第28話
レイリア視点
レイリアは、夢を見ていた。
見ていたのは、十数日前の出来事――レイリアが医務棟に足を運んだときの光景だった。
(アラン殿、手は空いているかな。そろそろ肩がしんどいし)
肩をぐりぐりと回しながら、レイリアは医務棟に足を踏み入れる。城砦内は人が出払っており、医務棟内も静かで待合室には誰もいない。
丁度いい、と思いながら診察室をノックしようとして――。
「アランさん、もう少し強く動かしてもらえますか――ぁあ、いい感じです……」
「アラン、疲れない程度にしてよ。まだ昼間なんだし」
「大丈夫。ヘレナ。リーゼロッテさん、もう少し強くしますね」
ふと、響き渡った声にレイリアは手を止めた。視線を向ければ、扉が閉まり切っていなかったのか、薄く開いている。その隙間からレイリアは中を覗き見る。
そこではベッドに寝たリーゼロッテが、アランの施術を受けていた。
アランは彼女の足を持ち上げてぐるりと動かしている。どうやら股関節周りを解しているらしい。その動きにリーゼロッテは眉を寄せながら吐息をこぼしている。
やがてその動きを止めると、リーゼロッテは脱力――その表情は心地よさそうだ。
(――あんなリーゼロッテの顔、初めて見るな)
彼女は基本的に自分にすら厳しいストイックな人だ。特に男性の前では隙を見せたりしないのだが――アランの前では、明らかに隙だらけだ。
それに少し驚いていると、ヘレナがお茶を手にして姿を見せる。
「はい、休憩。リーゼロッテ、お茶」
「助かります――ヘレナのお茶、久々ですね」
「たまにはね。身体を落ち着かせる効果もあるからゆっくり飲んで」
ヘレナはそう言ってベッドの傍の机にカップを置く。それからアランの方にも素っ気なくカップを差し出した。
「アランも。少しぬるめで良かった?」
「ああ、よく覚えているな。ありがとう。嬉しいよ」
「少し前に聞いたこと。覚えているに決まっている」
そう言いながら顔を背けるヘレナ――だが、その表情はレイリアの方からはよく見えた。褒められて嬉しそうに表情が緩んでいる。
(ヘレナもあんな風ににやけるんだな)
いつも治療のことしか考えていないような子だった。愛想はなく素っ気ない――だが腕は確かで、治療の腕を褒めても至極当然という顔しかしなかった。
だが、彼女は自身のお茶を褒められて嬉しそうだ。
考えてみると、他人を気遣って茶の温度を調整する場面も珍しい。
リーゼロッテも、ヘレナも、アランと接するようになってから、どこか雰囲気が柔らかくなった気がする。仕事面でも確実にいい効果がもたらされているようだ。
(――さすが、アラン殿だな。見込んだ通りの人だ)
レイリアは満足げに頷く――初めて会ったときから、彼のことは気に入っていた。
まず物腰が落ち着いている点が良かった。軍人であるレイリアを過度に警戒するわけでもなく、女性であるからと侮ったりしない。
また、誰に対しても謙虚で、真摯に向き合っている点もまた良かった。
何より――彼の瞳は、どこまでも真っ直ぐに見つめてきた。きっと、やましい心がある者は落ち着かなくなるような、それほどに真っ直ぐな目。
いろんな苦労をして、努力をして、それでも前を向いてきた人の目なのだ。
それに惹かれて、彼女はアランをこの城砦に招くことを決めた。
(もしダメなら、実家の領地に引き取ればいいと思っていたが――ここまでリーゼロッテやヘレナと打ち解けるとはな)
そして、彼女たちだけではなく、彼は城砦内の女兵士たちとも打ち解けている。未だに男だからと敬遠している者もいるようだが、兵の大半はもう彼をこの城砦の軍癒として認めていた。中にはすでに恋慕している者もいるらしい。
(――恋慕、か)
ふと疑問に思う――アランは気になっている人がいるのだろうか。
それを考えると、そわそわしてしまう。アランの態度は誰に対しても基本的に変わらない。優しく、だけど時に厳しく接し、その人に向き合っている。
リーゼロッテも、ヘレナも、恋慕までは行かないが、嫌いではないだろう。
そんな二人のどちらかと、仮にアランが結ばれたとしたら――。
(それは、なんだか)
嫌だ、と胸の奥がずきりと痛んだ。それを意識すると何とも言えなくなる。その診察室を覗き込むのも躊躇われ、一歩離れるとふと声が響いた。
「あ、ごめん。そう言えば表に洗濯物の一部を出したままだった」
その声に我に返り、慌ててレイリアは足音を殺しながら診察室から離れる。
「ん、取りに行ってこようか?」
「ううん、大丈夫。ぱっと行ってくるよ」
その声が追いかけてくる前に、レイリアは医務棟を出て少し離れる。そうしながら思わず苦笑しつつ、空を見上げた。
(一体、私は何がしたいんだか)
あのまま、待合室にいても良かったし、素知らぬ顔で診察室に声を掛けても良かったはずだ。それなのに何だか気まずくて逃げ出してしまった。
深呼吸を一つし、改めて医務棟に向かう。そこでは玄関口に干してあった衣類を回収するアランの姿があった。レイリアが咳払いをしながら近づくと、ふとアランは顔を上げた。表情を緩め、どこか嬉しそうに声を上げる。
「レイリアさん、こんにちは。今日は施術ですか?」
「いや、様子を見に来ただけだ。リーゼロッテが行っていると思うが?」
「ええ、大分症状は良くなりましたよ。レイリアさんも時間があれば――」
「いや、すまないが、まだ仕事があるんだ」
レイリアはそう咄嗟に言うが――嘘だ、急ぎの仕事があるわけではない。
だが、リーゼロッテやヘレナと今、顔を合わせたくなかった。アランと接する二人の表情を見たら、動揺してしまいそうだったし、そんな姿をアランに見せたくなかった。
だから、これでいい。
一目、アランの顔を見られた。
一言、アランと言葉を交わせた。
今はそれで満足だ。だから、レイリアは手を振って笑いかける。
「頑張ってくれ。アラン。怪我人の手当ても大変だろうが」
「はい、もちろん。レイリアさんもお仕事、頑張って」
そう言ってくれることが純粋に嬉しく感じられ、やる気が出てくる。現金なものだな、と苦笑しながら、レイリアはふと目を細める。
(――私も、アランと出会って少し変わってしまったかな)
彼がいてくれるだけで、こんなにもやる気が出てくるのだから。
(――だから、帰れないと)
歩く。歩き続ける。闇の中を、彼の下に帰るために。
『きちんと生きて帰ってきてください。待っていますからね。レイリアさん』
その約束を守らないといけないから。
だから、どんなに辛くても生きよう。
身体中が思い出したように痛む。呼吸も苦しい。身体も熱を帯びている。その中で彼の声が傍で聞こえてきた。
『レイリアさん、しっかり。大丈夫ですからね――!』
『苦しいですか? ゆっくり深呼吸してください。大丈夫ですから……!』
『お水です。少しずつ口を湿らせますからね……!』
どこからか声が聞こえる。
身体に大きな掌が当てられている。
それがレイリアに力を与えてくれ、痛みの中でも生きようと思わせてくれる。必死に息を吸う。水を求める。身体の痛みと戦う。
その時間がひたすら長く続いていった。




