第29話
レイリア視点
どれくらい時間が経っただろうか。
気が付くと、痛みがどこか遠くに遠のいていた。
それと同時に意識が浮上――瞬間、身体が不意にずきりとひどく痛み、レイリアは顔を顰める。だが、一発で意識が覚醒し、視界が拓けていく。
(――ここは……)
視界に入るのは木を基調とした清潔感があふれる病室。どうやらオーロック城砦の医務棟にいるらしい。レイリアは身体を起こそうとし、またしても激痛が走った。
思わず表情を歪めると、ため息交じりの声が掛けられた。
「動かない方がいい。レイリア――下手をすると、肌が剥がれる」
「……ヘレナ」
視線を隅に向けると、そこには椅子に座って本を読んでいるヘレナの姿があった。彼女は栞を挟んで本を閉じると、立ち上がりながら素っ気なく訊ねる。
「死にかけから生還した気分はどう?」
「――最悪だな。身体中が痛い」
「当たり前。全身大火傷で、失血多量――正直、命を繋いだのが奇跡」
「そうか……世話をかけたな」
「本っ当にね」
実感が込められた言葉に、レイリアは思わず苦笑をこぼした。
(ヘレナがそれだけ言うってことは大手術だったんだな)
正直、魔竜討伐後から意識が朦朧としていて、ほとんど記憶がない。周りのみんなから声を掛けられているのは何となく覚えている。
「――本当にありがとう。ヘレナ。正直、生きられるとは思っていなかった」
「私以外にも、アランに感謝すること、それにリーゼロッテも」
「……リーゼロッテも、か」
「ん、貴方の肌は火傷でほとんど使い物にならなかった。だから、リーゼロッテの皮膚を移植した。今の皮膚はリーゼロッテのものがほとんど」
そう言われて自分の肌を見るが、あまり気にならない。へぇ、と思わず小さく呟くと、軽くヘレナは肩を竦めて言う。
「ま、その肌は行く行く貴方の肌と入れ替わるから。ただ、リーゼロッテの感謝の気持ちは忘れないように」
「ああ、それにヘレナとアラン殿にもな――本当に、ありがとう」
そう告げてしみじみと噛みしめる。ヘレナは一つ頷くと、椅子から腰を上げる。
「私からは以上。あとはアランが担当する」
「……担当って何をだ?」
「お説教に決まっているでしょ」
淡々と告げたヘレナがすたすたと部屋から出ていく。それと入れ替わりに入ってきたのは、アランだった。感情を押し殺したように無表情な彼は無言でレイリアの傍に歩み寄る。どことなく漂わせている怒気に。思わずレイリアは口を噤んだ。
束の間、視線が交じり合う。重苦しい時間が過ぎる中で、不意に彼は深くため息をこぼした。それからレイリアの目を見て訊ねる。
「身体の調子は、いかがですか?」
「――全身が痛い。それに尽きる」
「でしょうね。全身の骨が折れていましたし」
そう言いながらアランは大きな掌でレイリアの手首を取った。脈を取りつつ、彼女の顔色も確認――それから背中に回り込んで掌を当てる。
その無言の時間に、レイリアの心がすり減りそうになる。
(……怒って、いるよな)
それは表情からも伝わってくるのだ。それは仕方がないことだろう。
生きて帰ると約束したのに、死にかけで帰った。約束を破ろうとしたと言われても仕方ないのだ。怒りは甘んじて受ける。
だけど、それ以上に怖いのは――アランに突き放されること。
今までのように気安いやり取りができなくなるのは、嫌だった。
(――嫌われたく、ない……)
それを思って俯いていると、彼の声が響き渡った。
「顔を上げてください。レイリアさん」
その声に覚悟を決める。深呼吸を一つしてから顔を上げる。その視界に入ったのは、アランの少し困ったような表情だった。
「身体は少しずつ良くなっているようですが――辛いところがありますか?」
彼の慮る声に一瞬だけレイリアは声を詰まらせ、震える声を押し出す。
「――アラン殿、怒っていないのか?」
「怒っていますよ。それは。約束、破りかけましたよね」
「……それは、すまない……」
しゅん、となったレイリアに、そっと彼の手が伸びてきた。大きな掌がレイリアの小さな手をすっぽりと包み込み、柔らかく握ってくれる。
「でも、ちゃんと生きて帰って来ましたよね」
そう告げた彼の瞳は限りなく優しかった。さらに彼は安心づけるように微笑む。
「よく頑張りました。おかえりなさい。レイリアさん」
「……っ」
彼の言葉が真っ直ぐにレイリアの胸に染み込み、温かく広がっていく。その言葉に思わず実感する――ああ、今生きているんだ、と。
「――ありがとう。アラン殿」
いろんな意味を込め、レイリアはしみじみと告げれば、はい、と彼は微笑む。
そして、目を細めながら言葉を続ける。
「では、ここからはお説教の時間ですね」
「――え」
「当たり前です。ミカエラさんたちをはじめ、いろいろな人から話を聞きましたが、かなり無茶をしたそうですね。身体の損傷から無茶苦茶な身体の使い方もしたようで」
「そ、れは――あそこで踏ん張らないと、ミカエラたちが」
「では聞きますけど、撤退する、という選択肢は?」
思わず黙り込む。それは途中、逆鱗の位置を掴んだときに考慮したことだった。
あの時点で充分に魔竜には損害を与え、情報も得ていた。充分な援軍を確保してから、再度、魔竜に挑むこともできたはずである。
だが、その選択をレイリアはしなかった――それは何故か。
「――あそこで取り逃がせば、村まで逃がす可能性があった。そんな被害を出すくらいであれば……私たちで討ち取ってしまえば良いと思ったんだ」
「なるほど、軍人としてその判断は間違っていないとは思います」
ですが、とアランは淡々とした声で続けながら、レイリアの目を見つめる。
「レイリアさんは常々言っていましたね。人命優先、だと」
「……ああ」
「そういう意味ではレイリアさんも一人の大事な人命です。そうであるにも関わらず、自らの命を燃やして魔竜を討とうとした――その判断は他の兵たちに示しがつきませんよ」
そこまで言って一息。そして、と彼は言葉を続けた。
「百歩譲ってその判断が間違っていなかったとしても、ドラゴンブレスの直撃を受けた時点で自身の怪我を把握せず、戦闘を継続したことは誰がどう見ても悪手です。自身の怪我を確かめられない軍人が、人の命を守れると思いますか」
「…………」
ぐうの音も出なかった。まさにアランの言うことは正論過ぎる。
真っ直ぐに見つめてくるアランの瞳が微かに揺れ、何かを思い出したように微かに辛そうな光を帯びる。彼は小さく吐息をこぼした。
「……みんな、心の底から心配しました。自分も含めて」
「……すまない。本当に、すまない」
レイリアは謝罪の言葉を絞り出し、深々と頭を垂れた。
思い返すと、意識が朦朧としている間、誰かの声が何度も響いていた気がする。そして、甲斐甲斐しく丁寧に世話をされていた記憶も。
そのみんなに心配と、世話をかけてしまった。その事実が突きつけられる。
自責の念にレイリアが深く詫びを口にすると、アランの声が降ってくる。
「――反省、しましたか」
「ああ、もう充分に。本当に、アラン殿の言う通りだった」
「じゃあ、もうしませんか」
その言葉に一瞬口を噤み、レイリアはおずおずと答えを口にする。
「……善処は、する」
「反省していないじゃないですか」
「は、反省はしている。ただ――いでてっ」
慌てて声を上げた瞬間、身体に痛みが走って思わず顔を顰める。アランは慌てて背中をさすり、ごめんなさい、と苦笑をこぼした。
「意地悪をしましたね――理解しています。軍人である以上、そうせねばならない、という状況もあり得ますからね」
「……っ、そういうことだ。言わせないでくれ」
「はい、すみません――でも、そういう状況でもきちんと自身の命を考えてください。レイリアさんの命も等しく人命ですから」
「ああ、それはもちろんだ。気をつける」
顔を上げ、アランの目を見つめてはっきりと答えると、アランは表情を緩めた。
「良かったです。なら、お説教は以上で」
「――良かった。アラン殿のお説教は、身に応えるからな」
「私も柄ではないのですが、自分がお説教をした方が隊長には効く、と口を揃えていて」
「ご明察だな。いろいろと見抜かれている」
レイリアは笑いながら思わずほっとしていた。
アランといつも通りのやり取りができている。それが心から嬉しく感じられる――それと彼がこうして背を摩ったり、手を握ってくれることも。
それを意識すると少しどきどきしそうになり、軽く咳払いする。
「ん、喉乾きましたか?」
「あ、ああ、水をいただけるかな」
「もちろんです。すぐに」
アランは水差しを取り、コップに水を注ぎながら、ふと振り返って告げる。
「そういえば、レイリアさん――少し早いかもしれませんが、ご褒美、どうします?」
「ん? ご褒美、というと」
「過程はどうあれ、ちゃんと生きて帰ってきましたから」
「ああ、そうか。でも、素直に受け取りづらいな」
生きて帰ったとはいえ、死にかけだった。約束を守れたのはアランとヘレナの尽力があってこそで、レイリアの功績ではない気がする。
(本当なら今度の買い物に付き合わせてやろうと考えていたんだが)
残念無念、とレイリアはコップを受け取りながら首を振る。
「まぁ、ささやかなご希望があれば」
「んー、そうだな」
一息に水を飲み終えて視線を泳がせ――ふと、彼の大きな掌に視線が向いた。いつも身体を揉み解してくれ、今も背中を摩ってくれた手。
それを見ているうちに自然と言葉がこぼれ出ていた。
「――その手で頭を撫でて、くれるか」
言ってから我に返り、顔が熱くなる――なんて子供っぽいことを。
だが、アランは気にした様子もなく、小さく笑いながら頷いた。
「そんなことでよろしければ、いつでも」
そう言いながら手を伸ばし、ぽん、と掌が頭の上に載せられた。思いのほか優しい手つきで撫でられ、そっと髪の毛が梳かれる。
(あ――なんか、いいな。これ)
彼の優しい手つきのせいだろうか、地肌に感触が響いてどこか心地いい。
安心できる撫で方に思わずレイリアが目を細めれば、アランが穏やかに告げる。
「改めて、おかえりなさい。レイリアさん」
「――ああ、ただいま。アラン殿」
言葉を交わし合い、レイリアとアランは笑みを交換する。
まだ身体は軋むように痛む――だが、頭を撫でられている今だけは、痛みを忘れることができそうだった。




