6話前半
「いいか!? 今から俺が、日本の、いや人間の正しい言葉と礼儀を一から教えてやる!! 全員正座しろ!!」
俺が全校生徒の命(と俺たちの命)を救うべく、ヘイトスピーチの原稿を親の仇のようにビリビリに破り捨てて立ち上がった。
放課後の誰もいない教室。ここから、極東の地におけるセシリアお嬢様の『正しい日本語への翻訳』という、気の遠くなるような地獄の特訓が幕を開けた。
「まずは、壇上に上がった時の最初の『挨拶』だ。いいかセシリア、挨拶は第一印象を決める一番大事なところだぞ。変なラップとか韻は踏まなくていいから、とりあえず、今まで教わった通りの一番丁寧なやつをやってみろ」
俺が腕を組んで教師ぶって指示を出すと、セシリアは「分かりましたわ!」と元気よく頷き、教壇の前に立った。
スゥッと息を吸い込み、姿勢を正す。そこにあるのは、間違いなくヨーロッパの歴史ある公爵家の血を引く、気高く美しい令嬢の姿だった。
そして彼女は、天使のように愛らしい満面の笑みを浮かべ、両手の中指を勢いよく天高く突き立てた。
「Hello! 極東の薄汚ねぇ猿ども! 今日はよろしくお願いしマスわ! ふぁっきんぬーぶ!!」
「「「「…………」」」」
「いきなり放送事故だろ!! 誰が全校集会で中指立てて猿どもって叫ぶんだよ!! というか海外でも中指立てるのは一発アウトのNGだろ!!」
俺が頭を抱えて絶叫すると、セシリアは突き立てた中指を不思議そうに見つめ、コテンと小首を傾げた。
「え? クロードから、中指を立てるのは極東における最大の『友愛のジェスチャー』だと教わりましたが?」
「だからアイツの教えは全部忘れろって言っただろ!! その指は今すぐしまえ!!」
俺が必死に軌道修正を図ろうと教壇に近づいた、その時だった。
「やれやれ、悠馬様は分かっていらっしゃらない」
クロードがインテリヤクザのように眼鏡を押し上げ、やれやれと肩をすくめた。
「お嬢様は正真正銘、温室育ちのガチお嬢様ですからね。下々が使うような下品なジェスチャーの意味など、知らなくて当たり前なのです。俗世の汚れを知らない無垢な魂……貴方方のような薄汚い蠅とは住む世界が違うのですよ」
「お前がわざと吹き込んだんだろ!!」
俺が執事にキレかけていると、横から篠山が、ニヤァッと底意地の悪い笑顔を浮かべて口を挟んできた。
「待て悠馬、お前は分かってないな。確かに中指は『友愛』だが、全校生徒に最大の『敬意』を示すには、下半身のポーズが圧倒的に足りない」
「は? お前、何言って――」
「セシリアお嬢様。日本では古来より、相手に深い敬意を示す時、足を大きく開いて腰を深く落とす『ガニ股(四股)』の姿勢を取るのが伝統なんですよ。相撲という神聖な儀式から来ている由緒正しき作法です」
篠山がもっともらしい嘘を並べ立てると、セシリアの碧眼が「なるほど!」と感心したように輝いた。
「Oh! 相撲! ジャパニーズ・トラディショナル・ガニ股デスますね! こうデスますか!?」
セシリアは俺の制止を振り切り、制服のスカート姿のまま、見事なまでの四股踏みのごとき深いガニ股を披露した。
純白の太ももが露わになり、公爵令嬢の威厳が音を立てて崩れ去っていく。
「おい篠山! お嬢様に何吹き込んでんだ! スカートでガニ股とか完全にアウトだろ!」
俺がツッコミを入れる暇もなく、今度は真須が目をギラつかせて身を乗り出してきた。
「甘いぜ篠山! 挨拶において最も重要なのは『表情』だろうが! どんなに下半身で敬意を示しても、顔が硬ければ台無しだ。日本では、相手を油断させ、最大の親しみを持たせるために、目を極限まで上に向け、舌をだらしなく出す……通称『アヘ顔』が礼儀の最上級とされてるんだ!」
「What!? アヘ顔デスますか!? な、難易度が高いデスますわね……でも、極東の皆様と仲良くなるためなら……! こうデスますか!?」
セシリアが、ガニ股で腰を落としたまま白目を剥き、舌をベロッと出した。
金髪碧眼の超絶美少女による、寸分の狂いもない完璧なガニ股アヘ顔。もう直視できない。
「お前らいい加減にしろって!! なんで直すどころかどんどん悪化させてんだよ!! 止めろクロード! お前のお嬢様がぶっ壊れかけてるぞ!!」
俺がたまらず執事に助けを求めると、クロードは教卓の横で膝をつき、一眼レフカメラを構えながら感動の涙を滝のように流していた。
「あぁ……! お嬢様のあのようなあられもないお姿……! スマホの容量はおろか、SDカードが尽きるまで連写したい……ッ!! ハァーッ!! 素晴らしい!!」
「こいつも完全にダメだった!!」
味方が一人もいない絶望的な状況。
俺が頭を抱えてしゃがみ込みそうになった時、氷室が俺の肩をポンと叩き、酷く哀れむような目を向けてきた。
「悠馬。お前は……この完成されたアート(地獄)に、自分の色を何も足せないのか?」
「……は?」
「所詮お前は、常識という名の薄っぺらい檻に囚われた凡人ってことだな。フッ……ピアノのプレッシャーから逃げ出しただけの雑魚野郎には、この前衛的な表現は理解できねぇか。お前にはクリエイティビティってもんが決定的に欠けてる」
「なっ……!?」
氷室の安い挑発。
普段の俺なら「バカ言ってんじゃねぇ、お前らの頭がおかしいだけだろ」と一蹴するところだ。
だが、一番触れられたくない『ピアノからの逃亡』を小馬鹿にされたことが、完全に俺の琴線(逆鱗)に触れた。それに加えて、バカどもが次々とセシリアを染め上げていく謎の『熱気』に当てられ、俺の思考回路は完全にバグり散らかしていた。
(こ、こいつらに主導権を握られたままじゃ、俺の存在意義が……! ましてやピアノから逃げた雑魚だなんて言われたまま、ただのツッコミ役で終わってたまるか……! 芸術が何たるか、俺が教えてやる……! お、俺も負けてられるかァァ!!)
睡眠不足によるナチュラルハイと、変な方向に振り切れた芸術家としての謎の対抗心が大爆発した俺は、教壇のセシリアに向かって叫んでしまった。
「セ、セシリア!! 日本にはな、『エロス』という世界に誇る素晴らしい文化があるんだ!!」
「エロス?」
「そうだ! 挨拶の時は、片手でピースサインを作りながら、もう片手でスカートを太ももの限界までたくし上げるんだ!! それが日本の『萌え』の究極系だ!! 魂を解放しろ!! これをやれば全校生徒が泣いて喜ぶぞ!!」
俺の狂ったアドバイスを聞いた篠山と真須が、「おぉ……ッ!」と息を呑んだ。
「エロス! 萌え! なるほど、極東の文化は本当に奥が深いデスますわね!! やってみせますわ!!」
セシリアは真顔で力強く頷き、最終モーションに入った。




