第22話
「今日は一段と静かだな」
その日の昼下がりは、訓練の声も響いていなかった。
病室にいる兵士たちを見回ったアランが診察室に戻ると、ヘレナがハーヴティーを用意しているところだった。ん、と彼女は頷き、カップを差し出してくれる。
「今日は結構、出払っているから。多方面で部隊を出している」
「あ、なるほど。道理で」
「――この前の幹部会議で話していたと思うけど?」
ヘレナに半眼を向けられ、カップを受け取ったアランは思わず苦笑する。
一昨日、再び幹部会議が行われ、部隊の再編が行われた。負傷兵の代わりに補充の人員が加えられた部隊はそれぞれ各地で任務に当たっている。
ただ、それについては専門用語が多く、聞いていてちんぷんかんぷんだったのだ。
「ヘレナはよく分かるな」
「軍事用語も学院では勉強する。そういう部分も追々、アランに教えないと」
「――よろしくお願い致します。ちなみに今はどういう状況?」
「防衛線を構築して村を守りつつ、魔獣を少しずつ削っている状況」
ヘレナは呆れたような口調で言いながらも、机の紙に図解を示してくれる。
「今、魔獣はかなり入り込んでいるのが確認できた。だけど、それを各個撃破するには人も時間も足りない」
彼女が描いたのはこのあたりの簡単な地図。その内、魔獣が出ているエリアを斜線で強調した。射線が描かれていない部分は、魔獣の目撃情報がないのだろう。
「だから、ここの防衛線を引く」
射線の部分と、何も描かれていない部分に線を引いた。そして、そこの近くにある村に丸印をつけ、ヘレナはアランに視線を上げた。
「当然、防衛線付近の村は魔獣の危険がある。だからそこには部隊を常駐させ、これ以上、魔獣の浸透を許さないようにする。一方で、魔獣のエリアには経験豊富な兵たちを送り込み、魔獣を少しずつ駆逐していく」
「なるほど、結構大規模な作戦になってきたのか」
今までは確認された魔獣の情報を元に、城砦から兵を送り出して討伐させていた。だが、それでは手が回らなくなってきた、ということだろう。
「だけど、そんなに魔獣が浸透してくるものなのか?」
「まぁ、あり得ないことではない。自治区自体、まだ復興途中で魔獣の駆除も追いついていないから。それが大型魔獣に追いやられて、こちらに逃げることはよくある」
ただ、とヘレナは少し眉を寄せ、自身の描いた地図を見ながら首を傾げる。
「正直、ここまで入り込んでいるのは予想外――もしかしたら異常事態が起きているのかもしれない。下手すると、北はこれ以上に混乱しているかも」
「それなら、こちらに連絡が来るでは?」
思わず首を傾げる。第七特務大隊はクローデット王国北部の治安を維持している部隊だ。そちらに脅威が及ぶなら事前の連絡を回すはずだが。
だが、ヘレナはふるふると首を振り、甘い、と厳しい声で言う。
「普通の部隊なら連絡をくれるかもしれない。だけど、アラン――私たちは女たちを主力とした部隊。対する北部の自治区駐屯軍は精鋭。私たちを完全に侮っている」
「だから、連絡を寄越さない、と?」
「ん。彼らにも面子がある。仮に『そちらに魔獣が行くかも』なんて連絡を寄越したら、女相手に助けを求める軟弱な部隊だと思われる――とか考えているんじゃない?」
ヘレナの言葉にアランは、ああ、と納得しながらも呆れてしまう。
「馬鹿馬鹿しい。人命には代えられないのに」
「それは平民や私たち治癒士の道理。多くの軍人は人命よりも面子を大事にしがち。ここの部隊はもちろん違うけど」
彼女は再び地図に視線を向け、指先でとんとんと地図を叩く。
「レイリアは賢い。そういったしがらみも考え、柔軟に対応できるように部隊を動かしている。幹部会議ではその配置と作戦概要が事細かに話されていた、というわけ」
「――分かりやすい説明、ありがとうございます。ヘレナ先生」
「次から分からなければ、すぐに聞くこと。疑問は放置すべきではないから」
「ああ、肝に銘じるよ」
アランは苦笑しながら頷けば、よろしい、とヘレナは頷き返した。
(ヘレナには助けられてばかりだな)
最近はこうして分からないことを積極的に教えてくれている。初対面では考えられなかったほど、今やアランは積極的にヘレナと交流を重ねている。
こうしてハーヴティーを煎れてもらう機会も、次第に増えてきた。
アランは椅子に腰を下ろし、ハーヴティーを口に運ぶ。ヘレナが調合したお茶は薫り高く、飲んでいて頭がすっきりするようだ。思わず吐息をこぼすと、ヘレナは何気なく訊ねる。
「どう? 新しい配合を試してみた。前回と比べて香ばしい味を目指してみた」
「ああ、美味しいよ。もしかして、わざわざ調合してくれたのか?」
前回、ヘレナにお茶の好みを聞かれて『香ばしいものが好き』と答えた記憶がある。それを覚えて今回、調合してくれたのだろうか。
アランは首を傾げると、ヘレナはわずかに視線を逸らして告げる。
「――別に。たまたま、香ばしい葉を見つけたから」
ヘレナは無関心を装うように、白いカップの縁を指先でなぞる。だが、アランのことを意識して調合してくれたのは間違いないだろう。アランは微笑んでカップを持ち上げる。
「好きな味だよ。ありがとう。ヘレナ」
「貴方のためじゃない。私もこういう味を試したかっただけ」
ヘレナは素っ気なくそう言うが、その頬がほんのり染まっている。アランは気づかないふりをしてハーヴティーを味わい、吐息をこぼした。
「うん、やっぱり美味しい」
「……気に入ってくれたのなら、それでいいけど」
少しだけ交じった嬉しそうな声色。アランは頷きながら小さく呟いた。
「正直、毎日飲んでも飽きないだろうな――」
「――毎日?」
何気なく口にした言葉に、ぴたり、とヘレナの動きが止まった。アランは一泊遅れて気づく――今の単語は少し意味深に聞こえやしないだろうか?
「それくらい、ってことだ――他意はないぞ」
アランが慌てて付け足すと、そうだよね、とヘレナはこくこく頷いた。彼女は深呼吸してからカップを両手で包み込み、唇を尖らせる。
「全く、紛らわしい――他の人なら誤解するところだった」
「悪い、ヘレナ」
「気をつけて。私以外にはそんな言葉、言わないように」
「ああ……ん?」
ヘレナになら、誤解されるようなことを言っていいのか?
思わずアランが首を傾げている一方で、ヘレナは自分の言葉の持つ意味に気づかなかったようだ。ヘレナはハーヴティーを口に運んでから続ける。
「それに――毎日は無理だけど、言ってくれればいつでも煎れてあげるから」
「あ、ああ……ありがとう。ヘレナ」
「ん、だからあまり無理はしないように」
「ヘレナもな。お互い、夜遅くまで仕事をしているし」
最近、医務棟ではアランとヘレナが泊まり込んでいた。
緊急の患者が出る、あるいは、病室の患者の容体が急変する可能性があるからだ。そのついでに使った器具の手入れや調薬も行っている。
アランとヘレナは互いに笑みを交わし合いながら、茶を口に運ぶ。
その束の間の平穏を噛みしめるように、ゆっくりと――。
「――オオオオオオオォォッ!」
凄まじい咆吼が、静寂を引き裂いた。




