九十八.約束は破らない
「来るときも潔く、そして去る時も見事な男よ」
曹操は空となった屋敷に残されていた手紙を読んで呟いた。
―――関羽雲長が屋敷からいなくなった。
この報を受け、曹操は関羽の住んでいた屋敷へと向かった。
報告の通り、彼は既に屋敷にはおらず、それどころか今まで住んでいた形跡すら感じさせなかった。彼のほかに劉夫人、他、従者二十名ほどが住んでいたというのに。
屋敷はくまなく清掃されていたのである。
「私からの贈り物は全て返されたか・・・」
曹操が彼と劉夫人のために整えた金銀装飾類全てが残されていた。
それが彼の信条だとすぐに理解できる。そしてそれが、自身の欲した英傑の素晴らしさであるということを。
「―――思い返せば思い返すほど見事な男であった。できれば彼を仲間ではなく配下として迎え入れたかったが・・・それは雲を掴むが如く無理なことであった」
そう言った曹操の顔は晴れ晴れとしていたが、すぐに思い返したかのように曇らせた。
「・・・いかん。このままではいかん。直接会って気持ちの良い別れを述べねば、一生の悔いが残る」
「路用の金銀と着物、その他必要最低限のモノを用意するのだ」
「それを関羽の旅だちの選別とする」
彼は左右にいた部下たちに用意を命じ、そして、使いとして張遼を先に関羽一行へと向かわせた。
しかしこの時、この命に納得出来ない一人の男が一歩前へと進み出て、彼に諫めるように言った。
「殿、聞くに関羽は城を出るに当たり、許可証がないため城門の番兵たちを力づくで脅し、無理やり門を開けさせ城を出て行ったとのことです!これを許してはいけません!この行為は許してはいけません!彼をひっ捕らえて殺しましょう!!!」
進み出た男は程昱であった。そして続けて言う。
「そのほか関羽には三つの罪があります!」
「一、忘恩の罪!二、無断退去の罪!三、河北軍と繋がっていた(であろう)罪!」
「これはギルティ!彼はアンフォーギブン!情状酌量の余地なし!聞く耳持たず!!殺すのです!殺すのです!殺しましょう!殺せーーーーッ!」
相も変わらず過激な発言をする程昱に対し、曹操は慣れたように冷静に言葉を返す。
「いやいや、関羽とは三つの約束をしていた。それを約しながら約束を破棄しようとしたのは私の方だ。罪は私にある」
「しかし、このまま彼を河北に譲渡せば、後日の大患!そうならないためにも今ここで消去を!!」
「それはならぬ!忠義を尽くし、主のもとに帰ろうとする者を殺せば私は天下の笑い者となるであろう!―――如かず!如かず!『人おのおの、その主あり』だ!・・・彼の忠義を尽くさせるのだ」
最後の言葉は曹操が曹操自身へ戒めているように聞こえた。
しかし、程昱を含む他のだれもその真意を聞けなかった。
曹操の瞳は北方を映している。




