第20話
その日を境に、オーロック城砦内部は慌ただしさを増した。
訓練の声が響いていた城砦内は静けさを増し、部隊は毎朝早くに出立し、毎晩遅くに帰還する。戻って来た兵たちの話を聞くと、巡回先でかなり魔獣の痕跡を確認するそうだ。
当然、魔獣と遭遇して負傷する兵も出てくる。
医務棟にも次第に慌ただしさは伝わり始めていた。
「アラン、そっちの処置が終わったら、こっちも手伝って欲しい」
「すぐに行く――このまま安静にしていてください」
この日も数人の怪我人が医務棟に運び込まれていた。
骨折した兵の治療を終えて言い残すと、アランはすぐに隣のベッドに移る。そこでは額に汗を滲ませるヘレナの姿があった。
「く、ぁあ……っ」
ベッドの上では若い女兵士が苦悶に表情を歪めている。その腕は何かに食いちぎられたように肉が引き裂かれ、赤黒い血がとめどなく染み出ている。
腕の根元で止血帯が巻かれ、最低限の応急処置はされている。アランは手を消毒していると、ヘレナは右手で治癒魔術、左手で解毒魔術を行使しながら視線を上げた。
「治癒魔術を代わって。本格的な解毒に入る」
「了解。交代する」
彼女の横に入り、その右手の代わりに治癒魔術を行使する。魔力を練り上げて患部に流し込んでいくが、回復が著しく遅い。
(――毒のせいか……っ)
今の現在進行形で毒が彼女の腕を蝕み、広がり続けているのだろう。アランが一層魔力を練り上げると、ヘレナは両手を患部にかざして解毒に専念し始める。
調整された魔力波が腕に染み込み、滞留する毒を打ち消し始める。
(さすが、ヘレナ……)
魔獣の毒は千差万別――それらに全て効く解毒魔術は存在せず、毒の種類に合わせて効きやすいように魔力を変質させ、流し込む必要がある。
だが、ヘレナはすぐさま性質を見極め、魔力を調整して見せた。
傷口を冒していた毒は徐々に消え去っていき、治癒魔術の効果が出始める。ヘレナは深く吐息をこぼして手を止めると、短刀を手に取った。
「解毒は八割がた終わった。壊死した部分を切除する。合わせて治癒魔術を」
「了解。火傷のときと同じ手順だな」
「そゆこと。行くよ」
ヘレナは手早い手つきで毒で変色した肌を切除し始める。切開された部分からこぼれ出る赤黒い血――それをアランはガーゼで吸着させつつ、治癒魔術でその傷を塞いでいく。傷口は二人の処置で次第に健全な肌を取り戻しつつあった。
「――よし」
最後の部分まで治癒魔術を掛け終わり、アランは大きく吐息をこぼす。ヘレナは一つ頷きながら棚から小瓶を取り出し、兵士の傍に歩み寄る。
兵士は痛みで疲弊したのか、ぐったりとしている。ヘレナはその彼女の止血帯を解くと、頬を軽く叩いて告げる。
「起きて。治療は終わった」
「……っ、あ、ありがとう、ございます……」
「礼よりもこの薬を飲む。残留した毒をこれで解毒するから」
「は、はい――」
ヘレナが患者の口に小瓶を運び、解毒剤を全て飲み干させる。患者が長く吐息をついたのを見て、ヘレナは軽く頷いてみせた。
「よく頑張った。あとは休んで構わない。お疲れ様」
「は、い――ありがとう、ございます……」
その声と共に女兵士は瞼を閉じた。やがて穏やかな寝息が響き渡る。ヘレナは安堵の吐息をこぼすと、ちら、とアランの方を振り返る。
「そっちの患者ももう大丈夫なんだよね?」
「ああ、もちろん。おかげさまでね」
アランの担当は軽傷か、あるいは、処置が比較的簡単な骨折などの患者ばかりで、重症の患者はヘレナが全て請け負ってくれたのだ。
そして、彼女は尋常じゃない采配で全て治療し切っている。
何なら、アランを気遣う余裕まで見せているくらいだ。
「ヘレナのすごさを思い知らされたよ」
「――ま、これでもこの軍の治癒士だから」
さりげなく顔を背けながら、素っ気なく言うヘレナ――その口元がにやけているのを、アランは見逃さなかった。アランが微笑ましい視線を向けていると、彼女は咳払いする。
「いずれにせよ、落ち着いたから、今の内に休むといい。魔力が足りないなら、ポーションを使っても構わない」
「今のところ大丈夫だけど――ヘレナはどうするんだ?」
「私はまだ余裕があるから、病室を見て回る。昨日、処置した患者の様子も気になるし」
「手伝おうか?」
「必要ない。もし余力があるなら――」
少し考えてから、ちら、と窓の外に視線を向ける。そこにある城塔を見やり、ヘレナは言葉を続けた。
「レイリアの様子を見てあげて。ここ最近、忙しくて顔を出してこない」
「――それは、確かに」
一時は日を空けずにアランの元に通い、身体を揉ませていたというのに。
「じゃあ少し様子を見てくる」
「ごゆっくり」
ひらひらと手を振り、ヘレナは病室の方へと白衣をはためかせて歩いていく。それを見送ってから、アランも診察室の出口に足を向けた。
◇
「あ、アランさん」
城塔に入り、執務室へ足を向けると、丁度お茶を持ったリーゼロッテが通りがかった。彼女は軽く一礼してから首を傾げる。
「隊長に御用ですか?」
「ええ――最近、忙しいのか顔を出されないので」
「……まぁ、仕方ありません。想像以上に魔獣が浸透していたのが発覚したので」
「そうなのですか?」
「ええ、詳しくは執務室で聞いてください」
リーゼロッテの横に並び、二人で執務室を目指す。いつも凛としている彼女も少し表情には疲れを滲ませている。
「リーゼロッテさんは、大丈夫ですか?」
「おかげさまで、身体の方は。診ていただいているのでお分かりかと思いますが」
「きちんと三日に一度、来てくれますからね」
リーゼロッテは忙しいなりにきちんと時間を作り、医務棟に通ってくれていた。その彼女に配慮し、処置は簡単なものになるが、膝は大分良くなったように感じる。
「えらいですね。リーゼロッテさんは」
「……子ども扱いしていますか?」
「いえ、まさか」
拗ねたように言うリーゼロッテにアランは小さく笑う。気心が知れてきて、彼女は時々素直なところを見せてくれるようになった。
「あ、笑いましたね、今」
「すみません。少しだけですけど」
「全く、患者をからかうなんて、ひどい治癒士もいたものです」
そう言うリーゼロッテの声はわずかに弾んでいた。アランは軽く苦笑しながら言葉を続ける。
「からかったつもりはないんですよ。ただ、こうして正直に話してくれるようになって、少し安心しました。少しずつですが、無理しないようになってきましたね」
「まぁ、誰かさんが怒りますから」
「そんなひどい人がいるんですか? 全く怪しからん人です」
「……アランさん、貴方ねぇ」
アランのとぼけた口調にリーゼロッテは呆れたような眼差しを向けてくる。だけど、その目尻はおかしそうに緩んでいる。それを見つめながら、アランは表情を緩める。
「まぁ、怒ってくれる人がいるとすれば、それは真剣に貴方のことを心配してくれているから、ですよ。素直に怒られてください」
冗談めかして言葉を続ければ、リーゼロッテは目をぱちくりさせていた。目が合うと、彼女は視線を逸らしてしまう。
「私のような軍人を心配する人なんているんですかね?」
「さて。少なくとも、一人はいますよ」
(――今、ここに)
その言葉は口にしなかったが、充分に伝わったようだ。リーゼロッテはほんの少しだけ頬を染め、ちら、とアランを見た。
「物好きな人もいるものですね――その人にはありがとう、と伝えたいです」
「どういたしまして、とその人は言うのでしょうね」
そう言いながら視線を交わし、小さく笑い合った。
そんなやり取りをするうちに、二人は執務室の前に辿り着いた。リーゼロッテは一つ深呼吸すると、扉をノックして告げる。
「リーゼロッテです。アランさんもお見えになられました」




