第18話
「――以上から熱傷については、場合によっては患部を切除してから治癒魔術を行使した方がいい。そうしないと治癒魔術が浸透せず、後で傷口が腐る場合もある」
その日の昼下がり、診察室でアランとヘレナは治癒魔術の談義をしていた。
昼食時は兵たちも食事を摂っていて、患者が来ることが少ない。ヘレナはパンを口にしながら事例が掲載されている書物を広げる。数ページめくったところで、彼女は一点を指さして説明を加えた。
「この事例が分かりやすい。この患者の場合、治ったように見えたものの、治癒魔術が治したのは表層だけだった。実際、皮膚の奥は重度の火傷で壊死していた。この後、感染症を引き起こし、患者は死亡してしまったらしい」
「なるほど、つまりこの場合の正しい処置方法は――」
「重度の熱傷だと判断した部分を切除する。具体的には痛覚がない場所――この際、取り残しがないようにし、治癒魔術を実施。この際、痛覚も再生するので、患者が暴れないように注意する必要がある――ここまでは大丈夫?」
「ああ、ありがとう」
ヘレナの分かりやすい解説にアレンはメモを書き進める。そこでふと疑問を抱き、横にいる彼女に視線を向けて訊ねる。
「ちなみに熱傷の面積が多い場合は? この場合、切除してしまうと傷口を保護する部分がなくなるけど」
「難しい事例。というより、重度の熱傷が大規模だと、治癒魔術が効かなくなる」
「効かなくなる? ああ、そうか」
聞き返しながらも、アランはすぐに合点が行った。
治癒魔術は健全な部分に魔力を与えて再生を促し、傷を塞ぐ技術だ。つまり――。
「壊死した部分に治癒魔術を掛けても治らない、ってことか」
「そういうこと。だけど、前例がないわけではない。例えば、ここが重度の熱傷だとする」
ヘレナは近くのメモに人体の図を描き、腹部に大きく斜線を引く。ここが熱傷を負った場所、ということだろう。彼女はそこを囲むように丸を描いた。
「まずは、その部分を切除する。それから――この場合だと背中かな。そこの部分の皮膚を切除し、それをここに被せる」
「背中の皮膚を?」
「そう。健全な部分がなければ、健全な部位を持ってくればいい、ってこと。これを皮膚移植技術、という」
「む――なるほど、そんな考え方が」
「治癒魔術とて万能じゃない。逆に治癒魔術を使うと悪化するものもある。きちんと知識をつけて対応するのが重要」
「ああ、肝に銘じるよ」
「ん、それならばいい。で、次の事例についてだけど――」
ヘレナが言葉を続けようとしたところで、ふと扉がノックされた。振り返ると、そこには診察室の様子を伺うリーゼロッテの姿があった。
「失礼します。忙しそうでしたら、出直しますが」
「いえ、大丈夫ですよ。リーゼロッテさん――診察ですよね」
「はい、約束通り来ました」
リーゼロッテは苦笑しながら診察室に足を踏み入れる。アランは頷いて立ち上がり、棚から病衣を取り出して差し出す。
「処置もしますから、一旦着替えてきていただけますか?」
「分かりました。少々お待ちください」
律儀に頭を下げ、リーゼロッテは素直に更衣室に向かう。へぇ、とヘレナは少し目を丸くし、アランを振り返って小声で告げた。
「あのリーゼロッテが、素直に言うことを聞いている」
「ちゃんと聞いてくれますよ。リーゼロッテさんは」
「でも前までは『最小限の治療で構いません』『他の兵を優先してください』って言って、満足に治療させてもらえなかった」
「ああ――まぁ、そうですよね。ただ、もう大丈夫です」
薬草採集を兼ねた訓練があったあの日から、リーゼロッテは態度が少し柔らかくなり、治療行為に素直に応じてくれるようになった。
きちんと三日に一度は医務棟に足を運び、アランの処置をきちんと受けてくれている。おかげで右膝の症状は緩和しつつある。無論、今まで酷使した分のダメージはまだ回復し切れていないのだが。
「着替えてきました」
病衣に着替えたリーゼロッテが戻ってくる。アランは一つ頷くと、診察室のベッドを示した。
「今は人もいないので、ここでやってしまいましょうか」
「患者が来たら移動してもらうけど――アラン、今日はどうするの?」
「そうですね――少し触ります」
ベッドに横になったリーゼロッテに断り、彼女の足に触れる。右膝周りは少しずつ緩和しているが、まだ血の滞りが見られる。また太ももの筋肉も動きが鈍くなっている部分がありそうだ。
対する左足も右足の負荷を支え続けたせいで、少し血の滞りが悪い。
「――まだまだ時間が掛かりますね。とはいえ、この前、鍼を打ったので、今日はストレッチをメインにして症状を緩和させようかと」
「別に鍼でも構いませんが?」
「あまり打ちすぎても良くないんですよ。鍼は」
特に、鍼を介して内部に治癒魔術を直接流し込む手法は効果的であるものの、身体の負担が大きく、筋肉を疲労させてしまうデメリットもある。
だから、鍼とストレッチを交互にやり、徐々に症状を治していくのが好ましい。
「治癒魔術も、妖鍼術も万能ではない、ということ」
ヘレナの補足に、なるほど、とリーゼロッテは神妙な顔つきで頷いた。
「分かりました。ではお願いします」
「はい、では始めますね」
まずは太ももから順番に、足を揉みほぐしていくことから始める。魔力を込めた指圧で凝り固まった部分を解し、血の巡りを良くしていく。
「どうですか? 力加減は」
「ん――もう少し強いくらいがいいかと」
「……これでも大分強めなんですけどね」
苦笑を一つ。アランはぐっと指先に力を込めていく。
(リーゼロッテさんは強めが好きなんだよな……)
他の人たちは弱めにやっても痛がる人が少なくない。だが、リーゼロッテは強めにしてもらうのが気持ちいいらしい。
遠慮なくアランが指で押し込んでいくと、んっ、とリーゼロッテは上ずった声をこぼし、心地よさそうな吐息をこぼす。
「――やはり、これくらいがいいです……っ、んっ……!」
「ん……傍から見ていると、痛そうなんだけど」
「そうでしょうか。痛気持ちいい、という感じなのですけど」
「痛いのが気持ちいいの……?」
「いえ、そういうわけでは……んぁ……っ!」
太ももを両手の親指で挟み込むようにして押し上げると、彼女はぴくんと身体を跳ねさせた。それに苦笑しながらアランは施術を続ける。
(レイリアさんも、リーゼロッテさんも、声が艶めかしいんだよな……)
その声を頭から追い出すように専念。右足の太ももから足先まで揉み解していく。それが終われば、左足も太ももから足先まで。
要望通り、強めに続けていけば、次第にリーゼロッテは汗を滲ませ始めていた。
「……っ、アランさん、いい塩梅の力加減です……っ」
「……それならいいのですが」
どうでもいいが、大分息も弾んでおり、やはり艶めかしい雰囲気になっている。ヘレナは指摘するのを諦めたのか、机に向かって作業をしている。
その彼女がふと時計を見て、軽く首を傾げる。
「――にしても、今日は全然、人が来ない」
「ん……っ、今、調査任務で出ている兵も多いので、そのせいかと……」
「調査任務……やはり、この前の魔獣の件で?」
「はい……んっ、異変の原因は突き止めねばならないので……っ」
「……まぁ、大移動とかでなければいいけど」
ぼそりと呟いたヘレナに、アランは手を休めずに訊ね返す。
「大移動、とは?」
「ん、平たく言うと、魔獣が押し寄せてくる災害のこと。引き起こす原因はいろいろあるけど、それが起きると街の一つや二つ、簡単に消し飛ぶ」
「……兵たちには言っていませんが、隊長はその可能性も加味しているそうです」
その言葉にアランの手が少し止まってしまう。それに気づいてリーゼロッテは、大丈夫ですよ、と柔らかい声で続けた。
「これは最悪の場合ですし、もしそうだとしても的確に対処すれば、被害は最小限に留められるはずです」
「――そうですよね。レイリアさんもそうならないように動いているはずですし」
「ええ、隊長を信じてください」
「了解しました――リーゼロッテさん、足を大きく動かしますよ」
そう声を掛け、右膝に手を添えて足を大きく上げさせる。そこから股関節の可動域を広げるように押し回すと、彼女は微かに息を詰まらせた。
「――きついですか?」
「いえ、まだ大丈夫です。もっと強く……っ」
「分かりました。では」
ぐぐぐ、とさらに力を込めると、リーゼロッテは何かに耐えるように身を震わせ、長く吐息をこぼす。その拍子に長い睫毛が揺れ、瞳が潤む。
「……っ、んぁ……ぁああ……っ」
(平常心、平常心――)
極めて無心でアランは彼女の足を動かし、股関節を解す。右足が終えれば、左足も回していき、可動域を徐々に広げていく。
それをリーゼロッテは荒い吐息をこぼしながら、ひたすらに耐え続ける。
その後、膝の関節や足首も回し終えると、彼女はぐったりとベッドで息を上げていた。頬も赤らんでおり、全身が汗でびっしょりだ。
何とも言えずにアランは彼女を見ていると、彼女は薄く目を開いて微笑んだ。
「すごく気持ちよかったです……癖になりますね。これは」
「誤解を招きそうな言い方は勘弁していただきたいのですが」
「……? 誤解、ですか」
きょとんとするリーゼロッテにどう説明しようか迷っていると、扉をノックする音と共に軽快な声が飛び込んでくる。
「邪魔するぞ。ヘレナ、アラン殿。リーゼロッテがいると思うが――」
入ってきたのは、レイリアだった。彼女は視線をベッドに向けてリーゼロッテを見つけると、ぴたりとその場で固まった。
それから頬をほのかに染め、ぎこちない所作で出て行こうとする。
「す、すまない、本当にお邪魔だったか」
「気持ちは分かりますが、本当に誤解なんです。レイリアさん……!」
アランは慌てて呼び止める。ここで誤解されると、アランの立場がない。
レイリアは我に返ると、こほんと咳払いして苦笑した。
「ああ、分かっている。ただ、こうして見ると連想してしまってな――」
未だによく分かっていない表情のリーゼロッテに、ヘレナはため息交じりに姿見を引きずって来た。その自身の姿を顧みて、リーゼロッテの顔が急速に真っ赤になる。
「き、着替えてきます……っ」
一瞬で跳ね起きると、彼女は慌ただしくベッドから降りて更衣室に消えていく。関節を解したおかげか、柔軟な動きだった。
それを見て軽く笑うレイリアに、ヘレナは姿見を片付けながら眉を寄せる。
「それで、何の用? リーゼロッテを呼びに来ただけ」
「ああ、それとヘレナもな。部隊長を今招集している」
「――つまり、緊急の幹部会議」
「そういうことになる」
レイリアは一つ頷くと、ふとレイリアの視線がアランにも向いた。
「折角だから、アラン殿にも出席してもらおう。事態によっては治癒士を総動員することになるからな」
その言葉にアランは表情を引き締める。それはつまり何か起きた、あるいは、これから起きることを想定しているのだろう。
レイリアはその顔つきに応えるように一つ頷いた。
「端的に言うと、北方から大型魔獣が接近しているようだ」




