第8話
その日からアランは第七特務大隊の治癒士として働き始めた。
最初、アランに処置を頼む兵は少なかったが、日が経つごとに少しずつ患者の数が増えていく。聞いてみると、口コミでアランの治療の評判が広がったようだった。
気づけば医務室はひっきりなしに兵士たちが訊ねてくるようになっていた。
そんな中でヘレナもアランを認めてくれたのか、見守るだけでなく手伝いも買って出てくれた。
『勘違いしないで。これはあくまで監視のついで。患者に不埒な真似をしないとも限らないから』
口ではそう言っているが、アランの処置を止めることは一切しなかった。鋭い目つきで彼の手つきを観察し、分からないことがあれば質問を差し挟む。
その一方で時間があれば、アランに治癒魔術について教えてくれる。
指導と仕事に恵まれ、アランの日々はかつてないほど充実しつつあった。
「あぁ……効いている感じがします……」
この日もアランは一人の兵の腰に鍼を打っていた。
うつ伏せに寝る彼女の腰に打った鍼を摘まみ、魔力を流し込んでいく。腰回りの血の巡りが改善されているのを見ながら、アランは苦笑をこぼす。
「机仕事のし過ぎですね。腰がガチガチです――これで少しはマシになると思いますが」
「これだけでも大分楽ですよ。これで夜も眠れそうです」
「それなら良かったです。鍼、抜きますね」
そう声をかけて、打った鍼を抜いていく。それと同時に横からトレイを持った手が伸びてくる。ずっと横で処置を見ていたヘレナだ。
「ありがとうございます。ヘレナ先生」
そのトレイに使い終えた鍼を置きつつ、うつ伏せで寝ている兵士に声を掛ける。
「しばらく休んでください。身体のだるさが取れたら、もう帰って大丈夫ですよ」
「はーい、お言葉に甘えてゆっくりします……」
彼女は寝そべったまま、ひらひらと手を振る。お大事に、とアランは声を掛け、ヘレナと共に診察室に戻る。待合室にいる患者はいない。
(少し休憩できそうだな)
診察室の椅子に腰を下ろしてアランは一息つく。一方でヘレナは使用済みの鍼を見下ろし、小さくため息をついていた。
「――どうかしましたか? ヘレナ先生」
「……少し複雑なだけ」
彼女はトレイを机に置いてアランを振り返ると、拗ねたような口ぶりで告げる。
「私の治療では痛みを緩和させるのが限界だった。治癒魔術で炎症を一時的に治したり、湿布薬で症状を和らげたり――いろいろ苦心していたのに、こうも容易く」
「こればかりは相性かと。逆に病や外傷には妖鍼術は効きづらいですし」
「それは理解している。ただ、こんなに効くならばもっと早く取り入れるべきだった」
そう言いながら彼女は棚からいろいろな本を取り出して見せる。
タイトルは『ハーヴを使った自然治癒のすゝめ』『温泉を利用した湯治療』――中には妖鍼術について触れている本もある。
「――皆さんの身体を改善するために、いろいろ調べていたのですね」
「ん、ただ妖鍼術については正直、後回しにしようと思っていた。鍼を刺して治るなら苦労しない――なんて思っていたのに」
そう告げたヘレナは憂鬱そうな表情をしていた。それから、ちら、とアレンの方を見やって半眼を向けてくる。
「まさか、妖鍼術以外に何か使って――?」
「それこそ、まさかです。ヘレナ先生も傍で見ているでしょう?」
「無論。ただ、あまりにも劇的過ぎて信じられない」
そう言いながらトレイの上の鍼をじろじろと観察し、首を傾げている。
(まぁ、不思議がるのも無理はないか)
ここまで皆が劇的に改善しているのは、あまりにも彼女たちの身体が強張り過ぎていたからだ。だからこそ、鍼を打つだけで大分症状が緩和していた。
恐らくは治癒魔術や湿布薬で痛みをごまかし続けたせいでもあるのだが。
考え込むヘレナを見て苦笑していると、ふと扉が叩かれた。
「失礼するぞ。ヘレナ、アラン殿」
振り返れば、レイリアが入ってくるところだった。一本に結った金髪を揺らし、屈託のない笑顔と共に軽く手を振る。
「仕事を頑張っているようだな。話を聞いているぞ」
「レイリアさん、お疲れ様です」
アランが軽く一礼する一方で、ヘレナは腰に手を当てて片眉を吊り上げる。
「レイリア、何の用?」
「いや別に。アラン殿の様子を見に来ただけだよ。ヘレナにいびられていないか、とな」
「そんなことはないけど」
「はい、ヘレナ先生には助けられてばかりです」
ヘレナの淡々とした声にアランが頷けば、レイリアは目を細めながら頷いた。
「そのようだな。しかし意外だな、ヘレナがすぐにアラン殿を受け入れるとは。男だから認めないんじゃなかったか?」
「……まぁ、アランが男なのは複雑だけど」
ヘレナは少し嫌そうにため息をつきつつ、アランを横目で見る。
「ただ、処置を見る限り、そういった下心を感じないし、手際も良い。それに勉強熱心であるならば、私が拒む理由は一つもない――学徒への門は等しく開かれているのだから」
「そうか。さすがヘレナだな。アランの真価を見たか」
「でも、まだ見切ったわけではない。治癒士として不足と見たら、容赦なく追放する」
「――精進します。ヘレナ先生」
アランが深々と頭を下げると、ふん、とヘレナは鼻を鳴らしてレイリアに視線を戻す。
「それで様子見だけなら、さっさと出て行ってくれる?」
「相変わらず辛辣だな」
軽く肩を竦めたレイリアは部屋を出て行かず、逆に中に入ってきながらアランに視線を向ける。
「折角だし、アラン殿、手透きなら身体を診てもらえるか」
「え、ええ――ヘレナ先生、構いませんか?」
「構わないけど、仕事を増やさないで欲しい」
「別にいいだろう? 今は丁度、誰もいないようだし」
不満げに言うヘレナに対し、レイリアは上機嫌そうだ。ベッドの方に向かうと、軍服の上着を脱ぎながら振り返った。
「アラン殿、今日は鍼までしてくれるのかな?」
「そうですね――ちなみにこの後のお仕事は?」
「軽く訓練がある程度だが」
「なら、軽くマッサージ程度にしておきましょうか」
「ああ、任せるよ。アラン殿」
そう言いながらシャツ姿でベッドにうつ伏せになるレイリア。その流れがあまりにも手慣れているのは、もうすでに何度もアランの処置を受けているからだろう。
その様子にヘレナはやれやれと肩を竦め、アランは苦笑いしながら傍に寄る。
「じゃあ、まずは肩から失礼しますね」
早速、彼女の肩に触れる。その肩は緩和しているものの、まだ固い。右肩を庇う癖がついたのか、左肩にも負担が集中しているようだ。
一つ呼吸を置くと、アランは指先に魔力を集中させながら、凝り固まった肩を指圧する。指先を押し込みながら魔力を流すと、彼女は深い吐息をこぼした。
「ん――ぁあああぁ……っ、効くぅ……っ」
「レイリア、おじさん臭い」
「仕方ないだろう、この感覚は癖になるからな……ぁあ、そこぉ……っ」
レイリアの声に艶が交じり、少しだけどきどきしてしまう。身体は完全に脱力し、アランの与える刺激を受け入れるままだ。
すっかりアランのマッサージにハマってしまったのだろう。
(それはそれで嬉しいけど――なかなか身体は改善されないな……)
レイリアの腕を取り、右半身を起こさせる。それから腕を頭の上に慎重に持ち上げた。わずかに抵抗があり、腕が上がってくれない。
肩回りの筋肉を指圧でほぐしながら、腕を回していくと、ふと傍に立つ気配がする。
視線を向ければ、ヘレナがアランの処置を興味深そうに見ていた。
「――しかし見れば見るほど、面白い。先ほどの鍼の処置も興味深かったけど」
「状況に応じて使い分けていますね。レイリアさんは大分血の滞りが解れてきたので。まぁ、肩に関しては、ですけど」
ヘレナの視線を感じながら、腕を回し終えて別の筋肉を指圧していく。指先でも分かる凝りを解していくと、レイリアは蕩けるような声をこぼした。
「ん、ぁああ……これぇ……気持ちいいな、本当に……」
「……そんなに気持ちいいの? ただのマッサージでしょう?」
「意外とこの血が流れる感覚が癖になるんだ……んん……っ」
「そんな声を出さなくても」
アランは思わず苦笑する。
ただ、レイリアの声は大袈裟にしても、このマッサージは女兵士の間から人気を得ているようだった。どうやら、施術を受けた女兵士たちの間から口コミで広がり、暇な時間帯でマッサージを求めて医務室に来る者も少なくない。
最近だと時間が空いているのは、この昼下がりくらいだ。
「血が流れる、ねぇ――確かに魔力波で血行を促進しているように見えるけど」
「半信半疑なら、ヘレナもしてもらえばいいのでは? 魅力がきっと分かるぞ」
「生憎、私は怪我人ではない」
「アラン殿は怪我人でなくともやってくれるぞ……んぁあっ……」
レイリアはまた艶めかしい声を上げ、びくりと身を震わせる。その声にヘレナは半眼を向けながら、視線をアランの手先に向ける。
「何か特殊な技法でも使っているの?」
「そういうわけではありませんよ。前も話した通り、妖鍼術の基本です。掌から微弱の魔力波を出して体内を精査し、血の巡りが悪い場所を指で解すだけ」
「ふむ――こういうこと?」
ヘレナは勝手にレイリアの背中に手を置き、眉を寄せてしばらく黙り込む。それから一点を探り当てたのか、肩甲骨あたりをぐい、と無造作に指で押した。
だが、レイリアの反応は芳しくない。うつ伏せのままくぐもった声を出す。
「ヘレナ、力が弱い」
「なら、こう――っ」
「……っ、それは痛いな。気持ちよくはない」
「……意外と難しい。というか、レイリアの肩が固すぎる」
ヘレナは釈然としなさそうな表情で手を引っ込めた。苦笑しながらアランはヘレナが指圧した場所を労わるように優しく揉む。
「まぁ、難しいですよ。自分もコツを掴むのには時間がかかりました。何度、師匠の身体で実験したことか」
「血の滞りを探るのは、何となく分かるのだけど。塩梅が分からない」
「こればかりは慣れですね。レイリアさんの身体が固いのには同感ですが」
「ん、そこ――っ、いい力加減だぞ、アラン殿」
ぐりぐりと親指で全体を使うようにして圧力をかければ、レイリアは気持ちよさそうな吐息をこぼす。それをヘレナは眉を寄せて見ていたが、ふと気づいたように時計に視線を移した。
「とはいえ、もう昼休みが終わるから、そろそろ切り上げて」
「ん、了解です。ヘレナ先生――じゃあ、レイリアさん、ここまでで」
「む――そうだな。名残惜しいが」
レイリアは身を起こし、ぐっと背伸びをする。それから軽く肩を回して、うん、と清々しい笑顔でアランを振り返った。
「相変わらずいい腕だ。少しやってもらっただけで身体が軽くなった気がする」
「それなら良かったです。また時間があるときに診ますね」
アランが彼女の軍服を手に取って差し出すと、レイリアはそれを受け取りながら微笑んで頷いた。
「ああ、また頼むよ。さて、一仕事頑張るか」
「はい、頑張ってください」
意気揚々と出ていくレイリアをアランは見送っていると、ふと腕をつんと突かれた。隣を見ると、ヘレナが彼の腕に触れながら遠慮がちに声を掛けてくる。
「その、アラン――お願いがあるのだけど」
「はい、何でしょうか」
「良ければ――」
そう言いかけたところでヘレナは言葉を切り、扉の方に視線を向けた。視線を追いかけると、一人の女兵士が医務室に入ってくるところだった。
「どうかした?」
ヘレナが素っ気なく訊ねれば、女兵士はアランの方を見ておずおずと告げる。
「あの、新しい先生が首の痛みを診てくれるって――」
「ああ、構いませんよ。そちらの椅子に座ってください」
アランは声を掛けながらヘレナに視線を向ける。目が合うと、彼女は軽く首を振り、小さな声で告げた。
「また時間があるときに話す。今は仕事に集中」
「――了解しました。では」
椅子に座る女兵士の方に足を向ける。その診察を始めようとすると、医務室の扉がまた開いて女兵士が入ってくる。
今度は足を引きずっている様子――それにアランはひっそりと吐息をこぼした。
(また忙しくなりそうだな――)




