12話
全校生徒が集まる、静まり返った体育館。
『それでは、留学生の紹介です』という司会の教師の言葉を合図に、壇上のマイクの前へスッと進み出たのは――主役であるセシリアではなく、付き人の執事であるクロードだった。
「まずは私から、ということで」とでも言いたげな余裕の足取り。
一方のセシリア本人は、極度の緊張からかマイクの数歩後ろでガチガチに石像のように固まっている。
プラチナブロンドの髪を揺らし、優雅に一礼したクロードは、マイクを握りしめた。
普段、彼ら留学生グループは特別棟で授業を受けているため、本校舎の一般生徒と顔を合わせる機会はほぼ無い。突如として壇上に現れた彫刻のように整った顔立ちの青年に、体育館の空気が一変した。
「……えっ、嘘。誰あの超絶イケメン……っ!」
「ハーフ!? 留学生の付き人さん!? ヤバい、カッコよすぎる……!!」
全校女子から、悲鳴にも似た黄色い声が次々と上がり始める。
「……チッ。なんだよあいつ、無駄にキラキラしやがって……」
「……チッ。俺よりちょっと顔がいいからって……」
「いや、まぁ、性格とかマイナスだから、色んな要素総合したら俺のが高いけど?」
「てめーみてーなマイナスをプラスにするにはマイナスをかき集めるしかないぞ」
「「「いや、俺以外全員マイナスじゃねぇか。HAHAHA!!」」」
「「「あ? 誰がマイナスだって!!? ぶち殺すぞっ!!」」」
舞台袖で控えていた俺たち『青春カルテット』は、その理不尽なまでの顔面格差に、思わず全員で盛大な舌打ちを漏らした。
全校女子の熱視線を一身に浴びながら、クロードは甘い声で語りかける。
「皆様、ごきげんよう。……さて、本来であればここで留学生からの挨拶となるのですが、私のありがたき言葉など聞くよりも、本日は遥かに素晴らしい方がいらっしゃっております」
クロードが慇懃無礼に頭を下げ、来賓席を手で示した。
その瞬間、体育館の生徒たちの間に「ざわっ……」と困惑の波が広がる。
(え? なに言ってんのあの人?)
(留学生の挨拶の場だろ? なんで自分から別の誰かに振ってんだよ……)
そんな空気はお構いなしに、クロードは堂々と宣言した。
「ヨーロッパより『公爵家当主様』が直々に足をお運びになられております。極東のさ、……皆様へ向けて、ぜひありがたいお言葉を頂戴したいと思います。……当主様、どうぞこちらへ」
((……今あいつ、極東の猿って言いかけた?))
その言葉に促され、来賓席に座っていた金髪碧眼の当主様がゆっくりと立ち上がった。
突然の指名に一瞬だけ戸惑ったように眉を動かしたものの、こういった突発的な理不尽展開には慣れっこなのか、すぐに表情を引き締め、威風堂々とした足取りで壇上へと上がってくる。
仕立ての良いスリーピーススーツ。ただ歩いているだけなのに、一流のハリウッド俳優すら霞むほどの圧倒的なオーラ。
先ほどまでざわついていた全校生徒が文字通り息を呑み、体育館がシン……と不気味なほど静まり返った。
当主様はマイクの前に立つと、ゆっくりと腕を組み、鋭い鷹のような眼光で極東の生徒たちをぐるりと見渡した。
――ゴクリ。
あまりの威圧感。空気が重すぎて呼吸すら苦しい。
誰もが身をすくませ、絶対権力者の口から放たれる『次の言葉』を待ち構えていた、その瞬間。
「……テステス。ワンツー、ワンツー」
横からスッと手が伸びてきて、クロードが当主様の前からマイクを強奪した。
「大変申し訳ございません。どうやら、当主様のマイクが故障しているようです」
「絶対壊れてねえだろ!! さっき司会の先生が喋った時、普通にクリアな音出てたぞ!!」
舞台袖から俺の魂のツッコミが飛ぶが、クロードはインテリヤクザのように眼鏡を光らせて全く動じない。
「恐れ多くも、当主様の高尚なお声を、極東のさ、……下等な下民の皆様の鼓膜に直接届けるのは酷というもの。よって、不肖この私が、当主様の『心の声』を代弁させていただきます」
「アテレコ!? 本人目の前にして!?」
「おい、猿どころか下等な下民って言ったぞあいつ! ただの公開処刑じゃねぇか!!」
俺と氷室が戦慄する中、当主様はマイクを奪われたことに対して怒り狂うでもなく……ただ腕を組んだまま、氷のように冷たく鋭い眼光で、無言で生徒たちを睨みつけ続けていた。
(ヤバい……! 当主様が一言も発しないせいで、逆にプレッシャーが跳ね上がってる……!!)
「コホン。……それでは、当主様のお言葉です」
クロードは悪びれる様子もなく、無駄に渋くて重厚な『吹き替え声優』のような声色を作り、勝手にアテレコを開始した。
『フッ……よく聞け、極東の下民ども。我が愛娘セシリアがこの学園に通うにあたり、貴様らに【三つの絶対法】を授ける』
(……あ、これ絶対ロクなこと言わねぇパターンのやつだ)
『一つ! セシリアの美しさを毎日讃え、登下校の際は赤絨毯を敷くこと!』
『二つ! 娘の安全を守るため、付き人であるこのクロードに、校内の全監視カメラのアクセス権と、女子更衣室の合鍵を譲渡すること!』
「完全にテメェの私欲じゃねぇか!!」
「職権乱用どころかただの犯罪宣言だろ!!」
俺たちが舞台袖で頭を抱える中、体育館の生徒たちは『当主様の圧倒的な無言の圧力』と『マイクから響くクズすぎるアテレコ』のギャップに脳の処理が完全に追いつかず、パニック状態に陥っていた。
『フッフッフ……そして、最後の三つ目は――』
クロードが調子に乗って高笑いのアテレコをしようとした、その時だった。
スッ……。
それまで腕を組んで直立不動だった当主様が、無言のまま、ゆっくりとクロードの横に歩み寄った。
そして、クロードの耳元に顔を寄せ、ボソッと何かを囁いた。
「あ、いえ、当主様。マイクは私がしっかり持っておりますのでご安心を。……え? いやだから、私がやるんでいいですって。邪魔ですって。三個目としては……」
クロードが耳を傾け、言葉を返した直後。
彼の彫刻のように整った顔から、スゥゥゥ……ッと、文字通り滝のように血の気が引いていくのが見えた。
「……え?」
クロードの手が小刻みに震え、握りしめたマイクがカチャカチャと情けない音を立てる。
舞台袖にいた俺たちカルテットは、その顔を見た瞬間に全てを悟った。
「(あ、終わったなこいつ)」
氷室がボソッと呟く。完全に、絶対権力者の逆鱗に触れた人間の顔だ。
「……あれ? く、クビ?」
クロードの間の抜けた呟きが、マイクを通して体育館に響き渡る。
先ほどの堂々たる態度はどこへやら、クロードの額からは尋常ではない量の冷や汗が吹き出していた。
「じょ、冗談きついっすよwww うぇっww。当主様、そういうお茶目なブラックジョークもイケる口でしたっけ? www ……え? マジっすか? www」
完全に笑い声が引きつっている。
クロードは信じられないものを見るような目で当主様を見つめ、震える声でその『囁かれた内容』を復唱した。
「『屋敷の薔薇園の肥料』になるか、『ここからイギリスまでバタフライで帰る』か……二つに一つを選べ、と……? www」
全校生徒がドン引きして水を打ったように静まり返る中、クロードはマイクを放り出し、必死に両手を擦り合わせながら当主様に向かって命乞いを始めた。
「冗談きついっすよww 当主様、俺たち長い付き合いじゃないっすかwww お嬢様と同じ年だから、赤ちゃんの頃は隣同士でおむつ替えてもらった仲じゃないですか……! ずっと公爵家に尽くしてきた私に向かって、そんな……冗談……っすよね?」
ニコリ、と。
ここで初めて、当主様が優雅な微笑みを浮かべた。
そして、高級スーツの内ポケットにスッと手を入れると――。
チャキッ。
鈍い金属音と共に、銀色に鈍く光る『チャカ(拳銃)』を無言でクロードの足元に放り投げた。
「ヒィィィィィィィィッ!!!?」
本物のチャカ(※本物に見える何か)を見た瞬間、クロードから変態執事の余裕も、暗殺者の冷徹さも完全に消え失せた。
「イギリス!! イギリスまで泳ぎますぅぅぅぅぅ!!」
大号泣しながら、クロードは演台を蹴り飛ばし、体育館の壁際へと猛ダッシュした。
そして、しっかりと閉ざされている窓枠に向かって跳躍し、空中で見事な『水泳の飛び込み(ストリームライン)』の姿勢を取った。
「アイ・ウィル・ビー・バァァァック!!!」
ガシャァァァァァァンッッ!!!
粉々に砕け散る窓ガラス。
執事はタキシード姿のまま、綺麗すぎる放物線を描いて体育館の外(地上)へとダイブし、そのまま幻のプールを泳ぐかのように、空中でバタフライのフォームを刻みながら校門の方へと消えていった。
「「「「窓から帰るなあああああぁぁぁっ!!!」」」」
俺たちカルテットの、喉が千切れるほどのツッコミが秋の空にこだまする。
割れた窓ガラスから吹き込む、少し肌寒い風。
足元に転がる銀色のチャカ(※後で神崎先生が確認したら超精巧なガスガンだった)。
しかし、壇上に残された絶対権力者――当主様は、全く動じることなくマイクの位置を直し、コホンと一つ咳払いをした。
「……少々、見苦しいゴミが舞ったようだが。気を取り直して、次は我が愛娘、セシリアの挨拶だ。セシリア、前へ」
「は、はいデスますわ!」
当主様に促され、セシリアがビクッと肩を揺らしながらマイクの前に進み出た。
⭐︎
一方、その頃。
俺たちカルテットは、PA機材の調整とサポートのため、体育館の横にある『放送室』へと移動していた。
窓から体育館の様子を見守っていると、背後のドアがギィィ……と不気味な音を立てて開いた。
「アイ・ウィル・ビー……バァァァック……」
「「ヒッ!?」」
振り返ると、そこには全身ガラスの破片まみれで、額からタラタラと血を流しているタキシード姿の男――クロードが、這いつくばって放送室に侵入してきていた。
「お前!! イギリスまで泳ぐんじゃなかったのかよ!! なんで血まみれで放送室に戻ってきてんだよ!!」
「フッ……校舎をバタフライで一周したら、未練が湧きまして……ハァ、ハァ……お嬢様の晴れ舞台、この特等席で血を流しながら見届けますゥ……」
「タフすぎだろ!! 救急箱!! 誰か救急箱!!」
俺たちが血まみれの変態執事の処置に追われる中、体育館ではセシリアのスピーチが始まっていた。
『え、えーと……ヨーロッパから参りました、セシリアと申しますデスます!』
少し辿々しい、特徴的な語尾。
しかし、マイクを両手でしっかりと握りしめ、一生懸命に言葉を紡ぐその姿は、先ほどのカオスな空気を浄化するような純粋さに満ちていた。
『最初は、言葉も文化も違うこの国で、うまくやっていけるかとても不安でしたわ。でも……この学校で、少し騒がしくて、おバカだけど……とっても優しくて面白い友人たちに出会うことができました!』
セシリアが、チラリと放送室の方に視線を向ける。
『彼らのおかげで、わたくしの毎日はとっても楽しいデスます! これから短い期間ではありますが、皆様ともたくさんの思い出を作りたいと思っておりますわ。どうぞ、よろしくお願いいたしますデスます!』
パチパチパチパチパチパチッ!!!
純真無垢で温かいスピーチに、体育館は今日一番の盛大な拍手に包まれた。
当主様も満足そうに頷き、教師たちも「素晴らしい挨拶だ」と涙ぐんでいる。
「……やりやがったな、あいつ」
「ああ、完璧じゃねぇか」
血まみれのクロードに包帯を巻きながら、俺たちもホッと胸を撫で下ろした。
『それでは最後に、皆様へのご挨拶の代わりとして……一曲、歌を披露させていただきたいと思いデスます!』
大盛況の中、セシリアが自信満々に宣言した。
体育館が「おぉっ!」と期待の歓声に包まれる。
その時、マイクの前に立つセシリアの脳裏に、ふと『日本の美しい作法』についての記憶がよぎっていた。
(いけませんわ、セシリア。日本の作法では、自分の芸を披露する前に『粗末なものですが』とへりくだって謙遜するのが美しいと本で読みましたわ。ええと、たしか以前、クロードに『粗末(shoddy)』のもっと丁寧な極東の言い方を教わったはずですわね……。たしか……そう、あれですわ!)
セシリアはパッと顔を輝かせ、全校生徒に向けて最高の笑顔を向けた。
そして、高らかに宣言した。
「それでは、一曲歌わせていただきます! ――『はみちん』ではございますが!!」
シンッ…………。
一瞬にして、体育館の時が止まった。
歓声を上げていた全校生徒、涙ぐんでいた教師陣、そして威風堂々としていた当主様。
その場にいる数百人の思考が、完全に一つの疑問でフリーズした。
(((…………ん? いま、『はみちん』って言った?)))
『粗末』=『粗末なモノ』=『はみちん』。
公爵令嬢の可憐な唇から放たれた、あまりにもストレートで破壊力抜群のシモネタ。
「ブフッwww」
「おい、今あいつwww」
「マイクに乗せて堂々と言いやがったぞwww」
放送室にいた俺たちカルテットは、一瞬フリーズした直後、腹を抱えて声を殺しながら爆笑の渦に沈んでいた。
しかし、当のセシリア本人は自分が爆弾を投下したことに全く気付いていない。
彼女は優雅に目を閉じ、静かに歌い始めた。
『〜〜〜♪ ~~~♪』
――それは、圧倒的なまでの『天使の歌声』だった。
透き通るようなソプラノの美声が体育館の隅々にまで響き渡り、聴く者の魂を直接揺さぶるような高尚な賛美歌。
(((う、歌声はめちゃくちゃ綺麗……ッ! でも、はみちんって言った!? 絶対言ったよね!?)))
全校生徒と教師陣の脳内は、「歌の美しさへの感動」と「はみちんへの困惑」の二つの感情が激しく衝突し、バグを引き起こしていた。
しかし、あまりにも歌声が美しすぎたため、最終的には【感動】が力技で全てをねじ伏せた。
『〜〜〜♪』
歌が終わった瞬間。
「「「「うおおおおおおおおっ!! ブラボーーーッ!!!」」」」
全員が(はみちんって言ったよな……?)という疑問を心の奥底に無理やり封印し、体育館は割れんばかりのスタンディングオベーションに包み込まれた。スピーチと一芸披露は、結果的に大・大・大成功を収めたのだ。
「「「ヒィーッww 腹いてぇww」」れ
鳴り止まない拍手の中、放送室の俺たちが涙を流して笑っていると、足元で包帯ぐるぐる巻きになっている執事が、ピクピクと痙攣しながら顔を上げた。
「……ゆ、悠馬様……。気のせいでしょうか……。お嬢様、今、全校生徒の前で……『はみちん』って言いました……?」
血まみれのクロードが、信じられないものを見たような震える声で尋ねてくる。
「ああww バッチリ大音量で響き渡ってたぜww」
俺が笑い転げながら答えると、クロードは遠い目をしながら、放送室の天井を仰いだ。
「あー……」
そして、クロードはポツリと呟いた。
「そういえば……以前お嬢様に、はみだしカルテットをはみちんって聞き間違えてはみちん?って聞かれた時、冗談で『粗末』と教えたまま……修正するの忘れてましたわwww」
「「「「あったなそんなのwww」」」」
「さすがに公爵令嬢に言わせるのはマズかったっすね……ぐはっ!(※失血と笑いで気絶)」
体育館から鳴り響く、盛大な拍手と歓声。
そして、放送室で白目を剥いて倒れる血まみれの執事と、腹を抱えて笑い転げるバカ四人組。
こうして、極東の高校を舞台にしたセシリアの波乱万丈なデビュー戦は、大盛況(と一つの致命的な放送事故)と共に、カオスなフィナーレを迎えるのだった。




