第10話
「――分かりました」
彼女がそう覚悟を決めているのならば、これ以上何か言うのも野暮だろう。アランはベッド脇の机に布を敷き、鍼を並べながら訊ねる。
「ちなみに、身体できついところはありますか。そこを重点的に診ますが」
「強いて言うなら、腰。机仕事もあるし」
「なるほど、ではそちらから失礼しますね」
タオル越しに掌で彼女の背に触れると、ぴくりとヘレナの身体が震えた。だが、抵抗せずにじっと耐えるように身を固くしている。
(あまり緊張しないで欲しいが――まぁ、無理か)
苦笑しながら掌を当て、血の巡りや筋肉の強張りを確かめる。確かに腰回りは血が滞っていそうだ。それと感じるのは腰の奥の淀み――。
(腰の筋肉じゃないな。どちらかというと、臓器か――)
腰の一点を指先で押す。瞬間、ヘレナはくぐもった声をこぼした。
「ん、ぁああ――っ」
思わずこぼれた呻きだったのだろう。慌てて彼女は枕に顔を押し付けて声を押し殺そうとする。アランは小さく笑いながら声を掛ける。
「気持ち良かったですか? 声、我慢しなくてもいいですよ」
「……でも、恥ずかしい、から」
「そうですね。失礼しました――ちなみにここは?」
「ぁ、ん――っ」
血が滞っている部分を指圧し、魔力を流し込む。またこぼれかけた声を彼女は必死に堪える。どうやら声が出るくらいは気持ちいいようだ。
力加減を確かめながら、ぐりぐりとさらに腰回りを指圧でほぐしていく。
そうしながら一点をぐっと親指で強く押し込む。瞬間、彼女の身体がわずかに強張り、それから脱力した――深くこぼした吐息の音が聞こえる。
手ごたえを感じながら、アランは彼女に語り掛ける。
「ここですね。かなり酷使しているのか、血の滞りを感じます」
「確かに、すごかった――お腹まで痺れるみたいに気持ちよかった」
「でしょうね。ヘレナ先生はどうも臓器がお疲れのようです」
「臓器?」
「はい、具体的には魔臓孔」
端的に言えば、治癒士であるヘレナは思い至ったようだ。
魔臓孔は、人間の身体にある魔力を生み出す臓器だ。腹部に二つ存在しており、血液中の栄養や空気を使い、魔力を生み出す役割がある。
そうして生まれた魔力は血液を介して体中の器官に届けられる。
(ここが疲れてくると、魔力のバランスにムラが出るんだよな……)
ひどくなると魔術が乱れたり、体調を崩したりする。また急激に魔力バランスが崩れると、急性魔力欠乏症を引き起こし、命に係わる事態にもなる。
「ヘレナ先生、治癒魔術を使い過ぎているのでは」
そう語り掛けながら、アランは細い腰に掌を当てて労わるように魔力波を流し込んでいく。腰回りの筋肉の緊張を解しつつ、適度に指圧を加える。
いつの間にか、ヘレナの身体は脱力しつつあった。
「んっ……それは、仕方ない、こと……っ」
「今は大丈夫ですけど、そのうち魔力不順を起こしますよ。最近、きちんと眠れています? 魔力バランスが崩れると、寝付きにくくなりますし」
「ぉ……っ、最近、寝不足では、ある……っ」
「十中八九、それは魔力の使い過ぎが原因ですね」
一通り腰の指圧を終え、手を休めると、ヘレナはぷるぷる身を震わせながら吐息をこぼし続ける。やがてもぞりと身体を動かして振り返った。少しだけ瞳が潤んでおり、どこか熱っぽい吐息をこぼす。
「もう、終わり――? 鍼は?」
「はい、打とうと思っています。ただ、折角なら魔臓孔付近の血の巡りを整えるように打とうかと思いまして」
「構わない。好きに打つといい」
「ありがとうございます。そのためには申し訳ないのですが、一旦仰向けになっていただけますか?」
「――仰向け?」
「はい、お腹に打たないといけないので」
その言葉にぴたりとヘレナは動きを止めていたが、やがて深く吐息をこぼすと、もう一度アランの方に振り返って睨んできた。
「いいけど、不埒なことをしたら許さない」
「分かっていますって」
「……後ろ、向いていて」
そう言いながらヘレナはもぞもぞと動く。言われた通り背を向け、アランはしばらく待つと、動く物音は止まった。
「もういい」
振り返れば、ヘレナは仰向けになり、身体には胸と下腹部にタオルを一枚ずつ掛け直していた。直接、顔を見られるのが恥ずかしいのか、彼女は腕を目の上に載せて目隠ししていた。頬もほのかに朱に染まっている。
そして露わになっているのは、彼女の白いお腹――。
肉付きは薄く、垣間見える胸部の下は肋骨が浮き出ている。その姿に少しだけアランは目を奪われ――だが、彼女の視線に気づいて意識を引き締める。
「じゃあ、鍼を打ちますね」
掌をお腹に当てる。魔力波を当てて位置を確認し、鍼を手に取る。そして、迷いなくその場所に鍼を打ち込んだ。
「ん……っ」
彼女が微かに声を上げる。アランは鍼を摘まみ、魔力を流しながら訊ねる。
「痛くありませんか?」
「問題ない――むしろ、温かい、かも」
「魔力を流し込んでいますから」
魔臓孔から流れる血流の流れを整えていきつつ、また別の場所に鍼を打つ。合計で四本打ち、その一つ一つから魔力を流す。適度な刺激で魔臓孔の緊張を解す。
「ん、ぁ、ふぁ……っ」
それが心地いいのか、欠伸と共にヘレナの瞳がとろんとし、瞼がゆっくり下がっていく。
寝不足、ということもあったのだろう。睡魔に誘われる彼女に目を細めると、アランは刺激しないように鍼をゆっくりと抜く。それからお腹に手を載せて優しく撫でさする。
魔力波を加えることで、外側から魔力や血液の循環を促し、身体を温めていく。
それにリラックスしたのだろう。うつらうつらしていた彼女だったが、その瞼が完全に落ちた。耳を済ませれば、すぅ、すぅ、と小さく寝息が聞こえる。
それを確認すると、彼女の身体にそっと毛布を掛けた。
(――お疲れ様です。ヘレナ先生)
教えを受けている身であり、同じ治癒士であるから分かる。
ヘレナはとても努力している。一人でこの大隊の治療を担い、かつ、兵士たちの体調を改善するべく勉強も重ねている。睡眠時間を削ることもあっただろう。
それが少しでも癒えればいい――そう心から願う。
(ま、僕はソファーで寝ればいいかな)
アランは道具を片付けると、軽く背伸びをする。部屋を暗くし、就寝の支度を整えてソファーに横になる――静かになった部屋では彼女の寝息が響いている。
(おやすみなさい。ヘレナ先生)
心の中で呼びかけると、アランは目を閉じて眠りについた。




