11話
全校集会での『留学生からの挨拶』本番を目前に控えた、朝の特別応接室。
そこは、普段俺たちがバカ騒ぎをしている教室とは完全に切り離された、異次元のような重苦しい空間と化していた。
「……セシリアを、どうかよろしく頼む」
革張りの高級ソファに深く腰掛け、静かに、しかし絶対的な威厳を持ってそう告げたのは――セシリアの父親であり、ヨーロッパに広大な領地を持つ正真正銘の『公爵家当主』だった。
金髪碧眼。仕立ての良さが素人目にも分かるスリーピーススーツを自然体で着こなし、ただそこに座っているだけで、一流映画のワンシーンのような圧倒的なオーラとプレッシャーを放っている。その後ろには、いつものふざけた態度は一切見せず、彫像のように完璧な姿勢で控える執事のクロードの姿があった。
俺たちの横には、担任である神崎先生が立っている。
普段はどんなトラブルが起きてもクールで取り乱さない彼女だが、今日ばかりは背筋をピンと伸ばし、眼鏡の奥の瞳に僅かな緊張の色を滲ませていた。
「今日はあくまで、娘の晴れ舞台を一人の親として見届けに来ただけだ」
当主様は優雅に紅茶のカップを置き、鋭い鷹のような眼光で、直立不動になっている俺たち『はみだしカルテット』を見据えた。
「だが……全校生徒の前で行うこの挨拶は、ただの自己紹介ではない。彼女がこの国で踏み出す、大切な第一歩だ。留学生のサポート係に任命された君たちにも、友人として娘をしっかりと支えてやってほしい」
ゴクリ、と。
俺、氷室、篠山の三人は、同時に生唾を飲み込んだ。
言葉遣いは丁寧で、決して威圧的に怒鳴っているわけではない。しかし、その背後に見え隠れする『権力』と『格』のスケールがデカすぎる。もし本番でセシリアがあの『ガニ股アヘ顔ジャンプ』なんて披露しようものなら、俺たちは確実にヨーロッパの公爵家へ拉致され、美しいバラ園の肥料にされてしまうに違いない。
息をすることすら躊躇われるほどの、静かで重たいプレッシャー。
誰もが言葉を失い、ただただ首を縦に振ることしかできない緊張感。
――しかし、俺たちのグループには、その重圧すら物理で弾き返す男が約一名存在していた。
「フッ……心配するな」
ドンッ!
重苦しい静寂を切り裂くように、一歩前に出た男がいた。
制服の下のタンクトップを覗かせ、自慢の大胸筋を力強く叩いてニカッと白い歯を見せる筋肉バカ――真須だった。
「お前っ……! なに勝手に前に出て……!!」
俺が小声で制止する間もなく、真須は当主様の眼光を正面から受け止め、堂々と言い放った。
「友達のためだ、絶対に失敗はさせない! 俺もセシリアに――」
「ま、真須くん」
その瞬間、隣にいた神崎先生が、氷の刃のような鋭く低い声で真須の言葉を遮った。
表面上はクールな表情を保っているが、そのこめかみにはピキッと青筋が浮かんでいる。
「……相手は公爵様とそのご令嬢よ。気安く呼び捨てにしない。『様』をつけなさい」
先生の静かなるマジギレ警告。
それを受けた真須は「ん?」と不思議そうに首を傾げた後、何かを深く納得したように「ポンッ」と手を叩いた。
「……なるほど。そういうことか」
真須は姿勢を正し、先ほどよりもさらに大胸筋を張って、野太い声で当主様に宣言した。
「『俺様』が、セシリアに――」
「「そっちじゃねぇよ!!!」」
俺と神崎先生の、クールさもクソもない魂のツッコミが応接室にこだました。
「なんでお前が偉くなってんだよ!! 相手に敬意を払えって言ってんだよ!!」
「真須くん……! あなたバラ園の肥料になりたいの!?」
俺と先生が真っ青になって真須を押さえつけようとした、その時だった。
「…………」
当主様はポカンと目を丸くして、真須のピクピク動く大胸筋と、俺たちの必死のツッコミを見つめていた。
そして、数秒の静寂の後。
「……プッ。……HAHAHAHA!!」
突如として、当主様は腹を抱えて豪快に笑い始めたのだ。
「HAHAHA! いやはや、なんという真っ直ぐな男だ! 私に向かって自らを『俺様』と名乗るとはな! HAHAHAHA!!」
「フフッ、当主様の仰る通りです。実に不敬で、底抜けのアホですね」
後ろに控えていたクロードも、いつものインテリヤクザのような笑みを浮かべて、肩を揺らして笑っている。
「えっ……? あ、あれ……?」
バラ園行きを覚悟した俺たちだったが、まさかの大ウケ。
当主様の豪快な笑い声に釣られるように、ガチガチに張り詰めていた応接室の空気が、嘘のように一気に弛緩していく。
「HAHA……素晴らしい。セシリアが毎日楽しそうに学校での生活を報告してくる理由が、よく分かったよ」
目尻の涙を指で拭いながら、当主様は俺たちに向けてニッと口角を上げた。
「娘を頼んだぞ、『俺様』。そして、頼もしい友人たちよ」
「……は、はいっ!!」
俺たちは、今度こそ全員で真っ直ぐに背筋を伸ばし、力強く返事をした。
こうして、真須の奇跡的なアホっぷりによってプレッシャーという名の壁は破壊され、俺たちは無事に、セシリアとクロードの待つ放送室へと向かうことになった。
⭐︎
応接室でのプレッシャーから解放され、俺たちは全校集会の会場(体育館)へ音声を届けるための『放送室』へと移動していた。
「ふぅぅ……っ、すぅぅ……っ」
マイクの前に立つセシリアは、先ほどの応接室での当主様の言葉が重くのしかかっているのか、顔面を蒼白にしてガチガチに震え、必死に深呼吸を繰り返していた。
普段の自信満々な公爵令嬢の面影はなく、完全に「初めての大舞台を前にした小動物」状態だ。
「おいおい、あいつガチで緊張してんな……」
「このままじゃ本番で噛み倒して、あの当主様に俺たちまでバラ園の肥料にされちまうぞ」
見かねた俺たち『はみだしカルテット』は、なんとか彼女の緊張をほぐそうと悪ふざけのスイッチを入れた。
「おーい、セシリア! そんなガチガチにならなくていいって!」
俺がマイクの横からヘラヘラと笑いかける。
「そうだぜ! いざとなったら、本番でもあの伝説の『ガニ股アヘ顔ダブルピースジャンプ』やっちゃえよ! 全校生徒の度肝を抜いてやろうぜ!」
俺たちがゲラゲラと笑いながら無責任な冗談を吹き込んだ、その瞬間だった。
「……皆様」
スゥッ……。
それまで俺たちの後ろでニコニコと付き従っていた執事のクロードから、突如として一切の感情が消え失せた。
「…………っ!?」
空気が、凍りついた。
クロードのプラチナブロンドの前髪の奥から覗く瞳は、いつものドMで変態的なそれではなく――血の匂いと硝煙をまとった、冷徹な『本物の執事』の眼光だった。
「先ほど、当主様から絶対の成功を命じられたはずです」
氷のように冷たく、一切の抑揚がない低い声。
背筋にゾクッと悪寒が走り、俺たち4人の笑い顔がピタリと硬直した。
「ご友人たちといえど、これ以上ふざけるのはここまでにしていただきたい。もしお嬢様の邪魔をするというのなら……排除しますよ」
本物の殺気。
冗談でもなんでもない、本当に一瞬で命を奪われかねない圧倒的なプロの威圧感に、俺たちは完全に息を呑み、蛇に睨まれた蛙のようにガクガクと震え上がった。
(ヤバいヤバいヤバい! ガチギレさせてしまった! この重すぎる空気をなんとかしないと、本番前に俺たちが死ぬ!!)
気まずさと恐怖を誤魔化すため、俺は顔を引きつらせながら、必死に取り繕うように手を叩いた。
「ま、まぁ!? 本番でやるのは絶対にナシとして! ウォームアップ代わりに、今ここで一回だけやっとこうぜ! な!? 体動かせば緊張もほぐれるし!」
「そ、そうだぜ! 筋肉をほぐすんだ!」
「い、いいデスますね……! 体を動かせば、少しは落ち着くかもしれませんわ!」
俺たちの苦し紛れの提案に、セシリアもコクリと頷いた。
そして、彼女はスカートの裾をギュッと握りしめ、覚悟を決めたように目を閉じた。
「ええい、ままよデスますっ!!」
ピョンッ!!
セシリアが、渾身の力を込めてその場で大きく跳躍し、空中で見事な『ガニ股』のポーズをキメた。
当然、ヨーロッパの最高級生地で作られたふんわりとしたスカートが、重力に逆らってフワッッ!と勢いよくめくれ上がる。
その、瞬間だった。
「…………ッ!!」
シュバババババババッ!!!
先ほどまで『冷徹な執事』の顔をして腕を組んでいたはずのクロードが、目にも止まらぬ音速のスライディングで床を滑り込んできたのだ。
そして、スカートの真下という特等席を瞬時に確保すると、そのままの勢いで立ち上がり、俺たち男4人の肩をガッチリと力強く組み抱せて、天に向かって雄叫びを上げた。
「「「「「ヒャッホォォォォォォォォウ!!! パンチラしたぜェェェェェェ!!!」」」」」
「……は?」
俺たちカルテットは、肩を組まれたまま呆然と声を漏らした。
クロードは鼻血を噴き出しながら、歓喜の涙を流して満面の笑みを浮かべていた。
「素晴らしい!! 緊張からのヤケクソの跳躍! そして純白のシルクが織りなす奇跡の絶対領域!! ハァーッ、眼福です!!」
俺の中で、張り詰めていた恐怖の糸が、けたたましい音を立ててブチ切れた。
「シリアスどこ行ったァァァァァッ!!!」
俺はクロードの胸倉を掴んで全力で揺さぶった。
「お前さっきまで超絶怖い執事みたいな顔してたじゃねぇか!! 即効で変態バレてんじゃねーか!! 殺気返せバカ!!」
「フッ……何を言っているのですか、悠馬様」
クロードは鼻血を垂らしながら、インテリヤクザのように眼鏡をギラリと光らせた。
「当主様の命令が絶対であるように……私が純度100%のドMで変態であるということもまた、何人たりとも侵すことのできない『揺るぎない素』ですから!!」
「清々しいほどのクズ発言!! 誇るな!!」
「ちょっと!! わたくしの下着を見て肩組んで喜ばないでくださいデスます!!」
顔を真っ赤にしたセシリアの右ストレートが、クロードの顔面にクリーンヒットする。
「ぐはぁッ!? ありがとうございますゥゥ!!」
放送室に、クロードの歓喜の悲鳴と俺たちの怒号が入り乱れる。
さっきまでの当主様の重圧も、殺気も、セシリアの極度の緊張も。
この底なしの変態執事が放った『ブレない狂気』の前では、全てが馬鹿馬鹿しくなり、完全に吹き飛んでしまっていた。
「……フフッ、アハハハハッ!! もう、あなたたちバカばっかりデスますわ!」
セシリアはお腹を抱え、緊張などすっかり忘れたように、いつもの明るい笑顔で笑い転げていた。
こうして、俺たちは完全に緊張が吹き飛んだ(というよりカオスな)状態のまま、ついに全校集会の本番、マイクのスイッチをオンにするのだった。




