第23話
思わず肩を震わせながら窓を振り返る。あまりの音に窓も小刻みに震えている。
(一体、何が――)
その中でヘレナは迷いなく動いていた。カップを机に置くと、迷いのない動きで棚に駆け寄り、非常用の鞄を取り出していた。それから棚から薬剤や器具を取り出し始めていた。
「アラン、よく分からないけど確実に何かあった。動けるようにして」
「動けるように――って」
「城砦が攻め込まれたときの対応。急いで」
「あ――ああ!」
この城砦に加わった頃、レイリアには非常用の動きを教えられていた。
もしここが攻められるようなことがあれば、どう対応するべきなのか。
(まずは治療用の道具の持ち出しの準備――)
ここが戦場になる可能性がある以上、治療する場所をすぐさま移動できるようにしなければならない。アランも鞄に鍼を含めた道具を詰め込み、動ける支度をする。
それを進める内に城砦内で鐘が鋭く打ち鳴らされた。
その音の鳴り方に耳を澄ませたヘレナは鋭く言葉を続ける。
「アラン、城塔に向かってレイリアから状況を確認。急いで」
「了解――!」
ヘレナの指示に迷いなく頷き、アランは診察室から飛び出す。医務棟から出て城塔に向かうと、その途中で慌ただしく動く兵士たちの姿も見える。
彼女たちも予想していなかったのか、動きが乱れているようだ。
(一体、何があったっていうんだ――)
アランは城塔に入り、階段を駆け上がっていく。執務室のある階に辿り着くと、会議室からレイリアとリーゼロッテの緊迫した声が響き渡っていた。
「リーゼロッテ、広場に集まった兵たちに城壁の配備を伝えろ」
「彼女たちも前線に出しますか?」
「いや、それは荷が重いだろう。後方援護に徹させろ。出るのは熟練兵だけだ」
「しかし、それでは兵数が――」
開け放たれた部屋の中を伺う。すぐにリーゼロッテがアランの姿に気づき、言葉を切って目を丸くした。だが、すぐに表情を引き締めて頷いた。
「アランさん、お疲れ様です」
「すみません、お邪魔したようで。状況の確認に来ました」
「芳しくない。件の大型魔獣がここに来ているんだ」
レイリアは早口に言いながら、ついてこい、と合図する。アランとリーゼロッテは顔を見合わせながら、早足で動くレイリアについて外に出る。
「ほんの少し前、緊急の連絡が入った――自治区で暴れていた魔竜の討伐に失敗。あろうことか包囲を破り、我が国の方に向かったと情報が入った」
「つまり、あの咆吼は――」
「ああ、手負いの魔竜がこちらに向かってきている、ということだ」
レイリアはそう告げながら廊下を歩き、自分の執務室に入る。それから迷いなく棚を開き、中に入っている武器と防具を取り出し始める。
「我々では荷が重い状況だが、さらに状況は悪い――経験が豊富な兵が今、出払っているんだ。現在、この城砦にいるのは負傷兵と新兵、それと私たちだけだ」
「――っ、それは……」
椅子に座り、レイリアは手早く脛当てと籠手を装着し始める。一方でリーゼロッテは彼女の棚から胸当てを取り出しながら顔を曇らせる。
「正確には部隊長はいますが、ほんの数人です。その人員でこの城砦を守り抜かなければなりません――少なくとも、援軍が来るまでは」
「……勝算はあるのですか?」
「まぁ、心配するな。この城砦は守りが固いからな。しばらくは耐えられる」
レイリアは安心づけるように笑う――だが、リーゼロッテの表情は硬い。
アランにもその言葉の意味は理解する。勝てるとは言っていないのだ。
そして、彼女の準備は明らかに防衛を意識したものではない。明らかに打って出て、戦うための装備だ。
「――レイリアさん……」
思わず名を呼ぶと、彼女は小さくおかしそうに笑って肩を竦めた。
「……そんな悲壮な顔をするな。アラン殿」
「ですが、戦うのでしょう?」
「ああ、その通りだ。防衛に徹していればいずれは綻びが生じる。新兵たちの士気を上げ、魔獣を怯ませるためにも、誰かが戦う必要がある」
レイリアはリーゼロッテに胸当てをつけてもらうのを手伝わせながら、はっきりとした口調で告げた。それから彼女はアランを見て言葉を続ける。
「アランとヘレナは待機していてくれ。この城砦の守りの指揮はリーゼロッテが執る。状況が変化すれば、彼女からの指示が降りるはずだ」
「――了解しました。医務棟にて待機します」
「うん、頼んだ。負傷兵も今は動かさなくていい。ただ、もう回復して動けそうな者は城壁に向かわせてくれ。防衛には人手が必要だからな」
そう告げた彼女に、リーゼロッテが装備を装着し終える。レイリアが立ち上がると、金属がぶつかる音が響き渡った。
彼女は真っ直ぐな瞳でアランを見つめ、力強く笑ってみせる。
「大丈夫だ。負け戦に行くつもりはない――むしろ、勝ち筋があるからこそ、打って出るのだ。そこは誤解してくれるなよ」
「それでも、心配なものは心配ですよ。レイリアさん」
脳裏に過ぎるのはここ数日、担ぎ込まれてきた兵士たちだ。
この短い期間で顔見知りになった仲間たち。彼女たちが苦痛で顔を歪め、血に塗れながら運び込まれてくるのだ。それを見るたびにアランは胸が締め付けられる。
むしろ、レイリアも同じようになったら――。
もし命が損なわれる事態になったら――。
想像するだけで息が詰まりそうになる。
「――ありがとう。アラン殿」
不意に、頭に手が載せられた。視線を上げれば、柔らかい声と共にレイリアが微笑んでいた。彼の頭を撫でてから、彼女は目を細めて告げた。
「その気持ちが何より嬉しい。こういう風に心配されるのも、悪くないと思えてしまうほどに。そして、そんな心配してくれる人を守りたいと心の底から思える」
そこで言葉を切ると、彼女はふと思いついたように小さく笑った。
「そうだ――そこまで心配なら、約束をしよう」
「約束、ですか?」
「ああ、私がちゃんと生きて帰ったら、ご褒美をくれるか。アラン殿」
その言葉にアランは目を丸くし、やがて思わず笑ってしまう。
(――全くレイリアさんは)
ただ、彼女らしいと思う。いつもそうやって明るく前向きに接してくれるからこそ、アランはこの城砦で心置きなく仕事に励めるのだから。
「もちろんです。約束します――自分にできることなら何でも」
「お、いいのか? 言っておくが、私は我がままだぞ?」
おどけて告げるレイリアにアランは頷き、彼女の鎧に拳を当てた。
「その代わり、きちんと生きて帰ってきてください。待っていますからね。レイリアさん」
「ああ、もちろんだ。ご褒美のためにもな」
嬉しそうに彼女は頷き返すと、視線をリーゼロッテに向けて表情を引き締める。
「留守を頼むよ。リーゼロッテ」
「承知しております。隊長は戻ることに専念を。掠り傷一つでも負ったら、アランさんにお説教を食らってしまいますよ」
「それは怖いな。何としても無事で帰らないと」
軽口を叩き合い、レイリアは颯爽と執務室から出ていく。
その背は凛として揺るがない。それを見送りながら、小さく吐息をこぼしていると、傍にいたリーゼロッテが声を掛けてくる。
「――ああいわれても、心配ですよね。アランさん」
「……ええ、まぁ。信じていないわけではないのですけど」
「信頼と心配は両立します。ご安心を」
リーゼロッテはそう言いながら表情を緩め、安心づけるように言葉を続ける。
「それに――レイリア様は強いですよ。意外と思われるかもしれませんが」
「そう、なのですか?」
「はい、あの若さで大隊を任されているのは、伊達ではありませんので」
そう告げたリーゼロッテの口調には強い信頼が滲み出ていた。




