第30話
レイリアたちが魔竜を討伐してから、第七特務大隊の動きは変化していった。
何しろ混乱の大元だった魔竜が討伐されたのである。各地の魔獣の動きも沈静化していき、任務を果たした部隊は次々に城砦に帰還。
徐々に、彼女たちは日常を取り戻しつつあった。
少し慌ただしい動きが続いたのは、リーゼロッテを始めとした城砦の幹部たち。何せ、隊長のレイリアが入院してしばらく動けない。それだけに彼女がこなしてきた仕事を肩代わりする必要があったのだ。
王国軍の本軍からは使者が来たりと慌ただしい様子が続いていたが。
平穏を取り戻したことで、医務棟もまた静寂を取り戻した。アランはヘレナと仕事をこなしつつ、レイリアと雑談する日々が続いていた。
そして――あっという間に一か月が過ぎ。
ついに、レイリアは病室を出ることが許された。
「では、隊長の回復を祝って――乾杯!」
「乾杯!」
宿舎の食堂――そこでは兵たちが集まり、宴が開かれていた。
その主役はもちろん、レイリアだ。完全に回復した彼女は兵士たちに囲まれ、酒を注がれながら笑顔をこぼしている。
その様子を見ながら、アランとヘレナは少し離れた席で食事に取っていた。アランは酒を飲む一方で、ヘレナは食事を口にしながら辟易とした表情を見せる。
「どんちゃん騒ぎ。羽目を外して怪我しないといいけど」
「まぁ、大丈夫だろ。それくらい、みんな分別を弁えているだろうし」
「お酒の勢いを侮ったらいけない。バカをやった子の治療をしたこともある」
「――それは大変だったな」
苦笑をこぼしながらアランは手酌で酒を注ぎつつ、ヘレナの方を見やる。
「ヘレナ、お酒は?」
「飲まない。苦いのはあまり好きじゃない」
「へぇ、そうなのか――まぁ、確かに麦酒は癖があるかもな」
「アランが今飲んでいるのは……米酒、じゃないよね。色がついている」
「これは果実酒。甘いお酒だよ。飲んでみるか?」
「……じゃあ、少しだけ」
盃を手渡すと、ヘレナはそれを慎重に口に運び、こく、と飲む。しばらく味わうように無言だったが、やがて彼女はもう一口飲み、ふぅ、と吐息をこぼした。
「――悪くない」
「それなら良かった。これは僕のお気に入りでね」
「ふむ、これくらい口当たりが軽いのならいいかも」
アランはヘレナから盃を返してもらい、酒の味を確かめる――果実がベースになっているだけあって、やはり甘く飲みやすい。
一つ頷いていると、ふとヘレナがじっとアランの口元を見ていることに気づいた。
「どうした? ヘレナ」
「別に。気にしないで欲しい、と思って」
「というのは?」
「回し飲みしたこと」
「……ああ」
言われてふと気づく。同じ盃、同じ場所から酒を飲んだので、いわば間接キスの状態になってしまった。確かに衛生上、良くはないが。
「僕は気にしないから。ヘレナだからね」
「――私だから?」
「ん、もちろん」
ヘレナなら衛生管理に気をつけているはずだから、と思いながらアランが頷けば、ヘレナはぎこちなく視線を逸らし、頬を染めながらこくんと頷いた。
「私も、アラン相手なら、気にしないから。安心して」
「そうか。嬉しいよ」
ほっと一息つく。どうやら自分も治癒士として衛生管理ができているようだ。アランが微笑みかければ、ヘレナは目を合わせずに机にある酒瓶に手を伸ばす。
「酒、注ぐ」
「ん、ありがとう」
「他に欲しいものは、ある? 取り分けるけど」
「今は大丈夫だ。ありがとう」
アランは礼を言いながら盃に酒を注いでもらい、はて、と疑問に思う。何故か、ヘレナが急に甲斐甲斐しくなっている。いつもは少し横着なくらいなのに。
何か心境の変化があったのだろうか――?
「失礼します。アランさん、ヘレナ」
響き渡った凛とした声にアランは思考を止めて顔を上げる。そこに立っていたのはリーゼロッテ――軍務外ということもあり、シャツにショートパンツという私服姿だ。だが、所作は相変わらずきびきびとしている。
彼女は軽く頭を下げてから、アランとヘレナを見て首を傾げる。
「宴は楽しまれていますか?」
「ええ、それなりに、です」
「私も、それなり」
「それは良かったです。特にヘレナはいつも宴には出ませんから、少し心配していました」
(へぇ、そうだったんだ)
確かに宴の話が来たとき、あまり乗り気ではなかった。ただ、アランが『自分は行くけど、ヘレナはどうする?』と聞くと、すぐに頷いてついてきたのだが。
アランが横目でヘレナを見ると、彼女は素っ気なく応じる。
「余計なお世話。たまには混ざりたいときもある。話したい相手もいたし」
「そうでしたか。お喋りできていますか?」
「たっぷりと」
「なるほど。アランさんはどうですか? 皆さんと交流できていますか?」
「自分はまだ。ヘレナと喋ってばかりです」
「――なるほど」
その言葉に何か感づいたようにリーゼロッテが視線をヘレナに向けるが、ヘレナは素知らぬ顔で食事に手を伸ばしている。
リーゼロッテは小さく吐息をこぼすと、アランに視線を戻して訊ねる。
「隣、お邪魔してもよろしいですか?」
「ええ、構いませんよ」
「では、失礼します」
リーゼロッテは隣の席に腰を下ろした。アランが酒瓶を持ち上げて差し出すと、リーゼロッテは盃を手に取って頷いた。
「いただきます――ふむ、果実酒ですか」
「ええ。お好きですか?」
「それなりに。米酒などはよく飲む方です。羽目を外したいときもあるので」
「へぇ――それは少し意外なような」
目をぱちくりさせると、リーゼロッテは唇を尖らせ、少し拗ねたように言う。
「私が酒好きなのが意外ですか?」
「すみません、リーゼロッテさんは真面目で厳格な印象なので――酒を飲んで羽目を外すような印象がないのです」
「……逆に酒を飲んでなければやっていられないときもありますよ。特に隊長は時々、突拍子もないことをしたり、無茶をしでかしたりします」
リーゼロッテは遠い目をしながら盃をぐい、と口に煽る。アランは何も言えなくなり、無言で彼女の盃に酒を注ぐと、彼女は深くため息をこぼして続ける。
「今回の怪我の件もそうですが、毎回、こちらの肝を冷やすことを平気でやらかすのです。あれだけ慕われている人なのに、信じられないくらい自分を軽く見たりするので」
「確かに、そうですね。リーゼロッテさんはレイリアさんと長い付き合いでしたっけ」
「ええ、それこそ幼なじみという言い方になると思います。だからこそ、あの人に振り回された思い出はいくらでも語ることができますよ。例えば――」
リーゼロッテは酒をぐいと飲み、つらつらと思い出話を語る。それに相槌を打ちながらアランは酒を注いでいくと、彼女はすぐにそれを干してしまう。
(結構、酒飲みなんだな。リーゼロッテさんは)
また意外な一面を知ってしまった。思わず感心していると、リーゼロッテは特大のため息をこぼし、小さくぽつりと言葉を続ける。
「――まぁ、でもそんなあの人だからこそ、ついていきたくなるのですが」
「気持ちは分かります。支えたくなるんですよね」
「まさしくそれですよ。あの人と同じ時代に生まれ、出会ったのが運の尽きです」
彼女は深々と頷くと、ふと我に返ったように目をぱちくりさせた。それから恥ずかしそうに視線を彷徨わせ、すみません、と言葉を続ける。
「とんでもない勢いで、愚痴を申し上げてしまいました」
「いえ、こういう場ですから、羽目を外すのも悪くないかと」
そう言いながらアランは再び盃に酒を注ぎ、笑いかける。
「それにそういうところもリーゼロッテさんの魅力だと思いますから」
真面目で厳格な部分だけでなく、細かい部分が気になる性格も、素直になると少し可愛らしくなるところも――全部、リーゼロッテの魅力だ。
それを知るたびに、アランとしても嬉しくなる。
「折角ですから、もっと話しましょう。リーゼロッテさん」
その言葉にリーゼロッテは目を丸くしていたが、やがて呆れたように吐息をこぼし、目尻を少し緩めながら告げる。
「――本当に、アランさんは変わっていますね。今までこんな人に会ったことがないです。でも、きっとそれがアランさんの魅力で、私は……」
言葉が尻すぼみに小さくなっていく。それに眉を吊り上げると、こほん、と反対側の隣に座るヘレナが咳払いを挟んだ。
「アラン、私のことを忘れている。同僚を放っておくのはどうかと思うけど」
「あ、ああ、悪い、ヘレナ――リーゼロッテさんの話も楽しくてな」
「私ならもっと楽しい話ができる。例えば、ここより北に湯治という療養があって」
「ヘレナ、仕事の話はまた別にできますよ。アランさん、お酒を注ぎますね」
「ええ、ありがとうございます――」
ヘレナが話しかけ、リーゼロッテが酒を注ごうとする。それに挟まれたアランはどちらに視線を向けるか迷っていると、二人がアランを挟んで睨み合い始めた。
ヘレナがアランの肩を掴んで引き寄せ、リーゼロッテもアランの腕を掴む。
「リーゼロッテ、邪魔しないで」
「ヘレナこそ。独り占めはよろしくないかと」
「私はアランの同僚。アランに誘ってもらった。アランは私をもてなす義務がある」
「宴にそんな枠組みは無粋です。話したい相手と話すのがよろしいのでは」
気づけば二人はアランの腕を掴み、抱き寄せるようにして引き寄せ始めていた。二人の胸の感触が両腕に伝わってきて、思わずどぎまぎしてしまう。
(動揺するな……っ、ここで変なことを考えれば、不埒だと言われるぞ……っ!)
アランは平静を装い、二人を宥めようと口を開くと、不意に後ろから呆れた声が響いた。
「二人とも、そこまでにしろ。アラン殿が困っているぞ」




