9話
弊小説に未成年はいません。
ざぁぁぁぁぁっ……。
土砂降りの雨が、深夜のアスファルトを激しく打ち付けていた。
俺は傘を深く差し、重い足取りで深夜の道をトボトボと歩いていた。
「いやー、金払いがいいのは助かるけど、夜遅くまで弾かされてしんどー……」
本日の結婚式場でのピアノバイトは、やたらと機嫌の良い親族が多く、なんとノリで二次会にまで同席してピアノを弾かされる羽目になった。だが、リクエストに応えて弾きまくった結果、給料とは別に祝儀袋に入ったおひねりだけで日給2万円という大入りだった。ポケットの中で分厚くなった財布の感触だけが、今の疲労困憊な俺の心の支えだ。
家路を急ぐため、近道の大きな橋に差し掛かった時のことだった。
「……ん?」
橋の中央。激しい雨に打たれながら、欄干から身を乗り出している人影があった。
よく見ると、そいつは『実質』上半身裸だった。ボロボロに引き裂かれたワイシャツの残骸が辛うじて肩に引っかかっているだけで、鍛え抜かれた腹筋が雨に濡れて丸出しになっている。さらになぜかズボンの片足も太ももの根元から破れ去っていた。まるで凶悪なヒグマか山賊にでも襲われたかのような悲惨な姿で、暗い川の水面をジッと見つめて黄昏れていた。
(おいおいマジかよ……。あんなボロボロの格好で、川を見つめて……。ま、まさか、飛び込もうとしてるんじゃ!?)
俺は慌てて駆け寄った。
「おい! 早まるな!! 命を粗末に……って、えっ?」
「うっ……げふっ、ごふぉっ……」
俺が肩を掴んだ瞬間。
そいつは欄干から顔を出し、滝のような勢いで口から『茶色い液体』をゲロゲロと吐き出していた。
「ぶしゃぁぁぁっ!!」
「うわっ、冷たっ!? ていうか飛び散って俺のズボンにかかってんだけど!? って、な、なんだお前!? なんでそんなボロボロで……って、クロード!?」
「ハァ……ハァ……悠馬様……? 奇遇、ですね……うぇっぷ」
水も滴る半裸(ほぼ全裸に近い)のイケメン執事は、虚ろな目で俺を見ると、再び川に向かって盛大にゲップを放った。辺りにフワリと、高級な烏龍茶の香りが漂う。
「お前、誰にやられたんだ!! 暴漢か!? 強盗か!?」
「ハァ……ハァ……見事に身ぐるみを剥がされまして。ただ……経費で落とすための領収証、もらい忘れました……無念」
「気にしてるとこそこかよ!! てかそんな格好になる領収証が経費で落ちるわけねぇだろ!!」
俺がクロードの肩を激しく揺さぶると、彼の虚ろな瞳の奥に、凄惨(?)な回想シーンがフラッシュバックした。
――ネオン輝く、大人の社交場。
けばけばしいドレスを着た綺麗なお姉さんたちに両脇を固められ、「クロードくぅん、顔面国宝じゃぁん♡」「もっといけちゃいますよねぇ♡」とチヤホヤされる執事。
テーブルの中央には、ドンペリやロマネコンティを思わせるような仰々しい高級クリスタルボトルが、なんと10本以上もズラリと並べられている。
しかしその中身は全て、一杯数万円のぼったくり『超高級・特製ブレンド烏龍茶』。
「ハァーッ! お姉様方の香水の匂い……最高のエロス! 私、烏龍茶のカフェインと空間のフェロモンで悪酔いしてきましたァァ!」と叫びながら、ボトルをラッパ飲みし、水腹で限界を迎え、最終的に「お金が足りないなら体で払ってもらうわよ」と黒服たちに身ぐるみ(物理)をひん剥かれる姿――。
「ってお前!! 暴漢じゃなくて、キャバクラの姉ちゃんたちに金と服むしり取られただけだろ!!」
俺は橋の上で、雨音を切り裂く全力のツッコミを入れた。
「ていうかお前、俺と同じ1年で……未成年だろ!! なんでそんな大人の店に入ってんだよ!!」
「ぐはは! イギリスでは合法でしたから!」
「ここ日本やん!! そもそもお前、酒一滴も飲んでねぇじゃん! ただのお茶飲んで雰囲気に充てられてベロベロになってるだけじゃねーか!! ダサすぎるだろ!!」
俺が正論で殴りつけると、クロードはフラフラと立ち上がり、インテリヤクザのように眼鏡を押し上げた(レンズは片方割れているが)。
「フッ……悠馬様。日本の法律でも、私がただ『お茶』を飲んで雰囲気に酔っ払うこと自体は合法です。それに、イギリスでは5歳から自宅でのティータイムは合法ですし、仮に年齢制限のある店だとしても、家族の監視の元ならセーフなんです。それに私、(育て親が)日本の血が混じってるんですよ(ドヤ顔)」
「えっ、そうなの? じゃあギリギリ……って感化されるか!! 家族の監視ねぇだろ!! ていうかお茶の合法論にすり替えるな!! ただの10本も瓶をあけさせられた挙句、服を巻き上げられたぼったくり被害者じゃねぇか!!」
水腹でタプタプ音を立てながら「うぇっぷ」と烏龍茶を吐き出すクロードを見て、俺は激しい頭痛を覚えた。本当に救いようのないアホである。
「……ほら、飲めよ。お茶以外はもう無理だろうから……コーヒーでいいだろ?」
なんだかんだでコイツを見捨てられない俺は、近くの自販機で温かい缶コーヒーを二つ買い、一つを半裸の執事に押し付けた。
橋の下の雨宿りスペース。土砂降りの雨音だけが響く中、男二人で深夜の語り合いに発展する。
「……痛み入ります。と言いたいところですが、私、こういう安い泥水のようなものは高貴な私の口に合わないんですよね。これだから庶民は。………ッペッ」
「てめえマジで川に突き落とすぞ!!」
俺がガチギレして胸ぐらを掴もうとすると、クロードはヒョイと最小限の動きで躱し、俺の手を空振らせた。
「フハハハッ! 悠馬様のようなヒョロガリの攻撃など、我が暗殺術の前では止まって見えますわww」
「この野郎……!」
人を小馬鹿にした笑い声を上げながら、結局ちゃっかりと温かい缶コーヒーをすする執事。
「ちっ……ていうかお前、お嬢様の護衛はどうしたんだよ。こんなところで何してんだよ」
「お嬢様は今夜、白雪様のお屋敷にお泊まりです。私を置いてお泊りに行かれるなど!! いついかなる危険があるか分からないというのに……!」
クロードは悔しそうにギリッと歯を食いしばった。
「あちらの屋敷もかなりの名家でしてね。最新鋭のセキュリティシステムと屈強なSPが配備されていました。ですから私が白雪様の家に入るや否や、『では、いち早く風呂場の偵察とベッドの下の安全確認を』と向かおうとした結果、警報を鳴らされ、SPたちに物理的に締め出されました」
「お前が一番の危険人物だからな!! 警察呼ばれなかっただけ感謝しろ!」
さっきまでの深夜の雨のシチュエーションが醸し出していたエモい空気は、完全にぶち壊された。
「……悠馬様。どうせ暇でしょう? 夜は私と遊びましょう」
クロードが突然、ニヤリと笑いながら俺の肩を抱き寄せてきた。
「……は?」
「私もお嬢様に振られて(追い出されて)暇なんです。悠馬様も、白雪様に振られて暇でしょう?」
「振られるも何も、告白すらしてねぇよ!!! 勝手に失恋したことにすんな!!」
「フハハハハ!」
「笑い事じゃねぇぞバカ!」
テンションが完全におかしくなったクロード(半裸)に肩を組まれ、俺は抗う間もなく引きずられていく。
「おいバカ待て!! 俺は疲れてんだよ!! 帰って寝たいんだよ!!」
「大丈夫です! 悠馬様の右ポケットには、本日稼いだおひねり。見事な『2万円』があるではありませんか! その金で、私に服を買い、夜明けまで語り明かしましょう!!」
「なんで俺の財布の中身と入ってるポケットの位置まで正確に把握してんだよくそ執事ィィ!!」
結局、日給2万円をガッチリとロックオンされた俺は、逃げ出すこともできず、そのまま半裸の執事と共にドンキ経由で駅前のカラオケボックスへ直行することになった。
「うおおおおッ! アビスの深淵に響けェェ!!」
「悠馬様、マイクの持ち方が近いです! もっと腰を入れて!!」
深夜2時。
土砂降りの雨の夜。
俺たちはヤケクソでマイクを握りしめ、2人でアニソンや洋楽を喉が千切れるほど大熱唱し……なんとか1万円(半分は死守した)を溶かしながら、朝までオールでアホな夜を明かすのだった。




