第10話 「みてるよ」
呆然と部屋にいても、食欲が戻る気配などさらさらない。俺は居ても立ってもいられず、再び例のノートを机上に広げた。
ページをめくるたびに、昨日までの雨宮莉の言葉がまだそこに息づいている気がする。
――どうすればいい?
俺として生きるのか、雨宮莉として生きるのか。
答えなんて出ない。けど、黙っているのも耐えられなかった。
俺は震えるペンを握って、ノートの端に書き込んだ。
『俺は誰だ?』
それを書き終えると、急に全身から力が抜けていった。
コンビニの帰り道から張り詰めていた緊張が、一気に押し寄せてくる。
ベッドに倒れ込む。枕から甘い柔軟剤の匂いがして、余計に意識が沈んでいった。
「……少しだけ、目を閉じるだけ……」
そんな言い訳を最後に、俺は眠りに落ちた。
――そして、次に目を覚ましたとき。
頭がぼんやりして、まずは天井の白さだけが視界に広がる。背中に感じるのは俺の万年床のギシギシする布団じゃなくて、体をすっぽり包み込むベッド。沈みすぎて逆に落ち着かない。
ノートのページは昨夜のまま開きっぱなしだった。俺の書いた文字の下に、新しい行が増えている。
『――おはよう。起きたんだね』
……息が止まった。
誰が、いつ、どうやって書いた?
昨夜、俺は机から離れて、ベッドに潜り込んで、そのまま寝落ちしたはずだ。
ページをそっと撫でると、インクがわずかに指先に移った。乾ききっていない。――つまり、ついさっきまで“誰か”がここにいたってことだ。
俺は反射的に振り返った。
背筋をぞわぞわと這い上がってくるものを感じながら。
けれど部屋は静かで、鏡の中に映るのは俺の――いや、“雨宮莉”の顔だけだった。




