第16話
そして、その帰り道――その歪みは徐々に大きくなりつつあった。
「……っ」
山道を歩き、降っていくリーゼロッテの足並みがわずかに乱れた。見ると、微かに息を乱し、表情も強張っている――明らかに異常をきたした足の動きだ。
その後ろで歩いていたアランは駆け足で追いつくと、声を掛けた。
「リーゼロッテさん、足を診せてください」
「問題ありません。少なくとも、城砦に戻るまでは大丈夫です」
彼女は強がるように言い放ち、それよりも、と不服そうにアランを見やる。
「負傷兵について欲しい、とお願いしましたが?」
「あの子たちは大丈夫よ。副長」
アランの代わりに答えたのは、先ほど彼と話した七班の女兵士だった。彼女はからりと笑い、リーゼロッテの肩を叩きながら告げる。
「アラン先生が問題ないと診療したし、その上で他の子たちもきちんとついている。新兵としても負傷兵の補助はいい経験になるわ」
「しかし――」
「この状況で今、足手まといなのは副長よ――違う?」
「――っ」
その指摘にリーゼロッテは押し黙って足を止める。女兵士は表情を緩めると、軽く手を叩いて仲間を呼び寄せる。
「一旦、休憩よ。新兵たちはもう山から降ろしちゃって。七班は周囲の警戒」
数人の兵士たちが残り、思い思いに休憩を始める。その中でアランは荷物を下ろすと辺りを見渡し、丁度いいところにある岩を指さした。
「リーゼロッテさん、あそこに座ってください。治療しますよ」
彼女は無言で頷き、素直に従ってくれる。腰を下ろした彼女の前に跪き、ズボンをたくし上げる――やはりというべきか、右膝の血の滞りはひどいことになっていた。
それで酷使したせいで、炎症が起きているのか、腫れあがっている。
「こんなになるまで無理をして」
「――そんなに、ひどいですか」
「少なくとも日々の生活で痛みは走っていたでしょう?」
「そう、ですが――」
「それに多分ですが」
言葉を続けながら左足の方をちらりと見て、その足に触れる。瞬間、ぴくりと彼女の肩が震えたのを見て、目を細めた。
「――リーゼロッテさん、こっちの足、挫いていますね」
「そ、んなことは――」
靴の上から左足首を叩くと、ひぐっ、とリーゼロッテは悲鳴をこぼした。見守っていた女兵士が呆れたようにため息をついた。
「やっぱり挫いていたんじゃん」
「と、言いますと?」
「さっき、魔獣と戦ったときに副長、妙な動きをしたのよ。がくっと身体が沈み込んだように見えて。それで聞いてみたんだけど、『大丈夫』の一点張りで」
「――なるほど」
普段、右膝が痛めているせいで、左足に重心を寄せる癖がついてしまったのだろう。それで足を挫いてしまった、と。
その後、痛む左足を庇って歩くせいで、右膝の痛みも悪化した形だろう。
呆れ果てて思わずアランはため息をこぼしてしまう。それから靴を脱がし、左足の処置を始める。手を当てて魔力波で捻挫の具合を確かめる。
(――良かった。そこまで重傷じゃない)
治癒魔術に切り替え、治療を開始――炎症を抑え込み、損傷した部分を修復する。どうにかアランの持つ魔力でも足りそうだ。
左足首の治療を終え、次に右膝の治療に移る。鍼を懐から取り出し、患部を確かめて無造作に打ち込んだ。ただ無言で鍼に魔力を流し、血の滞りを解す。
「――っ、くっ……」
無論、打っている場所は炎症が起きている場所。鍼を打たれれば痛みもその分、走るだろう――だが、アランは手を休めずに強張った部分を鍼で突き崩す。
(本来なら、炎症は徐々に外側から魔力を浸透させ、治していくのだけど)
アランは元々、魔力が少ない体質――今日は多くの人に治癒魔術を掛けたせいで、魔力がそこまでは回らない。
だから手っ取り早い手段を講じている。鍼を打って固まった筋肉を解しつつ、治癒魔術を鍼に流し込み、内側から炎症を治していく。一気に炎症を治すので、筋肉痛に似た激痛が走るのがデメリットだと言えるが――。
(それくらい痛い思いをしないと、リーゼロッテさんは懲りないだろうな)
リーゼロッテの荒い吐息を聞きながら、魔力が染み渡ったことを確認し、鍼を引き抜いた。その様子に傍で見守っていた女兵士が声をかける。
「アラン先生、処置は終わり?」
「ええ、応急処置ですが」
「じゃあ、そこまで悪くはなかったんだ」
「いえ、重症ですよ」
アランは鍼をしまいながらため息をつき、真っ直ぐにリーゼロッテを見据えた。
「自分の症状を過小評価し続け、判断を誤る――非常によくない症状です。自分も重ねて申し上げましたし、ヘレナも診療するように勧めていたはずです。それなのに、リーゼロッテさんは頑なにそれを拒み続けた」
淡々とした口調で、だがアランははっきりと怒りを込めて告げる。どれだけリーゼロッテが軽率な真似をしたかを自覚させるために。
「痛みは体からの警告です。無視すればいずれ取り返しがつかなくなる――今回は訓練だから良かったです。ですが、もしこれが実戦なら?」
その言葉にリーゼロッテは視線を逸らしながら唇を噛みしめた。その額に汗が浮かんでいるのは、治療の痛みのせいだけではないだろう。
やがて彼女は小さく、微かに震える声で告げた。
「申し訳ありません――私の判断が、軽率でした」
ごめんなさい、と幼子のような口調でもう一度繰り返す。その様子にアランは小さく吐息をこぼすと、一つ頷いて表情を和らげた。
「リーゼロッテさんが責任感の強い方であるのは充分存じ上げています。ただ、無理をしては本末転倒――次からは気をつけていただければ」
「――はい、そうします」
素直にこくんと頷いたリーゼロッテ。それに傍にいた女兵士は小さく苦笑した。
「そんな素直な副長、初めて見たかも」
「私だって、反省します」
「なら、もう我慢しませんか?」
「――それは」
ふと口ごもったリーゼロッテに、アランは思わず半眼になった。仕方ない、と小さくため息をついて告げる。
「リーゼロッテさんの症状は重症のようです。なので、定期的に医務棟で処置を受けるようにしてください。具体的には、三日に一度、絶対に来るように」
「み、三日に一度、ですかっ? そんな頻度でなくても」
「いーえ、それくらい通院しないと貴方の悪癖は治りません。これはレイリアさんにも伝えて、正式な命令とさせていただきます」
「そ、それだと仕事が――」
「それくらい、私たちでカバーできるわよ。副長」
七班の女兵士たちが先回りして告げる。苦笑交じりに彼女はリーゼロッテの肩を叩いた。
「というか、仕事を抱え込み過ぎなのよ。全く」
「少しは私たちにも手伝わせて」
「――と仰っていますので、そのようにしてください。リーゼロッテさん」
アランが重ねて言えば、リーゼロッテはやや不服そうに視線を逸らす。このままだとまた何か理由をつけて、診療に来なさそうだ。
だから、彼は視線の先に回り込むと、強い口調で告げた。
「返事は?」
「――っ、はいっ」
びくりと身を震わせたリーゼロッテは反射的に答えをし――観念したように項垂れた。それを見て七班の兵たちは笑いながら荷物を再び持ち上げ始める。
慌てて立ち上がったリーゼロッテも荷物を持とうとすると、その荷物は仲間たちに担がれてしまう。
「ほら、また無理する――アラン先生、副長をよく見てやって」
「ええ、もちろん。無理をすればまた休憩にしますからね」
「……意外とアランさんって、厳しい方なんですね」
リーゼロッテは唇を尖らせ、少し拗ねたように告げる。アランは肩を竦めながら、リーゼロッテの隣に並んで答える。
「言っても聞かない、聞かん坊だけに、ですよ」
「別に、そういうわけでは――」
「素直に言うことを聞いてくれれば、認めてあげますよ」
アランがあしらうと、むぅ、とリーゼロッテが黙り込む。いつものきびきびとした雰囲気とは違い、どこか子供っぽい。
それがおかしかったのか、七班の兵たちは楽しそうに笑う。
「こんな副長、初めてですね」
「これはいい。副長が何か無理をし出したら、アラン先生に言いつけるようにしよう」
「……っ、貴方たちねぇ……!」
リーゼロッテが憤慨したように声を上げるが、本気ではないのはその場にいる全員が分かっていた。アランも思わず笑いをこぼすと、リーゼロッテは恨めしそうな目を向ける。
だが、すぐに吐息をこぼすと、目を細めてアランに声を掛ける。
「……アランさん、少しいいですか?」
「はい、何ですか?」
「少し前のことなんですが、貴方に不当な暴力を振るったこと――申し訳なく思っています。許して、いただけますか?」
その言葉に少し目を丸くし、ああ、とすぐに思い至る。
(ヘレナの一件か――それを引きずっていたのかもな)
何せ、責任感強い彼女のことだ。いつまでも謝罪できないことに悶々していたのかもしれない。その心中を察し、事も無げに頷いてみせた。
「ええ、もちろんですよ」
「――良かったです」
リーゼロッテが小さく笑う――その笑顔はどこか肩の力が抜け、自然に見えた。




