第12話
「ははは、まさかヘレナがアラン殿の部屋で一夜を過ごすとはな」
昼過ぎの医務室――そこではレイリアの痛快そうな笑い声が響き渡っていた。ベッドでうつ伏せになる彼女の身体を揉み解しながら、アランはため息を返す。
「笑い事ではありませんよ。レイリアさん。大変だったんですよ、全く」
何せ、女の悲鳴がアランの部屋から響き渡ったのである。
それに部屋を蹴り破る勢いでリーゼロッテが踏み入り、裸で寝ているヘレナを見るなり、瞬く間にアランを制圧してしまったのだ。
さすが軍人といえる拘束術。全く身動きが取れないどころか、体重を掛けられて呼吸も苦しい状況に陥ってしまった。
すぐにヘレナが誤解を解いてくれなければ、窒息するかもしれなかったのだ。
「正直、死ぬかと思いましたね。皆さんも剣を抜いていましたし」
「そうだろうな。彼女たちは正しい動きをしたよ。仲間を守るための最善の動きだったと思う――だから、あまり責めてくれるなよ?」
「責めるつもりはありません――自分も迂闊でしたし」
(ヘレナを休ませたい、という気持ちが先行して、細かく考えなかったからな)
アランの部屋に女性が泊まっている、ということは、女性を無理やり連れ込んだ、と曲解されてもおかしくなく、一歩間違えれば斬り殺されてもおかしくなかった。
「次からは自分も気をつけるようにします」
「ああ、すまないがそうしてくれると助かる。私はアラン殿を信じているが――」
言葉を濁したレイリアにアランは苦笑交じりに頷いた。
まだ、アランがこの部隊で信任を得ているとは思っていない。それは時間をかけてじっくりと理解してもらうしかないのだ。
「レイリアさん、背中に鍼を打ちますね」
「ん、頼む」
剥き出しになった背中。そこに数本鍼を浅く打ち込んでいく。痛めた肩を庇うためか、そこも血の滞りが生まれている。それを鍼で一つ一つ解していく。
鍼を経由して魔力を流し込めば、レイリアは心地よさそうに吐息をこぼした。
「んん……っ、やはり、いいな。これは」
「さすがにこまめに施術しているだけあって、かなり緩和してきていますよ」
「ああ、それは実感しているよ。ありがとう、アラン殿」
彼女は振り返ると、淡い微笑みを見せた。その嬉しそうな表情にアランも釣られて微笑みながら、鍼に魔力を流し終えて引き抜いていく。
最後に軽く背中を解してから、ぽん、と叩いた。
「はい、レイリアさん」
「ん、今日も良い腕だったぞ。アラン殿」
レイリアは頷きながらゆっくりと身体を起こす。アランは傍らのカルテに軽くメモ書きを残しながら声を掛ける。
「いつも通り、適当に休んでから戻ってくださいね。お大事に」
ベッドの上でストレッチを始めるレイリアは了解した、とばかりに手を振る。アランは頷きながら処置室を出て、診察室に戻る。
そこではヘレナが黙々と机に向かい、書類仕事を進めていた。戻ったアランと視線を合わせようとしない――今日の朝から彼女はこんな感じだった。
お互いに気まずく、別々に医務棟に来てからはずっと患者が来ていて、ゆっくりと離す時間も取れていなかったのだ。
「戻りました。ヘレナ先生。次の患者は――」
「――今は、いない」
ヘレナは手を止めると、ぼそ、と小さく答える。やはり、目を合わせてくれない。今朝のことが尾を引いているのだろう。
(……どうしたものかな)
こうぎこちないと居心地が悪くて仕方ない。アランが視線を泳がせていると、ヘレナがゆっくりと椅子を回転させた。その表情は覚悟を決めたように唇を引き結んでいる。
その真剣な眼差しにアランは背筋を伸ばすと、彼女は勢いよく頭を下げた。
「――ごめんなさい。アラン。今朝は貴方に迷惑をかけた」
「……っ、いえ、そんな、こちらこそ」
咄嗟にアランも謝ろうとするが、ヘレナは首をぶんぶん振った。
「いいえ、今回は私が全面的に悪い。貴方は私に処置をした上で、ゆっくりと寝かせてくれた――それだけなのに、その気持ちを踏みにじる行為をした」
「……ヘレナ先生」
「貴方は極めて紳士的だった。疑って掛かっていた、私がバカみたい」
彼女は悔しそうに唇を噛み、自らを責めるように俯いてしまう。白衣の袖口を握りしめる彼女の手は小刻みに震えているのが見えた。
その様子にアランはわずかに迷いながらも、一歩踏み出した。
「――僕は別に気にしていませんよ」
「でも、私がやったことは……」
「当然の反応です。あの状況なら、誰だって警戒します」
努めて穏やかに声を掛け、アランはヘレナを真っ直ぐに見つめながら眉尻を下げた。
「それなのに配慮を欠いた自分の責任もあります」
「……アラン、貴方は」
ヘレナは顔を上げ、アランの目を見つめ返した。その瞳は潤み、熱を帯びて微かに揺れている。切なげな表情をした彼女と束の間、見つめ合う。
やがて、彼女は小さく吐息をこぼして告げた。
「それでも、謝らせて欲しい。私は治癒士――常に冷静に判断すべきなのに、感情に振り回された。その事実は変わりない」
一息。彼女はアランを真っ直ぐに見つめて続ける。
「そうじゃないと、貴方の同僚として名乗れない気がする」
その言葉にアランは目を見開く――それはつまり、アランを同僚の治癒士として認めてくれた、ということに裏返しであり。
自然と表情が緩みそうになり、ぐっとアランは顔を引き締めて頷いた。
「でしたら、その謝罪を受け入れます」
それにほっと安堵したようにヘレナは吐息をこぼした。それからほんの少しだけ表情を緩め、ありがとう、と小さく囁いた。
「埋め合わせは何かしらで返すようにするから」
「でしたら、また勉強を教え合いましょう。ヘレナ先生」
「――教え合う?」
「ええ、治癒魔術についてまた教えてください。僕も妖鍼術について知り得る知識を提供します」
その言葉にヘレナは呆れたように半眼を向け、腰に手を当てる。
「それだと埋め合わせにならないでしょ」
「そうですか? ヘレナ先生より、僕の方が学べることが多いと思いますが」
とぼけて言えば、彼女は仕方なさそうにため息をこぼし、やがて目を細めて言う。
「――ヘレナでいい」
「……え?」
「教え合うなら、対等。だから、先生をつけなくてもいい、ってこと。敬語もいらない」
そう告げた彼女は視線を逸らしながら少しだけ恥ずかしそうに頬を染めている。アランは思わず表情を緩めると、一つ頷いて口を開いた。
「分かり――いや、分かった。ヘレナ」
「ん、それでいい。アラン」
満足げに頷いたヘレナの表情には自然と嬉しそうな笑みがこぼれていた。初めて見る彼女の自然な笑顔に、アランも釣られて笑みがこぼれだす。
重苦しい空気はいつの間にかどこかへ消え去っていた。




