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龍戦士チューニング  作者: 布瑠部
第五章 復活
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45 マミカ変化

 あまりの急展開に、モユルは自失した。


「え? あ、ああ」


 自分が激昂するより先に、恐ろしいほどの早業で瞬く間に事態を片付けられてしまい、冷や水を浴びせられた形である。


「どうするって、どう」


 意味のある言葉が出てこない。状況の推移についていけない。当のマミカですら、何をされたか理解していないだろう。


 呆然とマミカを見下ろすモユルの背中に、ユラがそっと触れた。


「すっかり毒気を抜かれたようだね。こんなやり方でモユルを止めるなんて、我が子ながら末恐ろしいったらありゃしない。……ほら、モユル」


 まずは解術だろ、と落ち着かせるように軽く叩く。


「は、はい」


 モユルはうつ伏せに押さえ込まれたマミカの右側に回り、カグチと向かい合うようにしゃがんだ。マミカの封じられた手に触れる。これであとは、マミカの中に術式のためのタマヒの流れを感じたら、その都度強制的に解除してしまえばよい。


 とはいえ術式法陣を展開せず無印無詠唱で行使される列波(れっぱ)や、恐らくその応用であろう気刃には細心の注意を払う必要がある。


 何より、今のマミカにモユルの強制解術が通用するかどうか。特に気刃は殺傷力が高い上に息吹と共に発動しているので、解術が間に合わないことも考えてマミカの視線からは逃れておかなくてはなるまい。


 同じくマミカの正面を避けて玄関側に移動したユラが、外を見た。


 玄関からの光が届かない闇に隠された、広くもない敷地中に、何かが蠢く気配が無数にあった。


 表通りの方からは、いまだ賑やかな歓声が聞こえてくる。誰も異変に気付いていないらしく、まるでこの空間だけが世間から取り残されたようだ。


「読みが外れたよ。まさか年が明けた瞬間を狙って、堂々と正面から来るとはね。念のために張っておいた蛇避けの結界が効いてるのがせめてもの救いか」


 しかめ面で視線を戻す。マミカがもはや人の姿をしていないと聞いていたため、人目につくことを避けるだろうという思い込みの裏をかかれたのだ。


 そして人々の喧騒渦巻くいま、多少の騒ぎが起きたところで誰にも気付かれない。それこそがマミカの狙いだったのである。


「モユル、分かってると思うけど気を抜くんじゃないよ。さっき鈴がやんだ。結界子をやられたんだ。たぶん、どんどん入り込んで来てるよ」


 ユラの結界子は普通の小動物や長虫にどうにかできるような、脆いものではない。蛇どもの侵入が止んだ可能性もあるにはあるが、もっと悪い事態を考慮しておいた方がいいだろう。


 しかしいま、モユルがもっとも気になるのは、マミカが何の抵抗もしていないことだった。


 マミカは激しく震え、ひどく苦しんでいた。低く呻く声の中には、時折「いいえ」や「いやだ」といった拒絶の言葉が混じっている。


 ――もう自分でも自分が何なのか分からなくなってるけど、あんたの前ではあたしはマミカ。マミカよ。


 マミカはそう言っていた。自分がマミカであるために、己れの中で暴れる魔物を抑えようとしているのだろうか。


「さ、モユル。もう一つの結界もそう長くは保たないだろうから、のんびり悩んでる時間はないよ。……打つかい、シロガネの仇を」


 ユラが短刀を取り出し、すらりと抜いた。差し出された刃の、まるでそれ自体が発光したかのような照り返しが、モユルの瞳に焼きつく。


 モユルは返答に窮した。激情が過ぎたいま、モユルの中にあるのは、実感の伴わない虚しさだった。


 本当にシロガネは殺されてしまったのだろうか。本当にもう会えないのだろうか。モユルを苦しめるための、マミカの嘘だった可能性はないか。事実の確認もせずに、マミカを討ってよいものか。では自らの危険を省みず、それでもマミカを救いたいと願った覚悟はなんだったのか。


 ――違う。


 モユルは自身への言い訳をやめた。すぐに答えられないのは、そんなことが原因ではない。


 例えばさっきの己れを見失いかけたモユルなら、発作的に仇を打つことができただろう。だが、今は。


 モユルは体の奥から沸き上がる震えを感じた。


 それは、怯えだった。


 モユルは、誰かを傷つけることに強い恐怖を感じる性質である。ましてこのマミカは、本質はともかく人の姿をしているのだ。背骨の髄を直接撫でられたような不快感が、モユルの心を掻きむしる。


「やっぱり、怖いのかい。あんたに出来ないなら、あたしがやるよ。……あたしなら、躊躇わずやれる」


「母さん。やるなら僕がやるよ」


 料理に使っていた糸でマミカの指と腕、そして首を幾重にも巻いて拘束しながら、カグチが言った。首の糸には少し余裕を持たせているが、無論のこと情けゆえではなく、場合によってはこれを引くことを想定しているからである。


「青い顔して、何を言ってンだい。これはあんたみたいなガキにはまだ荷が重いよ。短い間だったけど、あたしたちにとってもシロガネは家族だった。だからこれは家長たるあたしの権利で、義務だ」


 申し出をすげなく一蹴され、カグチは口元を歪めた。笑うことに失敗したのだ。


 ユラの指摘通り、カグチは極度の緊張状態にあった。行動を起こすことにためらうつもりはないが、指先の震えが止まらない。


 怖いのだ。町なかにありながら、ここは命のやり取りをする戦場である。実のところ、責任感と見栄がギリギリのところでカグチを支えていた。


 そして、そういったことを見抜いているユラの判断が情に基づいた甘いものであることは明白だったが、権利だの義務を建前にされては反論できない。


 下唇を噛むカグチをそのままにして、ユラがもう一度モユルに確認する。


「決めな、モユル。ここでシロガネの仇を打つか。それとも生かすか」


「……はい」


 モユルは目を閉じた。深呼吸を一つ。改めてマミカを見る。


 マミカは苦しげに頭を振り、身悶えしながら、不明瞭な声でしきりに何事か呟いている。


 憐れだった。


 しかしモユルは選ばなくてはならない。一時の激情に任せてではなく、はっきりと殺意を認識し自覚した上で、この人の道を踏み外した憐れな女を討つか。生かして恨みを抱えたまま、仇を救う道を探すか。


 どちらを選んでも、違う形でモユルを苦しめることになるだろう。もはや全てを丸く納めることなど不可能なのだ。


 モユルは奥歯を噛み締め、静かに述べた。


「マミカ導師は、殺しません。いや、死なせません。まずは正式な裁きを受けてもらいます」


 もとよりマミカは、南の神域を犯したことを初めとするいくつかの罪で手配されている。普通に考えればそれだけで死罪とまではいかないだろうが、魔物と混じってしまっている彼女が人として扱われる見込みは少ないだろう。


「そして導師の助命を願い出て、もし生かされたなら、人間に戻す手段を探したいと思います。それは龍の都にとっても有益な研究になるはずですから」


 ユラが鼻に皺を寄せて、嫌悪感もあらわにモユルを睨んだ。


「それはあたしにも協力しろって意味だね。よりにもよって一番面倒な選択をしてくれたもんだねえ」


「はい、頼らせて下さい。ユラ(・・)さん」


 モユルはユラの目を真っ直ぐに見て、少しだけ笑った。


 マミカを人間に戻す。それにはマミカの助命を嘆願し、さらには避けられていた彼女の研究を引き継いで発展させなければならない。そんなことが出来る者がいるとするなら、それは立場的にも精神的にも実力的にも、ユラ導師以外にありえなかった。


「確認するよ。それは自分の手を汚すのが嫌で、逃げてるわけじゃないね?」


「はい。これは救済ではありません。復讐です。カゲローさんが言ってました。混ざりあった水と海水の例で言うなら、分離するのは難しいけど、抽出なら出来るんじゃないかって」


 ユラは「景郎(かげろう)め」と小さく呟いて、探るようにモユルの目を覗きこんだ。モユルは視線を反らさない。


「……それがどうして復讐になるのか、分かっている顔だね」


「はい。これは復讐です。だから手段も選びません」


「そしてそれをユラ(・・)導師(・・)ではなく、あたし(・・・)に頼むんだね?」


「そうです。助けて下さい、お母さん」


 モユルは初めてユラを母と呼んだ。


「さっきの今で、あたしをそう呼ぶかい」


 ユラがニヤリと笑う。


「いいだろう。馬鹿な娘にそうまで頼まれちゃ、馬鹿な母親としては断れないねえ。全面的に協力しようじゃないか。それにはまずこの場を切り抜けなくちゃなンないが――」


 さてどうしたものかねえ、と溜め息をつく。


 蛇よけの結界は玄関の敷居を境界としており、その外は蛇どもで埋め尽くされている。しかもただの蛇ばかりではあるまい。


「それならもう解術は必要なさそうだし、あたしが」


「待って姉さん」


 マミカから手を離しかけたモユルを、カグチが止めた。


「一瞬だけど、さっきマミカ導師に不自然な動きと間があった」


 恐らく既に正気に戻っている――と警告する、その前に。


 突如として、マミカの肌に魚に似た鱗が浮いた。


 カグチはすかさずマミカの首にかけた糸の束を引いた。


「――ッ!」


 生身ではあり得ない、硬い感触。


 鈍い音をたてて、マミカの首の骨が折れる。


 否、異様な音はマミカの全身から聞こえてくる。


「術式じゃない!」


 モユルが短く悲鳴を上げた。マミカのタマヒは動いていない。この身体の変化は、術式によるものではない。


 うつ伏せ状態の背中側で両腕を封じられているにも拘わらず、マミカが関節の可動域を無視した動きで両肘を地面につけ、同時に首を真後ろまで回転させた。


 モユルはそれでも解術を試みようとしているのか、マミカの首の不自然な動きに気付かない。


 マミカが大きく口を開いた。押さえつけようとするカグチをはね飛ばして、凄まじい膂力で起き上がる。


「姉さん!」


 カグチが体勢を崩されながらも、右手をのばした。モユルを守ろうとせんがための、反射的な行動。


 しかしその優しさが、決定的な隙を生んだ。


 カグチの顔に苦渋の色が浮かぶ。マミカの牙はモユルではなく、自分を狙っている!


 絶望的状況に直面して無慈悲に加速された思考速度が、肉体の反応限界を超えた。


 驚愕に満ちたユラの叫び声。


 緩慢な牙が、カグチの喉へ迫る。防御が間に合わない。


 無防備な喉に牙が触れた。防御が間に合わない。


 肉が裂けていく。防御が間に合わない。


 硬いものがぶつかる音がした。


 カグチは目を見開いた。


 凶悪な牙が離れる。


 視界の隅には。


 棍の先端。


 土間に叩きつけられたマミカの頭を追って、さらに棍が突き出される。マミカが身体をくねらせてその一撃を躱し、滑るように後退した。


「……遅くなって、ごめん」


 カグチは尻もちをついたまま、声の主を見上げた。


 そこには左肩に担ぐようにシロガネを抱き、右手一本で棍を構える景郎の姿があった。

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