Dランク昇格
神界――そこは、下界の人間たちが想像するような、雲の上に神殿が立ち並ぶ荘厳な場所ではない。
無機質な白い壁、果てしなく並ぶデスク、そして空中に無数に浮かぶステータス管理用のホログラムウィンドウ。
そこかしこで、インカムをつけた神々が下界の管理業務に追われている。
ここは『神界人事局・下界救済システム管理部』。
信者数(視聴者数)という名の数字だけが絶対の価値を持つ、超絶ブラックなオフィスだ。
「……ふぅ、やっと帰ってこれた」
ダンジョンからの帰還ゲートをくぐり、僕はオフィスの床にどっとへたり込んだ。
ボロボロの布の服はスライムの粘液と死神騎士の灰で汚れ、酷い有様だ。
だが、体中の疲労はレベルアップ処理のおかげで完全に消え去っている。
「おい、見ろよアレ。万年視聴者ゼロ、下級Eランクのライトじゃん」
「うっわ、泥まみれ。またスライムから逃げ回ってたのか?」
「さっさと引退して、宇宙の塵にでもなればいいのになぁ。俺たちのチームの平均KPIが下がるんだよ」
周囲のデスクから、同僚の下級神たちの心無い嘲笑が聞こえてくる。
いつもなら、この言葉に肩をすくめて逃げるように立ち去っていただろう。
だが、今の僕の胸ポケットに入っている神界端末には、今まで見たこともない数字が刻まれている。
僕は立ち上がり、迷うことなくフロアの奥――ガラス張りになった管理職用のブースへと向かった。
「失礼します。ライト、Eランクダンジョンから只今帰還しました」
ブースのドアを開けると、ふかふかの椅子にふんぞり返った中級神、ゼロス主任が忌々しそうに顔を上げた。
彼こそが、僕に「存在抹消」の圧力をかけ続けてきた直属の上司だ。
「……なんだ君か。ノックくらいしたまえ、これだから底辺は」
「すみません。月末査定の報告に上がりました」
「報告ねぇ。どうせまた、存在値0.01とかだろう?
前回の言ったよね? 次の査定でノルマ一万を達成できなければ、君のアカウントは即刻バン(存在抹消)だと」
ゼロス主任はデスクの上で指を組み、薄ら笑いを浮かべた。
「君のような生産性のない神に割くサーバー容量は、神界にはないんだよ。
さぁ、さっさと端末を出しなさい。引導を渡してあげるから」
僕は何も言わず、泥で汚れた神界端末をデスクの上に置いた。
ゼロス主任は「汚いな」と舌打ちしながら、端末の画面をスワイプする。
「どれどれ、最終KPIは……ん?」
ゼロス主任の動きが止まった。
眉間に皺を寄せ、眼鏡を外し、目をこすり、もう一度画面を見る。
「……は?」
そこには、明確にこう表示されている。
【下級神ライト:現在の存在値 50,012】
【ノルマ達成率:500%(Dランク昇格条件クリア)】
「ご、ごまん……!? ば、馬鹿な! なんだこの数字は!?」
ゼロス主任が椅子から立ち上がり、裏返った声を上げた。
その声に反応して、外のフロアにいた他の神々も「なんだなんだ」と様子をうかがい始める。
「Eランクダンジョンのスライムを狩って、どうやって五万も稼ぐんだ!? スライム五百万匹を一瞬で殲滅でもしたとでも言うのか!?」
「いえ。イレギュラー発生で現れたAランクの死神騎士をソロで討伐したことによる、特別ボーナスです」
「Aランクゥ!? 寝言は寝てから言いたまえ!」
ゼロス主任はバンッ! とデスクを叩いた。
「布の服と【火種】しか持たない最弱の君が、Aランクを倒せるわけがないだろう! バグだ! これは重大なシステムバグ、あるいは君の不正ツール使用によるスコア偽装だ!」
「偽装じゃありません。配信のアーカイブを確認してもらえれば――」
「黙りたまえ! 不正は神界法違反だ! Dランク昇格どころの騒ぎじゃない、君は今すぐ神界警察に突き出して……ッ!?」
ゼロス主任の言葉が、唐突に途切れた。
ピロンッ。
僕の端末から通知音が鳴り響いた。
次の瞬間、僕の端末の画面が眩い黄金色の光を放ち始めた。
光は空中に投影され、巨大なホログラムウィンドウを形成する。
そこには、交差する『黄金の剣と深紅の薔薇』をあしらった、巨大な紋章が浮かび上がっていた。
「なっ……こ、この紋章は……っ!?」
ゼロス主任が、顔面を紙のように蒼白にして後ずさる。
外のフロアで見ていた同僚たちも、その紋章を見た瞬間に全員が息を呑み、その場に平伏した。
無理もない。
それは、神界の頂点に君臨する十二柱の主神。
美と闘争を司る最高位女神の、直属のサインなのだから。
ホログラムの画面に、優雅なテキストが流れる。
【美と闘争の女神:――私の支援が、システムバグだと言うの?】
「ひっ……!」
テキストが表示されただけだというのに、ブース内の空気が異常な重力を持ったように軋んだ。
ゼロス主任は膝から崩れ落ち、床に額をこすりつけた。
【美と闘争の女神:このライトは、私が特別に『お気に入り(サブスクライブ)』に登録した期待の新人よ。
彼がAランクを単独討伐したのも、この目でしっかり見届けたわ】
【美と闘争の女神:それとも……中級神ごときが、私の『眼』が狂っているとでも言いたいのかしら?】
「め、滅相もございませんッ!! ほ、本物とは露知らず、大変な非礼をば……ッ!!」
普段は僕をゴミのように見下していたゼロス主任が、冷や汗を滝のように流しながら、床に這いつくばって必死に命乞いをしている。
さっきまでの傲慢さは見る影もない。
【美と闘争の女神:フフッ。ライト、貴方の上司、口だけは達者だけど随分と無様ね。私が直々に『教育』してあげようかしら?】
「い、いえ! 大丈夫です、女神様!」
僕は慌てて首を振った。
最高位の女神が直接手を出せば、ゼロス主任どころかこの人事局のフロアごと消し飛びかねない。
「ゼロス主任。これで僕のノルマ達成、認めてもらえますよね?」
「も、もちろんでございます、ライト先生ッ! 五万ポイント、確かに受理いたしました! これより直ちに、Dランクへの昇格手続きに入らせていただきます!!」
「先生って……」
あからさまな手のひら返しに、僕は思わず苦笑した。
とはいえ、これでようやく底辺のEランクから抜け出せたわけだ。
中級神と呼ばれる「Cランク」まではまだまだ存在値が必要だが、一歩前進したことには変わりない。
【美と闘争の女神:……チッ。まあいいわ。ライト、昇格おめでとう。でも、ここからが本番よ】
ピロリンッ!
再び心地よい通知音が鳴る。
画面には、【美と闘争の女神から『神力贈与』が届きました】というアナウンス。
その瞬間、僕の体を包んでいたボロボロの布の服が光に包まれ、純白の生地に金の刺繍が施された、機能的かつ上質な神官の戦闘服へと一瞬で変貌した。
さらに、へし折れたなまくら剣の代わりに、美しい白銀の柄を持つ一振りの剣が腰に現れる。
「これは……」
【美と闘争の女神:私のお気に入りが、いつまでも泥まみれの布切れじゃ格好がつかないからね。前祝いよ】
【美と闘争の女神:次はもっと高いランクのダンジョンに潜りなさい。中級神(Cランク)なんてあっという間に超えて、私の退屈を紛らわせるような最高のエンターテインメントを見せてちょうだい】
「……ありがとうございます、女神様!」
僕は真新しい神官服の裾を翻し、深く一礼した。
ホログラムがふっと消え、ブースの中に静寂が戻る。
床には、未だにガタガタと震え続けるゼロス主任が這いつくばっている。
外のフロアでは、僕を嘲笑っていた同僚たちが、信じられないものを見るような目で僕を凝視していた。
「それじゃあ主任。Dランクへの昇格手続き、よろしくお願いしますね。……Cランクも、すぐに追いつくつもりですから」
僕は軽く手を挙げ、管理職ブースを後にした。
視聴者数、たったの『1』。
けれど、その『1』は神界の序列を根底から覆す、最強のバック(盾)だ。
例外権能『視聴者顕現』と、最高位女神の加護。
この二つがあれば、僕はもう誰にも無能とは呼ばせない。
「さて……次はDランクダンジョン。
どんな魔物がいるのか、少し楽しみになってきた」
リストラ寸前の底辺神だった僕の、本当の『配信生活』は、ここからが始まりだった。




