ける者がある。ヤトギの影だろう。スサは振り向きもせず応えた。
「伝令か。状況は?」
「魔物どもは倒され、住民の避難も滞りなく進んでおります。――ですが」
影はいったん言葉を切った。ただ機械的にヤトギの命に従うだけの者にしては珍しい、かすかな躊躇を含む雰囲気に、スサは不吉なものを感じてそちらを見た。
「先ほどユラ導師のご自宅に龍神様が顕現され、龍戦士殿と争ったようです。ほどなく龍神様は南へ飛び去りましたが、都の守護神とその加護を受けているはずの龍戦士殿が戦っているところを目撃した住民たちに動揺が拡がっております」
――まさか……シロガネが!
スサは唇を噛んだ。
2
騒乱の一夜が明けた。
都の民たちは住んでいる地域の安全が確認されしだい、順次帰宅が許されている。都全体の被害も、騒ぎの規模のわりには軽微であるらしい。
とはいえ、民の間に確実な不安が拡がっていることも事実であった。
「まったく、とんだ年明けよね。おかげでカゲローちゃんとの逢瀬もおじゃんになっちゃったし」
「……は」
スサは言葉少なに、変わらぬ軽口を叩く絶世の美女――の扮装をした双子の兄の片割れ――マテル女王に付き従って歩いていた。
もう一人の片割れ、副王ヤトギは昨晩から休みなく働いている。もちろん大将軍ミヅチをはじめとする諸将も、安全区域の拡大や、残る魔獣どもの駆逐とその死骸処理など、都の早期復興に尽力している。しかしこういうとき、マテルは何もしない。
マテル女王は今朝も早々からスサを供に、お散歩と称して都中を練り歩き、そこで働く兵や住民に無責任な声をかけて回っていた。
もちろん求められても指示などは一切しない。視察ですらない、「お散歩」なのだ。つまりいつも通りに、ふらふらしているだけである。
彼女に行き合った者の中には、思いもかけない女王の登場に喜び感謝する者もあれば、この非常時に何をしているのだという非難の色を浮かべる者もある。
そのような者に対しても、マテルは「ねえねえ聞いて、またうちのスサちゃんが敵の親玉を倒したのよー」などと自慢げに言って無邪気に笑った。
マテルはまた、安全確認がされていない地域にも平気で進入した。気の毒な見張り兵が慌てて止めに入るが、大人しく聞くマテルではない。泣き真似までして駄々をこねる女王に困り果てた兵の助けを求める目にも、スサは「好きにさせてやれ」とばかりに肩をすくめるだけであった。
スサは知っている。それが「うつけの女王」、マハラ・マテルの役割なのだ。一度知ってしまえば、マテルの奇行に潜む真の意味を推し測ることもできた。
時々やってくる伝令にも、耳打ちだけはさせておいて、へらへらと笑って追い返しているように見えるが、実はそうではない。この兄弟王は、常に連携している。双頭の龍は今も生きているのだ。
午前中いっぱいをかけて都を巡ったマテルは、さすがに疲れているようだった。もとより体力に恵まれなかった双子である。厚化粧のせいで顔色は分からないが、注意深く観察すれば色濃い疲労が見てとれた。恐らくマテルもまた、昨夜から眠っていないのだろう。
午後を回ってようやく帰城したマテルは、自室に戻るかと思いきや、全く違う方向へ向かって歩き出した。
「陛下、そろそろお休みされては」
スサは無駄を承知で声を掛けた。城内に自分の警護が必要なほどの危険があるとも思えないので、せめて供の任を解いてはもらえないかと考えたのである。
女王警護の任の重要さは理解しているが、自分は兵たちと共に体を動かす方が性に合っている。何より口には出さないが、抱く尊敬の念は別として、やはりこの女王の傍にいるのは、どうにも疲れるのだ。
そんなスサの思惑を見透かしたように、マテルがうふふと笑った。
「気持ちは分かるけど、もう少しだけ付き合ってね。今から大事なお話をしに行くけど、スサちゃんにも聞いておいて欲しいから」
「この先は……。では陛下、話というのは」
「慌てないの。……あ、わざわざ先に言ってあげたんだから、何を見て聞いても取り乱したりしちゃ駄目よ?」
「は。肝に命じます」
取り乱すなとはどういうことか、訊ねても教えてはくれまい。スサは黙してマテルの後を歩く。
やがて広大な城内の片隅にぽつねんと建つ、簡素だが頑丈そうな小屋が見えた。名目上は座敷牢となっているが、これまでに使用されたことはなく、現在も見張りの兵の一人もついていない。
マテルが無造作に戸を開き、内へ入った。土間を抜け、奥の座敷へ進む。襖越しに何者かが立ち上がる衣擦れの音が聞こえた。
マテルの視線を受けて、スサは襖の引手を取った。普段は先導されることを嫌うマテルだが、今回は様子が違う。スサは多少の困惑を覚えながらも、中の人物に声をかけた。
「龍戦士、入るぞ」
襖を開ける。木枠で組まれた柵の奥に、景郎が立っていた。
「スサ、やっと来たか。もちろん事情を話しに……。って、ま、マテル女王っ?」
スサの背後を見た景郎が目を剥いた。
「ああ。マテル陛下がお前に話があると……。――ッ」
景郎が驚くのも無理はなかろうと思いながら振り返ったスサも、驚愕のあまり凍りつく。
マテルは両膝をつき、畳に額をつけていた。
「都の危機をお救いいただいた恩人に斯様なご無礼、平にご容赦を。虫のいいこととは存じますが、どうかお力添えを賜りますよう、伏してお頼み申します」
絶句する二人の前で額突いたまま、マテルが固い声でそう言った。




