七月十四日(金) 午後五時半 部室
「えっ?」
「どういうことすか?」
彼女は駿英の問いには答えなかった。その姿を見てぼくらは困惑した。またなにかボクたちを試しているの?
いや違うっぽいな。もし試しているんだったら、先輩はぼくたちのとまどう反応をにやにやしながら見るはず。
でも、今は違う。言葉を発してからも、机の上に置かれた一枚の紙をじっと見ている。嘘をついているとは考えにくい。そうなるとこの文章は一体誰が、何のために書いたものなのか。ぼくは急に恐怖を感じた。
「あの、じゃあこれは誰が書いたんですか」
「ひとりだけ、思い当たる人物がいる。だけど、どうして……いや、そうか、あのときの……はぁ」
最後の方は会話になっておらず独り言になっていた。ためいきをつき、なにかに納得した様子で今度はこっちを見た。続けて彼女はこう問いかけてきた。
「なら、キミたちはこの文章の意味をどうとらえたんだ? お世辞にもこの文章はうまいとはいえない。あの階段に貼ってあったものを、キミたちはなんだと思った、どうして解こうなんて考えたんだ?」
ぼくはなにも答えられなかった。意味、なんてそんなたいそうなものはなかった。本当にちょっとした好奇心、それだけだ。
「……本当にそれだけなのか。すごいな、キミたちは。ワタシの想像をはるかに超えるじゃないか。好奇心旺盛なところなんてあの子にそっくりだ。……よーし、まだ時間はあるかい? もう少しだけ付き合ってほしいんだ」
よかった、すこしずついつもの余裕を取り戻してきているみたいだ。壁にかけられている時計を見ると時刻は六時を回っていた。夏といえども、ここは山の中。帰り道は暗いだろうな……だけど、いまは、この目の前に置かれているふしぎなものに対する好奇心に逆らえない。
「わかりました、そのかわり何が起こっているのか教えて下さいよ」
「しょーじき、全く話がわかんねーっす」
「もちろんだ。…よっと、これを見てほしい」
彼女は立ち上がり勉強机の上をがさごそとあさり、手に取った一枚の紙をボクらに見やすいように机の上に置いた。それはこの一週間で一番みたといっても過言じゃない、掲示板に貼られていた紙。…だけどすこし違和感がある。
「文章が違う……?」
「そう。ワタシが書いたのは『貴方は彼女について何も知らない。空に波が届き二人は幸せな時間を過ごすだろう。悲劇にはならない。たった一つ非対称な日に黄昏の山へと迷い込めば』だ」
「全然違うじゃねーか!?」
駿英が驚きの声を上げた。確かにそうだ。ぼくたちがもっている紙に書かれているものと単語や文節こそ一緒な部分があるが、文の意味は全くちがう。これじゃ夏木先輩が、ぼくたちを変な人あつかいしたのも納得だ。でもいったい誰がすり替えたんだ……。考えていると、先輩は続けて話し始めた。
「ワタシに対してこんないたずらをするのは一人しかいない。これもきっと彼女がやったのだろう。妹……雪瓜だよ」
「そうか!」
その言葉で思い出した。同じクラスにいる頭がよく寡黙な少女を。そしてその子の名字が先輩と同じ夏木だということも。
彼女は苦笑いを浮かべながら、ため息をつく。自分の準備されたものを邪魔されて困っているようだ。
「でもなんで、妹がこんなことを?」
「……キミたちの前でさっき演じた、学校の亡霊というものはワタシの夢の一つだったんだ。学校内にも知れ渡っているとおり、ワタシは自分のやりたいことを際限なくやるという性格でね。今回のこれも、自分が学校の七不思議の仲間入りしたら、何十年経っても語り継がれるのか気になって始めたことなんだ。その中の一つであれをやったんだったがどうかな?」
「いや、……すぐにバレてましたよ。言ってることとやってることが無茶苦茶だったし」
「演劇部の友人がいるんで紹介しましょうか? ソイツに教えてもらった方がいいっすよ」
ぼくたちにぼこぼこに言われ彼女は少し寂しそうな顔をした。あれ、ちゃんと落ち込んでるぞ。もしかしてあの亡霊の演技で自信があったとでもいうのだろうか。
「まぁ…そうか。いったんこのことは置いとくとしよう。それでこの行動の根源に、ワタシと雪瓜との関係が深くかかわっているんだよ。簡単に言えば、姉として妹のわがままを聞いてあげたかった、というものさ」
「それって、どういうことですか?」
「ワタシがこんな物事を達観ししているかのような口ぶりで話すのは、妹にとって頼れる大人を演じるためでね。詳しくは省くけど、妹は幼少期の出来事でトラウマを負ってから今日まで大人を信用していないんだ。そんな中でワタシだけが彼女の味方をした。何年もの間、ずっと。……卑怯な話、自分の能力で未来が見えていたからそれに従っていただけ、彼女に対する行動の根源は自分の意志じゃなかった。それでも、つらい思いをして塞ぎこみそうだった妹のために演じた。本当の自分なんて臆病だったはずだけど……なにせ昔のこと過ぎて自分でも忘れてしまったよ」
「じゃあ、雪瓜はそのことを……」
「知らないはずだよ。だましているという気持ちはなかなか忘れられなくて心が痛い。だからせめて、あの子が望むことはできるだけ叶えてあげようと思って、理想の姉をずっとやってきたのさ」
そう言って力無く笑う。その姿はどこか悲しげに見える。驚いた。二人にそんな過去があったなんて。彼女は、海瞳さんは長い間ずっと一人で闘ってきたんだ。自分と、周りとも。それに普段の雪瓜がおこなう周囲へのそっけない対応も過去のつらい出来事が絡んでいるんだとおもうと少し納得できる。きっと雪瓜は頼ることも、頼られることもできなかったんだ。だから、自分の殻に今も閉じこもっている……。
「でも、最初は妹のためにやってたんだけど、最近は役を演じるのが面白くってね。ついつい周りを巻き込んでいろんなことをしてしまうんだ。今回だってテスト期間だというのに山本クンを連れ出した。彼はテストの点数を気にする人じゃなかっただけなんだけど。それで、キミ……とある男子をどうやったら女の子に振り向かせられるのか三人で話し合っていたんだけど、それが良くなかった。妹は山本クンのことがニガテだったみたいだ」
「山本先輩に何か悪いところでも……?」
先輩は公園で会ったとき、五歳くらいの男の子に砂場まで連れてかれて、スコップで砂をかけられても怒らなかった聖人だ。何がいけなかったのだろう。
「いや、彼は悪くない。だが、ルックスが良くて人畜無害な彼のことを、妹は何か裏がある人と勘違いしてしまってな。それにワタシ以上に人と関わる時間が極端に少なかった彼女は、その…カレシだと思ったらしくて、ワタシとの時間をとられると感じたんだろう」
「えぇ!?」
「なるほど、そういうことッスか」
「キミは本当に冷静だな……。ともかく、そんな勘違いをしてしまい、ワタシに対するかまってアピールがエスカレートしていったんだろう。そのせいで結果としてキミたちにも迷惑をかけてしまった。本当にすまない」
「いえいえ、そんな頭を下げないでくださいよ。……ぼくはこの文章を解く時間、とても楽しかったです。久しぶりに駿英と花梨と冒険みたいなことが出来たし。それに、山本先輩や海瞳さんのように素敵な人たちにもあえて嬉しかったです!」
「おれも! これがあったからつばきと小学校のときのように一緒にいる時間が増えたし、テスト勉強をさせられたときの息抜きにもなったッス。感謝はしても怒ることなんてしないっスよ。怒るならドどんかんなつばきにですよ」
「……えっ?」
「二人とも、ありがとう。依頼をしてきた子の友人らがこんなにやさしい後輩たちで本当によかったよ。妹にはワタシから言っておく。よかったらクラスメイトとして彼女に話しかけてみてくれないか?
心を固く閉ざしているけど、根はいい子なんだ。キミたちの性格だったらきっと彼女も心を許してくれるだろう。《三祭》の期間中に独りぼっちは悲しいからね」
三祭は秋にある中学校のお祭り期間のことだ。音楽祭・体育祭・文化祭の三つのイベントを三週間という非常に短い期間でおこない、クラスの、また、学年の団結力を見せてやろう! というものだ。
「わかりました」
「絶対に心を開かせてやるぜ!」
二人して、勢いよく返事をする。姉から聞いた話だと、その期間中はクラスのみんなと一緒にいる時間が増えるから、いろんな人と仲良くなれるし、カップルが誕生することもあるらしい。……ちなみに姉は二敗しており今年がラストチャンスだ。
「よろしく頼むよ。さて……もうすぐもう一人の実行者が来るはずなんだけど、遅いな」
「それってもしかして…」
「ああ、山本クンさ。彼は、極度の方向音痴でね。こっちが地図を渡してルートを書かないと目的地にたどりつけないんだよ」
「その通りだ。夕暮れどきってこともあって今日はなかなか時間がかかったぜ」
「山本先輩?!」
突然の声の主は、まさに話に上がっていた山本先輩だった。でも先輩の姿は部屋の中にはない。というか後ろのドアが開いてすらいない。どうやらまだ外にいるようだ。
「どうした山本クン。中に入ってきたまえよ。こっちはもう、あらかたは話し終えたし、後輩も交えて仲良く雑談でもしようじゃないか」
「いや、まあなんだ。いろいろあってだな…」
「ん? やけに歯切れの悪い返答だな。一体どうした、扉を開けるぞ。キミ、それは――!?」
山本先輩はそれでも入ってくることはなかった。不思議に思った海瞳さんとボクたちは席を立ち外に出たのだが……。
「その腕は…いったい。なにが、何があったんだ!」
そこには右腕が真っ赤に染まった山本先輩立っていた。怪我をしている二の腕から血は止まらず出ている。だらしなく揺れている手の先からはぽたぽたと血が滴っている。
「これは……」
「大丈夫か、山本クン!!」
海瞳さんは慌てて駆け寄り、ポケットの中からハンカチを取り出して傷口に当てる。
「……っ」
「痛むのか?」
「……ああ、かなり深く切っちまった。ちょっとだけ、だけど」
「なんでこんなことに……まさか」
「こっちに向かう道で足に何か引っかかて転んだんだ。そしたら上からこんなものが降ってきたんだ」
そう言うと、先輩は左手を背中に回し鉈を取り出した。
「なんだこれ?」
「わからない。すんでのところでよけれたからよかったけど、もし頭に直撃していたらと思うと……ゾッとするな。いてて…」
「よし、ひとまずこれで止血はできた。なかにある水道で手を洗うがいい」
海瞳さんは持っていたハンカチを腕に巻き付けポンと叩いて、山本先輩の背中をささえて小屋の中に入る。それにぼくたちも続いていく。手を洗うために机に置かれた鉈をみていると駿英は、なにか気付いたようでこちらに話しかける。
「なあ、つばき。この短剣、さっき追っかけてきたやつ持っていたものに似ているよな。海瞳さん、あいつってまさか……」
「妹だね」
その声はさっきほどまでの明るい声とは打って変わって、低く冷たいものだった。
「…………ワタシは不思議に思っていたんだ。夕暮れ、キミたちが山に入るのを確認したワタシは妹に、後ろから追いかける役目を与えていた。でもそのときに鉈を持っていけなんて伝えていない。本来、キミらを助けるのは妹に見つかった後のはずだった。でも椿クン達を追いかけているときの彼女は獲物を逃さんとする獣の眼をしていた。だから慌てて間に入ったのさ」
「じゃあ、海瞳さんがくるのがもう少し遅かったら……」
「この山からただで帰ることはできなかったのか」
「その可能性は高かっただろうな。現に俺が攻撃を受けた」
少しの間、小屋の中に重い空気が漂う。海瞳さんは沈黙を破りポツリと話し始めた。
「……これまでのことはワタシにかまってもらえないから、気を引くためにやった妹の軽いいたずらだと思っていた。だから彼女の好きなようにやらせていた。だが、違った。彼女はワタシに近づくものに明らかな敵意と攻撃性を持っている。他者を傷つけようとする姿勢、現に傷ついたものがいることから、人として、姉としてこれ以上妹のやることを見過ごすわけにはいかない」
「いったいなにをするつもりだ? お前たちが怪我することがあったら明日はどうする」
山本先輩の質問に、彼女は少し間をおいて答えた。
「安心してくれ、話し合いをするだけさ。姉妹で腹を割ってね。この時間なら妹はここから北西、神社の裏側にあるもう一つの小屋の中にいるだろう」
「……あれ、ここもう一つ小屋があったのか。もしかしたらまた、地図を読み間違えたのかもな」
「どういうことだ?」
「ほら、これを見てくれよ。……今日渡された地図は本堂の奥にある小屋が目的地だったんだろう。それで、俺が来るのが遅くなったからみんなで鳥居のある手前側に来たんじゃないのか?」
海瞳さんに言われ、山本先輩がカバンから取り出した紙は、この神社の地図だった。入り口から神社裏まで黄色のマーカーペンで道を示すように塗られていた。
「いつも夏木が俺に、次の目的地を教えてくれるときは学校の机にこんな感じの地図が入っていてな。テストが終わった次の日に机の中を見てみると『金曜・夕方』って書かれた付箋と一緒に置いてあったんだが。最初に海瞳と雪瓜の二人と会ったときはビックリしたよ。なにせ、同じ顔がならんでいたんだからな」
「これもワタシが書いたものじゃない。……まったく、君の方向音痴がこんな形で役に立つとはね」
もしかして、山本先輩はわざと間違った地図を渡されて……。ぼくが海瞳さんの方に目を向けると、そこには怒りに震える彼女がいた。
「とにかく、今すぐ妹の元に向かう。話の証人としてキミたちにもついてきてもらうよ」
迫力のある彼女の言葉にうなずくことしかできず、海瞳さんを先頭にして小屋を出た。日は完全に沈み、辺りの草むらから虫の鳴き声が聞こえてくる。涼しいはずの空間で、ぼくらは緊張感に包まれながら、もう一つの小屋まで歩いた。




