5話
結局、昨日のファミレスでのスピーチの打ち合わせは、完全に無駄に終わった。
深夜アニメやロボットアニメで完全に意気投合したクロードと真須、篠山の『オタク同盟』の会話が永遠に止まらなくなり、スピーチの話など1ミリも進まないまま解散となってしまったからだ。
幸いなことに、学校側の都合で留学生の歓迎イベントは来週から再来週へと延期になった。少し猶予ができたのは救いだったが、不安しかないことには変わりない。
そして翌日の放課後。
生徒たちが部活や下校で姿を消し、オレンジ色の夕焼けが差し込む誰もいない空き教室に、俺たちは集まっていた。
「フフン! 昨夜クロードと相談して、全校生徒に向けた完璧なスピーチ原稿を書いてきましたわ!」
セシリアが太陽のような眩しい笑顔で、一枚のルーズリーフを俺たちにドヤ顔で差し出してきた。
嫌な予感しかしない俺は、恐る恐るその原稿を受け取り、声に出して読み上げた。
『極東の薄汚ねぇ貧民共。お前らの献金と税金のおかげで、このクソゲー学校も少しはマシになったぜ Year』
「…………は?」
俺の顔面から、スッと血の気が引いた。
『私は貴族! お前ら貧族! 生かさず殺さず、永久に従属! Oh yes. 家畜の種族!』
「いぇー!!」
『脳天ブチ抜くぞ ファッキンヌーブ! その雑魚ムーブ! 知能が低級! 思考はスリープ! 脳みそ空洞 センスがチープ! 症状重症 言語はフリーズ!』
俺は絶句した。
そこには、無駄にヒップホップなラップ調で韻を踏んで全校生徒を底辺扱いする、純度100%の極悪ヘイトスピーチが書き殴られていたのだ。
俺が顔面蒼白になってプルプルと震えている中。
横から原稿を覗き込んだデスメタル男(氷室)だけが、なぜかバチッと目を輝かせ、原稿を持つ手が震え始めた。
「……す、素晴らしいッ!! 『貴族(Kizoku)』『貧族(Hinzoku)』『従属(Juuzoku)』と『O』の母音で完璧に踏みつつ、そこから『種族(しゅぞっくぅ↗)』と跳ねさせる神がかったフロウ……! 圧倒的なまでの縦ノリだ!」
氷室は興奮のあまり早口になり、さらに原稿の後半を指差した。
「さらにこの後半の怒涛の畳み掛けを見ろ! 『低級(Teikyuu)』『空洞(Kuudou)』『重症(Juushou)』の『U・O・U』の重たい韻から、『スリープ』『チープ』『フリーズ』と、破裂音と摩擦音でスタイリッシュに撃ち抜くこの構成……! 天才のそれだぞ!!」
「フッ……お分かりいただけますか、氷室様」
セシリアの背後に立つ執事のクロードが、インテリヤクザのように眼鏡を押し上げながらドヤ顔で言った。
「FPSのボイスチャットで敵を煽る時は、言葉のリズムとテンポが命なのです。考える隙を与えず、流れるように暴言の弾丸を叩き込むのがコツですからね。なぁ、お嬢様?」
クロードが水を向けると、セシリアはよく分かっていない様子で「そういうものなのデスますね」と純真な笑顔でコクコクと頷いている。
完全に変態執事に言いくるめられて、それが日本文化をリスペクトした素晴らしいスピーチだと信じ切っているらしい。
「ああ! 最高のフロウだ!」
氷室が謎の熱を帯びて身を乗り出す。
「さらにここに『血塗られた(ブラッディ)』と『深淵』のワードを足せば、より暗黒の言霊になるぞ! こうだ! 『血塗られた貧族! 落ちろ深淵の地獄!』」
「Oh! よく分かんないけど、ナイスアイデア! 採用です!」
クロードが指を鳴らして氷室と熱いハイタッチを交わす。
「さらに言うなら、スピーチのクライマックス、『ファッキンヌーブ!』の瞬間に、お嬢様には両手の中指を天高く突き立てていただきます。極東における最大の『友愛のジェスチャー』ですからね」
「いいねぇ! 超ロックじゃん!」
「全校生徒の度肝を抜くぜ! 俺の大胸筋も震えてきた!!」
篠山と真須までもが、完全に悪ノリして親指を立てている。
その光景を、セシリアは「なんだかよく分からないけど、中指を立てれば皆様喜んでくれるのデスますね!」とニコニコしながら眺めていた。
「いやいやいやいや、ちょっと待て!!」
俺はたまらず机をバンッと力いっぱい叩いた。
「なんでセシリアは、そんなアホな言葉を素直に信じちゃうの!? というか、『ファッキン』とか別に日本語ですらねぇじゃん!! 英語圏の言葉だろ!!」
俺がツッコミを入れると、セシリアは不思議そうに小首を傾げた。
「え? ファッキンって、世界的に日常的な挨拶や、感謝を伝える言葉ではないのですますか?」
「どんな修羅の国だよ!!」
俺が叫ぶと、真須も「たしかにw さすがに中学生でも知ってる単語なのになんで知らねぇんだろうな」と首を傾げた。
「このお方、由緒正しき本物のガチお嬢様ですからね」
クロードがやれやれと肩をすくめて代弁した。
「そういった下品なスラングや暴言、果てはネットの俗語とは一番遠い、無菌室のような環境で大事に大事に育ってきたんですよ。だから私が教えた言葉を、何の疑いもなく純粋に信じているのです。私がお嬢様を育てました。今やこの奇行を後方彼氏ズラしてます」
「「「ああ、なるほど……」」」
俺以外のカルテットの連中が、妙に納得したように深く頷く。
「以前、私が屋敷の自室でFPSをやっている時に『ファッキン!!』とブチギレていたのを、お嬢様に覚えられてしまってですね」
クロードが笑いをこらえるように肩を震わせた。
「ある日、お嬢様が当主様に向かって、満面の笑みで『ファッキン!!』と元気よく挨拶した時は、流石の私も即刻クビと暗殺を覚悟して肝を冷やしましたよww」
「「「wwwwww」」」
真須と篠山が手を叩いて爆笑する。
「咄嗟に私が『い、いや、今のは“ふぁいてぃん(Fighting)”と党首様を応援したんですよ!』って必死に誤魔化したら、当主様も『ハハハ! うちの天使のような娘が、そんな汚い言葉を言うわけないもんなww』って大爆笑して信じ込んでましたよ。あのハゲジジイ、ガチでちょろすぎww」
「「「wwwwwwww」」」
「『あぁ。愉快だ。もしセシリアが本当にそんなこと言ってたら君の骨を薔薇園の肥料にしてたよ』って言われた時は肝を冷やしましたけど」
「「「いや、洒落になってねぇ」」」
「「「HAHAHA」」」
執事と親友たちが腹を抱えて笑い転げる。
「おめぇが原因じゃねえか!! というかお世話になってる当主様を笑うな!!」
俺の怒号が響くが、クロードは悪びれもせずに腹を抱えて笑い続けた。
「それからは流石にマズいと思って、『ファッキンは親しい人への愛のこもった挨拶です』って適当にごまかして教えてます。まぁ最近は、ちょっと面白半分でわざと変な日本語を教えて遊んでますけどねwwww」
「ふふっ、日本でのご挨拶の言葉がいっぱい増えて、わたくし嬉しいデスわ!」
セシリアが、心底誇らしげに天使の笑顔で胸を張る。
「遊んでんじゃねーよ!! ぜんぶ不採用だ!! 全校生徒を敵に回す気か!!」
俺が怒鳴り散らすと、クロードがふと思い出したように「あ」と声を上げた。
「そういえば、再来週の歓迎イベントの場には、ヨーロッパから当主様もわざわざ視察に来られるそうですよ。来賓として挨拶もするそうです」
「「「えっ」」」
俺たちの動きがピタリと止まる。
「おお! マジか!」
篠山がニヤァッと悪い笑顔を浮かべた。
「ならば、その歓迎イベントで、クロードの教育によって完全に仕上がった『お嬢様の真の姿』を、親父殿に見せてやろうぜ!!」
「おう! みんなでそのハゲジジイの脳天にも、極上の『ファッキン(友愛の挨拶)』をかましてやろうぜ!!」
真須がガッツポーズを決め、氷室も「アビスの地獄ゥ!」と謎のシャウトを上げている。
「お前ら、全校生徒どころか国際問題で消されるわ!! 本当に暗殺されるぞ!!」
俺は、無責任にシャウトし続けている氷室の脳天に、物理的なチョップを容赦なく叩き込んで黙らせた。
そして、クロードの手からヘイトスピーチの原稿を奪い取り、親の仇のようにビリビリに破り捨てた。
「いいか!? 今から俺が、日本の、いや人間の正しい言葉を一から教えてやる!! 全員正座しろ!!」
――こうして、極東の地におけるセシリアお嬢様の『正しい日本語への翻訳』という、気の遠くなるような地獄の特訓が幕を開けたのだった。




