47 龍の英雄
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スサは単身、副王ヤトギの命を受け都の大通りを駆けていた。
片手には抜き身の大太刀。すでに何匹もの蛇の魔獣を斬っている。
ユラ導師宅を襲撃したマミカは、龍戦士によって退けられたと聞いている。しかし今度は都の民を無差別に襲い出したという。そのため新年の前夜祭で人々に溢れた大通りは、大混乱に陥っていた。
姿を現したばかりの下弦の月に、時おり翼持つ巨大な蛇型の魔物の影がよぎる。スサが城を出る前に確認されただけでも、少なくとも三体の同型の魔物が龍の都上空に潜んでいるらしい。
さらには、マミカの姿が以前スサやモユルによってされた報告とは違っているとの情報もあった。恐らくマミカは蛇の魔物に加え、さらに「シロガネ様」と同じ龍の魂の欠片をその身に付与したのでないかと目されている。
魔獣と化した蛇どもの首をはね、踏みつけながらスサは走る。蛇は単一種だがその大きさにはばらつきがあり、中には人間の子供程度なら簡単に呑み込んでしまえそうな個体も混じっていた。
城の警戒及び防衛、住民の避難と魔獣どもの討伐はミヅチ大将軍を中心とした諸将によって行われている。非番だった兵も都のいたるところから駆けつけては、着のみ着のままで部隊に加わりつつあり、その働きは称賛に値すると言ってよいものだった。
このようなとき、ものをいうのは個々の武力ではなく組織的行動力だ。ゆえに、部下を持たず単独での戦闘力に特化したスサに課せられた任務は、一つ。
マミカの討伐である。
それはマミカとの因縁を持つスサにとっても望むところであったが、しかしヤトギは命令を下す際には、珍しくわずかな迷いを見せた。
仮にマミカが龍を宿していたとしても、速やかに撃退されたことから、その力はまだ弱いと推測できる。ならば新たな龍脈召還計画の第二候補として、あえて泳がせておく手もあるというのだ。
よって、都の民に害をなし王族に牙を剥く以上は討たねばならないが、おとなしく引き下がるならば深追いしなくてよい、というのがヤトギの指示であった。
しかしスサにマミカを見逃すつもりなど毛頭ない。主たる兄弟王の胸の裡には、スサの預かり知らぬ様々な予測と計画があるのだろう。スサの独断によってその可能性の一つを潰してしまうかも知れないことも理解している。だがマミカを見逃すことは、そのまま龍の巫女モユル、あるいはマテル女王を危険に晒すことに直結しているのだ。
これまでのスサなら、たとえ下された命令に疑問や不満があったとしても諾諾と従っていただろう。そうすることが己の使命であり、最良の選択だと信じていたからだ。
しかし兄弟王は自らの頭でも考えろ、とスサに教えた。厳しい兄王たちは、スサに考えさせ何を悟らせようとしているのか。彼らはその言葉の真意まで語ってはくれず、まだスサには分からない。だからスサは自分の見渡せる範囲で考え、心に従うことにした。
目先の小事に囚われ大局を見ない軽挙だと罵られるかも知れない。ただの甘さだと断じられるかも知れない。またしても失望させてしまうかも知れない。それでも、やっと歩き始めたこの道を、進み続けるしかないのだ。
スサの上空から甲高く耳障りな咆哮が聞こえた。巨大な蛇型の魔物の一体が、城に向かおうとしている。スサは足元に跳行の術式法陣を展開し、即座に発動して大きく跳躍した。
跳行とは瞬動を大型化した、スサ独自の術式である。
そもそも瞬動とは、術式法陣によって回路化し威力を増大した列波に他ならない。その最大の特徴は、列波においては術者から外へ向けてしか放射できない力の向きを、術式法陣を設置することで自由に指定できることにある。
武人はこれを、言わばタマヒによるバネとして使用し、瞬間的な加速を行う。当然ながら使いこなすには相応の平衡感覚と肉体の強度が必要であり、武人にしか使えない理由がここにある。
スサはこの瞬動をさらに大型化させ、跳行と名付けていた。その威力は大柄なスサを軽々と宙に跳ね上げるほどに強力なものだ。
スサは跳んだ先で再び跳行を行い、跳ねるように上昇していく。それは跳行という特別な術式、突出した空間認識能力、その要求に応え空中での姿勢制御などを行う身体能力、そして驚異的な術式法陣の展開速度――この四つが揃って初めて可能となる、世界広しといえどもスサだけに許された神業であった。
スサは術式法陣の展開するために印を結ばず、詠唱もしない。常に無印無詠唱である。
全ての術式法陣は、あらかじめ物理的に描かれたものか、術者が空間に想起し投影された図形に沿って、正確にタマヒを流し込むことで効果を発揮する。タマヒという筆で、力ある図形を描くことがその本義である。
もちろん結印や詠唱にも力は宿るが、術式法陣本体に比べれば効果は薄く、むしろその両者の組み合わせを連携させることにより正確に図形の記憶と想起を行う、補助的な意味合いが強い。一つの術式に熟練するほどに結印や詠唱を省略できる傾向にあるのは、このためだ。
そしてスサには、優れた武技の他に、もう一つ特異な才能があった。
すなわち、瞬間記憶能力である。一度見たものを細部まで正確に記憶する能力を持つスサは、訓練によって機械的に脳内の映像情報を空間に投影するすべを身につけていた。
通常、上位の術式ほど複雑化し相応の集中を必要とする不利を廃し、かつ結印に縛られず両手を自由に扱えることは、肉弾戦を行う者にとって圧倒的な優位性となる。これこそが龍の都の英雄、王弟スサの伝説的戦闘力の根幹であった。
跳行の連続行使で蛇の大型魔物の眼前に躍り出たスサは、次なる跳行の術式法陣を横向きに展開、弾かれたように突進した。
「つぇえええいッ!」
裂帛の気合いとともに、魔物が吐いた見えない刃――気刃を、正面から叩き斬る。
続けて、ひと呑みにせんばかりに大きく口を開いた魔物の上顎を削ぎ飛ばし、そのままの勢いで下顎を蹴り、縦に回転しながら輪切りに首を落とした。
「む……?」
タマヒとなって消滅していく魔物の背中を軽く蹴って姿勢の安定を取り戻し、断続的な弱い跳行で緩やかに下降するスサのタマヒを視る目が、南の空に異変を捉えた。
今しがた斬ったものと同型の魔物が、何者かに倒されたのだ。距離と暗さのために、確認できたのは滅ぼされた魔物がタマヒへ還る様子だけだったが、スサはそれが龍戦士の仕業かも知れぬと考えた。
この時点で弓兵部隊や術師団があのような場所にいるはずがなく、空を飛翔する魔物を倒せる者は限られている。龍戦士がマミカへの追撃を行っていないことに疑問を持っていたスサだったが、あれらの相手をさせられていたと考えれば納得もいく。
とにかくそれが何者であれ、自分以外にも空の魔物への対応ができる者がいることは、願ってもないことだ。スサは意識を切り換え、大通りにいくつか設けられた龍脈の霊泉の一つへ着地地点を定めた。上空にいるとき、そこに膨大なタマヒの動きを見ていたのだ。
降下するにつれ、人工的に整えられた霊泉を中央に据えた広場の地面が、不気味に蠢いているのが見えた。
否、動いているのは地面ではない。蛇だ。広場が大小様々な蛇の魔獣で埋め尽くされている。それは広場のそこここに灯るかがり火に照らされ、まるで巨大な生物の器官であるかのように脈動していた。
脈動の中心には、龍脈の霊泉。人々の憩いの場であったその泉から、どうしたわけか溢れる水のように蛇どもが這い出している。
スサは広場の手前に着地した。霊泉の中央に、膝までを水に浸けて佇む人影があった。
霊泉を守るように取り囲んでいた蛇の魔獣たちが、一斉にスサの元へ殺到する。雪崩をうって襲いかかる無数の牙がスサに到達する寸前、それらが弾かれたように宙へ舞い、その上昇中にまとめて両断された。
スサが蛇の群れの中に跳行を使ったのだ。次々と周囲に跳行を放ち、なすすべもなく打ち上げられる蛇のことごとくを、やはり上昇中に斬る。
数瞬の間を置いて、激しく肉を打つような、べちべちと粘着質の音がスサの回りで巻き起こった。両断され狂ったようにのたうちながら落下する、蛇どもである。
降り注ぐ血と肉片の雨のなか、スサは人影に向かって歩みを開始した。人影の立つ霊泉からは、先刻からずっと何かが水に落ちる音が聞こえてきている。スサが現出させた蛇の雨ではない、何かが。
途切れることなく続くその音の正体を確かめようと、スサは蛇どもを打ち上げることをやめた。
断末魔の痙攣を見せる仲間の死骸を乗り越え、すかさず新たな蛇たちが押し寄せる。スサは雑草でも刈り取るかのように大太刀を振るい、拳を打ち、踏みつけながら歩く。
やがて人影の顔がはっきりと識別できる距離まで近付いたとき、俯いていたそれが、初めてスサを見た。
その瞬間、蛇の魔獣たちの攻撃が止まった。荒ぶる海が突如として凪いだように、不自然なまでの静けさが広場を包む。
動きが止まりはしても敵意は消えない無数の視線にさらされながら、スサはその人影を観察した。
節くれだった手。太く鋭い鈎爪。着崩れた着物の胸元に覗く、青い光沢を放つ碧の魚鱗。鹿に似た角。収まるべき腕をなくしたらしい左の袖が、頼りなく揺れている。まるで姿が変わっているが、その顔は紛れもなくマミカのものだった。
ぼちゃぼちゃという水音は、マミカの足元から聞こえている。スサはマミカの乱れた裾からそれを見たとき、霊泉から蛇の魔獣が溢れてくる理由を知った。
マミカは、蛇を産み落としていた。卵ではなく、既に蛇の形を成したものが、次々と途切れることなくマミカの両脚の間に落ち続けている。
水に落ちた蛇が霊泉のタマヒを吸収して見る間に育ち、外に這い出ている。この蛇の魔獣の群れは、こうして形成されていたのだ。
吐き気を催すおぞましい光景にも眉ひとつ動かさず、スサは低く訊ねた。
「お前は何者だ? マミカ導師か、下らぬ蛇の魔物か、それとも――」
「スサ様。ああスサ様。やっとお会いできた。私はマミカ。マミカです」
抉れた頬に血の混ざる涙の筋を引いて、マミカが歓喜に震える声を上げた。




