第二章 勇者は帝国に必要とされすぎていた
それから一ヶ月、蓮は数件の案件をこなした。
勇者が現地の姫と恋に落ちて「帰りたくない」と言い張る案件(なお姫が三人いた。同時に)。勇者が魔物より村長の方が悪い奴だと判断して縛り上げた案件(調査したら村長は本当に悪かったが、支持率だけは高かったため処理が難航した)。勇者が現地で「株式会社」を設立しようとした案件(思想は正しいが時代が三百年早い)。
どれも一筋縄ではいかなかったが、蓮には意外と向いていた。
何しろ前職では、クレームのほとんどが「製品の欠陥でも担当者のミスでもなく、ただ感情的になった客が怒鳴り込んでくる」というものだった。それに比べれば、クレームに明確な原因がある分、まだ処理しやすい。
七件目の案件書類が届いたのは、雨の火曜日だった。
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書類を開くと、まず筆圧の強い文字が目に入った。
*【緊急・最高レベルクレーム】 派遣勇者・天羽ユイ氏の業務逸脱は、もはや国家安全保障に関わる問題です。至急、本人の回収及び業務範囲の制限を求めます。――ガリア帝国・宰相府より*
「回収……」
裏面の詳細を読んだ。
天羽ユイ、二十一歳、派遣歴五ヶ月。当初の派遣目的は「北部山岳地帯に出没する火竜の討伐」。契約書には「討伐対象:火竜一体、期間:三ヶ月、活動地域:北部山岳地帯のみ」と明記されていた。
しかし現状の報告はこうだった。
一ヶ月目:火竜を討伐(契約通り)
二ヶ月目:山賊団を壊滅。「山賊がいると村人が困るから」
三ヶ月目:山岳道路を整備。「道が悪いと医者が来られないから」
四ヶ月目:農業指導を実施。「北部は土地が痩せているから、改良農法を教えれば収穫が増える」
五ヶ月目(現在):帝都に無断入城。「首都の孤児院が劣悪な環境なので改善したい」。なお帝都の水道についても「詰まりやすかったので少し触りました」との申告あり。
「……少し触りました」蓮はつぶやいた。
「逆に言えば契約の十倍は仕事してくれてるんだけどね」と室田社長がコーヒーを飲みながら言った。
「帝国が困る理由は」
「勝手に動かれすぎると、宰相や貴族たちが『何もしていない』と見られる。面子の問題。あとは……国民が帝国より勇者に懐きすぎてるらしい」
蓮は追記された現地調査員の報告を読んだ。
*「首都では子供たちがユイ様と呼んでいる。支持率の調査はしていないが、体感では皇帝陛下より高い」*
「難しい案件ですね」
「そうだね。ユイちゃんは悪いことしてないから、下手に叱ったり制限したりすると、こっちへの信頼を失う。でも帝国の正当な不満も無視できない」
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現地に飛ぶと、帝都ガリアは予想以上に活気があった。
石畳の大通りに市場が並び、人々が行き交う。そして至る所に、黄色い旗が飾られていた。旗には「ユイ様ご活躍中!」という文字と、かわいらしい女性の似顔絵が描かれていた。
孤児院は帝都の東地区にあった。
門を開けた瞬間、声の洪水が来た。
「ユイ様、馬の乗り方教えて!」
「ユイ様、魔法陣ってどう描くの?」
「ユイ様ユイ様ユイ様!」
中庭の中央で、子供たちに取り囲まれながらくるくる回っている小柄な女性。明るいオレンジ色の髪、全員の質問に全力で答えようとして全力で空回りしている。それが天羽ユイだった。
蓮が中に入ると、ユイが目ざとく気づいた。
「あ、もしかして派遣会社の人?」
「はい。神崎といいます」
「知ってた、そのうち来ると思ってた!」ユイは子供たちに「ちょっと待っててね」と言って、蓮の前に来た。「私、何かやりすぎた?」
「……帝国の宰相府からクレームが来ました。業務逸脱です」
ユイは少し眉をしかめた。
「でもここの孤児院、雨漏りしてたし、ご飯も少なかったし、子供たちが危ない仕事させられてたし」
「わかります」
「北部の山道も、冬になったら雪崩のリスクがあって。整備しておかないと春に絶対死人が出るやつで」
「わかります」
「農業の改良も、ちょっとアドバイスしただけで収穫量が一・五倍になるって、しないわけないじゃないですか」
「わかります」
「あと水道は、本当にちょっとだけです。詰まってたやつを直しただけで」
「……水道まで」
「ほんのちょっと」
「全部わかります」蓮は言った。「あなたがやったことは全部正しい。でも」
蓮は息を吸った。
「正しいことと、契約の範囲内かどうかは、別の話です」
ユイは少し黙った。
「……帝国の人たちが、困ってるんですか、私に」
「あなたが優秀すぎて、立場が逆転しかけています。帝国の政治家たちが、あなたの後を追いかけるような形になっている。それが面子の問題になっています」
「面子って……そんな理由で」
「人間、面子で動くことは多いですよ。それは帝国人も日本人も変わりません」
ユイはしばらく子供たちを見た。子供たちが、こちらを心配そうに見ていた。
「私、これ以上何もしないようにするしかないですか」
「そうは言っていません」と蓮は言った。「別の提案があります」
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翌日、蓮は宰相府を訪ねた。
宰相は六十代の老人で、几帳面な白い髭と、疲れた目をしていた。
「改めて確認させてください」と蓮は言った。「帝国が求めるのは、天羽ユイの活動停止ですか。それとも活動内容の整理ですか」
「活動を止めてくれれば」
「では聞きます。北部の山道整備、農業改良、孤児院改善、水道修繕——これらをすべてなかったことにする方が、帝国の利益になりますか」
宰相が黙った。
「なりません、よね。実際に民の生活は改善され、帝国の評判は上がっています。問題は成果ではなく、あなた方が知らない間に進んでいたことだ」
「……そこが問題だ、と言っている」
「ならば提案です。天羽ユイとの契約を更新し、業務内容を『帝国特別顧問・民政改善担当』として再設定する。彼女の活動は全て帝国の公式事業として扱う」
宰相がゆっくりと考えた。「……我々がユイ殿の活動を管理している、という体裁が整う、ということか」
「はい。面子も立ちます。ユイさんも動ける。帝国の民も助かる。三方よしです」
蓮は内心で付け加えた。
(そしてこれで帝国は、ユイを手放せなくなる。身分を与えた瞬間、彼女の功績はすべて帝国の財産だ。次に何か問題が起きても、帝国側が解決する動機が生まれる)
老宰相はしばらく天井を見ていた。
「……キミ、なかなか悪い奴だね」
「褒め言葉として受け取ります」
契約書の更新に署名がおりたのは、その日の午後だった。
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ユイには「帝国特別顧問に昇格した」と伝えた。
「昇格っていうか実態は変わらないんじゃ」と彼女は言った。
「変わりません。でも公式の身分ができると、動きやすくなります。入れない場所に入れるようになったり、予算がついたり」
「……それは確かに」
「あと給与も上がります、弊社の負担で」
「え、それは嬉しい」
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帰還後の報告書に蓮はこう書いた。
*ユイ氏の契約を「民政特別顧問」に変更。帝国との関係を整理。なお孤児院の子供たちが私にも「ありがとう」と言ってくれました。今回が一番報われた気がします。*
室田社長は報告書を読んで「成長してるじゃないか」と言った。
蓮がコーヒーを飲んでいると、スマホが鳴った。
ユイからだった。
*「神崎さん! 昇格、ありがとうございます! さっそくなんですが、皇帝陛下に帝国全土の税制改革案を出してもいいですか? 試算したら財政が二倍になりそうで」*
蓮はスマホを置き、報告書の余白にひとこと書き足した。
*要経過観察。*




