第31話
その声に振り返ると、いつの間にかそこにはレイリアが腰に手を当てて立っていた。数人の兵士も連れており、彼女たちは何故か嬉しそうに笑っている。
「アランが取り合うお二人――ふふ、いいですわね」
「アランさんも隅に置けませんわぁ」
「べ、別にそんなんじゃない」
「はい、ただ楽しくお話していただけです」
「なら、それに交じってよろしいですこと?」
そう言いながら他の兵も傍に腰を下ろす。それを見て交じりたそうに遠巻きに見ていた兵士たちも少しずつ寄って来た。
(これは騒がしくなりそうだな――)
アランが少し苦笑していると、ふと肩に手を置かれ、耳元で小さく声が響く。
「アラン殿、少し夜風を浴びに行かないか?」
「レイリアさん――ええ、構いませんよ」
ヘレナとリーゼロッテはからかってくる仲間を相手にするのに気を取られ、アランの腕をいつの間にか離していた。その間から抜けるように席を立つと、レイリアと共に食堂の外に足を運んだ。
外に出れば喧騒が一気に遠ざかり、森の静けさが包み込む。レイリアはそれを楽しむように目を細めていたが、ふと思いついたようにアランを振り返る。
「そうだ、折角だからとっておきの場所に案内しよう」
「……とっておき、ですか?」
「まぁ、といっても軍内の人間なら、誰でも入れる場所だがね」
彼女は軽く苦笑しつつ、先立って歩き始める。足を向けた先は城壁を守る城門があり、近くには中に入れる扉がある。それをレイリアは開け、中に足を踏み入れる。
「暗いから足元に気をつけて」
彼女の言葉に従い、暗闇の中の階段をゆっくりと登っていく。しばらく登っていくと、ふと先から光が差し込んでくるのが見えた。
階段を上がり切ると、ふわりと夜風が頬を撫で、視界が一気に拓けた。
「――ここは……」
周りを見れば、城壁より高い位置にアランとレイリアは立っていた。城壁に設けられている見張り台――その上にどうやらいるらしい。
振り返れば、アランたちが暮らす城塔、医務棟、そして宴が開かれている食堂がある宿舎も見える。こうして見ると、星明りで照らされているオーロック城砦内はかなり広々としているように見えた。
城壁には数人の歩哨が椅子に腰を下ろし、異変がないか外を見張っている。その姿をレイリアは眺めて吐息をこぼした。
「彼女たちにはちゃんと後日休暇を与えないとな。宴に参加できなかった分の埋め合わせだ」
「ちゃんと警備しているんですね」
「ああ、これでも魔獣や野盗は出るんだ――まぁ、もう知ったと思うが」
「ええ、存分に。肝が冷えるほどに」
アランはそう言いながらレイリアの方を横目で見ると、彼女は少しばつが悪そうな顔をしていた。思わずおかしくなって笑い、首を振って言う。
「大丈夫ですよ。もう怒っていません。ただ、同じようなことをしたら許しませんけど」
「私だって二度と御免だよ。本当なら逃げたかったくらいだ」
レイリアがそう告げると、また夜風が塔の上を吹き渡る。彼女の下ろした金髪が風でなびき、光を散らした。彼女は目を細めながら小さな声で続ける。
「ただ――負けられない、と思った。ここにいるみんなのことを想ったら。そして――」
言葉を切り、レイリアは視線をアランに注ぎ、くすぐったそうな笑みを見せた。
「待っているアラン殿のことを、想ったらな」
「レイリアさん――」
その言葉はやけに親しみがこもっているような気がした。他のみんなに向けられる親しげな言葉ではなく、何か特別な何か。
その瞳を見つめ返すと、彼女は塔の柱に背を預けながら小さく苦笑する。
「アラン殿には本当に助けられてばかりだな。肩や腰とか、身体のことはもちろんだが、話していると気が休まるし、ついつい頼りたくなる。なんだか、私にとって帰る場所のように思えて、安心するんだ」
なんでかな、とレイリアは首を傾げながら屈託のない笑顔を浮かべる。釣られてアランも笑いながら、自然と彼女に対する気持ちを口にする。
「――自分もレイリアさんのことを頼り甲斐のある人だと思っていますよ。仲間想いですし、賢いところも。あと時々思うのはお茶目な人だな、と」
「ほう、お茶目か?」
「ええ、そうでしょう? 人のことをからかってきますし、冗談もお好きだ」
「ふふ、それはアラン殿の反応がいいからだろうな。リーゼロッテたちはともかく、他の男には口が裂けても言えんよ」
(――男では、僕だけ、か)
その言葉は自然と嬉しくなる。アランは目を細めながらレイリアに言葉を続ける。
「そういうお茶目なところも素敵で、かわいらしいと思いますよ」
「……かわいらしい?」
その言葉にきょとんとするレイリア。その表情を見てアランは口を噤んだ。酒の勢いもあり、少し浮いた言葉を告げてしまった。
だが、彼女は気にした様子もなく、軽く肩を竦めて首を振る。
「はは、私には似合わない言葉だな。こんな粗忽な女にお世辞は無用だぞ?」
「以前も言いましたが、お世辞を言えるほど器用な人間じゃありませんよ」
「そう言えば、初めて会った頃、そう言ってくれたな。となると――」
レイリアは何かに思い至ったように口を閉じた。それから確かめるように、おずおずと小さな声で訊ねる。
「――つまり、本心だと?」
「……まぁ、そうなりますよね」
「……そうか。それは照れるな」
「すみません、変なことを言って」
「いや、構わないよ」
むず痒い空気の中、星明りの中でレイリアははにかんでアランを見つめ返した。
「アランから言われるのは、どうしてか悪くない気分だ――不覚にも、胸が高鳴った」
その言葉と共にまた風が吹いて彼女の髪が光を散らす。その頬は星明りの中でも赤らんでいるのが分かった。その中で真っ直ぐな瞳が揺れ、アランを見つめている。
アランもまた彼女の目から視線を逸らせなかった。
切れ長の瞳は綺麗で、睫毛は切なげに揺らしながら、彼女は形のいい唇を動かした。
「私は軍人――そういう気持ちとは、無縁だと思っていたのだがな」
レイリアは夜空を仰いだ。星々の光が端正な顔を淡く縁取る。それにアランが見惚れている中で、彼女は困ったような微笑みをアランに向けた。
「どうやら、どうしようもなくアラン殿に惹かれているらしい」
そう告げた彼女の表情に、アランは目を奪われていた。
(レイリアさん――)
いつもは屈託のない笑顔を浮かべ、時折、茶目っ気を見せるレイリア。
だけど軍務になれば、表情を引き締めて凛とした声で指揮を執る。今まで会った誰よりも頼り甲斐があって、懐の深い女性だ。
だけど今、目の前にいる彼女は胸の鼓動を隠しきれずにいる、一人の女性――。
それを意識した瞬間、口の中が渇く。どう答えるべきか迷い、自身の心に問いかけるが、答えが出てこない。束の間、二人は見つめ合う。
その二人の答えを見守るように風がぴたりと止み――。
「アラン、レイリア――」
不意に響き渡った声にぴくりと二人は身を震わせて振り返る。その階段の方から足音が響き渡り、どこかうんざりしたようなヘレナの声が聞こえる。
「ここにいるって聞いたけど、いる? いるなら手を貸して」
「へ、ヘレナ、一体どうしたんだ?」
レイリアが慌てて声を掛ければ、階段からひょこりとヘレナが顔を出した。その彼女が肩を貸している相手はなんとリーゼロッテだ。
いつものきびきびした姿勢はどこにやら、酒の匂いを漂わせている。
「この酔っぱらい、面倒くさい」
「誰か酔っぱらいですか。まだ飲み足りませんよ」
ヘレナのため息にリーゼロッテが反発する。それからじろりとリーゼロッテはアランの方を見据え、据わった目つきで近寄ってくる。
「というか、アランさん、何でいつの間にかいなくなっているんですか。私とお話しすると仰ってくれましたよね」
「え、ええ、それは、そうですが――」
「なら付き合いなさい。軍人たる者、一度口に出した言葉は引っ込めてはなりません」
「アランは軍人じゃない」
「似たような者でしょう」
(……なんというか、とんでもない酔い方をしているな)
それに呆気に取られていると、レイリアが苦笑を浮かべながらリーゼロッテに歩み寄って肩を叩いた。
「今日は随分と酒が過ぎているな。リーゼ」
「レイリア様、聞いてください。アランさんが約束を守ってくれないのです。人にはあれだけ散々お説教をぶちかましておいて――」
「ああ、すまない、アラン殿を借りていた。それなら私のせいだな」
「なら仕方ありませんね……アランさん、飲み直しますよ」
「はは、リーゼ、私も付き合うから程々にしてやってくれ」
慣れているのか、レイリアはすぐにリーゼロッテを宥める。さすがにリーゼロッテは上官に絡みづらいのか、唇を尖らせる。
「約束ですからね、破ったらお説教です」
「アランのようなことを言うな。分かったから、下に降りてくれ」
「了解しました。ヘレナ、行きますよ」
「はいはい――階段、しんどい……」
二人が階段を下りていく。それを見届けながらレイリアは振り返る――その仕方なさそうな笑みはいつも見てきた彼女の笑顔だ。
「すまない、変なことを言ったな。酒の勢いは恐ろしい」
「いえ、大丈夫です」
正直、内心は大丈夫じゃない。思い出すだけで心臓が高鳴りそうだ。だが、それを押し殺してアランがぎこちなく笑みを返せば、ふと思い出したように目を細める。
「――そういえば、アラン殿。この前の治療のことだが」
「……? はい」
アランが首を傾げると、レイリアはにやりと笑う。見慣れた、悪戯っ子のような笑顔に嫌な予感がする。
「私に人工呼吸をしたそうだな。つまり、私の唇を奪ったと」
「――っ、そ、それは……」
彼女が心停止した際の措置のことを言っているのだろう。だが、あれは救命措置であり、やむを得ない手段だ。慌てて抗弁しようとすると、レイリアは手を挙げる。
「分かっている。それを責めるつもりはないんだ。ただ」
「……ただ?」
「私の唇を奪った――その事実は、確かなんだよな?」
その言葉にアランは何も反論できずにいると、レイリアはくすりと笑って告げる。
「なら、いつかその責任を取ってもらうのも、悪くないな」
「……レイリアさん、前言撤回します。お茶目じゃなくて、意地悪です」
「はは、それは言えているかもしれない」
「あとでリーゼロッテさんに愚痴ってやります」
アランの言葉に、レイリアは澄んだ笑い声を上げる。その声は心から嬉しそうで楽しそうで――彼も釣られて笑ってしまう。
「さ、行くか。アラン殿」
「ええ、そうですね」
すっかりいつもの雰囲気を取り戻し、アランとレイリアは階段の方へ歩き出した。その二人の背中を押すように、森からの夜風が吹き抜けて。
「――あの言葉の続きは、またいつか、だな」
頬を染めたレイリアの小さな言葉をかき消していった。




